おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

おかあちゃん 寝られないよ

2012年02月15日 05時32分45秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、私ね。昨夜10時頃眠くなって1時前まで寝たんだ。
それから、目が開いて寝られないから起きてる事にした。
眼はしょぼしょぼするのに寝られない。
おかあちゃん、テレビつけてたけど見てないので消した。
おかあちゃん、可愛いお顔を思い出すよ。
私が、おかあちゃんを介護出来たのはおかあちゃんの体重に関係するよ。
26キロまでになったおかあちゃん。元々30キロ代だったから、少し痩せたな位だった。
でも、やっぱり痩せていくおかあちゃんを見るのは辛かった。
おかあちゃんを抱っこしてお風呂に入った事は忘れられない。
すごく可愛くて、私をジッと見てた。私があかちゃんの頃こんなだったんだろうな。
目に浮かぶようだった。ありがとう。おかあちゃん。大事に大事に育ててくれて。
おかあちゃんを抱っこしてお風呂に入ろうと思ったのは、先に私が出てベットにタオルを引いて
おかあちゃんが上がってくる用意をしていた時。すぐに風呂場に戻ったが小さいおかあちゃんは
プカプカ浮いていた。沈んだり浮いたりしていた。私はあわてて栓を抜いた。
ごめんね。ごめんね。と言いながら救いあげた。
ベットの上に寝かせて全身を拭きながら、「ごめんね。おかあちゃん、怖かったやろ。」
おかあちゃんは、ニコニコしてくれた。「浮かんだ。」そう言った。
私は、泣いていた。体を拭く私を、擦りよしよしをしてくれた。ごめんね。
この少し前にも、やっぱりベットの用意の為に風呂場を離れた。
風呂場に戻ると、ウンチが浮いていた。おかあちゃんとウンチ。
私は、「アーアー。良かったね。ウンチ出た。ごめんね。」
おかあちゃんを、綺麗にしてベットに運んだ。
おかあちゃん、「ウンチ出た。」って笑った。私もごめんね。と謝りながら笑ったね。
2人で笑った。幸せだった。幸せってこういう事だと思った。
おかあちゃん、私は幸せだった。幸せだった数が多いから、悲しみも多いのかな。
もっと、もっと、もっと一緒にいてお世話したかった。
私はね。最後に看護婦さんを雇った事を少し後悔している。
おしめを替えては下さったが、あっちこっちと、さっさとおかあちゃんの体を動かせた。
しんどかったろうね。私ならゆっくりおかあちゃんとお話しながら替えたのにと思う。
ごめんね。お話が出来たら、しんどいよって言えたのにね。
ごめんね。おかあちゃん。会いたい。会えるなら私はなんでもする、
お花が綺麗でも悲しい。おかあちゃんの「綺麗やな。」が聞きたい。
「好き好き」と言ってもらいたい。
ごめんね。おばさんが自分の事で泣くのはいいけど、おかあちゃんの事で泣いてはいけない。
と言っていた。でもね。私、我慢するのは止めにした。
おかあちゃんに会える日まで、いっぱい泣くよ。
少しづつ減ったとしても、泣くよ。愛しているんだもん。
忘れられないよ。私の愛おしい人。おかあちゃん。

おかあちゃん。ありがとう。大大大大大好きだよ。愛してるよ。
私がおばあちゃんになっても忘れない。おかあちゃんも私を忘れないで。
これからもズーとズーとズーとズーとズーと一緒だよ。
コメント
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