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福島 香織(ふくしま・かおり):ジャーナリスト 大阪大学文学部卒業後産経新聞に入社。
上海・復旦大学で語学留学を経て2001年に香港、2002〜08年に北京で産経新聞特派員として取材活動に従事。
2009年に産経新聞を退社後フリーに。
おもに中国の政治経済社会をテーマに取材。
主な著書に『なぜ中国は台湾を併合できないのか』(PHP研究所、2023)、『習近平「独裁新時代」崩壊のカウントダウン』(かや書房、2023)など。
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最近、チャイナウォッチャー界隈で盛り上がっているゴシップスといえば、
今年夏に行われる四中全会(第四回中央委員会全体会議)で習近平が引退する、あるいは2027年の第21回党大会で習近平

が引退すべく、その後継人事が決まる、というものだ。
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【写真】習近平氏の求心力は低下している?
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5月中旬に政治局拡大会議が開催され、その席で長老たちが習近平に引退を迫り、習近平もメンツを保てる形での引退ならば受け入れる、ということになり、今その後継人事でもめている、あるいは四中全会でその人事が討議される、という「噂」だ。
正直、まともなメディアは取り上げることもないと思われる話なのだが、それでも関心を持つ人は多いようで、私に対しても、何度か問い合わせが寄せられた。
それで、フェイクニュースであるとしても、どういう流れでこうした噂が流れているのか、また「噂」の中で信ぴょう性のある部分は含まれているのか、精査してみたい。
■ 著名な華人チャイナウォッチャーたちが拡散
四中全会とは党中央の4回目の全体会議を指し、党の政策、方針は年に1回以上行われる党中央全体会議での討議と採決を経る必要がある。
四中全会とは党中央の4回目の全体会議を指し、党の政策、方針は年に1回以上行われる党中央全体会議での討議と採決を経る必要がある。
通常、党大会が行われた翌年は二中全会が春の全人代前、
三中全会が秋に行われ、1年に2回の中央委員会が行われる。
だが習近平の独裁体制をめぐる党中央内の権力闘争の影響で、
だが習近平の独裁体制をめぐる党中央内の権力闘争の影響で、
2023年秋に行われる予定の三中全会が大幅にずれて2024年7月に行われた。
それで四中全会は今年行われるはずなのだが、
秋ではなく、
夏に前倒しで行われるのではないか、
と言われている。
というのも、秋には抗日戦争世界反ファシズム戦争勝利90周年記念という重要外交イベントが控えており、
その前に四中全会を済ませておくほうが、
共産党と解放軍の団結アピールに有利と見られているからだ。
それで、そろそろ、四中全会の日程が公表されるタイミングではないか、という期待が5月になって高まっていた。
そういう状況で冒頭に触れた噂があちこちではじけはじめた。
出所は、中国のSNS界で人気の華人チャイナウォッチャーたちだ。
具体的には、老灯、江峰、蘇小和、李沐陽、文昭、蔡慎坤、姜維平、姚誠らだ。
彼らは党内の信頼できる筋から聞いた、
ハイレベルから聞いたと言った形で、この「噂」を報じ、
あるいは「本当かわからない」といいながら転載している。
その内容を簡単に言えば、
その内容を簡単に言えば、
まず老灯らが、
5月14日に北京で政治局拡大会議が開催され、
長老たち、
軍の老幹部たちが勢ぞろい、
病身の胡錦涛・元総書記も出席し、
胡錦涛と軍事委員会副主席の張又侠らは習近平を批判する発言を行い、引退を迫った、という「噂」を紹介。
胡錦涛の発言の中には、
「温家宝と李克強はずっと鄧小平の改革開放路線を継承してきて、
大きな成果を得た。
しかし、一部の人たち(暗に習近平派閥を指す)は集団指導を無視し、
個人崇拝にこだわり、
その成果を台無しにして、
現在内政にも外交にも困っている」
といった内容が含まれていたとか。
さらに、
胡錦涛は「たとえ内戦になったとしても、
改革開放路線を取り戻さねばならない」と激しい言葉を語ったとか。
そして次の四中全会では新しい政治局の人事を行い、共青団派(共産主義青年団出身)を3分の1以上にするように求めたという。
また張又侠も発言を行い、
「前回の党大会(第20回党大会)で、習近平の総書記再任を支持したことは間違っていた」と述べたという。
さらに、習近平が反腐敗の名の下に軍内反習近平派を粛清したことで軍を混乱させた、
習近平夫人の彭麗媛が軍の人事権に関わるようになって、
習近平の軍隊になってしまった、などと批判したという。
張又侠は、
習近平は総書記、国家主席、軍事委員会主席を引退しなければならない、党と国の未来を極左路線に持っていかれるのを防がねばならない、
と呼び掛けたとも。
■ 気になる噂の中身、「引退」を迫ったのは?
■ 気になる噂の中身、「引退」を迫ったのは?
こうした噂が流れたのちに、
元中国の実業家で、
今は在米華人チャイナウォッチャーとして人気の蔡慎坤が、「四中全会の日程が8月27日から30日に決定した」という情報をセルフメディアで流していた。
彼によれば、
長老たちが習近平に引退を迫り、
その後継人事案として、
副首相の丁薛祥を総書記に、上海市書記の陳寧吉を首相に、首相の李強を全人代常務委員長にするリストが流れている、という。
蔡慎坤は習近平に引退を迫った長老集団の筆頭が胡錦涛であることは否定。
胡錦涛の健康状態は、習近平と直接対峙して交渉できるほど芳しくなく、言葉もすでに不明瞭な状態だから、という。
だが、曽慶紅や王岐山、温家宝らが習近平引退を求めたという。
続いて、蘇小和や姜維平らが、やはりそれぞれのセルフメディアで、すでに引退している共青団派の元政治局常務委員の汪洋を総書記兼軍事委員会主席に、首相を胡春華・元副首相を指名するように、胡錦涛と張又侠が習近平に迫ったというネタを投下していた。
蘇小和によれば、習近平は5月の政治局拡大会議で長老たちに引退を迫られて、体面を保ったまま引退できるならば受け入れると応じたという。
それで、7月に全党員による投票を行って習近平の総書記としての功績、党内民主に対する取り組みを評価、称賛する決議を行い、
それを花道に自ら引退を発表するというプランを提案。
同時に、後継人事として、鄧小平の改革開放路線を継承する汪洋を総書記、軍事委員会主席に、胡春華を首相に指名することを条件とした、という。
そして、今年9月3日に行われる抗日戦争世界反ファシズム戦争勝利80周年記念の軍事パレードは汪洋が軍事委員会主席として采配するという「噂」もあることを指摘していた。
ほかの人気チャイナウォッチャーたちも、それぞれにこの類の噂を取り上げていた。
果たして、こうした噂にどこまで信ぴょう性があるのか。
私個人=福島 香織=の見解をいえば、97%ぐらいがウソであろう、と思う。
■ フェイクでも拡散されるワケ
そもそも5月14日に政治局拡大会議が開催された形跡はみあたらない。
おそらくは胡錦涛と張又侠が、習近平に四中全会で引退するよう迫った、「たとえ内戦になったとしても」といった発言などは典型的な「フェイク」だろう。
政治の季節になると、人気のチャイナウォッチャーがあえてフェイクニュースを流すことがよくある。
たとえば、
5月5日に中央弁公庁が「目下の任務大局を妨害する極左思想の防止に関する通知」を発表した、というフェイクニュース。
わざわざ2025年11号文書というナンバーまでつけた原稿に仕立てた文書がSNSに拡散されたが、これはフェイクだろう。
だが、多くのチャイナウォッチャーたちがこの通知を転載し、
中央弁公庁主任の蔡奇が「習近平に反旗を翻した」根拠としていた。
つまり、習近平の権勢が衰えており、
子飼いの部下で福建閥の筆頭の蔡奇にまで離反している、
という説を拡散しようとしたのだった。
さて、多くの名だたるチャイナウォッチャーたちが、「ほんとか知らんけど」とうそぶきながら、
こうした「噂」を一斉に流したのには、
それなりに背景があると思われる。
一つは、党中央外で習近平引退を望む空気感が実際に漂っているのだろう。
実際、習近平政権自身が、これまでの十数年余りの執政がうまくいっていないと気付いている気配はある。
以前ほど、「習近平を核心とする党中央の指導」という形容詞を公式の場で使わなくなったし、改革開放逆走路線を修正しようとしているような気配もある。
たとえば最近の地方人事をみればそう思える。
■ 習近平引退を望む空気感
直轄都市の天津市副市長だった劉桂平が天津市副書記に昇進したことを、
天津日報が5月24日に報じていた。彼は王岐山の部下で、金融閥出身の経済博士だ。
天津市の書記は陳敏爾で、
天津市人事は本来、習近平の意向を汲んで陳敏爾がコミットしそうなものだが、王岐山金融閥が昇進してきた。
陳敏爾は習近平政権1期目に習近平にかわいがられ貴州省書記、
陳敏爾は習近平政権1期目に習近平にかわいがられ貴州省書記、
重慶市書記を経て天津市書記に駆け上ったが、
行政上の大きな功績は見当たらず、
無能の烙印が押され、どうやら習近平の寵愛も失っている。
同じ文脈で中国銀行董事長だった葛海蛟が山西省長に転出したことも注目された。
前任者の金湘軍は習近平人事であり、
彼が規律違反で失脚したあとに王岐山系金融閥が来たことは、習近平の権勢の弱まりを示しているのではないか、という見方がある。
金融専門家が地方行政実務トップにいきなり配置されるのはまれで、
うまくいくかは別として、
地方金融の建て直しが急務とされていることの現れであろう。
習近平は政権1期目で王岐山と協力し反腐敗キャンペーンで政敵を排除したが、
習近平は政権1期目で王岐山と協力し反腐敗キャンペーンで政敵を排除したが、
その後王岐山と対立、王岐山の海南航空集団利権をつぶす形で王岐山に圧力をかけ、王岐山系金融官僚も大勢粛清されていた。
だが、ここにきて、習近平は王岐山閥の復活を認めるように軌道修正してきたように見える。
また胡春華の存在感が増してきていることも注目される。
胡春華は政治局委員、副首相まで出世したにもかかわらず、
習近平にその優秀さを警戒されて第20回党大会で政治局から排除された共青団派の官僚政治家だ。
現在ヒラの中央委員で政治協商会議副主席という閑職にある。
だが4月、ナイジェリア、コートジボワール、セネガルの3カ国公式訪問を行い、これらの国の首脳と会談した。
政治局メンバーでもない胡春華が重要なアフリカ外交で活躍していることも注目すべきだが、
新華社報道が、胡春華の外交について報じるときに、相手国首脳が「習近平主席によろしくお伝えください、と語った」といった、代理外交定型文をあえて入れていないことも驚きだ。
つまり胡春華外交は習近平の代理で行われているのではない、ということだ。
さ らに、5月25日、胡春華が、ベトナムの元国家主席、チャン・ドク・ルオンの死去に際して、ベトナム大使館にわざわざ赴いて弔問をおこなったと、新華社が報じたことも異例だ。
チャン・ドク・ルオンはドイモイの推進者。
ヒラの中央委員に過ぎない胡春華の、ベトナム改革開放指導者の弔問を新華社が敢えて報じるのには含みがあると言っていいだろう。
つまり習近平外交はこれまでさんざん失敗しており、排除されていた共青団エースがそれをリカバリーしている、しかも鄧小平路線の正式な後継者。
新華社含め、党内での共青団派復活への期待度が感じられないか。
■ トランプ関税の「圧力」
こうした空気感を受けて、
フェイクニュースがつくられ、
あるいはフェイクニュースとわかっていても、
拡散させて中国内外の世論に影響を与えようという心理が、中国の未来に関心を寄せる中国内外の人々の間にあるのではないか。
トランプ政権

は本気で中国共産党体制崩壊にまで追い込むつもりで関税戦争、資本戦争、金融戦争を仕掛けてくるかもしれないという危機感を中国の少なくない官僚たちは持っているだろう。
5月12日に米中関税戦争はひとまず90日間の休戦に合意したが、
習近平が今の状態のままであれば、モラトリアムの期限が切れた段階で、
米中対立はさらに先鋭化するだろう。
もし、その前に習近平が自ら引退してくれたら。
そういう期待が、噂をつくり、噂を広め、そして噂を「事実」にしていこうとするのだろう。
福島 香織