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長崎歴史写景 縄文貝塚

2009-06-21 | 歴史(古墳時代)
長崎は、国内でも支石墓が多い地域である。

この墓制は、朝鮮半島由来のものだ。

朝鮮半島との結びつきを感じる。

もちろん国境や日本人、朝鮮人の区分もなかった時代のことだ。
人々は自由にどこにでも移動し、そして暮らすことができた時代。

現代もこうでありたい。

EU(欧州連合)が一つの解だろうか?


生まれて初めて貝塚を体験した。
東京での勤務時代に大森貝塚を訪ねたが、看板とレプリカがあるだけで具体的な体験ができなかった。

ここは、貝塚が自分の足元で体験できる。
嬉しいし楽しい。
少々興奮した。

周りには地元消防団の練習している団員だけだ。
僕一人締め遺跡である。

朽ちかけた貝塚の看板が畑に立っていた。
その畑を歩く。
もちろん作物があるので踏まぬよう気を付けてである。

事前に持ち主の方の許可を取るのが本当だろうが・・・・。
僕は勝手に大きな野良猫の散歩と思って貰うことにした。

地面のあちこちに黒曜石のかけらがある。
ここは黒曜石の産地ではない。
縄文の人々が、黒曜石を道具(製品)に加工したときに出た屑だろう。

一番近い産地である針尾島は、ここから西へ7km程度。
橋が無い時代。
船に乗り採りに行ったのだろうか?
朝鮮半島からやってきた人々だから船は日常道具に違いない。

地面を見つめていると沢山の貝殻や黒曜石のかけらがある。
10分ほどで集めたもの。
貝殻は一面にある。
ここは海岸の側ではあるが、海抜50mほどのところだ。
ここまで運び上げるのは一苦労だったろう。
でもそうしなければならなかった理由があったに違いない。
自然から身を守る?
他人から身を守る?
何のためだろう?
彼等に尋ねてみたいものである。

「遺跡にあった説明版」


(2009.05.24 天久保遺跡にて 西海市 )

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