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飛鳥写景 水城を歩く - 01

2010-12-05 | 歴史(古墳時代)
水城をのんびりと散策し、50世代ほど先祖である飛鳥時代の人々に思いを寄せた。

今年の春、桜の頃に妻と歩いたのに続き二度目だ。
今回は80歳を越えた義母と二人で出かけた。

天気は晴れ、12月とは思えない暖かさだ。
小春日和よりもっと良い気候だ。

旧国道3号線が水城の東門があった辺りを南北に横断している。
そこで車を駐車場に停め、すぐ横にある水城の展望台へと上がる。

先客の男性の話では、展望台から東方向になだらかな尾根道を少し歩くと国分寺まで行けるとのことであった。

少々義母の足腰が心配ではあったが、
二人で秋の野山などの景色を楽しみながら尾根道を抜け、そして国分寺あたりをゆっくりと散歩した。



663年(天智2年)8月、
倭国・百済遺民の連合軍は、唐・新羅連合軍(羅唐同盟)と朝鮮半島の白村江(はくすきのえ)で戦い大敗を喫した。

水城は、
倭国が大陸の唐・新羅連合軍の倭国侵攻より国を防衛するため造った防御設備の代表的な構造物である。

この水城のすぐ東側の四王寺山(しおうじやま)にも、同時代に朝鮮式山城である「大野城」が築かれている。

ここでは、対馬の防人から壱岐・松浦・伊都と海上~陸上経由で伝えてくる軍事情報(狼煙)を 24時間体制で監視していたことだろう。




「駐車場(トイレ)近くにあった水城の説明板」



( 説明1 ・・・ 水城を古代に造った理由 )



( 説明2 ・・・ 水城の設置場所 )



( 説明3 ・・・ 水城の構造-01 )



( 説明4 ・・・ 水城の構造-02 )





(2010.12.04 水城にて 福岡県太宰府市)


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