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歴史写景  新原・奴山古墳群 - 02

2010-10-05 | 歴史(古墳時代)
収穫前の稲穂の向こうに見える「新原・奴山古墳群」。

この古墳は30号墳で、5世紀中頃~後半に築造された全長54m の前方後円墳。


新原・奴山古墳群のMAP


(文化庁の資料より抜粋)
福岡県北部の玄界灘に面した津屋崎町東部に広がる丘陵上には、5世紀前半から7世紀前半にかけての古墳群が南北7km、東西2kmの範囲に分布する。これらは北から勝浦高原古墳群、勝浦古墳群、新原・奴山古墳群、生家古墳群、大石岡ノ谷古墳群、須多田古墳群、宮司古墳群等からなり、津屋崎古墳群と総称している。古墳は全体で56基残存しており、内訳は前方後円墳16基、円墳39基、方墳1基である。

新原・奴山古墳群は最も密集度の高い古墳群で、5世紀前半から6世紀後半にかけて築造されたものである。総数59基を確認し、前方後円墳5基、方墳1基、円墳21基の総数27基が残存する。21号墳は新原・奴山古墳群の中で最も早い5世紀前半の直径17mの円墳で、22号墳は前方部が削平されているが、推定墳長約80mの前方後円墳である。



僕は、「みあれ祭」を見るため、国道495号線を福津市から宗像市へと向かっていく。

僕は注意深くスクータを走らせる。
このあたりには、みあれ祭の主人公である胸形族の首長達の墳墓がある。
祭りを見る前に彼らの墳墓を見ておきたくて家を早く出たのだ。

国道の右手に、「新原・奴山古墳群」の看板があった。
スクータを降りて古墳群を散策した。


(2010.10.01 新原・奴山古墳群にて 福津市)

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