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メタボ人の独り言

花写景  ツユクサ

2010-10-03 | 植物(草)
新原・奴山古墳群」を散策した。

その時、出会った ツユクサ  である。


朝露に朝陽を受けキラキラ輝いている。
僕にとっては夏の花であるが、彼岸花の横でも可憐で十分美しかった。



僕は、「みあれ祭」を見るため、国道495号線を福津市から宗像市へと向かっていく。

僕は注意深くスクータを走らせる。
このあたりには、みあれ祭の主人公である宗形族の首長達の墳墓がある。
祭りを見る前に彼らの墳墓を見ておきたくて家を早く出たのだ。

国道の右手に、「新原・奴山古墳群」の看板があった。
スクータを降りて古墳群を散策した。


(2010.10.01 新原・奴山古墳群にて 福津市)
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花写景  ヒガンバナ - A5

2010-10-03 | 植物(草)
新原・奴山古墳群」を散策した。

その時、出会った彼岸花(曼珠沙華)である。

朝露が朝陽を受けてキラキラ輝いていた。
花びらが白い筋に挟まれている。
僕はこのような彼岸花に初めて出会った。



僕は、「みあれ祭」を見るため、国道495号線を福津市から宗像市へと向かっていく。

僕は注意深くスクータを走らせる。
このあたりには、みあれ祭の主人公である宗形族の首長達の墳墓がある。
祭りを見る前に彼らの墳墓を見ておきたくて家を早く出たのだ。

国道の右手に、「新原・奴山古墳群」の看板があった。
スクータを降りて古墳群を散策した。


(2010.10.01 新原・奴山古墳群にて 福津市)
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花写景  ヒガンバナ - A4

2010-10-03 | 植物(草)
新原・奴山古墳群」を散策した。

その時、出会った彼岸花(曼珠沙華)である。

朝露が朝陽を受けてキラキラ輝いていた。
花びらが白い筋に挟まれている。
僕はこのような彼岸花に初めて出会った。



僕は、「みあれ祭」を見るため、国道495号線を福津市から宗像市へと向かっていく。

僕は注意深くスクータを走らせる。
このあたりには、みあれ祭の主人公である宗形族の首長達の墳墓がある。
祭りを見る前に彼らの墳墓を見ておきたくて家を早く出たのだ。

国道の右手に、「新原・奴山古墳群」の看板があった。
スクータを降りて古墳群を散策した。


(2010.10.01 新原・奴山古墳群にて 福津市)
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花写景  ヒガンバナ - A3

2010-10-03 | 植物(草)
新原・奴山古墳群」を散策した。

その時、出会った彼岸花(曼珠沙華)である。

朝露が朝陽を受けてキラキラ輝いていた。
花びらが白い筋に挟まれている。
僕はこのような彼岸花に初めて出会った。



僕は、「みあれ祭」を見るため、国道495号線を福津市から宗像市へと向かっていく。

僕は注意深くスクータを走らせる。
このあたりには、みあれ祭の主人公である宗形族の首長達の墳墓がある。
祭りを見る前に彼らの墳墓を見ておきたくて家を早く出たのだ。

国道の右手に、「新原・奴山古墳群」の看板があった。
スクータを降りて古墳群を散策した。


(2010.10.01 新原・奴山古墳群にて 福津市)
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花写景  ヒガンバナ - A2

2010-10-03 | 植物(草)
新原・奴山古墳群」を散策した。

その時、出会った彼岸花(曼珠沙華)である。

後方の小高い丘は、「宗像君(むなかたのきみ)」一族の前方後円墳である。



僕は、「みあれ祭」を見るため、国道495号線を福津市から宗像市へと向かっていく。

僕は注意深くスクータを走らせる。
このあたりには、みあれ祭の主人公である宗形族の首長達の墳墓がある。
祭りを見る前に彼らの墳墓を見ておきたくて家を早く出たのだ。

国道の右手に、「新原・奴山古墳群」の看板があった。
スクータを降りて古墳群を散策した。


(2010.10.01 新原・奴山古墳群にて 福津市)
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花写景  ヒガンバナ - A1

2010-10-03 | 植物(草)

新原・奴山古墳群」を散策した。

その時、出会った彼岸花(曼珠沙華)である。

後方の小高い丘は、「宗像君(むなかたのきみ)」一族の前方後円墳である。



僕は、「みあれ祭」を見るため、国道495号線を福津市から宗像市へと向かっていく。

僕は注意深くスクータを走らせる。
このあたりには、みあれ祭の主人公である宗形族の首長達の墳墓がある。
祭りを見る前に彼らの墳墓を見ておきたくて家を早く出たのだ。

国道の右手に、「新原・奴山古墳群」の看板があった。
スクータを降りて古墳群を散策した。


(2010.10.01 新原・奴山古墳群にて 福津市)
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祭写景 みあれ祭 - 86

2010-10-03 | 祭り
御座船から神輿もおろされ、静かになった神湊(こうのみなと)の様子。

3日後に、
島の神様たちは、どのようにして島のお宮におもどりになるのだろうか?




宗像大社の秋季大祭の幕を開ける「みあれ祭」の様子である。

「みあれ祭」とは、宗像三女神が新しい神になって辺津宮(宗像市田島)に集まられ、お祭りを受けられることをいう。
島に祭られている沖ツ宮(沖ノ島)、中ツ宮(大島)の神々は、辺津宮へ行かれるため、数百隻の漁船からなるお供の船をしたがえて海を渡っておいでになる。

僕は、この海上御神幸を初めて見た。


海上御神幸は、中ツ宮(大島)から地島(じのしま)、鐘崎(かねさき)へと進み、そこでUターンし神湊へと向う。

海上御神幸の船団が次々に神湊へと近づいて来た。

僕がいる灯台から300m程沖に、祭りの旗がついたブイが設置されている。

船団はそのブイ目指してやって来る。


船ぶねの漁師たちは、そのブイの周りで、急旋回の操船を何度も繰り返す。

これまで静かだった海面には波しぶきが立ち、船は大きく揺れる。

船同士で衝突しないのが不思議なくらいだ。


これが、胸形族の海人として荒ぶる海を鎮め、そして海で生きていく古来からの伝統なのだろうか?

僕は感激した。



(資料)

当日の西日本新聞社記事

みあれ祭資料




僕は神湊(こうのみなと)に午前8時頃に着いた。
宗像大社の「みあれ祭」を見るためである。

夏前に、会社の先輩が宗像に良い祭りがあると教えてくれた。
ずっと楽しみに待っていた祭りである。

古代から連綿と続く「胸形海神人族」の雰囲気を感じたいと楽しみにしていた。



(2010.10.01 福岡県宗像市神湊にて)
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祭写景 みあれ祭 - 85

2010-10-03 | 祭り
御座船から神輿もおろされ静かになった神湊(こうのみなと)の様子。




宗像大社の秋季大祭の幕を開ける「みあれ祭」の様子である。

「みあれ祭」とは、宗像三女神が新しい神になって辺津宮(宗像市田島)に集まられ、お祭りを受けられることをいう。
島に祭られている沖ツ宮(沖ノ島)、中ツ宮(大島)の神々は、辺津宮へ行かれるため、数百隻の漁船からなるお供の船をしたがえて海を渡っておいでになる。

僕は、この海上御神幸を初めて見た。


海上御神幸は、中ツ宮(大島)から地島(じのしま)、鐘崎(かねさき)へと進み、そこでUターンし神湊へと向う。

海上御神幸の船団が次々に神湊へと近づいて来た。

僕がいる灯台から300m程沖に、祭りの旗がついたブイが設置されている。

船団はそのブイ目指してやって来る。


船ぶねの漁師たちは、そのブイの周りで、急旋回の操船を何度も繰り返す。

これまで静かだった海面には波しぶきが立ち、船は大きく揺れる。

船同士で衝突しないのが不思議なくらいだ。


これが、胸形族の海人として荒ぶる海を鎮め、そして海で生きていく古来からの伝統なのだろうか?

僕は感激した。



(資料)

当日の西日本新聞社記事

みあれ祭資料




僕は神湊(こうのみなと)に午前8時頃に着いた。
宗像大社の「みあれ祭」を見るためである。

夏前に、会社の先輩が宗像に良い祭りがあると教えてくれた。
ずっと楽しみに待っていた祭りである。

古代から連綿と続く「胸形海神人族」の雰囲気を感じたいと楽しみにしていた。



(2010.10.01 福岡県宗像市神湊にて)
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祭写景 みあれ祭 - 84

2010-10-03 | 祭り
御座船から神輿もおろされ静かになった神湊(こうのみなと)の様子。




宗像大社の秋季大祭の幕を開ける「みあれ祭」の様子である。

「みあれ祭」とは、宗像三女神が新しい神になって辺津宮(宗像市田島)に集まられ、お祭りを受けられることをいう。
島に祭られている沖ツ宮(沖ノ島)、中ツ宮(大島)の神々は、辺津宮へ行かれるため、数百隻の漁船からなるお供の船をしたがえて海を渡っておいでになる。

僕は、この海上御神幸を初めて見た。


海上御神幸は、中ツ宮(大島)から地島(じのしま)、鐘崎(かねさき)へと進み、そこでUターンし神湊へと向う。

海上御神幸の船団が次々に神湊へと近づいて来た。

僕がいる灯台から300m程沖に、祭りの旗がついたブイが設置されている。

船団はそのブイ目指してやって来る。


船ぶねの漁師たちは、そのブイの周りで、急旋回の操船を何度も繰り返す。

これまで静かだった海面には波しぶきが立ち、船は大きく揺れる。

船同士で衝突しないのが不思議なくらいだ。


これが、胸形族の海人として荒ぶる海を鎮め、そして海で生きていく古来からの伝統なのだろうか?

僕は感激した。



(資料)

当日の西日本新聞社記事

みあれ祭資料




僕は神湊(こうのみなと)に午前8時頃に着いた。
宗像大社の「みあれ祭」を見るためである。

夏前に、会社の先輩が宗像に良い祭りがあると教えてくれた。
ずっと楽しみに待っていた祭りである。

古代から連綿と続く「胸形海神人族」の雰囲気を感じたいと楽しみにしていた。



(2010.10.01 福岡県宗像市神湊にて)
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祭写景 みあれ祭 - 83

2010-10-03 | 祭り
御座船から神輿もおろされ静かになった神湊(こうのみなと)の様子。




宗像大社の秋季大祭の幕を開ける「みあれ祭」の様子である。

「みあれ祭」とは、宗像三女神が新しい神になって辺津宮(宗像市田島)に集まられ、お祭りを受けられることをいう。
島に祭られている沖ツ宮(沖ノ島)、中ツ宮(大島)の神々は、辺津宮へ行かれるため、数百隻の漁船からなるお供の船をしたがえて海を渡っておいでになる。

僕は、この海上御神幸を初めて見た。


海上御神幸は、中ツ宮(大島)から地島(じのしま)、鐘崎(かねさき)へと進み、そこでUターンし神湊へと向う。

海上御神幸の船団が次々に神湊へと近づいて来た。

僕がいる灯台から300m程沖に、祭りの旗がついたブイが設置されている。

船団はそのブイ目指してやって来る。


船ぶねの漁師たちは、そのブイの周りで、急旋回の操船を何度も繰り返す。

これまで静かだった海面には波しぶきが立ち、船は大きく揺れる。

船同士で衝突しないのが不思議なくらいだ。


これが、胸形族の海人として荒ぶる海を鎮め、そして海で生きていく古来からの伝統なのだろうか?

僕は感激した。



(資料)

当日の西日本新聞社記事

みあれ祭資料




僕は神湊(こうのみなと)に午前8時頃に着いた。
宗像大社の「みあれ祭」を見るためである。

夏前に、会社の先輩が宗像に良い祭りがあると教えてくれた。
ずっと楽しみに待っていた祭りである。

古代から連綿と続く「胸形海神人族」の雰囲気を感じたいと楽しみにしていた。



(2010.10.01 福岡県宗像市神湊にて)
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祭写景 みあれ祭 - 82

2010-10-03 | 祭り
御座船から神輿もおろされ静かになった神湊(こうのみなと)の様子。




宗像大社の秋季大祭の幕を開ける「みあれ祭」の様子である。

「みあれ祭」とは、宗像三女神が新しい神になって辺津宮(宗像市田島)に集まられ、お祭りを受けられることをいう。
島に祭られている沖ツ宮(沖ノ島)、中ツ宮(大島)の神々は、辺津宮へ行かれるため、数百隻の漁船からなるお供の船をしたがえて海を渡っておいでになる。

僕は、この海上御神幸を初めて見た。


海上御神幸は、中ツ宮(大島)から地島(じのしま)、鐘崎(かねさき)へと進み、そこでUターンし神湊へと向う。

海上御神幸の船団が次々に神湊へと近づいて来た。

僕がいる灯台から300m程沖に、祭りの旗がついたブイが設置されている。

船団はそのブイ目指してやって来る。


船ぶねの漁師たちは、そのブイの周りで、急旋回の操船を何度も繰り返す。

これまで静かだった海面には波しぶきが立ち、船は大きく揺れる。

船同士で衝突しないのが不思議なくらいだ。


これが、胸形族の海人として荒ぶる海を鎮め、そして海で生きていく古来からの伝統なのだろうか?

僕は感激した。



(資料)

当日の西日本新聞社記事

みあれ祭資料




僕は神湊(こうのみなと)に午前8時頃に着いた。
宗像大社の「みあれ祭」を見るためである。

夏前に、会社の先輩が宗像に良い祭りがあると教えてくれた。
ずっと楽しみに待っていた祭りである。

古代から連綿と続く「胸形海神人族」の雰囲気を感じたいと楽しみにしていた。



(2010.10.01 福岡県宗像市神湊にて)
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祭写景 みあれ祭 - 81

2010-10-03 | 祭り
湊の南側にある小高い丘の上で神事が執り行なわれます。

清め祓いの神事(By ひもろぎ逍遥)の次に、御迎えの神事「頓宮祭」が行われるとのことです。




宗像大社の秋季大祭の幕を開ける「みあれ祭」の様子である。

「みあれ祭」とは、宗像三女神が新しい神になって辺津宮(宗像市田島)に集まられ、お祭りを受けられることをいう。
島に祭られている沖ツ宮(沖ノ島)、中ツ宮(大島)の神々は、辺津宮へ行かれるため、数百隻の漁船からなるお供の船をしたがえて海を渡っておいでになる。

僕は、この海上御神幸を初めて見た。


海上御神幸は、中ツ宮(大島)から地島(じのしま)、鐘崎(かねさき)へと進み、そこでUターンし神湊へと向う。

海上御神幸の船団が次々に神湊へと近づいて来た。

僕がいる灯台から300m程沖に、祭りの旗がついたブイが設置されている。

船団はそのブイ目指してやって来る。


船ぶねの漁師たちは、そのブイの周りで、急旋回の操船を何度も繰り返す。

これまで静かだった海面には波しぶきが立ち、船は大きく揺れる。

船同士で衝突しないのが不思議なくらいだ。


これが、胸形族の海人として荒ぶる海を鎮め、そして海で生きていく古来からの伝統なのだろうか?

僕は感激した。



(資料)

当日の西日本新聞社記事

みあれ祭資料




僕は神湊(こうのみなと)に午前8時頃に着いた。
宗像大社の「みあれ祭」を見るためである。

夏前に、会社の先輩が宗像に良い祭りがあると教えてくれた。
ずっと楽しみに待っていた祭りである。

古代から連綿と続く「胸形海神人族」の雰囲気を感じたいと楽しみにしていた。



(2010.10.01 福岡県宗像市神湊にて)
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祭写景 みあれ祭 - 80

2010-10-03 | 祭り
神湊(こうのみなと)へお着きになった神様。

御座船から黄装束の担ぎ手たちが神輿を担ぎ出していく様子。

この後、清め祓いの神事(By ひもろぎ逍遥)が行われます。



宗像大社の秋季大祭の幕を開ける「みあれ祭」の様子である。

「みあれ祭」とは、宗像三女神が新しい神になって辺津宮(宗像市田島)に集まられ、お祭りを受けられることをいう。
島に祭られている沖ツ宮(沖ノ島)、中ツ宮(大島)の神々は、辺津宮へ行かれるため、数百隻の漁船からなるお供の船をしたがえて海を渡っておいでになる。

僕は、この海上御神幸を初めて見た。


海上御神幸は、中ツ宮(大島)から地島(じのしま)、鐘崎(かねさき)へと進み、そこでUターンし神湊へと向う。

海上御神幸の船団が次々に神湊へと近づいて来た。

僕がいる灯台から300m程沖に、祭りの旗がついたブイが設置されている。

船団はそのブイ目指してやって来る。


船ぶねの漁師たちは、そのブイの周りで、急旋回の操船を何度も繰り返す。

これまで静かだった海面には波しぶきが立ち、船は大きく揺れる。

船同士で衝突しないのが不思議なくらいだ。


これが、胸形族の海人として荒ぶる海を鎮め、そして海で生きていく古来からの伝統なのだろうか?

僕は感激した。



(資料)

当日の西日本新聞社記事

みあれ祭資料




僕は神湊(こうのみなと)に午前8時頃に着いた。
宗像大社の「みあれ祭」を見るためである。

夏前に、会社の先輩が宗像に良い祭りがあると教えてくれた。
ずっと楽しみに待っていた祭りである。

古代から連綿と続く「胸形海神人族」の雰囲気を感じたいと楽しみにしていた。



(2010.10.01 福岡県宗像市神湊にて)
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祭写景 みあれ祭 - 79

2010-10-03 | 祭り
神湊(こうのみなと)へお着きになった神様。

御座船から黄装束の担ぎ手たちが神輿を担ぎ出している様子。



宗像大社の秋季大祭の幕を開ける「みあれ祭」の様子である。

「みあれ祭」とは、宗像三女神が新しい神になって辺津宮(宗像市田島)に集まられ、お祭りを受けられることをいう。
島に祭られている沖ツ宮(沖ノ島)、中ツ宮(大島)の神々は、辺津宮へ行かれるため、数百隻の漁船からなるお供の船をしたがえて海を渡っておいでになる。

僕は、この海上御神幸を初めて見た。


海上御神幸は、中ツ宮(大島)から地島(じのしま)、鐘崎(かねさき)へと進み、そこでUターンし神湊へと向う。

海上御神幸の船団が次々に神湊へと近づいて来た。

僕がいる灯台から300m程沖に、祭りの旗がついたブイが設置されている。

船団はそのブイ目指してやって来る。


船ぶねの漁師たちは、そのブイの周りで、急旋回の操船を何度も繰り返す。

これまで静かだった海面には波しぶきが立ち、船は大きく揺れる。

船同士で衝突しないのが不思議なくらいだ。


これが、胸形族の海人として荒ぶる海を鎮め、そして海で生きていく古来からの伝統なのだろうか?

僕は感激した。



(資料)

当日の西日本新聞社記事

みあれ祭資料




僕は神湊(こうのみなと)に午前8時頃に着いた。
宗像大社の「みあれ祭」を見るためである。

夏前に、会社の先輩が宗像に良い祭りがあると教えてくれた。
ずっと楽しみに待っていた祭りである。

古代から連綿と続く「胸形海神人族」の雰囲気を感じたいと楽しみにしていた。



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祭写景 みあれ祭 - 78

2010-10-03 | 祭り
神湊(こうのみなと)へお着きになった神様。

御座船から黄装束の担ぎ手たちが神輿を担ぎ出している様子。



宗像大社の秋季大祭の幕を開ける「みあれ祭」の様子である。

「みあれ祭」とは、宗像三女神が新しい神になって辺津宮(宗像市田島)に集まられ、お祭りを受けられることをいう。
島に祭られている沖ツ宮(沖ノ島)、中ツ宮(大島)の神々は、辺津宮へ行かれるため、数百隻の漁船からなるお供の船をしたがえて海を渡っておいでになる。

僕は、この海上御神幸を初めて見た。


海上御神幸は、中ツ宮(大島)から地島(じのしま)、鐘崎(かねさき)へと進み、そこでUターンし神湊へと向う。

海上御神幸の船団が次々に神湊へと近づいて来た。

僕がいる灯台から300m程沖に、祭りの旗がついたブイが設置されている。

船団はそのブイ目指してやって来る。


船ぶねの漁師たちは、そのブイの周りで、急旋回の操船を何度も繰り返す。

これまで静かだった海面には波しぶきが立ち、船は大きく揺れる。

船同士で衝突しないのが不思議なくらいだ。


これが、胸形族の海人として荒ぶる海を鎮め、そして海で生きていく古来からの伝統なのだろうか?

僕は感激した。



(資料)

当日の西日本新聞社記事

みあれ祭資料




僕は神湊(こうのみなと)に午前8時頃に着いた。
宗像大社の「みあれ祭」を見るためである。

夏前に、会社の先輩が宗像に良い祭りがあると教えてくれた。
ずっと楽しみに待っていた祭りである。

古代から連綿と続く「胸形海神人族」の雰囲気を感じたいと楽しみにしていた。



(2010.10.01 福岡県宗像市神湊にて)
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