ナベッチーのエンジョイライフ

他人様からすれば他愛もないことでも、記憶にとどめておきたい事、感動したスポーツ、本、映画などを思いつくままです。

アラビアのロレンス ・ アラモ

2010-08-21 09:06:10 | 映画(記憶に残したい映画、シーンなど)

 「アラビアのロレンス」 1962年 イギリス映画 監督デビット・リーン ピーター・オトゥール、アレック・ギネス主演 午前10時の映画祭が日本各地で上映されているが、名古屋は11月20日から26日までの予定である。この映画はTVではなく、映画館で観る映画であると多くの人は言うが、ウダルような暑い日差しをカーテン越に見ながら冷房の利いた部屋で、アイスコーヒーを飲みながら観るのもいい気分であった。歴史に疎いこともあり、映画を見終わってから、Googleでロレンスのことを調べてみた。実在人物であったことも初めて知り、イギリスのロレンスがアラビアで活躍したのは、1917年頃であるから日本では、大正6年であり、そんなに古い歴史の話ではない。その頃の日本は、多分日露戦争も終わり、戦争もない比較的平穏な時代であったのであるが、第一次世界大戦が1914年から始まり、ヨーロッパ諸国は戦乱のなかにいた。アラビア半島でも、オスマン帝国から独立しようと、アラビアは大英帝国を味方にして戦ったのであった。それにしても、巨費を投じての広大な砂漠の映像は、CGのない時代における迫力は目を見張るものがあった。

http://www.youtube.com/watch?v=-tZEfARQNbU

「アラモ」 ジョンウェインのアラモしかないと勘違いしていて、三洋堂で内容をよく、吟味せず借りてしまった。 デニス・クェイドの最近版のアラモであった。歴史上のことだからストーリーは同じなのであろうが、アラビアのロレンスや、ベンハーと同じように壮大なスケールを期待したのであるが、残念であった。


岐阜国際 シニア・レディース杯

2010-08-19 08:59:08 | ゴルフ(対戦記録、反省など)

 台風4号のため、12日に予定していた、誕生優待カード利用のゴルフをキャンセルした。その穴埋めとして、シニア、レディース杯に出場となった。お盆が過ぎれば、暑さも一段落と思っていたところ、とんでもなく、暑い日であった。しかし、この暑さ対策に先日私の誕生日に娘から、マンシングのクールハットをプレゼントしてくれた。たしかに、水に浸してかぶっていると効果十分であった。このシーズンの岐阜国際は高麗グリーンであり、高麗芝は強めにヒットしなければホール手前で、失速して入らないことはわかっていたが、それでも、暑い日差しの下クールハットをかぶり、スタート前のパター練習に励んだ。同伴者の、Yasuさん、Furuちゃん、Ohさん誰一人として、パターよりも日陰での体力温存策であった。私は微妙なタッチを要求される、ベントの早いグリーンは苦手で、高麗芝のほうが好きであった。思い出せば、2年前の、土曜月例杯では、グロス76、ネット63の9アンダーで優勝したのも、高麗芝であった。本日のティーポジションはシニア対象であり、白マークよりも少し前であり、そして高麗グリーンはベントよりも距離は短い。当然70台のスコアを期待してプレーしたが、そうは問屋がおろさなかった。インからスタートして、10番でアプローチが寄らず、パット入らずのボギースタートとし、11番では2打目をラフから池ポチャのダボ、それでも、12番、13番はパーとして、これから猛チャージと思わせた。ところが、パーはこの二つだけであった。アプローチは寄らず、パットは順目でオーバーし、逆目の返しのパットが入らず、なんとか、取り戻そうとリキんでショットまで乱れた。なんのために一人パター練習したのか、言い訳も愚痴も言えなかった。結果 44 49の93で、難易度からいえば、今シーズン最悪のゴルフで、これからのシーズンに向けて、基本からの構築を考えさせられる1日であった。


ベンハー・ ベストフレンズ

2010-08-17 08:37:02 | 映画(記憶に残したい映画、シーンなど)

 ベンハー 1959年製作 チャールストン・ヘストン主演 ウイリヤム・ワイラー監督  随分前にHD録画しておいたものである。上映時間が4時間弱であるため、見る前に、家内との話で、今から見ると夕食の準備はどうするのやら、眠くなってしまうのではないかと余計な心配をして見るのことを躊躇して、見ないままでいた。ところが、最初から画面クギヅケであったが、途中休憩時間が設定されていたこともあり、2日かかりの鑑賞であった。家内と私は世界史も疎く、ローマ帝国、キリスト生誕の事などさっぱりわからなかったが、この映画を見て少しは理解できたようであった。それにしても、スケールの壮大な映画であった。ユダヤの街、ローマの町と豪華な宮殿と戦勝パレード、巨大な闘技場での戦車レース,ガレー船でのシーンなど、当時CGが未熟な時代どうやって作り、撮影したのであるか驚いた。当時の金で54億の制作費をかけたこともあり、当然数々のアカデミー賞を受賞した。チャールストン・ヘストンも油ののりきった、逞しい体であった。こんな素晴らしい映画であれば、余計な心配もせず早く見ておけばよかったと思った。また、このような名作をまだ見ていないものがあると思い早速レンタルショップへ行き、アラビアのロレンスをレンタルしたのであった。

ベスト・フレンズ 1997年 J・ロバーツ キャメロン・ディアスの ラブコメディーで、あまり印象には残らなかった。


踊る大捜査線 

2010-08-13 08:47:09 | 映画(記憶に残したい映画、シーンなど)

 「踊る大捜査線」 台風4号も近づき、ムシ暑いし、雨が降ったりやんだりの鬱陶しい気分であったので、家内とモレラに行き、買い物ついでに映画を観ようと即決した。‘salt’を観るか、それとも‘ 踊る大捜査線 ’にするかは意見は分かれたが、まだ始まったばかりの‘salt’であることもあり、あっさりと引き下がり「踊る大捜査線」に同意した。第3作目であるらしいが、前作は2003年に「いかりや長介」が刑事役で演じた、‘レインボーブリッヂを封鎖せよ’で、彼は 翌年の2004年に亡くなったそうである。7年も前の映画であるが、まだ、2,3年前の記憶のようであったのは、私だけでなく、家内も同じであった。ただ、3作目ともなると、新鮮さは薄れ、いかにも2番煎じの感はゆがめない。それでも、テンポの良さ、音響、TVで顔なじみの俳優が多く親しむことができ、肩の凝らない映画ではあった。

      http://www.odoru.com/cinema/


許されざる者 ・ セブン

2010-08-11 10:56:07 | 映画(記憶に残したい映画、シーンなど)

 許されざる者 1992年公開 第65回アカデミー賞 作品賞 監督賞   C・イーストウッド監督・主演  ジーン・ハックマンが助演男優賞 先日三洋堂では、貸出し中であったが、やっと観ることができた。イーストウッドが62才頃の最も脂ののりきった頃の作品で年相応にというか、観てると「演技なのか!?」と思うくらいの表情が奥深くて、渋い演技であった。彼自身としては、「最後の西部劇」であった。今までイーストウッドは、「荒野の用心棒」 「夕陽のガンマン」「ダーティーハリー」「マディソン郡の橋」 「ミリオンダラーベイビー」「父親たちの星条旗」など多くの映画で楽しませてくれた。イーストウッドと私との年齢差は一回り違う。そのため、どの時代の映画を観ても人生の尊敬する、先輩、あるいは兄貴分としてみてしまう。石原裕次郎や、勝 新太郎は、イーストウッドとほぼ同じ年代であるがもし生存しているならば、どんな格好のいい爺さんになっていたであろうか。

http://www.youtube.com/watch?v=Ai1mP8_pVoE&feature=related

セブン 1995年 デビッド・フィンチャー監督 モーガン・フリーマン演ずるクールなベテラン刑事が、退職前7日間でおこるサイコな連続殺人を、血気盛んな若手刑事ブラッド・ピッドとのコンビで立ち向かうが、それにしてもおぞましい、気持ちの悪い、殺人事件である。ストーリーは面白かったが、後味が良くなかった。