ナベッチーのエンジョイライフ

他人様からすれば他愛もないことでも、記憶にとどめておきたい事、感動したスポーツ、本、映画などを思いつくままです。

なにわの夕なぎ(田辺聖子)いの一番(出久根達郎)いざとなりや本ぐらい読むわよ(高橋源一郎)

2012-12-26 13:55:14 | ブック(記憶に残したい本、文章)

なにわの夕なぎ(田辺聖子)朝日新聞社夕刊に2001年4月から2002年9月まで掲載されたエッセーです。6年前の2006年にNHK朝ドラで「芋たこなんきん」は、今も記憶に残っている。藤山直美演ずる著者の幼少時代からの結婚そして、夫である‘かもかのオッチャン’との生活など、見応えがあった。特にオッチャンとの機微の利いたやりとりに人情味があった。この作品は‘かもかのオッチャン’が舌ガンで闘病中に書かれたもので、オッチヤンとのヤリトリも寂しい一話もあった。その一説に『一週間に二夜、オッチャンはショートステーで過ごさせてもらっている。帰ると私はいつも聞く。〈 面白かったですか? 〉 《 フツーじゃっ 》~~その夜は夫が帰宅した時の恒例でちょいとご馳走になる。老母やミドちやんも交えたフルメンバーになるから。私は悪い習慣とて、浅酌低唱をこころみる。今夜は何思いけん「王将」が口から出た。老母やミド嬢は拍手してくれた。夫は、《 とりあえずフツーじゃっ 》という。〈 なんでとりあえずなんです 〉というと、フツーにも3種類あり、いちばん下のが( とりあえず ) 上が( えらフツー )でこれは最高。まん中が文字通りフツーであるそうな。』 その翌年にオッチャンは亡くなった。自分勝手で口数の少ない私自身に対し反省することは、お二人のように、言いたいことを言いながらも、思いやりのある心を見習いたいものである。

いの一番(出久根達郎)中央公論社 2001年刊行  週刊誌や、日経流通新聞に掲載されたエッセーです。

いざとなりや本ぐらい読むわよ(高橋源一郎)朝日新聞社 1997年刊行 週間朝日に1993年から1996年までに掲載された、エッセーです。


大黒屋光太夫 上・下 (吉村 昭)

2012-12-12 09:27:38 | ブック(記憶に残したい本、文章)

大黒屋光太夫 上・下 (吉村 昭) しばらく前に司馬遼太郎の「菜の花の沖」に登場した、高田屋嘉平衛の波乱に満ちた人生を知ったが、この本は、我が故郷桑名に近い、白子の漁師光太夫の波乱に満ちた人生である。嘉平衛より、年は18才の年上の光太夫も、ロシアのアリューシャン列島に漂流した。ロシア漂流は、嘉平衛のロシア抑留時代より30年も前のことで、当時のロシアの国情もかなり様相が違ってはいるが、嘉平衛の生き方を思い浮かべながらこの光太夫を読んだ。伊勢白子から出帆した光太夫の船は17人を乗せて、アミシャツカに漂流して、カムチャッカにおもむき、チギリ、オフォーツク、ヤクーツク、イルクーツクに送られてきた。しかしそれぞれの土地の役人は好意的で滞在費用もロシア持ちであったが、このあたりは、嘉平衛と違う。それにしても、7ヶ月の漂流と、その後のイルクーツクまでの移動は寒さと飢え、そして気まで狂わせ、何人かの命を奪うような過酷な移動であった。光太夫と嘉平衛の大きな違いは、光太夫が、エテカリーナ女王に拝謁したことが、大きなブランドとなり、帰国後もVIP扱いであった。それと、同じ鎖国政策下にあっても、開国に耳を傾けた松平定信時代の光太夫に対する取り扱いがよかったことと、光太夫の漂流から帰国までを、桂川甫周が北嵯聞略として後生に残したことであったと思う。また、吉村 昭と司馬遼太郎も、二人の偉業をよくぞ残してくれた。


続・大人の流儀   女の贅沢 少年譜  酒飲みのひとりごと

2012-12-06 19:14:33 | ブック(記憶に残したい本、文章)

 続・大人の流儀 伊集院 静 週刊現代に掲載されたエッセーを抜粋したものであるが、巻末に書き下ろしの「星~被災地から見たこの国」が胸を打たれた。作者自身が仙台で自身に遭いそのときの状況や、復興に立ち向かう東北の人の思いが、新聞などの記事とは違い深く考えさせられた文章であった。

女の贅沢 津村節子 1994年 新聞、月刊誌などに発表した随筆である。なかでも、印象に残った一説は、昭和23年観た映画「酔ひどれ天使」の脇役として登場した、三船敏郎にファンレターを送り、返信がきたことを書いた文である。当時の作者も若かったことがあるにしても、よほど、三船の魅力を感じたのでしよう。当時の三船も暇なこともあったのか、感想文章に感激したのか、2枚のハガキのやりとりがあった。もう一つは「都名所図会」による古都めぐりで紹介された、京都の名所である。もちろん私も行ったことがなく、今度機会があればと思い記憶のためメモでもある。 疎水べりコースの「永観堂」と、紅葉の美しい「東福寺」そして、通天橋の奥にある「開山堂」であるが、はたして、行けるかはたまた、思い出せるかである。

少年譜   伊集院 静 文藝春秋刊 

酒飲みのひとりごと  勝目 梓 実業之日本社刊 


花神 (上)(中)(下)司馬遼太郎 ・  破獄 吉村 昭

2012-11-29 18:23:48 | ブック(記憶に残したい本、文章)

花神 (上)(中)(下) 司馬遼太郎。  菜の花の沖で感動し、次にさがしたのが、大村益次郎のことを書いた。花神である。村田蔵六、大村益次郎については、名前を聞いたことはあっても、幕末から明治維新にかけて、歴史上どのような働きをしたのか、そして、どのような人生をおくった人であったのか知らなかった。この本により、緒方洪庵塾での書生生活、シーボルトの、娘イネとの関わり、幕末から維新にかけての、徳川幕府と長州藩の内情が理解ができた。そして、なんといっても、維新後上野寛永寺をアームストロング砲で彰義隊との対戦などが圧巻である。幕末から維新にかけての表舞台は、新撰組、坂本龍馬、西郷隆盛などであるが、大村益次郎のような知恵袋がいたことを知り得た。

破獄 吉村 昭 脱獄を4回、それも、脱獄不可能と考えられていた網走刑務所を脱獄した男の小説である。もちろん脱獄の経緯と、方法も記されているが、それよりも当時の刑務所事情について詳しく調べて書かれていた。昭和11年、2.26事件頃から、戦前、大戦中の刑務所の内情。そして、終戦後の軍事裁判での戦犯を収容していた、小菅刑務所の実態などいってみれば、戦前から戦後にかけての刑務所歴史でもあった。


菜の花の沖 (司馬遼太郎)

2012-10-31 09:12:31 | ブック(記憶に残したい本、文章)

 菜の花の沖  司馬遼太郎  単行本で第5部からなる長編小説である。いつかは読みたいと思いつつあまりの長編で尻込みしていたが、やっぱり読み始めれば毎日が楽しくなり、読了するのに、ほぼ一ヶ月をようした。この間私の日常生活も充実していた。もっといえば、舞台となった、淡路島、函館、エトロフ、カムチャッカの当時の世相とか土地柄などが把握できて読んでいたならば面白さも倍増していたかもしれない。そして、私が、若い頃に読んでいたならば、嘉平衛の生き方を見習って、もう少し思いやりのある、マシな人間になっていたのではないかと思わせる本であった。 NHKの大河ドラマでも2000年に放映されたが、その当時の私は、1年を通した大河ドラマを見る余裕がなかった。ドラマの主人公は、誰であったのか、調べて見ると、竹中直人と、鶴田真由であり、ナルホドさもありなんである。この小説を読みながら、なんとなく、嘉平衛の魅力が、見てもいないTVのシーンが浮かんでくるような物語なのである。また、第1部の舞台、主人公嘉兵衛が生まれ育ったのは、淡路島の五色町であり、この町について私は、昭和の終わり頃に大きな機械工場の外壁ヘーベルを大量にそれも、工場でプレセットしたパネルを納入し、見届けるため、訪れたことがあっただけに印象深い。この五色町、都志の浜辺は、のどかな港町であり、嘉平衛は、200年も前に、少年時代を過ごしたのであった。それも、極貧農家に生まれ食い扶持のため、丁稚奉公にだされ、そこでもいじめられながらも、強く育った村なのである。司馬遼太郎が、高田屋嘉平衛こそ、「英知と良心と勇気という尺度から、江戸時代で誰が一番偉いかといえば、私は高田屋嘉兵衛だろうと思う。それも二番目がいないほど偉い人です」と、言った。丁稚時代から亡くなるまでの45年間の波乱の人生、これほど輝いた人を教えてくれた。また、今も日本にとっては、懸案の北方領土、尖閣、竹島問題についても、この本を読んだことにより、領土問題は奥が深く、簡単には解決できないこともわかった。そして、忘れぬために、この本に登場し、記憶に残った人物と歴史事情を書き残しておきます。 「おふさ」「松右衛門」「堺屋喜平衛」 「北風荘右衛門」 「ゴローニン」「フヴォストフ事件」「レザノフ」「大黒屋光太夫」「鎖国」「松前藩とアイヌ」「当時のロシア帝国国内事情」など……  今まで多くの本を読ませてもらったが、これほど心に残る物語も少なかった。