ナベッチーのエンジョイライフ

他人様からすれば他愛もないことでも、記憶にとどめておきたい事、感動したスポーツ、本、映画などを思いつくままです。

今日の英会話

2010-05-31 19:23:02 | 講座(英会話、ブログ講座等)

 5月も今日で終わりである、5月最終の講座がKeiko先生の元気な挨拶で始まった。Keiko先生のスピーチはメキシコ湾に流出した原油事故についてであった。原油流出は crude oil leaks である。また、メキシコ湾はマグロの養殖地であり、日本にもこれからいろいろと影響があるのではないかと言った。隣に座ったEmiさんは、洋裁のプロでありながら陶磁器も作れる多才な人である。そして彼女も一口スピーキングでは私と同じように、翻訳先生のお世話になっている。今朝の彼女のスピーキングは陶器で作った兜を二人の孫にプレゼントしたのであった。 Because  a  helmet  was  finally  done  I give  it  to  a  grandchild.  私は I-PAD  was  put  on  sale  from  Soft  Bank  corpration.  I  don’t  want  it.    Because  I  have  the  PC  and  there  is  the  mobile  telephone  and  there  is  Nintend  D.S  too.    It  is  future  relief  that  I   want  most.  であった。

「たったの72パターンでこんなに話せる英会話」講座は 今なにをしているのと聞かれた場合の   ~ しています  I’m  + 一般動詞+  ing ~   である。    I’m   going   to  Yokohama.    I’m  just   looking.    I’m  thinking   about  it.     I’m  looking  for  a  sounvenir.  などである。 また、近い未来の予定を表すときにも使う。   I’m  having  dinner   with   my  friend  tonight.    I’m   going  to   Ginnza   this  afternoon.    Are  you  coming  back?  などである。 今朝も早く起きたこともあり、睡魔と戦いながらの緊張した講座も終わった。 


藤原正彦 ①

2010-05-28 08:57:12 | ブック(記憶に残したい本、文章)

藤原正彦 「父の威厳 数学者の意地」 著者の本は「遙かなるケンブリッヂ」「若き数学者のアメリカ」など読んだがいずれも面白い。そもそも藤原正彦を知ったのは父親新田次郎からではなく、母親である ‘藤原てい’ さんの随筆「絆」を読んだことから始まった。藤原正彦が私とほぼ同じ年代であるので、‘てい’さんも私の母親とほぼ同じ大正6年か7年の生まれである。大きく違うのはもちろん頭脳と家柄は別として藤原家は戦前に満州で生活をして終戦後3人の幼子を連れて帰国したことである。それも母親一人で生死をさまよいながらであった。そして、満州からの引き上げ後子供らへの遺書として書かれた「流れる星は生きている」がベストセラーとなり、さらに夫「新田次郎」は男の意地で売れっ子作家となり、3人の子供を立派に育てたのであった。「流れる星は生きている」を読もうとアチコチの本屋さん、図書館も探したが見あたらないし、また「絆」に書かれている満州からの帰国状況を鑑みるとあまりにも悲惨で読むことを躊躇するような気もするのである。「新田次郎・藤原てい」の作家夫婦は、お互いを必要としているのに喧嘩ばかりしていて喧嘩がゲームのようで面白くお互いのエッセーを交互に読むことによりお二人の人の良さがさらにわかった。特に「わが夫新田次郎」のエッセイは藤原家の家庭事情が良く判り秀逸だった。その両親に育てられた藤原正彦が、3人の男の子の父親として育てる過程での出来事を面白くそして考えさせられたのが、この書であった。この中であまりにも面白いエッセー「苦い勝利」があったので、家内に4~50分ぐらいで読めるからと、本を渡して家内の読後評を楽しみにしたのであった。 


昨日の英会話

2010-05-25 14:31:34 | 講座(英会話、ブログ講座等)

 新聞紙上は普天間と韓国の哨戒艦沈没そして口蹄疫と辛いニュースが多い。Keiko 先生の挨拶は口蹄疫で始まった。口蹄疫は英語では、foot-mouth  disease であるとスペルを黒板に書いて説明をした。一口スピーキングでも、Sumi さんは安福号を語り、Emi さんも悲しい牛の事をスピーチしたようであった。私は We  went  to  the 大野町 rose  park  yesterday.   And we  bought  a  white  rose  and  pink  rose.   It  was  a  birthday  of   my  wife  just  yesterday.    It  was  my  small  present. と言葉を濁した。  隣のHiro 嬢は小曽根 真が奏でる ショパンのCDを聞いて感動したことを言ったようであったが、内容は詳しくは理解できなかった。ただ、CDを持参してくれたので休憩タイムの間に、軽快なリズムの「子犬のワルツ」を聞かせてくれた。初めて聞いた小曽根 真を Googleで調べたら世界でも著名なジャズピアニストであることを知った。http://www.makotoozone.com/jp/index.html

「たったの72パターンでこんなに話せる英会話」の講座は 先週からスタートに逆戻りして This  is  ~     そして、  I  am  ~    のような Be動詞である。これぞ中学英語のスタートであった。Keiko 先生は相手が話す言葉について、 Be 動詞であるのか、一般動詞であるのか、聞きながら判断しなければならないと言った。( 自分が喋る場合も Be動詞でいくのか、一般動詞で話しをするのかも同じである ) This  is  my  email  address.  疑問文であれば、 Is  this  your  email  address? のように this  と  is を逆にするだけで、  否定文であれば、 is  を  isn’t  に変えるだけである。今週は一般動詞の使い方について学んだ。    I   play  golf.  否定文であれば、 動詞を原形に戻して動詞の前に don’t  または  doesn’t を入れるだけであり、疑問文であれば、動詞を原形に戻して Do  または  Does を主語の前につけるだけなのである。 すなはち、  I  don’t  play  golf. であり、  Do  you  play  golf?  なのである。 本来言葉を発するのに文を作ろうとして話しをしようとるから難しい。 やはりしゃべり続ける事なのであろうがそれにしても難しい。 


ヒッチコック 3

2010-05-24 07:54:28 | 映画(記憶に残したい映画、シーンなど)

 マーニー 1964年製作 主演 ショーン・コネリー NHK BS放送で上映する前の解説で、山本晋也ともう一人の解説者が話しをしていたが、この映画の評価は人気ありか、それとも不人気であるのか大きく別れると言っていたが、私はヒッチコックのスリリングなサスペンスを期待していたのだが、肩すかしを食ったようであった。「めまい」を最近みたこともあり、めまいのような意表をつくようなトリックもなく、また、見る人をグイグイ引きずり込むようなストーリーではなかった。ただ、1964年当時にトラウマをテーマにしたことと、若いショーン・コネリーも007で脚光を浴びる前にはこのような時代もあったのだと知らされた。

海外特派員 ヒッチコック没30年記念特集もこれが最後の録画である。この映画は1940年 第2次世界大戦に突入する前に作られた映画である。ヒッチコックはイギリス人であるが、最後のシーンはアメリカ国家が流れ ‘ 世界は暗い。アメリカだけが明るい………’と締めくくった。 第2次大戦前の連合国側の映画であった。

やっとヒッチコック特集も見終わった。今回のシリーズでは「サイコ」が秀逸であった。1960年時代にこんな作品が創れたことは、逆に現在のCGや3D技術を駆使してもこれほどの作品はないのではないかと感心させられた。


谷汲CC

2010-05-21 20:40:20 | ゴルフ(対戦記録、反省など)

 快晴微風、30度の天気予報であった。 年に2度開かれる樫の木ゴルフ会も今回は39回である。4組16名でそのうちゴルフ利用税免除者4名で平均年齢多分67才のコンペである。パソコンを勉強している人、畑作業に励む人もいれば、今朝のニュースはニューヨーク株式が今年最悪360ドル下落で、ゴルフ場到着して着替えている時には今こそ買いチャンスどばかりに携帯で買い注文を出すような経済学者のような人もいる。いろいろな人の集まりの20年も続いている近隣コンペである。ゴルフ場での本番プレーは久しぶりの参加者もあり、老馬にムチをうつようなこともできないので、深いバンカーで脱出不能な場合などはギブアップ3倍の思いやりルールも確認してスタートした。前半OUTはパー6ヶで 43のまずまずのスコアであった。 同伴者3人は 54 54 56 と苦労をされた。今回のテーマは スプーンのミスショットが多いためなんとか克服しようとして、敢えて使わなくても良いところでチャレンジしたことが、後半スコアを崩して 54も打ってしまった。スコアメイクに徹すればと思ったが、200Yからのショットをどうしてもものにしたかった。 おまけに皆さんに注意を促した脱出不能のおそれのある NO-15 のアリソンバンカーにいれてしまい、10打叩きギブアップ寸前であった。表彰式は、自宅へ戻り近所の中華店での楽しい反省食事会となったのである。それにしても INでの54 はお粗末であった。