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Cogito

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金環日食

2012-05-21 08:30:02 | アート・文化

太陽が昇り始めた。外は明るい。この分なら、日食は見れそうだ。で、起き出して、カメラの準備をしている。狙いは金環ではなく、木漏れ日なのだ。皆既日食のとき、イメージしていたのだが、曇っていて撮れなかったので、もう一度それを狙おうと思っていたのだ。標準レンズに代え、スタンバイしている。

6時半ごろから、太陽は欠け始めているはずだが、いつしかにさっきの光はどこへやら、全天雲に覆われ、視界が利かなくなった。あれ~、またダメだ。仕方がないのでテレビをつけ、中継を見ている。そこへ息子がやってきて、雲の合間から見えるよ、と教えてくれた。なるほど、雲がフィルターの役目をしてくれているので、肉眼でも見られる。いそいでレンズを望遠に取り替えてカメラを持ち出して、裸眼で数枚撮った。

自動車のガラスに張るフィルターを切って、4枚重ねた。よく見える。八枚に重ねると赤く見える。で、4枚重ねにして、レンズを覆って、写真を撮った。以下その写真の数枚。ただし、今回も期待の木漏れ日は撮れなかった。残念!!

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フィルターなし。

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 フィルターをつけて。モノクロ。                                                             

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フィルターをつけて。カラー

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モノクロ(セピア)

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ピアノソナタ

2012-05-02 20:34:57 | アート・文化

ケンプが弾くベートーベンのピアノソナタは全曲持っていた、過去形なのは、以前のはテープだったので、ネコがおしっこをかけてしまったので、ずいぶん前に廃棄してしまっていた。そのケンプの最後の録音で1~32番までの全曲 CD8枚 が4000円足らず、というのを見て、買ってしまった。それが今日、陶芸から帰ると届いていた。さっそくにかける。慣れ親しんだケンプの演奏だ。好みもあるが、時代の音というものもあるだろう。ケンプやバックハウスを聞いて育った私にはケンプの音は芸術性はもちろんだが、それ以外にも安定感がある。とうぶん我が家にはケンプの演奏が鳴り響くことになる。

もっとも隣で大きな音で聞かされるのは、テレビの横に座っているドス(めんどり)。モーツァルトは毎日聞かされているが、ベートーベンはおだやかじゃないからね。でも、そのうちになれるだろう。

ここのところPathetiqueの第二楽章が口をついて出ていた。

説明書は、英語、フランス語、ドイツ語。日本語はない。だから安いのかも。グラモフォンのマークはついている。ソナタは1番から順序に従って収録されている。ただ「告別」がフランス語で「LES ADIEUX]となっているのに気がついた。グラモフォンなのに。以前、ベートーベンがフランスの出版業者がフランス語でLES ADIEUXとタイトルをつけたことに怒ったというのを読んだことがあったからだ。

                                                         

もうひとつ口をついで出てくる曲がある。オペラのアリアだろうとは思うが曲名がどうしても思い出せない。思い出せないというのは気持ちが悪い。思いつくアリアをYou Tubeで出して聞いているが、なかなか当たらない。音楽はどうして検索するのかな、歌ってもダメだろうし。

日曜日の真夜中、内田光子 イン ザルツブルクが放映されていた。内田光子は好きな演奏家の一人である。毎日のようにかけているモーツァルトのコンチェルトは内田光子の演奏である。午前3時まで聞いていた。ソロだけでなく、室内楽やピアノの伴奏も演奏していた。そこで久しぶりにシェーンブルクの「月に憑かれたピエロ」を聞いた。昔はそうでもなかったが改めて聞くと、なかなかいいね。


ヒマラヤザクラ

2012-03-26 21:04:53 | アート・文化

テレビで桜紀行をやっていた。サクラのルーツはヒマラヤ。そこでネパールを訪ねていた。ヒマラヤザクラは開花期は秋で、取材中も濃いピンクの花を満開に咲かせたサクラが写っていた。遠目には桃かと思うようだった。開花期間も1ケ月位と長いそうだ。グルンの人々は結婚式にはこのサクラの花を飾るのだそうだ。木質は硬いので入り口の戸など建具に使われていた。高度2000mのこのあたりではチョータラにサクラを使っていた。チョータラとは旅人の休みどころと言ったところだろうか、目印になる木を植えたちょっと腰掛けられるくらいの高さがある憩いの場。2種類の木を植えるのは一般的だったが。サクラの並木は、同じヒマラヤザクラでも色が違う。実生で育てているので、それぞれの種の個性でいろいろな色になるのだという。そうか、ソメイヨシノはクローンだから同じなんだ。

次の取材地は中国、リス族の村。そして沖縄、ヒカンザクラ。沖縄のヒカンザクラは冬に咲いていた。沖永良部島でもサクラは冬に咲いていた。沖縄、本部のサクラの研究者曰く。サクラは中国本土から鳥によって種子が運ばれ、根付いたのではないか、と。

本州では津波で被災した陸前高田の一本桜。そして波ここまで押し寄せたと言う地点にボランティアがサクラの苗木を植えていた。専門家がついているだろうから、大丈夫だとは思うが、サクラは塩害に弱い、老婆心ながらちょっと心配した。

ヒマラヤザクラを調べると、なんと熱海高校の法面に植えられているのを知った、11月から12月にかけて咲くそうだ。熱海高校が多賀に移って以来、熱海高校を訪ねたことはない。覚えていれば、今度花の季節に行ってみよう。しかもこの木は、ネパールの故ビレンドラ国王がまだ皇太子時代、東大に留学されて、伊東を訪ねたとき、熱海の植物友の会が梅やサクラの種を贈ったので、そのお返しとしてネパールから送られた種子から育った木であるという。あらまぁ~、ビレンドラ国王は、よくしっている。国民から慕われていた王であったが、王妃、皇太子もろとも暗殺されてしまった。今は記念館が出来ていて、ネパールの知人に連れて行かれたことがある。


星の王子さま

2012-02-17 22:16:58 | アート・文化

毎日ひとつのことしかしない。昨日木曜日はマッサージの日。ケーキを作っておいてあげようと思ったのだが、水曜日、さすがに疲れてやる気が起こらなかった。気だけではもう何にも出来ない。

今日は、眼科に行こうと予定しておいた。出るついでに、郵便局で用事を済ませた。11時過ぎに行く予定だったが、ちょっと早すぎて10時半には着いてしまった。患者さんが大勢待っている。この分じゃ~、また1時間以上待つことになる。結局1時間半待った。Ipadを持ってきたので、ニュースを読んでいる。

思い出して、文庫から「あのときの王子くん」をあけて読んだ。Ipadを買ったばかりのとき、わけも分からずに入れてしまった電子書籍だ。「あのときの王子くん」なんてタイトルだったので、てっきり童話だと思ったのだが、開けてみると、「星の王子さま」だった。「星の王子さま」とはご存知、サン・テ グジュペリの作品である。サン・テグジュペリの作品はそのほか「夜間飛行」「人間の土地」「南方郵便機」とこちらは翻訳で読んでいる。

                                                        

「星の王子さま」(Le Petit Prince)は岩波書店が著作権を持っていたのだが、40年過ぎて著作権が失効したので、2005年からどどっと新しい翻訳が出て、いまでは20冊にもなっているそう。これはその一冊だったのだ。岩波書店の発行したのは内藤濯さんの訳。もちろんこの本は何回も読んだし、持ってもいる。フランス語の原書、英訳もある。うん?この英訳は、ネパールにあ-げたかな??

「Le Petit Prince」との出会いは、学生のとき。フランス語のテキストだった。とても気に入った。授業では終わりまでは読まなかったので、後は自分で何度も何度も読んだ。一時期、星の王子さまがブームのようになり、やたらともてはやされた。

「あのときの王子くん」は内藤濯訳が染み付いてしまった年代には違和感がある。例えば、星はかせ、なんて言葉、一般的なんだろうか。宇宙に関心のある今の人たちには、天文学者でよかったんじゃないかな。無理してる感じが各所で見られた。原作のフランス語の言い回しも覚えているので、なおのことだ。ただ、翻訳ではなく、サンテグジュペリの認識、フランス人のいやみとでも言った方がいいかもしれないが、気にかかることが数箇所出てきた。

ちょうど「図書2月号」の表紙に見かけない言葉の「Le Petit Prince」の表紙が載っている。説明を読むと、トルコ語版だった。「Le Petit Prince」は何カ国かは忘れてしまったが、かなり多くの国で翻訳されているはず。Le Petit Princeの初版は1943年、作者がアメリカに亡命していたUSAで発行された。サンテグジュペリはパイロットであった。1944年7月31日、偵察飛行に飛び立って、消息不明となった。私が読んでいた時代はここまでだったが、彼の愛機が地中海で見つかり、引き上げられ、遺品から彼のものだと確認されたそうだ。彼を撃墜したパイロットも分かり、サンテグジュペリだと分かっていたら、撃ち落とさなかったものを、という言葉も伝えられている。


紅白梅図屏風

2012-02-13 13:35:58 | アート・文化

MOA美術館にある光琳の紅白梅図屏風は3、4年に一度くらいの割りで見に行く。見に行くというより会いに行くという言葉がふさわしいような気持ちである。子どものころから慣れ親しんできたから、いつも作品の前に立つと、思わず「お久しぶり」と声をかけたくなる。

                                                         

今年は行こうね、1月27日~3月2日まで、日程を見て、そう言っていた。とはいうものの期間があると、つい行きそびれてしまうことが多い。

                                                         

昨夜の日曜美術館はこの紅白梅図屏風がテーマだった。科学技術で、光琳がどのようにしてこの絵を描いたのか解明しようというのだった。焦点は中央に流れる水の部分。そう、左右の紅梅、白梅の緻密な描写に対して、デザイン的な、それが故に、生き生きとしている、あの流水の部分である。日本画家が、それを苦労して再現していた。おもしろかった。あの黒は硫化銀だったのだ。江戸時代、工芸には硫化銀は使われていたそうだが、絵画には使われていなかったそうだ。細かい技術も、苦労して再現されていた。

そういう観点からじっくりと見てみよう。

先回茶道具展のとき、ロビーに飾られていた複製の紅白梅図屏風は、このCG版だったのかもしれない。じっくり見なかったが、鮮やか過ぎたから。近々行くからよく見てこよう。そうか光琳は呉服屋さんの生まれだったな、あの流水のデザインは帯にも使えそうだ。

                                                         

NHKの日曜美術館の説明から

「日本美術を代表する尾形光琳の「紅白梅図屏風」(国宝)。所蔵者のMOA美術館と東京理科大学が行ってきた最近の科学調査によって画期的な新事実が出てきた。「紅白梅図」全体の背景となっている金地は金箔(ぱく)であり、中央の水流全体は銀箔であることが分かったのである。
今回の調査結果を元に、尾形光琳がこの水流をどのように描いたのか、日本画家の森山知己が原寸大で忠実に「紅白梅図」の右隻(紅梅)を再現してみる。江戸時代の極薄の銀箔を特別に製造してもらい、その銀箔を硫黄で黒く硫化させる。そして、さらに金箔を貼ってその上から「たらしこみ」という琳派独特の手法で梅を描く。その「紅白梅図」の再現から、改めて尾形光琳のデザイン感覚のすばらしさが、改めて確認できる。」