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Cogito

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ラ マルセイエーズ

2013-07-12 11:35:20 | アート・文化

海の日に集いを予定した。すると友人から、パリ祭へ行くので残念ながら欠席、という返事をもらった。そうか、14日がパリ祭、すなわち革命記念日だった。そこで他の友人に「前日が革命記念日だったのね。じゃ、二人で、ラ マルセイエーズでも歌おうか」と言って、「はて覚えているかな」                     

口ずさんでみると、98%は覚えているが、あとの2%があやふや。そんな話をすると、別の友人が、歌集にあったからと歌詞をコピーして持ってきてくれた。でもその歌詞は日本語に訳されたもの。私はフランス語しか知らない。

                                                

ラ マルセイエーズ「La Marsellaise」はご存じ、フランスの国歌である。大学のとき、フランス語の授業で片岡美智先生から教わった。大きな声で何回も歌った。若いころに覚えた歌は、かなり覚えているものである。ラ マルセイエーズと一緒に、門出の歌「Chant du Depart」も歌ってくれ、内容を教えてくれた。ラ マルセイエーズと内容も曲想も似ていた。どちらも力強く鼓舞するような革命歌である。当時、片岡美智先生は名古屋の南山大学で教えていて、週に一度、私たちに教えに名古屋から見えられていた。だから特急で帰られる先生と横浜までいつも一緒だった。私はマダム片岡、と呼んでいた。「星の王子さま」も先生のテキストで初めて読んだのだった。先生、どうなさったかな。もちろんもうとっくに他界されているとは思っていたが、消息を調べてみた。なんと昨年の10月に105歳で亡くなった、とあった。京都外国語大学の名誉教授だったともあった。                                                                                                                               

                                                

La Marseillaiseは、もともと「ライン軍のための軍歌」というタイトルだった。1792年4月、革命政府がオーストリアに宣戦布告したと聞いて、出征する兵士を鼓舞するためにリールが作詞作曲とも一晩で作ったという。その後、マルセイユ連盟兵たちがパリで歌ったので、マルセイユの名がついた。

                                                

先日、床屋で雑誌を見ていると、ベルサイユという文字に目が行った。どうも連載コミックらしい。内容はよくわからなかったが、死刑執行人の話のようだった。傍らの解説を読むと、影の存在であった死刑執行人が表舞台に現れたのはフランス革命で、ルイ16世、マリーアントワネットを処刑したからだ、とあった。サンソン家という医師と死刑執行の二股を職業としていたことが細かく説明されていた。コミックの絵も好きではないし、内容もぞっとしそうだ、このコミックを買うことはないが、帰って、サンソン家を探してみた。ちゃんと載っていた。サンソン家は王党派で皮肉な巡り合わせ、また死刑廃止を訴えていたそう、当時の刑罰の仕方、ギロチンの発明、読んでいて気持ちが悪くなった。それにしても、な~んかフランス革命づいちゃったな。                                                 

                                                  

プリントしてくれたラマルセイエーズの歌詞の下にインターナショナルの歌詞があった。母親が歌っていたのを小耳にはさんで、メロディだけは知っていた。だから歌詞を見てすぐ歌うことができた。歌詞を見る限り、これまたマルセイエーズに似ている。で、調べてみた。パリ・コミューンの頃の歌だとは聞いていたが、作詞作曲共素人の作だった。一時、革命後のロシアで国歌として使われていたそうだ、へ~。

                                                 


横浜美術館

2013-02-28 18:33:42 | アート・文化

横浜美術館で開催されている、ゲルダ・タローとロバート・キャパ 二人の写真家展を見に行った。横浜美術館は何度も行っているが、いつも車だったので、初めて電車で、これまた初めて乗るみなとみらい線で行った。あらかじめ地図で調べていったのだが、みなとみらい駅で降り、地上に出て、案内板を探した。外は霧雨が降っている。美術館は道路の向こうだ。帽子の上にフードをかぶり、標識にしたがって歩き始める。横断歩道がかなり向こうまでいかないとない。昔なら、横切ってしまうところだが、知らないところで交通事故に会っても、と我慢して歩いていく。反対側に渡ると今度は道路沿いを逆戻りだ。入り口は階段。館内に入ると、そこは記憶にあった。ロッカーに荷物とコートを入れ、チケットを買いエスカレーターで二階に行く。

                                                   

キャパは好きな写真家である。キャパの写真は、写真展が開催される度に見に行くし、あちこちでも見ているので、ほぼ記憶している。しかしゲルダ・タローの作品は初めてである。だからゲルダの写真にお目にかかりたかったのだ。

                                                                                                                           

まずはゲルダ・タローの部屋から。初め彼女はローライフレックスを使っていた。あの正方形の写真で、ゲルダとキャパと作品の区別ができた。しかしその後、ゲルダもライカに替えてしまったので、二人の写真を明確に判断するのは難しくなったそうだ。話題の「崩れ落ちる兵士」もそんなことから後の人たちの想像を膨らませているようだ。だといっても、いまさらどうでもいいことだが。とはいえ、話題性を持つことで集客できれば、それにこしたことはない。二人の写真は多くの人に見てもらいたいから。

                                                

初めて見るゲルダの写真はいい。被写体に迫る撮り方は、当時としては凄い迫力、女性のまじめさ、戦場を伝えたいというゲルダの真っすぐな思いが伝わってくる。1937年7月、スペイン戦争のさなか、彼女は27歳でこの世を去った。従軍女性写真家として亡くなった第一号と言われているそうだ。もったいないかぎり。生きていれば、もっといい写真が撮れただろう。おそらくキャパも彼女から大きな影響を受けただろう。

                                                                                                                              

1937年4月、ゲルニカがフランコを支援するナチスにより爆撃され、スペイン戦争にひろがっていく。多くの文化人が政府軍についたが、結局政府軍は敗れ、フランコの独裁に移っていく。1937年は私の生まれた年、写真を見ながらも、戦争の世紀に生を受けたことを感じ入っている。

http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2012/capataro/index.html

                                                

一枚一枚、解説を読みながら見ていたので、時間もかかったが、くたびれてしまった。常設もどうぞ、と言われたが、横浜美術館が所蔵しているものは分かっているから、見たいのはやまやまだったが、ちょっと休みたかった。そこで常設はあきらめて外に出た。階段を上ってきた時レストランがあるのに気が付いていたので、ランチを食べにそこ、フレンチ・レストランへ入った。レストランは感じがよかった。レディース ランチをゆっくりいただき、インターコンチへの行き方をたずねると、親切にも外に出て教えてくれた。歩道橋を渡り、クイーンズ スクエアを通って行くと、そのままインターコンチに行けた。みなとみらい駅を降りて、スクエアに上がり、陸橋を渡れば、美術館は近かったのだ。次回は間違えずに行けそうだ。


This land is your land.

2012-11-14 17:35:28 | アート・文化

Food INCのBGMで思い出して、「This land is your land .」の歌詞を検索した。この歌はPPMやBrothers Fourが歌ってるのを覚えたものだ。とはいうもののちゃんと覚えているわけではない。両グループとも軽快で楽しそうに演奏していた。内容だって明るいから、アメリカ賛歌の陽気な曲だと思っていた。

ところが他の人のブログを見ていると、こんな書き込みに気が付いた。「これはウディ・ガスリーの作曲で、1930年代の大恐慌の時の貧しい労働者たちのために書かれた曲です。内容が”反社会的”という理由で、その歌詞の一部が省かれてこれまで多くのシンガーによって歌われてきました。」

ウディ・ガスリーを探すと、たくさんあった。彼のライブを載せておく。

http://www.youtube.com/watch?v=XaI5IRuS2aE

反社会的ってどういうことだろう。そこで原詩を探した。私が覚えた歌詞にはないフレーズがある。知らないわけだ、たしかにBrothers Fourの歌詞にはない。いろいろ読んでいると、胸にくるものがある。

この部分が省略されたところのようだ。webからお借りして付け加えてみた。

There was a big high wall there that tried to stop me;
Sign was painted, it said private property;
But on the back side it didn't say nothing;
That side was made for you and me.

大きく高い壁が私を阻もうとした
書かれたサインには私有地とあった
でも、その裏にはなにも書いてなかった
そちら側があなたたちと私のものだ

In the shadow of the steeple I saw my people,
By the relief office I seen my people;
As they stood there hungry, I stood there asking
Is this land made for you and me?

教会の塔の陰にいる人々が見える
救援事務所の側にいる人々が見える
飢えて立って並ぶ彼らたち、私は並んで訊ねる
この土地は私たちのためにあるのかい?

Nobody living can ever stop me,
As I go walking that freedom highway;
Nobody living can ever make me turn back
This land was made for you and me.

誰も私を止めることはできない
自由の道を歩き続ける限り
誰も私を後戻りさせることはできない
この土地は私たちのためにある

(訳詞:森田 玄)

なるほどBGMを聞いたときの悲しい感じは、実は歌本来のものだったんだ。

いろんなヴァージョンはあるが、ひとまず歌詞をのせておく。

                                                                                                                     

This  Land is Your Land.

This land is your land,
This land is my land,
From California
To the New York Island,
From the redwood forest,
To the Gulf stream waters,
This land was made for you and me.

As I was walking,
That ribbon of highway,
I saw above me
That endless skyway,
I saw below me
That golden valley.
This land was made for you and me.

I’ve roamed and rambled
And I’ve followed my footsteps
To the sparkling sands of her diamond deserts
And all around me a voice was sounding
This land was made for you and me

The sun comes shining
As I was strolling
The wheat fields waving
And the dust clouds rolling
The fog was lifting a voice come chanting
This land was made for you and me

As I was walkin’
I saw a sign there
And that sign said no trespassin’
But on the other side
It didn’t say nothin!
Now that side was made for you and me!

In the squares of the city
In the shadow of the steeple
Near the relief office
I see my people
And some are grumblin’
And some are wonderin’
If this land’s still made for you and me.

Nobody living can ever stop me
As I go walking
That freedom highway
Nobody living can make me turn back
This land was made for you and me


菩提樹

2012-09-11 13:50:19 | アート・文化

菩提樹と言えば、お釈迦さまがこの木の下で悟りを開いたいう菩提樹(bo tree)とヨーロッパの菩提樹を思い出すが、今回はヨーロッパの菩提樹、リンデンバウム(lindenbaum)だ。

                                                                                                                           

1週間ぐらい前になるだろうか、日曜版の「be」で、シューベルトの「菩提樹」を取り上げていた。私たちの世代は学校で教わったせいもあり、親しんできた歌だ。特に近藤朔風の訳で親しんで来た。新聞によると、現在、日本の歌手でも、ドイツ語で歌い、朔風の訳詩で歌う歌手はほとんどいない、ということだ。言われてみれば、F・ディスカウが歌った「冬の旅」のCDは持っているが、菩提樹だけでも、日本語で歌ったCDは持っていない。

                                               

菩提樹はミュラーが書いた「冬の旅」の1篇である。傷心の若者のさすらい、「冬の旅」の詩にシューベルトが美しい曲をつけている。ミュラーは当時は人気のあった詩人であったが、今はシューベルトの歌曲「冬の旅」や「美しき水車小屋の娘}に残っているくらいだそうだ。

                                              

ウィーンとバーデンの間ぐらいにあるメートリンクからバスで地底湖に向かう途中、道沿いの看板に菩提樹の楽譜が書かれたレストランの前を通ったことがある。あとになってそこがシューベルトがよく曲想をねるために通っていた店だと知った。

                                              

菩提樹は死の木でもあるのだそうだ。ruhe、憩いとか安らぎと言った意味だが、この詩のruheは安らぎ=死を意味しているのだ、と。なるほど。

                                              

朔風はこのruheを幸と訳しているそうだ。

来よ いとし友、ここに幸あり・・・

えっ、「来よ、いとし友」なんて言葉あったっけかな?

そこで声に出して歌ってみた。歌詞はちゃんと覚えていて、メロディーと一緒にすらすらと口をついて出てくる。件の箇所に差し掛かった。「こよ~いとしと~も」あはは、子どもの頃と言え、またやっていたんだ。音一つ一つにつけられた言葉は間違っていない。しかし、呼びかけではなかった。思わず笑ってしまった。「こよいとしとも」、どう解釈していたんだろうね。文語だから詩の内容なんて分からずに歌っていたんだ。それでいままで気付かずにきたというのだ。朔風さん、ごめん。

                                               

菩提樹も、野ばらなどといっしょにドイツ語で暗記したことはある。そう、これも子どもの頃だ。ドイツ語にふってあるカタカナで覚えたものだ。だから発音も、詩の内容もわからない。ただ口先でうたっているだけ。長じて言葉が分かるようになって覚えたものは、意味も分かっている。子どもの頃、学校の唱歌として出てきたものは、ある意味では気の毒だ。もう一度読み直して覚えなおさないと悪い。

                                                                                                                               

                                          菩提樹

    泉に添いて 茂る菩提樹
  したいゆきては うまし夢見つ
  幹には彫(え)りぬ ゆかし言葉
  うれし悲しに 訪(と)いしその蔭
           訪いしその蔭

   今日も過(よぎ)りぬ 暗き小夜中(さよなか)
  真闇(まやみ)に立ちて まなこ閉ずれば
  枝はそよぎて 語るごとし
  「来よいとし友 ここに幸あり
            ここに幸あり」

    面(おも)をかすめて 吹く風寒く
  笠は飛べども 捨てて急ぎぬ
  はるか離(さか)りて たたずまえば
  なおもきこゆる 「ここに幸あり
            ここに幸あり」

                                                

                                                

   Der Lindenbaum

    Am Brunnen vor dem Tore
    da steht ein Lindenbaum;
    ich traumt' in seinem Schatten
    so manchen sussen Traum.

   
    Ich schnitt in seine Rinde
    so manches liebe Wort;
    es zog in Freud' und Leide
    zu ihm mich immer fort.

   
    Ich musst' auch heute wandern
    vorbei in tiefer Nacht,
    da hab' ich noch im Dunkel
    die Augen zugemacht.

   
    Und seine Zweige rauschten,
    als riefen sie mir zu:
    komm her zu mir, Geselle,
    hier find'st du deine Ruh' !

   
    Die kalten Winde bliesen
    mir grad' in's Angesicht,
    der Hut flog mir vom Kopfe,
    ich wendete mich nicht.

   
    Nun bin ich manche Stunde
    entfernt von jenem Ort,
    und immer hor' ich's rauschen:
    du fandest Ruhe dort !

  

                                                                                                                                                             .

   

                                               


人間国宝美術館

2012-09-09 09:02:46 | アート・文化

陶芸仲間が、三輪壽雪さんのお茶碗でお抹茶が頂ける、と教えてくれた。壽雪さんはあちこちで見ているが、竹橋の近代美術館の工芸館での荒川豊三、三輪休雪・壽雪展は圧巻だった。荒川豊三さんの志野、休雪、壽雪さんの萩、萩の方が温かみがあると感じた。おそらく土と釉の違いだろう。

月末に萩に行く。問い合わせると、萩美術館も山口美術館も、所蔵品に萩焼の名品はあるのだが、ちょうど旅行中に萩焼の展示はない。そこで、人間国宝美術館にある萩焼を、触れられる、という言葉にもひかれて、見に行ったのである。

                                                

受付でチケットを買いながら、横に並んでいる茶碗をじろじろ眺めていた。萩はない。「壽雪さんの茶碗でお抹茶が頂けると教えてもらったから来たんだけど・・」というと、「9月で入れ替えました」という。「あ~ら、残念、触りたかったのに」

4階は橋本雅邦の虎の屏風が展示されていた。モニターで、この作品の解説が流れていたが、それは見ずに直接作品を眺めた。もちろん、雅邦は知っている。絵の虎はさすがに重量感も存在感もあるが、目が何とも優しかった。

段差を気にしながら、手すりにつかまり3階に降りた。入り口わきの小部屋の展示物が替わっている。速水御舟の「炎舞」があった。「えっ、なんでこれがここにあるの?確か山種の物の筈?借りたのかしら?」よく見ると複製だった。「だろうね~」

                                                  

展示室に入って、「あら~、展示が様変わりしている!」と声をあげた。小さな美術館は、おなじみのものがどこにあるか覚えているから楽しんだが・・、こうがらりと展示が替わると、違和感がある。おそらく収蔵品がたくさんあるから、こういう展示ができるんだろうが。

                                                

展示棚の後ろの壁に、かなり大きな絵が並んでかかっている。それぞれの絵もいいし、陶磁器もいいのだが、こういう、せせっこましい飾り方をされると、絵もよさも、陶磁器のよさもお互いに消しあって、双方の魅力が半減されてしまっている。もったいないかぎり。学芸員のセンスなんだろうか?                          もうひとつ気になったのはライト。プロが選んでいるのだろうが、ライトの色が気にかかった。濁手の白が、伊万里の白のように青みがかって見えるのだ。濁手とは米のとぎ汁の色、温かみのある乳白色が特徴の筈。

                                                                                                                           

聞かなかったがキャッチとして、美術品の値段あてが組まれていたみたいだ。有名作家の作品の横には、これがいくらか?と貼ってある。別に値段で美術品を見ないから関心を持たなかったが、俗っぽい企画。なるほど、その俗っぽさが今回の展示に表れているのかも。

                                                                                                                           

値段あてっこの中に、荒川豊三と三輪壽雪の抹茶茶碗も並んでいた。豊三はちょっとピンクがかったいかにも豊三らしい志野、壽雪はあの三輪白の、八分立ての生クリームのような萩。でも並んでいる二つは豊三作品の方が柔らかで温かみがある。

三輪さんのなんてとても買えないけど、この柔らかな白のかかった、日常茶碗、新進作家のでいいから、あったら買ってこよう、なんて言っている。手頃な値段で買えればの話。

                                                

お抹茶をいただくのに、私は勅使河原宏さんの茶碗を選んだ。宏さんはお花の勅使河原蒼風さんの長男で、マルチな芸術活動家だ。酒田の土門拳記念館も彼が設計した、と訪ねたとき聞いた。茶碗は持った感じはいいが、しかし、なにかいまいちだった。お薄も美味しくなかった。名品に直にふれてお茶が頂けるのが楽しみなんだが。