失われた時を求めて

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あの頃の土曜日(昭和40年代後期・お出かけの日)

2009-03-30 01:06:25 | 懐かしのもの・風景
 私はちょうど昭和40年生まれなので、昭和47~49年は小学校1~3年生。この頃の記憶を記しておきます。(一応、昭和47年冬頃の描写という設定です。)


 朝、7:00ちょっと過ぎ、起床。徒歩5分ほどのところにある工場(こうば)を掃除しに行っていた父が一旦帰宅し、朝食。ネボスケのボクは、すっかり怒りの形相の変わった母の、3度目くらいの「起きなさい!」の声でやっと布団から出てテーブルに。
今朝はモヤシと卵1個の味噌汁かぁ~。この「卵1個」、ボクは苦手なんだよなぁ‥‥。でも、魚肉ソーセージの炒めたヤツは大好物! これだとご飯が進むんだ!
 7:30、お茶を飲みながら新聞を読んでいた父が工場に出かける時間。1週間の終わり頃になると、父の作業衣は機械油の匂いが濃くなってるなぁ。
ボクは歯磨き。最近我が家にやって来た「湯沸かし器」のお陰で、歯を磨く時に水が歯にしみなくてイイ感じ。パジャマから着替え。この「ポロシャツ」っていうヤツはチクチク痒くって嫌い‥‥。なんだかオジサンぽいし‥‥。
着替えを終えて、父の置いていった新聞のテレビ欄をチェック。今日は練馬のオバちゃんちにお泊りだから、『ど根性ガエル』と『仮面ライダー』は見られないな‥‥。テレビを点けると、『こころのともしび』の音楽が。おっと、学校に行く時間だ!
 8:05、登校班の集合場所の柳原神社に到着。昨日の『レインボーマン』の話題で盛り上がっているけれど、だれも『ウルトラマンA』の話はしてないな‥‥。日陰の土のところの霜柱をザクザク踏むとおもしろい。しばらく「挟み」で遊んで、まだ来ない子を待って、全員が揃ったところで学校へ。

 学校に着くと、早く登校してきた同級生が「マラソン大会」に備えてランニングの朝練をしている。学校からは「山手線一周マップ」が配られ、走った距離だけ線路を塗りつぶしていくヤツ‥‥。ボクはマラソンが苦手だあ~‥‥。
 教室に入ると、日直がストーブにコークスを入れているところだった。このあと火を点けるんだよな。日直はめんどくさいけれど、これの担当だけはカッコいいんだよなぁ。次の日直の時までストーブは使っているかなぁ‥‥。
 2時間目が終わったら20分休み。最近「馬とび」が禁止になったので、「かど打ち」が流行っているんだけれど、上級生が階段を独占しているし‥‥。仕方ないから体育館脇の「流水実験機」のところで薄氷を投げ合って遊んだ。
 4時間目が終わると下校! でも教室掃除の当番は掃除が終わってから‥‥。あー、腹減ったぁ~。

 12:50、猛ダッシュで帰宅。この分も「山手線一周マップ」に書いてもイイんではないかい?
今日はお出かけの日。昼食を済ませると「よそ行き」の服に着替えて出発。京成関屋駅に向かう途中、同級生のYに遭遇。母といっしょに出掛けるところを見られて、なんだかちょっと照れくさいような‥‥。
 駅で切符を買う。真ん中に赤い字で「小」と印刷された硬い切符だ。ボクはすぐに切符を失くすので、母に預ける。向かって右の階段を昇るのだけれど、階段脇のトイレがクサイ! ホームから遠くを眺めると、鐘ヶ淵の方の工場の煙突から、赤い煙が出ているのが見えた。この前は黄色い煙だったよなぁ‥‥。最近問題になっている「公害」ってヤツだな。あ、電車が来た。前から2両目の電車に乗るのが定位置。京成線の床って木だから、ワックスの匂いがクサイ‥‥。
 日暮里で降りて山手線に乗り換え。改札では切符は見せるだけ。駅員さんのハサミの音が「チン、チチン、チン、チン、チンチチン」とリズミカル。カッコいいなぁ~。あの改札の中には電気ストーブがあるのを知ってるんだ。この前、駅員さんの交代の時に扉が開いていたので、中をチラッと見たから。
 日暮里の11番線ホームの売店の前。ここで乗ると池袋の階段の前に着く。母はここから乗るのをちょっと嫌がっている。というのは、ボクが必ず売店でお菓子をねだるからだ。で、今日は「ハイソフト」を買ってもらう。ちょっと高めのキャラメルなので、こういう時にしか買ってもらえないんだモン!
 池袋駅では母の手をしっかり握って歩く。西武線までは遠くて人も多いし、迷子になったら大変だ。西武線で保谷まで乗っていくのに、運が良ければ「準急」がある。「各停」だと時間がかかってイヤになっちゃうヨ~。

 やっと保谷に到着。駅は保谷なのに、オバちゃんは「練馬のオバちゃん」なのはなぜだ? 保谷駅の西友で神田精養軒のマドレーヌをお土産に買った。あとで食べられるかな?
 ここからオバちゃんちまでの道が遠いんだよなぁ‥‥。幼稚園に通っていた頃はタクシーで行ったこともあるけれど、もう小学生だから歩かなければ。
 30分くらい歩くと、キャベツ畑と梅林の向こうにオバちゃんちが見えてきた。木の門を押すと、「チリンチリンチリン」と鐘が鳴るようになっている。既にオバちゃんの甲高い笑い声が聞こえるところをみると、OさんかK社長さんがお茶飲みに来ているのかな。玄関の引き戸を開けると、ボタンインコの「サブ」が「コンニチワ、ケーケーケー!」とお出迎え。やっぱりOさんがいました。ボクは良い子なので、キチンと正座して「コンニチワ」ができますヨ。オバちゃんがプラッシーをくれた。ここのウチではいつもプラッシーだ。
 従兄のSちゃんはまだ帰ってないみたい。高校生だからネ、忙しいんだな。ボクは1人で庭で遊んでたんだけれど、つまらなくなったのでお小遣いをもらって「泉家」さんに。泉家さんはオバちゃんちの近所の駄菓子屋(ホントは雑貨店)。ボクは月に2回は行く「常連」で、泉家のオバさんもボクのことを知っているんだ。今日は「ポリバルーン」と、「マッハ号」のプラモを買った。知ってるプラモはこれしか無くって残念‥‥。で、オバちゃんちの縁側で早速プラモの製作開始。セメダインに悪戦苦闘しながら、何とか走るモノが完成。カッターが出たり、ギズモ号が発射できるぜ!
 従姉のYちゃんが帰ってくると、いっしょに「フライパンゲーム」をやってくれた。さっき買ったポリバルーンもいっしょに作ったんだけれど、シンナーっぽい匂いでYちゃんは気持ちが悪くなっちゃったんだって‥‥。
 Sちゃんが帰って来た! 階段をイイ調子で駆け上がって自分の部屋へ。すぐに大音響の「ロック」が聞こえて来た。ボクは2階へ上がる。Sちゃんの部屋に入ると、話し声も聞こえないほどの大音量だ。畑と梅林に囲まれた家だから、こんなに大きな音でも近所迷惑にはならないんだな。今日は「レッドツェッペリン」というのを聴いてるんだって。ボクにはなんかよくわかんないや。

 オジちゃんが帰ってきて、晩ご飯。オバちゃんちではやっぱり『ど根性ガエル』と『仮面ライダー』は見られなかった‥‥。この家では『連想ゲーム』を見ているんだ。オバちゃんは踊りの先生で、お稽古に(教えに)出掛けていった。
 ボクは従兄姉たちと『全員集合』を見ていたが、お風呂に入るように言われて、前半のコントのあとにお風呂に。ここのウチのお風呂は木でできていて、縁が高くって入るのに一苦労。外を通るクルマの音が時々聞こえるけれど、それ以外はとっても静か。ちょっと怖いなぁ‥‥。
 慌ててお風呂から出ると、後半のコントに間に合った。最後まで見ると、カトちゃんが「お風呂入ったか? カゼひくなよ! 宿題やったか? また来週!」って言ってる。もう、ちゃんと風呂に入ったぜ! ちょうどその頃、オバちゃんが帰って来た。
 『全員集合』が終わると9時。もう寝る時間‥‥。2階の従姉の部屋には既に布団が敷いてある。1人で寝るのは怖いんだよなぁ‥‥。階段の電気は消さないでネ。壁のトレーシー・ハイドと草刈正雄のポスターが笑ってる‥‥。階段の下では母とオバちゃんの笑い声が。早くみんな寝ようよ‥‥。1人じゃ怖いよぉ~。

 次の日、起きてみると、大人たちはいない。早朝ボウリングに行っちゃったんだって。ひばりが丘まで自転車で行ったらしい。ボクは従兄姉たちと食パンの朝ごはん。そのあと2階で大音量で「10番街の殺人」を聴いていたSちゃんが、ボクを自転車に乗せて、近所の「保谷フィッシングセンター」という釣堀に連れて行ってくれた。今日は5匹も釣れたぞ。持って帰って、庭の池に放してやろう。
 帰ってみると、大人たちも帰っていた。『TVジョッキー』を見ていると、犬の「クロ」の散歩に行くことに。コイツ、乱暴に飛び掛ってくるから、ちょっと苦手‥‥。ちょっと前に死んじゃった「タロ」の方が可愛かったよなぁ~。オバちゃんの家の前の「お山」でクロを遊ばせてから、坂の下の「ニコニコストア」まで行って、別な坂を昇ってOさんの家の前から帰って来るルートがいつもの散歩コース。ボクが引っ張られてるから、どっちが散歩させられてるのかわかんないや(^^ゞ
 帰ってからクロに水をやる。オバちゃんのウチは井戸水が出るんだ。庭の手前の蛇口が井戸水。ひねるとモーターが回転する音がする。水を飲んだクロは玄関へ。ここで何かおやつをもらうのが習慣なんだって。今日はお煎餅。「ワン!」と吠えたら投げてやるんだ。

 そろそろ帰る時間。夕方になると、この辺りは蛍光灯の暗い外灯しか無くって、怖い‥‥。『アイアンキング』に間に合うかなぁ‥‥。
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6 コメント

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都会の生活 (南 うなみ)
2009-03-30 22:09:29
とっても興味深く読ませていただきました。
同世代でも都会の生活は違うのだと興味しんしんでした。同じところは生活(記憶)の中心にTVがあったと言うこと。親戚の家に行っても何が見られるかは重要な課題ででしたね。
うなみは都会のばあさん家に行ったときもバロム1を見てああ明日は学校にいかなあかんという郷愁を覚えました。今でもバロム1のEDを聞くと郷愁が湧きます。
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なにか。 (ふゆか)
2009-03-31 11:23:11
ほんと、「ラジオ・デイズ」とか、「三丁目の夕日」とかそんな古きよき時代のお話ですね。
こういう思い出をもってる自由人大佐さん、幸せですね。

子供の子供時代が「ゴールデンデイズ」だといいのに。小学校低学年までが天使なのか?

そして平成。
気に食わない先生のお腹にいる子供を殺そうと画策する小学生(6年生?)の集団がでてきました。
ほんとに恐ろしい。
こんな男子が大人になるなんて。
私は子供はいませんが、同じくらいの娘がいてもおかしくないです。
もし、自分の娘(いないけど)がこんな男子とめぐりあったら・・・と思うとゾッとします。

親はどんな育て方をしたのでしょうか?
PCやTVの弊害なのでしょうか?

昔は不便でしたが、人と人の繋がりが深く、それだけ思い出が輝いていたと思います。

すてきな文章読ませていただきました。


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あ~~! (ふゆか)
2009-03-31 11:28:27
ちょっと訂正!

小学校6年生じゃなくて中学1年でした。
すいません!

でも中学1年というとまだ13歳。
これがお腹の中の子供を殺そうとした(「流産させようとした」なんて表現は生ぬるすぎ!)
んだから世間はどうなっちゃってるんだろう?

といいたかったのです。
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Unknown (自由人大佐)
2009-04-01 23:16:28
>うなみさん

 子どもの頃はTVに生活が支配されてましたネ。朝刊のTV欄で確認するのが日課でした。今日が何曜日かは、番組で認識していたものでした。
 オバちゃんの家は、本文中にもあるように、練馬区のキャベツ畑のある地域で、けっして都会ではなかったですヨ。


>ふゆかさん

 だれでもこういう思い出を持っていますよネ。「特別」じゃなくて、日常的な思い出。母は姉である伯母を月に2回くらい訪ねるほど、これは特別なことではありませんでした。
 中学生の「流産させる会」のニュースは酷すぎます。でも、その事実を他の先生に教えてた生徒がいたことが救いです。
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いいなあ・・・ (あぶもんもん)
2009-04-07 16:55:02
日射しの様子とか、書かれていない匂いとかまで感じることが出来るような、そんな感じですね。
霜柱、最近見ないのはどうしてなんでしょう。
音楽の教科書には今でも「おじさん切符をチョキチョキチョキ」という歌が載っているけれど、出来ればこのまま、誰も変だと気づかずに、そっと載っていてほしい。
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霜柱 (自由人大佐)
2009-04-07 21:27:10
 東京では、水たまりに張った氷を見かけることはあっても、霜柱は見かけません。土の地面が無いことも大きいですが、やっぱり温暖化の影響でしょうか。

 今は切符は自動改札に吸い込まれて、出てくるだけですからネ。見た目は何も変わってないし‥‥。というか、最近はPASMOばかりで切符も買いませんが(爆)。
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