私が住んでいた足立区柳原には、東西南北の町会がありました。1丁目には東と南、2丁目には北と西。私が住んでいた番地は西町会に属していたのですが、この町会は『金八先生』にも登場する「柳原銀座商店街」を抱え、かなり裕福だったのでしょう。町会が主催する遠足がありました! 夏休みの最初の日曜日(だったかな?)に、どこかの遊園地に遊びに行きました。
「町会で出掛ける」というのが、不思議な感覚でした。学校の遠足とは違って、学年も関係なく、近所のお婆さんなんかもいっしょに行っていましたから。ただし、クラスの仲良しとは町会が違うといっしょに行けないのは残念でした‥‥。
持って行くおやつの制限も無く(←これ、すごく重要ポイント)、行きの電車やバスの中から食べ始めてもOK! なぜか記憶に残っているのは、ロッテの「小梅」。プールから出たあとにやたらと食べた記憶があります。夏休みの遠足だったので、チョコレート系は融けてしまうので持って行かなかったですネ。
引率してくれるのは、町会の役員さん。つまり近所のおじさんやおばさん。同級生のお父さんの、おでん種のお店のKさんが中心になっていたかなぁ‥‥。今考えてみると100人くらいの人が参加していたので、大変だったと思います。
小学生の頃は、京成電車に乗って「谷津遊園」に行きました。「流れるプール」もあって、4つくらいのプールが充実していて楽しかったぁ~(^o^) 中には「リバプール」なんていう名前のプールもあったっけ。
ここで「コークスクリュー」に乗った記憶もあるので、小学6年生(昭和52年)にも行ったということになります。たしか日本でも早い時期の導入だったと記憶しています。2回ひねりが入るだけのローラーコースターでしたが、当時としては画期的でしたネ。私はあまり怖いとは思いませんでした。たしか乗り物は3つくらい乗れる券をくれたんだっけ? それ以上に乗りたい場合は自腹で券を買いました。
ここの「ゴーカート」はコース幅が広く、本気でレースが楽しめました。ハンドル操作と減速のタイミングを誤って、私のカートのタイヤが「ギャン、ギャン、ギャン!」と路面に引っ掛かりながら横滑りし、タイヤが積んである防護壁に激突したことがあります。よくケガをしなかったなぁ‥‥(^^ゞ
お昼ご飯は各自がお弁当を持って行きました。「団体休憩所」みたいなスペースがあって、そこに自分の陣地を確保して、まずは腹ごしらえ。それからプールに行きました。男子はその場でバスタオルを腰に巻いて着替えましたが、女子はさすがに更衣室に行っていました。
「団体休憩所」からプールへの出口はゴザの敷いてある長いスロープを降りて行くのですが、途中で1回大きく踊り場になっていて、そこに更衣室というか、大浴場があって、プールに入ったあとにみんなで風呂に入ったこともありました。
そういえば「ブッポウソウ」や「ヒバリ」「ホトトギス」なんかの声が出せる笛がこのスロープの途中の売店で売られていて、それがどうしても欲しくて買ってもらったことがあります。
そういえば、駅から谷津遊園の入り口までには、浮き輪やビーチボール、ビーチサンダルや水中メガネなんかが、いろんな業種の店の店先にぶら下がっていました。
「谷津遊園」は今はもう無いんですよネェ‥‥。
中学生の頃は「横浜ドリームランド」に行きました。こちらは遊園地がメインで、なんと町会から「乗り物乗り放題」のチケットがもらえました!(^o^)/ さすが商店街を抱える西町会。太っ腹です。
この「乗り放題」が好評で、一度行き先が「谷津遊園」に戻ったのですが、その次の年には「ドリームランド」が復活しました。高校生になってからは引越ししたこともあり、どこに行ったのかは知りません‥‥(^^ゞ
さすがに「ドリームランド」は足立区からは遠いので、観光バスで行った記憶があります。
ここの乗り物では、レールの上をスライドする観覧車が印象的でした。あんな高いところで、不安定に動くゴンドラ‥‥。設計した人は何を考えていたんでしょう。本当の危険と隣り合わせのスリルって‥‥^^;
でも、中学生はこういうスリルの味わえる乗り物が大好き♪ 「ドリームランド」では、こちらも日本では早い時期に導入された「シャトルループ」がありましたネ。‥‥あれ? 北町会に住んでいたハズのMがいっしょに行った記憶があります。この「シャトルループ」で気持ち悪くなっていたっけ‥‥。希望すれば他の町会の人も行けたのかな?
「横浜ドリームランド」も既に閉園されました‥‥。
「町会で出掛ける」というのが、不思議な感覚でした。学校の遠足とは違って、学年も関係なく、近所のお婆さんなんかもいっしょに行っていましたから。ただし、クラスの仲良しとは町会が違うといっしょに行けないのは残念でした‥‥。
持って行くおやつの制限も無く(←これ、すごく重要ポイント)、行きの電車やバスの中から食べ始めてもOK! なぜか記憶に残っているのは、ロッテの「小梅」。プールから出たあとにやたらと食べた記憶があります。夏休みの遠足だったので、チョコレート系は融けてしまうので持って行かなかったですネ。
引率してくれるのは、町会の役員さん。つまり近所のおじさんやおばさん。同級生のお父さんの、おでん種のお店のKさんが中心になっていたかなぁ‥‥。今考えてみると100人くらいの人が参加していたので、大変だったと思います。
小学生の頃は、京成電車に乗って「谷津遊園」に行きました。「流れるプール」もあって、4つくらいのプールが充実していて楽しかったぁ~(^o^) 中には「リバプール」なんていう名前のプールもあったっけ。
ここで「コークスクリュー」に乗った記憶もあるので、小学6年生(昭和52年)にも行ったということになります。たしか日本でも早い時期の導入だったと記憶しています。2回ひねりが入るだけのローラーコースターでしたが、当時としては画期的でしたネ。私はあまり怖いとは思いませんでした。たしか乗り物は3つくらい乗れる券をくれたんだっけ? それ以上に乗りたい場合は自腹で券を買いました。
ここの「ゴーカート」はコース幅が広く、本気でレースが楽しめました。ハンドル操作と減速のタイミングを誤って、私のカートのタイヤが「ギャン、ギャン、ギャン!」と路面に引っ掛かりながら横滑りし、タイヤが積んである防護壁に激突したことがあります。よくケガをしなかったなぁ‥‥(^^ゞ
お昼ご飯は各自がお弁当を持って行きました。「団体休憩所」みたいなスペースがあって、そこに自分の陣地を確保して、まずは腹ごしらえ。それからプールに行きました。男子はその場でバスタオルを腰に巻いて着替えましたが、女子はさすがに更衣室に行っていました。
「団体休憩所」からプールへの出口はゴザの敷いてある長いスロープを降りて行くのですが、途中で1回大きく踊り場になっていて、そこに更衣室というか、大浴場があって、プールに入ったあとにみんなで風呂に入ったこともありました。
そういえば「ブッポウソウ」や「ヒバリ」「ホトトギス」なんかの声が出せる笛がこのスロープの途中の売店で売られていて、それがどうしても欲しくて買ってもらったことがあります。
そういえば、駅から谷津遊園の入り口までには、浮き輪やビーチボール、ビーチサンダルや水中メガネなんかが、いろんな業種の店の店先にぶら下がっていました。
「谷津遊園」は今はもう無いんですよネェ‥‥。
中学生の頃は「横浜ドリームランド」に行きました。こちらは遊園地がメインで、なんと町会から「乗り物乗り放題」のチケットがもらえました!(^o^)/ さすが商店街を抱える西町会。太っ腹です。
この「乗り放題」が好評で、一度行き先が「谷津遊園」に戻ったのですが、その次の年には「ドリームランド」が復活しました。高校生になってからは引越ししたこともあり、どこに行ったのかは知りません‥‥(^^ゞ
さすがに「ドリームランド」は足立区からは遠いので、観光バスで行った記憶があります。
ここの乗り物では、レールの上をスライドする観覧車が印象的でした。あんな高いところで、不安定に動くゴンドラ‥‥。設計した人は何を考えていたんでしょう。本当の危険と隣り合わせのスリルって‥‥^^;
でも、中学生はこういうスリルの味わえる乗り物が大好き♪ 「ドリームランド」では、こちらも日本では早い時期に導入された「シャトルループ」がありましたネ。‥‥あれ? 北町会に住んでいたハズのMがいっしょに行った記憶があります。この「シャトルループ」で気持ち悪くなっていたっけ‥‥。希望すれば他の町会の人も行けたのかな?
「横浜ドリームランド」も既に閉園されました‥‥。
関西地区でも遊園地単体の施設は軒並み閉園しています。関東も同じなんですね。過去記事トラバさせてくださいね。
「紅葉パラダイス」というのは、東京でもCMが流れていた「琵琶湖温泉 ホテル紅葉」の系列でしょうか。
TBいただいた記事に登場する「奈良ドリームランド」というのは、この記事に登場する「横浜ドリームランド」とは系列だったようですヨ。
遊園地の閉園は、少子化、レジャーの多様化、そして関東では東京ディズニーランドの開園の影響が大きいようです。TVのロケでも有名だった「向ヶ丘遊園」(生田や円谷から近い)が閉園したのが、最も寂しいです。
マグマ大使、箕面ロケやったんですね。前に見たことはあったんですが詳細は忘れてました。
水の上に吊り橋(水面のすぐ上)があって、龍の腹の中を通っていくようになってるの、ありませんでしたっけ。あとビックリハウス(部屋に入って長椅子に腰掛けると、部屋の壁がぐるぐる回って、自分が動いているような錯覚を起こす)というのも・・・谷津遊園だったかな?
船橋ヘルスセンターにもよく行きました。栃木県に引っ越してからは小山遊園地、高校から川崎に引っ越して、多摩川園・・・みんな消えました(泣)。
自慢じゃありませんが、ディ◯◯ーラ◯ドに行ったことはありません。もし、安っぽいお化け屋敷とか、ミラーハウスとか、ビックリハウス、こういうアトラクションができたら、行ってみてもいいかなとは思うんですが。
それにしても楽しい町内会でいいですね。私の小学校当時は、「夏休みの注意事項」なんていう通達のために市役所に集まったり、月に一度「愛郷奉仕日」と称して会所の掃除をしたり、そんな思い出しかありません。それはそれで楽しかったですが。
「ホテル紅葉」の「♪はだかー天国」は私も知ってますヨ。あれって、歌?
「♪琵琶湖温泉 ホテル紅葉」というコブシ効かせまくりの歌も記憶にあります。
私の古い記憶では、一度だけ谷津遊園で潮干狩りをしたことがあります。
「ビックリハウス」はありましたヨ。浅草の「花やしき」や「横浜ドリームランド」にもありました。私、あれ、大好きなんです。
秋にも「芋ほり」に行ったりと、なかなかイベントの多い町会でした。
>ぼった屋や3軒の駄菓子やさんもなつかしいですね。
「ぼった屋」という呼び方は、他の地域では通じないんですよネ。私の記憶にあるのは、駄菓子屋「おくぬき」の脇の道の奥にあったぼった屋と、「大政うどん」の裏にあった通称「めがね屋」です。
3軒の駄菓子屋は、「おくぬき」と「小宮ため」と「大久保」でしょうか。私は「小宮」の隣のおでん屋の長男と同級生です。
今後もどうぞご贔屓に。
私が記憶しているのは、大政うどん路地を入った左のぼった屋で、小さなおばあちゃんが切り盛りしてました。確か1杯100円だったかと。
おでんやさんは同じ並びに移転しました。
長男さんと同級生ということは私のほうが少々下級生になります。
私はよく「ためさん」に怒られたくちです(笑)
昔は平日夕方ともなると賑わってた商店街でしたね。
では、地元ねたばかりですみませんでした。
「出雲屋蒲鉾店」の長男や、「おくぬき」の隣(「ため」の前)の鶏肉屋(屋号は知らない‥‥(苦笑))の長男が同級生です。
「ため」さんでは、「ほら、どれ買うの?」とよく急かされました。ためさんは中山秀征さんの『大好き!』という番組で取り上げられていたことがありました。今から20年くらい前で、「最近は体が弱って仕入れに行けないから、今店にあるものが売れたら閉める」と言っていました。
このブログは私のブログですから、地元ネタをたくさん書いています。柳原神社の豆まきや、旭町の縁日、太郎山公園のプールなんかが登場しました。私の記憶違いなんかがありましたら、訂正していただけると幸いです。地元ネタ、大歓迎です! どんどんコメントをください。