日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

「黒い雨訴訟」上告見送り 鬼の目にも涙?、それとも選挙が近いから?? 

2021年07月30日 07時16分03秒 | 政治
 ことわざ「鬼の目にも涙」の説明をネットで引くと、「悪代官が年貢の取り立てに情をかけたり、高利貸しが憐れみの心で証文を破ったりしたときに使われた言葉から。現在では、鬼のように怖く厳しい人でも感動して涙を流すという場合に使われることが多い」(「故事ことわざ辞典」)とある。
 「原爆投下直後に降った『黒い雨』を浴びて健康被害を受けたとして、広島県内の男女84人が被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟で、政府は26日、原告全員を被爆者と認めた広島高裁判決について、上告を見送ることを決めた。菅義偉首相が同日、首相官邸で記者団の取材に明らかにした。住民側の全面勝訴が確定する」(2021/07/27時事)
 広島高裁の判決に大いに意を強くしていた筆者は、さりながらこの訴訟は広島県知事と広島市長に向けられたもので敗北したのは彼ら二人であり、その後ろで糸を引く中央政府は「ダメ出し」で済ませられるので、あの「冷血な」菅さんのこと、二人に対して「上訴しろ!、最高裁に訴えろ‼」と圧力をかけるに違いない、と疑心暗鬼と共に固唾を呑んで見ていたのだが、今度ばかりは肩すかしを食った。「あっぱれ!菅首相」、と彼の就任以来はじめて喝采を送ったのである。
 1945年8月6日、原爆さく裂後1時間ほどして広島市内に降ったとされる雨は午後3時ごろまで市内各地を移動しながら降り続けたという。原爆の熱風に広島の街を焼き尽くした火炎によって煤混じりの大量の水分が上空高く巻き上げられ、それが油じみた粘度の高い黒い粒となって放射性物質を含んで降下してきたものだ。この悪意を含んだ人工雨が被爆者たちに情け容赦なく降り注ぎ、人々は墨汁を浴びせられたように黒く塗りつぶされ、かつ被爆したのである。
それは「黒い雨」としか呼びようも無かったのだが、これが後に文豪井伏鱒二の名作「黒い雨」として今日まで読み継がれ語り継がれてきた哀しみと感動とにミクシングされて強い響きをもって改めて「黒い雨」と固有名詞になり「訴訟名称」になってもいるのであろう。
 「被爆者閑間(しずま)重松の姪矢須子(やすこ)に、戦後5年ほどして結婚話が持ち上がるが、やがて彼女に原爆症の症状が出始め、結局破談になる。そのことをきっかけとして、重松は原爆の記録に挑む。その中で「黒い雨」と八須子の発症とが結びつく。原爆地獄が、冷静な生活者の目を通して、みごとな平静さで写し出され、原爆小説というよりは戦争小説の最高傑作となりえている。井伏文学の代表作」(「コトバンク」より、一部筆者)
 と、井伏鱒二の「黒い雨」は、国民文学であると同時に世界文学として屹立した作品となっていた。菅首相のこの度の政治的判断は、84人の訴人たちのみならず、作家の想いにも叶い、この作品に感動した世界中の読者の想いともつながって、菅氏にとっては実に初めて好い判断をしたと、筆者などは支持率低迷の氏に一票を投じたいと思ったほどである。
 が、世間は実に冷たく、こんな投句が目に入った。「支持率が 落ちたので止む 黒い雨」(大阪府 首藤媾平 (朝日川柳))。まあ、残念ながら、そのとおりだ!

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