旧優生保護法(1948~96年)下で不妊手術を強制されたとして被害者らが国に損害賠償を求めた5件の訴訟の上告審判決で、最高裁大法廷(裁判長・戸倉三郎長官)は、旧法の規定が憲法に違反すると認めその上で、不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」については、旧法の被害には一律に適用しないとし、被害者を全面救済する初の統一判断を示した。このことは、遅きに失したとはいえ理念的に妥当な判断である。そこには広大な世論の激励が有ったからのように思われる。
それにしても1996年に「母体保護法」と改正されるまで48年間にわたって存続した「旧優生保護法」によって、官憲によって一方的・強制的に不妊手術を受けさせられた人はおよそ1万6500人、本人が同意したとされるケースを含めるとその「被害者」はおよそ2万5000人にのぼるとされている。これによって失われた生命は何人になったのであろう? 一体全体、「国家」という「魔物」は何処まで冷徹になれるものなのか?あらためて十分に思考する相手であるらしい。
戦後日本国憲法をして「押しつかれた憲法」とは言い条、これが原則とする四民平等の原則を喜び勇んで受け入れながら、こういう法律を受け入れる「無知性性」は何処に隠れていたのだろうか?、それとも当時の国民に「知性」などの持ち合わせが無かったのだろうか??
このむごたらしい法律の当時政府の提案説明には「日本国憲法第13条(すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする)が登場している。どうしても理解できないのは、この条文をどうトランスフォーム(変換)すれば「優生思想」に到り、かつ「優性保護法」に達したのか?
そういえば同じ「13条」が威力を発揮したのが2014年7月安倍晋三政権による集団的自衛権行使容認という戦後防衛政策の大転換にこの条文が提案根拠とされた。すなわち安倍氏は、攻撃によって国民の基本的人権が根底から覆される「急迫、不正の事態に対処」するための必要最小限の戦力として外国軍隊(米軍)との共同防衛の導入という防衛政策の質的変身を成し遂げる根拠として同じこの「憲法第13条」を持ち出したのである。
どんな美しい文章で書かれていても「文」は「書き物」に過ぎない。文章はそれを読む人の心の問題であるということなのであろうか? こう見てくると、今更のように<日本国憲法第13条>に改めて「同情と恐怖と」を禁じ得ない。