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日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

2025/02/03 英国の「プルトニウム地中廃棄」へと聞いて・・・

2025年02月02日 21時33分54秒 | 政治
 「英政府は、使用済み核燃料を再処理するなどして保有する100トン超の民生用プルトニウムについて、地中に埋めて廃棄する方針を発表した。日本の電力大手が英国に委託して取り出した約22トンも保管されている。今回の発表の適用範囲は、英国保有分のプルトニウムに限ったもので、日本を含む他国保有分については協議を続けるとみられる」(「英、プルトニウム地中化廃棄へ」2025/02/01朝日新聞)
 上記の報道は、ついにイギリスも使用済み核燃料から抽出したプルトニウムを再度原子力発電所の蒸気発生用燃料として使うという「核燃料サイクル」政策を放棄することを決したというニュースである。原子力発電先進国のイギリスが、前を走っていると思えばこそ我ら日本人も気強く後に付いて「核燃料リサイクル」なる幻影システムを信じて着いてきたのだが、どうやら前車は消えてなくなるらしい。かくなる上は我らもそろそろ「核燃料リサイクル事業」という幻想から決別する時ではないだろうか?
 上記記事の英国が所有する「100トン超の民生用プルトニウム」なるもののその純度が不明だが、原爆としてのプルトニウムは4キログラムもあれば原爆1個作れると言われているからその潜在的威力はハンパではない。それを敢えて地層廃棄するというのはかなりの決断である。あきらかに世紀の大変革・大決心である。
 ひるがえってわが日本では今後も核燃料サイクル政策を堅持するとこの記事の後半には書かれている。先進国イギリスの決心を聞いても尚こだわり続けるという。青森六ヶ所村に展開している再処理工場の度重なる失敗と、これに要した国費の10兆円を優に超える巨額な浪費と併せて考えれば、ここは意地を張らずに、そもそも日本の原子力発電導入に師と仰いだ英国が「核燃サイクル政策」から脱却するというのであれば、これに学び追随していくのが「弟子」の礼儀ではないか?
 こういう時に意地を張って、前車の轍を蹴飛ばして走っていってはロクなことは無い。石破内閣の「<非主流派的>判断」に期待したい。




2025/01/31 死刑執行で「真の救済」が得られないのは誰か?

2025年01月30日 21時24分51秒 | 政治
 青葉真司被告(46)は、2019年7月、京都伏見の「株式会社京都アニメーション」の第1スタジオ(当時)に火をつけて、社員36人を殺害し、32人に重軽傷を負わせたなどとして、殺人や放火などの罪に問われ、昨2024年1月、1審の京都地方裁判所は事件当時被告には十分な責任能力があったとした上で死刑判決を言い渡した。被告と彼の弁護人は、これに対し判決を不服として事件当時の責任能力の有無の評価をめぐって争う方針を示し控訴していた。
 しかし、それにも拘らず一昨々27日被告本人自身が控訴を取り下げたことが大阪高等裁判所から発表された。新聞報道の行間を読むと「取り下げ」は弁護人では無く本人の独断のように読める。一体どのような経緯が弁護人との間または単独で有ったのか?無かったのか・・・?? これにより裁判は予期に反して終了し、青葉被告の死刑が確定することになるが、かくも歴史的な大事件・壮絶な悲劇が大きな未解明部分を残したままで歴史年表の字面だけを残したまま、「忘却とは忘れ去ることなり」とばかりに以後の残り時間はただ淡々と歴史の舞台からフェードアウトしていくことになりそうである。
 日本の「死刑制度」では、刑は絞首刑という残忍な方法で実行されるのだが、そこには犯罪者に対する精一杯の報復観念が込められているように思われるが、さまざまな言説が「生と死」について語られていることを承知しながらもなお、被告にとってその瞬間に至る一定時間の恐怖を越えればそこから先は「無」になるだけである、というのが現代科学の理解である。
 それでも、被害者やその身内、およびすべての同時代人にとってこれで納得がいくのであればそれはそれでバランスするのかもしれないが、これではいかにもビジネスライクに過ぎないのではないか? この被告の行動はあまりにも死者に対する罪障消滅の念が希薄で安直に過ぎ、筆者には敵前逃亡された気分が捨てきれない。重大犯罪に十分見合う時間をかけた徹底した反省と贖罪が無ければ無残にかつ故なく命を奪われた被害者の魂は納得しないのではないだろうか? 
 この事実を報道する新聞記事によれば、「事件で亡くなった女性アニメーターの母親は『1審で死刑判決が言い渡されているので、いまさら何を言われても驚きませんが、なぜ取り下げたのか知りたいとは思います。36人も亡くなっているので、死刑しかありえません』」と話しています」(2025/01/29東京新聞)と新聞は淡々と報じている。が、果たしてそうだろうか?、これで遺族は本当に納得できるのであろうか?。刑が執行されて物言わぬ無生物となった加害者に何も働きかけられない「不条理」を容易には受容できないのではないか? 本当は、彼が獄中で苦しみもがきながら心底反省し被害者一人一人に魂の贖罪を求めるべく真人間になってこそ、そこに至る道程を受容できるのではないか?、いな、それしか救済されないのではないか?? 「死刑」という制度の矛盾と非人間性がここに潜んでいる。




2024/01/29 ついに、マスメディア再生の最後の機会

2025年01月28日 20時34分53秒 | 政治
 日本国内地上波テレビ業界最大手のフジテレビ(株)が、「あわや?!」の存立危機事態に立たされている。一昨日1月27日夕4時の同社記者会見の冒頭1時間ほどを見たが、居並ぶ経営幹部の周章狼狽ぶりは相当なものとお見受けした。果たしてこの人たちに、このカオス状況を沈静化する能力があるのだろうか?、と筆者は実況放送を見ていて、他人事ながら大いに心配になってきた。
 一部週刊誌報道によると、同社テレビに出演中の人気タレントによって、同社女性アナウンサーが性的犯罪被害を受けたが、それについては単にそのタレント一人の「犯罪」ではなく、フジテレビ(株)の幹部スタッフらの裏からの支援があって実行されていたこと、この「事件」の解決に驚天動地の賠償金が支払われていたという「週刊文春」記事の暴露がコトの「発端」であったという。しかも、このような衝撃的な事件はこの一件のみでなく類似事件がまだまだあるという情報も出回っているという。あまりに荒唐無稽であるゆえここではコトの存・否については問わないが、天下の巨大メディアがかくの如き疑いを受けていること自体が、私たち同時代人として大いに「恥じ入」らねばならない醜態であろう!
 筆者は、この話題のタレントが出演しているという番組を、フジテレビ以外も含めて見たことが無い。いやしくも日々に生起する「社会問題」を「門前の小僧」たる素人人気タレントに語らせて、それをそのまま茶の間の無垢の素人に送りつける危険。その結果が、この国をあげての政治の衰弱/堕落、政治家の劣化に結果していないだろうか?と不愉快に思っているからである。
上記話題の主人公は、東京を中心に活躍していた人気グループ出身タレントの一人であったが、大阪を中心に活躍していたお笑い芸人も同じように政治ネタ報道にコミットしていて、同じように週刊文春に暴露された性犯罪に手を染めていたという。実は、彼らはフジテレビだけに出演しているのではない。夫々東京・大阪在のキー局に出演している。たまたま不適切な行為の発覚の舞台がフジテレビであったというだけで、同局関係者がたまたま事件に巻き込まれただけだと言うかもしれない。
 この国の、政治・行政のレベルはメディアの視聴者に媚びない批判者としての報道機関が高いモラルで真相を報道する緊張関係の中で維持されるべきものである。もう一度、紙(新聞)と電波(放送)はその原点に立ち帰って、民衆に媚びず、社会の木鐸としての役割を果たしてもらいたい。そうであればこの度のフジテレビ騒動はこの国のマスメディア再生のチャンスを開いた良い機会となるであろう。今はもうマスメディア再生の最後の機会である。



2024/01/27 実に心許ない時代に突入したものだ

2025年01月26日 20時39分28秒 | 政治
 実にさまざまな奇態を弄してきたドナルド=トランプ氏が、日本時間21日、第47代アメリカ合衆国第47代大統領に就任した。就任式のパフォーマンスは、「WHO=世界保健機関からの脱退」や地球温暖化対策の国際的な枠組み「パリ協定からの離脱」など実に100本を超える大統領令を、本来大統領執務室で行うべきこれら署名を大会場に寒中を押して集まった支持者(衆愚?)の前でサインして見せるというパフォーマンスを披歴した、という。
 如何にも「吾輩は実力者である」というパフォーマンスを見せつけているつもりなのかも知れないが、当人の思惑とは裏腹に、この姿は第二次世界大戦後に自他ともに認めてきた「覇権国家アメリカ」の終焉を宣言するパフォーマンスとなっていたように、乱視の筆者の眼には見えたのであるが・・・。
 そもそもヘゲモニー国家としてのアメリカの存在は1980年代には、既に完璧に失われていたのであったから、「何を今さら!」の感無しとしない。が、トランプ氏の知性と教養ではそのような認識は持ち得ず、世界に向かって専ら虚勢を張ってこれからも見せ続けるのであろう!
 数ある大統領署名の中には「<不法>入国者」の追放なども含まれているというが、トランプ氏の最大の支援者が蝟集するアメリカ中西部農業地帯では中南米からの「不法移民」こそが労働力として農業大国アメリカの食糧生産を担っていると聞けば、ニューヨークのマンション会社の旦那の意識ではその必要性についての見識は遠く及ばないのであろう。
 こうして身も心も100年前の自閉的国家アメリカに先祖返りしたアメリカに、未だに親分とも指導者とも信じて追随してきたわが日本国は、第二次トランプ政権となった今、経済・安保・文化、ありとあらゆる外交部面でどう対処していけばよいのであろうか? 第一次トランプ政権時代の安倍政権のように甘言・献上・抱き着き手法ではもはやトランプ氏の歓心をものすることは不可能なように見えるし、第一、安倍氏と違って石破氏は教養が邪魔して?ゴマスリが似合わうまい!
 トランプ復権とは、ヘゲモニー国家としてのアメリカ合衆国の終焉のシンボルである。過去八十年、良くも悪しくもアメリカに追随・同伴し、英語をよく話し、聴くことができることが対米外交の要諦であったが、「一強アメリカ時代」は終わり、内政・外交ともに世界史的変更が必要な時代を迎えている今、歴史的急カーブのハンドル捌きをアメリカ一点張りの外務官僚任せでよいとは思えない。日本の政治には、この究極の危機にあたって対応できるだけの世界史的認識と知性の持ち合わせが有るのだろうか? 実に心許ない時代に突入したものだ。今日から通常国会論戦が始まる・・・



2024/01/24  テレビメディアの終わりは近い!?

2025年01月23日 20時35分57秒 | 政治
 1953年2月1日、日本でテレビ放送が始まって今日で間もなく満72年。早いもので、あと3年でTVメディアも御年75歳、若いとばかり思っていたテレビも「後期高齢者」の仲間入り? たしかに様々な角度から眺めて見てTV業界の高齢化は著しい。
1983年のこと、テレビ放送開始30年記念と称して、NHKと民間放送連盟が共催で「テレビ30年記念論文募集」という企画が発表された。筆者はこれに応募して、一等の最優秀賞は逸したが二等優秀賞に選ばれて賞金30万円と盾を戴いた。賞金はもちろん、頂いた盾も何処へ行ったか今身辺には見当たらない。
筆者はそこでErich Frommの「To Have or To Be」(日本語訳「生きるということ」)を引用しながら、その時までの30年を今後もそのままに外挿していくのであれば「専ら物質世界の充足を促すだけのテレビ放送は『量的テレビ(持つテレビ)』に過ぎず堕落して「sるべきテレビ」にはなれないであろう。人々の『生の充実』に応えられる『ヒューマンな媒体=To Be(あるべき)TV』にならなければ、何時の日かTVとTV放送は人類の堕落に手を貸すだけの仕組みに堕していくであろう」と、悪口雑言を書いた。どうせ賞にありつけるなど思いも及ばなかったから存分に激しく、当時の騒々しいだけのテレビへの鬱憤を晴らす挑発論文を書いて投稿した。無論、歯牙に係るなどとは全く思っていなかったから思いのたけを書いたつもりだったが、「優秀賞」と言われてびっくりしたのと、業界への悪口で満ちていたから少々首を縮めて表彰式に臨んだ記憶が今に残っている。
 授賞式の夜はNHKや民放連の皆さんと、内幸町から新橋駅辺りで飲み歩いた記憶がまだ残っている。そのときの二次会に蝟集した若い人たちは次の30年への確固たるパースぺペクティブを持っているようには見えなかったが、それでもそこで不安な話題も語られていたように覚えている。
 以後、TVは送受信双方においてデジタル化が進み、並行して通信メディアの参入の中で回り中に敵だらけの「盛況?」状況の中で行く手を見失っているように見られる。そんな停滞の中でモラルを喪失した火の手が、昨今東京8チャンネル=フジテレビから急に燃え上がっている。
 インターネット網を通じて通信されてくる映像は、そのシステム特性としてエンドツーエンドの個人的情報交換だが、そこから発せられる低俗性は原理として個人的である。これに対して電波を介したTVはブロードキャスティング、原理としていたって広い視聴者に共有されるコンテンツであって、個々の受け手に対して通信するネットの映像とは似ているが非なるもの、それにもかかわらずネットのレベルの低俗さをブロードキャスティングする民間放送局。この段階で最早放送事業者にあるまじき資格を失った状況となる。
 フジテレビの事態は、他の民放局においても五十歩百歩の状態で、おくびにも褒められたものとは言えない。筆者が50年前に懸賞論文に書いた「あるべきテレビ」からは、なおはるか彼方に遠のいていったテレビ!。終末は近い!。