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日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

兵庫県知事の第三者委員会という逃げ道

2025年03月26日 07時50分00秒 | 政治
 近頃頻々と「第三者委員会」なるものを耳にする。「企業・団体など各種の組織において不祥事が発生したとき、調査を実施し、証拠に基づいた客観的な事実認定を行い、これを評価し、原因を分析し、かかる調査結果に基づき、再発防止等の提言を行う組織」というのが一般的な定義らしい。最近では、フジテレビのようにモラルが強く求められる企業におけるとんでもな不祥事や、兵庫県庁で生じた知事による独善的・独裁的強権発動に対して組織内部から生じた「うめき声」に対して、その「真相」を求めるという場面で第三者委員会が組織されて話題になっている。
 第三者委員会を立ち上げるのは、生じた問題事案において「強者」側がこれを立ち上げて、「弱者」の言い分をよく聞くことでバランスを取るというのが一般的である。その意味で、民事裁判のような原則的に両者において水平な関係で組織されたものでないという点が「第三者委」の注意点である。そこで、その公平性を担保するという「建て前」から日本弁護士連合会が作成したガイドラインなるものが「規範見本」とされて、さまざまな内輪の争いで参照されているようである。
 今や、内輪の争いに大はやりの「第三者委員会」だが、所詮はここに参加している「委員」は訴えられた方が委員会を「組織化」し、その「費用」も訴えられた方が支払うわけだからこれをもって「水平」などとは言えないのは、仕方ないとは言え、いささか水平さにおいて眉に唾をつけなければいられない。つまり、いくら心血を注いで中立性を主張しようとも「原理」として訴えられた方が、その存在を完膚なきまでに否定されて敗北するなどということは有り得ない「原則」であることを承知しておかなくてはならない。
 そういうどうしても白色にして中立でない百条委員会が、兵庫県知事が自身の県政運営において公明正大にして、それゆえに公務員とし不適切な行為を行ったとして断罪した人事行政行為について、これを「不当である」として知事の行為を糾弾する判断を下した。この事実は、あらかじめは発注者(知事)側に「正バイアス」が与えられていたはずの「第三者委員会」において画期的な判断と言わなければならない。おそらく、第三者委員会を雇った兵庫県知事としては「こんな筈じゃなかった!」という驚天動地のどんでん返しであったのではなかろうか?
 兵庫県民にとっては、二元代表制の一方である県議会が百条委員会を立ち上げてすでに知事の「悪事」を裁いていたので、それをもって結論とすべきを、敢えて知事が県民の血税を使って「第三者委員会」を立ち上げ、同一の結論をえたという不経済な出費をされてしまったという二重の損失を被ったのである。それにしてもこの第三者委員会の判断、正バイアス分を考慮すると、百条委の結論より大きい非難を知事に対して発したことになる。知事は、長文の報告書を向こう4年かけてじっくり読もうというのかもしれないが、取り急ぎ概要版で進退を決意されることをお勧めしたい。でなければ、県民は百条委と第三者委に、やらずもがなの知事選挙と巨額の無駄遣いをされただけで「ネズミ一匹」の愚で終わることになる。




「ポケット性別格差」の発見という話

2025年03月24日 08時09分44秒 | 政治
 「携帯電話に財布、小銭、鍵の束。空港の保安検査場でズボンのポケットから取り出す男性客を見るたび、こんなに入るのかと感心する。一方で、女性の私が金属探知機に通すのは全部を収めたバッグひとつだ。服のポケットはだいたい小さすぎるか、飾り用で物が入らない。ポケットの存在が気になり始めたのは、昨年1月に羽田空港で起きた航空機事故がきっかけだ。緊急脱出の際にポケットに貴重品を入れて非難した乗客がいて、その機能が注目された。緊急時にバッグが持ち出せないなら、便利に使えるポケットが欲しい。」(2025/03/22朝日新聞「天声人語」から)
 言われてみればというか、これは男である筆者には、言われて初めて分かった話である。「近くて遠くは男女の仲」を、いい歳をして分かったというと世の女性たちから叱られるかもしれないが、言われてみればそうだろうと言わざるを得ない。洋服に限らず和服の着物の袖も含めて婦人の服装ではポケットはすべて美的表現のパーツであって、実用性は考慮の外になっているらしい。
我ら男たちはズボンの前側に左右二つのポケットが、お尻の方にも一つまたは二つの小ぶりのポケットが付いている。上着が背広ならば大きなポケットが表・裏に四つ五つ有る。クレディットカード・パスポート・名刺の入った財布、ハンケチ、携帯端末にトランクキー等々、昨年正月の羽田事故、燃え上がる日航機から脱出するにあたって旅行鞄を開けなくても貴重品は肌身に着けて脱出可能だったのではなかった?か。これが、女性ではポケットがあってもこれら所持品の殆どはトランクの中で、緊急避難時には持ち出せない。命の安全は保障されても、貴重品小物類の復元は不可能だったのではなかったか?。
 これをもって声高に衣服に関する「性差別」であると言うのは当たらないとしても、「性差異」ではある。天声人語女史の語るには、「『洋服のポケット性差』は19世紀前半に始まったという。それが、ジーンズやスーツが女性に普及してもなお、ポケット格差はコストを抑えるという商業政策によって維持された」という。なるほどこう聞かされるとこれもまた悪意は無くとも「性差別」の一種ではある。
 だが、一方で男性なみに大きなポケットでいかついデザインになったら多くの女性から歓迎されまいから、服飾デザイナーのプロフェッショナルの皆さんには、大いに知恵を動員して服飾革命を図ってもらいたいものだ、と記事を読みながら思った次第である。




オウム事件から30年をつぶさに検証してみては?!

2025年03月21日 07時26分19秒 | 政治
 昨日3月20日は、あの忌まわしいサリン事件30年目の記念日であった。筆者は、あの日午後一時から、名古屋の某ホテルで開かれる経産省の地域情報化委員会に委員長として参加するために、自家用車で家人同道して朝早く出発した。中央自動車道下り線を岐阜県に入った頃に音低く点けていたNHKラジオが「臨時ニュース」として、都営地下鉄丸ノ内線・千代田線などで傷害事件が発生したという放送の第一報が聞こえてきた。
 後部座席で寝込んでいる相棒を起こさない程度にラジオのボリュームを上げて待っていると、やがて現場の惨状が次々と続報されるようになり、その惨劇の尋常でない状況が、もはや現場からの実況放送される状態になった頃に名古屋の目的地に着いた。
 午後から始まった会議は、専ら事務局から事件の状況報告が長々と続いて、予定時間を倍以上も経過して終えたのであった。事務局の職員たちは皆、この「会議」が無ければ朝の通勤時刻に現場付近にいたはずだと語り、揃って胸をなでおろしていた。最終回にあたった会議は午後5時から懇親会が開かれたが、東京からの参加者は異口同音に生死を分けた運命の偶然に合点がいかないと口々に語っていたのを、あれから30年の今日、今更のように思い出している。
それにしてもこのオウム真理教が起こした一連の事件史、1989年11月には坂本弁護士一家4人殺人事件ではオウム関与が週刊誌などでは書かれていた。これを皮切りに、オウム真理教は常々大衆ジャーナリズムでは話題になっていたし、極めつけは1994年6月の松本サリン事件で「松本市北深志の住宅街で毒ガス(サリン)のため死者7人・重軽傷者660人の惨劇が発生。あろうことか長野県警は第一通報者の河野義行さんに嫌疑を集中させて混迷した。死者8人の中には河野夫人も入っていたのだが、教団に全責任があるとはいえ何とも後味の悪い思いの残った「悲劇」であった。
 1994年9月山梨県上九一色村のオウム道場付近で原因不明の樹木枯死が起こり、住民がパニックに陥ったという事件が発生。歴史に「if」は無いとは言うが、この時警察が住民の訴えを謙虚に聞いていればその後のクライマックスへの上り坂を登らずに済んだのに、というのは繰り言に過ぎないか??。遅過ぎはしたもの、明けて1995年1月には警察庁科学警察研究所によるこの場所での土壌検査が実施され、後で判ったことだが、サリン化合物をこの時検出してもいたのである。にも拘らず、95年2月に、世田谷区の公証役場の所長が拉致される事件が起き、オウムの犯行がいよいよ喧伝されるようになっていた、のにだ!なんとも信頼ならない捜査機関の失態であった。トキの警視総監は山梨県出身であったからなお一層悔やまれたものである。
 あれから一世代(30年)が経過した。オウム事件は、この国があらゆる点で停滞期の入り口に入ったときに起きた。そして今もその政治的・経済的・文化的停滞感は継続している。長い長いトンネルの中にいる。かくなる上は、トンネルから無理やりに抜け出そうと焦るのではなく、もう一度この30年をつぶさに検証してみてはどうだろう? 巨大な病巣が見つかるかもしれないから・・・。




北陸新幹線延伸 小浜ルートの時代錯誤と愚かさ!

2025年03月19日 07時21分12秒 | 政治
 「北陸新幹線が金沢駅(石川県)から敦賀駅(福井県)まで延伸され、この3月16日で1年を経過した。関東、関西、中京圏などと福井県の所要時間は短縮され、県内では観光客が増えるなど、経済面では明るい兆しを見せた。敦賀駅から先、新大阪駅までのルートはどうなるのか。与党内では2016年、福井県小浜市を経由して京都駅や新大阪駅に至る<小浜・京都ルート>を採用している。だが、24年12月、目標としていた25年度中の着工を断念した」(2025/03/15 毎日新聞)
 「断念した」には「訳」があるはずだ。そこには、この計画がもはや「無謀」以外の何物でもないという「時代的な理由」が有るからに違いない。それは、もはやこの「計画」が「時代的」に無意味な計画だからに違いない。その「時代的」無意味さはすでに「北陸新幹線」という発想自体がすでに1960年代的なそれであったこと、そして21世紀に入った時代には東京と北陸を鉄道で結ぶことは、情報ネットワークの発展をうけて、無くても良いが「有ったらいいね!」というレベルの重要性に落ち込んでいたはずだ。まして、この線路が4兆円余の無駄金かけて、小浜経由京都→大阪行きの地下新線を掘る必要を要しない。
 敦賀と大阪は目と鼻の先だ。時間一本の北陸新幹線からの米原接続を確保するダイアの余地は、行く行く人口減や日本経済の収縮も考えれば、東海道新幹線のダイアで十分確保できるはずだ。かくて、上記の「断念」とは、過剰システムとしての北陸新幹線の冗費を、万が一の保険として担保したと考えれば説明がつくと言うものだろう。旧国鉄の東海道と北陸両本線の知恵に学べば東海道・北陸両新幹線が米原で合流することは何の不思議も無いコトである。
 まして、小浜経由の計画は古都京都を地下で結ぶというが、そこは盆地の地下はもう一つの琵琶湖かも知れない。噴き出す水に含まれるかも知れない「放射能の存否」に重ねて、その水脈の破壊が3千年の魑魅魍魎を引っ張り出すことになるかも知れず都人の不安をかもすに違いない。上の記事中には、「その中で、カギを握る存在となっているのが『京都』だ。25年度中の着工断念の背景には、京都ならではの事情がある。『(国土交通省の説明に)確信が持てない』北陸新幹線の延伸を巡って京都市の松井孝治市長がそう発言したのは、24年8月の記者会見だった」(同上)、とある。
 すでにオーバーツーリズムに悩まされている京都、一方で観光収入でアフアフしている有名寺院にしてみても、寺の下を超特急の走る振動音は聞きたくない騒音に違いない。千年の古都の静寂を揺るがす新幹線超特急は夢も幻想も破壊しつくす魑魅魍魎であり災厄に違いない。
 小浜経由大阪南部終着計画案は、完成が何時になるか危ぶまれているリニア中央エクスプレスもと処を一にする計画とも聞く。その過剰な計画のアナクロニズムは誰が考えても実現できるものとは思えないのだが・・・




汚染した「水脈」で<良識の府>が危機に陥る!?

2025年03月17日 08時10分00秒 | 政治
 「自民党が今夏の参院選比例代表で公認候補に決めた杉田水脈元衆院議員は9日、自身のアイヌ民族や在日コリアンに対する差別的言動に関し、公認の選考過程で執行部から問われることはなかったと説明した。党大会後、記者団の質問に、『投稿したブログは削除し、謝罪している。終わった問題だ』とも語った。杉田氏の差別的言動は法務局から人権侵犯認定されている。派閥裏金事件で、旧安倍派の杉田氏は政治資金収支報告書に不記載があったものの、衆院政治倫理審査会で弁明していない。『政倫審に出席せずに、昨年の衆院選で公認を得た人はたくさんいる』とも強調した。参院選で当選した場合、政倫審で説明する考えがあるかどうかを問われると『党の決定に従いたい』と述べた」(2025/03/09 共同通信)
 ヒューマニズムにもとる数々の暴言を、国内外を問わず拡声・発信してきた<問題の人物>を、天下の公党にして政権与党=「自由民主」党が「公認」して国政選挙に、とりわけ実体はともかく原則として「知性の府」と称され、またそのように「要求され」・「期待」もされている参議院の次期議員改選選挙候補者として担ぎ出すという。
 政治思想・哲学において、概してレベルの低い現代日本の国会議員の中にあっては、よく読書もし、そこから得たのであろう政治哲学を独特の口調で語り、ただただ利権嗅覚だけで蠢く人ではないと、筆者が勝手に思っていた石破茂自由民主党総裁が、あろうことか杉田水脈元衆議院議員を今夏に予定されている参議院選挙の候補者として党公認候補として出馬させることを承認したという。
 この話題の人物杉田水脈氏は、その知的貧困さゆえに故安倍晋三氏に気に入れられ、衆議院中国選挙区の補欠名簿に常に1位指名されてきたために、常勝選挙を続けてきた。それゆえに選挙民の選択判断に阻害されることもなく世論の批判を受けないまま当選を続けることができ、政治資金規正法違反が指摘されるまで「選良」の一員として紛れ込んできたのであった。しかし、今回は「知性の府」とウソかホントかは判然としないが、そう呼称されることのある「参議院」への<単純>鞍替え、許されるべきでないことは論をまたない。
 党内野党的存在で、政権基盤の脆弱さは承知の上で、心ある国民から忌避される人物を除外できない石破氏の政治的度量の限界はただ絶望する以外に言葉を失う。一部に、公職選挙である以上その判断は選挙人に任せばよいという意見を聞くがそれは違う。天下の公党、それも戦後80年の殆どを政権担当してきた党派=自民党だ!、政権政党として自ずと有すべき根本的基準に照らして判断されるのは当然だ! 
 残念ながら、石破茂総裁のその判断は間違っている。国民を甘く見るな!