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日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

難解語を多用する石破首相

2025年04月07日 07時14分41秒 | 政治
 「石破茂首相が『石破カラー』を見せるのは国会論戦の場だ。『違背(いはい)』など難解な言葉を多用し、今後の取り組みに触れれば『配意する』。『なかりせば』『おこのう(行う)』など古風な言い回しも好んで使う。専門家は『丁寧に言葉を選んでいるが、インパクトのある表現も心がけるべきだ』と指摘する」(2025/04/02朝日新聞)
 石破さん、さすが読書家をもって自認するだけの人、聞けば駆け出し代議士時代、週末には選挙区鳥取に帰るにつけて長い時間列車に閉じ込められるので、いきおい鉄道オタクはもちろんのこと、読書量が増えて語彙が豊かになったとか、ならなかったとか?。
 聖書にも「はじめに言葉があった」というくらい、語彙の無いところに新規の発想は生まれない。何は無くとも政治家は豊かな言葉が無くてはつとまらない。貧弱な語彙のため貧困な思想のままに最高権力者の座を勤めちゃった人も沢山いる。その例を上げれば、内閣総理大臣を勤めちゃったA元首相の発語例のほんの一端を上げれば:怪我(かいが)、完遂(かんつい)、焦眉(しゅうび)、順風満帆(じゅんぷうまんぽ)、思惑(しわく) 低迷(ていまい)、破綻(はじょう)踏襲(ふしゅう)未曽有(みぞゆう)、有無(ゆうむ) 詳細(ようさい)稀有(きゆう)・・・( )内はご当人様が発話したままを書いた。
 これとは別の内閣総理大臣の一例、元経団連会長の葬儀で内閣を代表して弔辞を読む中で仏さまの「謦咳(ケイガイ)」を「ケイガン」と読む。第一、「仏さまの謦咳」など話題に出すのが呆れるが、その折の演説草稿がテレビカメラにクローズアップで捕らえられてしまい、その映像に「国会」、「他人事」、「脱却」、「早期」、「警察権」、「活気」、「巡視船」等々の漢字に全ルビが見えてしまった。その他にも、画一的(がいちてき)、莫逆の友(ばくしんのとも)、背後(せいご)(これは国連総会の議場での「一般討論演説」で)などと「朗読」してしまったが、同時通訳は演説原稿から英語に翻訳したはずで、笑ったのは日本人だけだったであろうから実害は無かったのであろう?
 「総理大臣でございますから、森羅万象(・・・・・・・・)全て担当しておりますので、日々様々な報告書がございますから、その全てを精読する時間はとてもない。世界中で起こっている電報等もあることをご理解いただきたいと思います」(2019/02/06参院予算委 国民民主党足立信也氏が、「毎月勤労統計」の不正調査の報告書を読んだかどうかを質問した、その答弁)。
 他にも捧腹絶倒物語は数え切れないほど有る日本史の中で、石破茂さんという、久々に語彙の豊かな総理大臣が現れたというのが筆者の第一印象であった。しかし、どうも市井の評判はあまり芳しくない。冒頭新聞記事の締めくくりは、米国ユタ大学の東照二教授の意見として、「(石破)首相は情報を詳しく説明するリポート型で、感情を込めたラポートトークが弱い」と分析。言葉遣いは謙虚だが、聞き手に官僚的な印象を与えると指摘する」(2025/04/02朝日新聞)と折角の豊かな語彙が空回りをしている、というのだろうか?政治は言論、言論は言葉、だが言葉に真実が込められないと政治にはならない。




アメリカは、もはや「あのアメリカ」ではない!

2025年04月04日 07時39分53秒 | 政治
 「トランプ大統領の方針のもと科学研究に対する連邦政府の資金援助が大幅に削減される中、ノーベル賞受賞者を含むアメリカを中心とした科学者およそ2000人が「科学界への攻撃」を止めるように求める書簡を公開しました。31日公開された書簡には、C型肝炎ウイルスを発見したアメリカの科学者ハーベイ・オルター氏などのノーベル賞受賞者を含むアメリカを中心としたトップクラスの科学者らおよそ2000人が名を連ねています」(2025/04/02 NHK)。
書簡には「米国政府による80年以上にわたる賢明な投資が、世界がうらやむ今のアメリカの研究体制を構築した。トランプ政権は研究への資金を大幅に削減し数千人の科学者を解雇してこの体制を揺るがしている」とも述べているという。「80年」どころか、アメリカ合衆国は20世紀初頭から今日まで100余年にわたる世界の科学・技術研究をリードしてきた。1921年ニューヨークから世界を席巻した世界恐慌に対して、ヨーロッパ各国=英国やフランス・ドイツなどを後ろにして真っ先に乗り越えたことが契機となって、以後今日に至る100年の世界の新知識・新技術を支配してきたのは、自由な研究環境と官民による豊かな研究費の投入が有ったからこそであった。それは、それをうらやむ世界中の意志のある者たちを励まして、アメリカに蝟集させ、なお一層アメリカを舞台とした新技術新経済が生まれ、結果として米国政治が世界支配できた原動力でもあった。トランプ氏はそういうアメリカの歴史的な立ち位置を放棄しようというのであろう? もはやこの100年のパラダイムに疲れ果て、トップランナーの地位を逃れようというのであろうか? その結果として今までアメリカが立ち位置とした世界戦略も放棄するというのであろうか?
たしかに合衆国の世界における諸インデックスが前の世紀におけるオキュペーションからは大幅に落ち込んでいる。トップを走ってはいるが、二位以下をはるか霞の後方に見ているというのではない。事実、20世紀中期に支配的であった重化学工業は見るほどのものは無く五大湖地方の「ラストベルト」はその歴史標本になっている。そして、その米国資本主義の歴史的遺跡こそトランプ氏をホワイトハウスに送り込む原産地にもなっている。
どうも、トランプ氏の行動や発言を見る限り如何ほどの覚悟をもって行動しているのか見えてこない。日本製鉄のUSスチール買収に対する激しい妨害行為は、アメリカ原産の自由経済パラダイムの徹底的放棄にしか見えない。今更にしてUSスチールを買い取ろうという日鉄の時代感覚も筆者には理解できないが、アメリカの五大湖地域に鉄鋼産業を再興するというトランプ氏のアナクロニズムはご乱心としか言いようが無い。
こう見てくると、トランプ政治のすべてが「パラダイム」を論じる類のものとは思えない。ワクチンや医療制度を長年批判してきたケネディ元大統領の孫ロバート・ケネディ・ジュニア氏が厚生長官として保健行政のトップに就くという事実を見るにつけてもパラダイム論を論ずるような話ではない。ただ、アメリカの夕暮れが近付いているだけ、それがトランプ政治のすべてではないだろうか!?



世の住みづらさの根源にある「固定」観念

2025年04月02日 07時44分07秒 | 政治
 「手足が不自由で電動車いすを使う香川県の公立中3年の男子生徒(15)が、設備面などを理由に入学を断られた県内の私立高を腕試しで受験する際、交渉に当たった中学校長から『合格しても入学しない』との確約を求められていたことが30日、分かった。生徒と保護者は約束の上で1月に受験し、合格通知を受け取った。その後、公立高に合格した。文部科学省は改正障害者差別解消法に基づく対応指針で、正当な理由なく障害者だけに条件を付けるのは不当な差別に当たるとしており、保護者は不満を募らせている。中学校長は取材に『公立高の腕試しで受験することを私立高に示す意図があった。受験を認めてもらうためには致し方なかった』と話している」(2024/3/31共同)。
 なかなか進まないこの国のノーマリゼーション(Normalization:1950年代に北欧諸国から始まった社会福祉をめぐる社会理念の一つで、障害者も、健常者と同様の生活ができるように支援するべき、という考え方「Wikipediaから」)に係るレベルがまだこんな程度で停滞・混乱している、という事実を報道した新聞記事である。
 過去にそうであったように、ここに出てくる「私立高校」は障碍者を受け入れないことを校是としていた学校で、記事中の中学校長(校長ばかりかこの中学校の他の教員も共通理解だったのだろう、が)は、今も受け入れないであろうと観念的に理解していたので、この生徒の受験は無駄だと思い、推薦状の発行に消極的であったのだろうが、当人や家族の意志をもだし難くシブシブ願書発行を承認したのであろうと想像される。ところが、この話題の私立高校の方は今やかつての障害者排除の原則を改めてしまっていた。同じくそうとは知らない受験生本人とその両親も、それゆえに低頭・懇願して受験許可を私立高校に提出したのであろう。中学校長は、あくまでも「お試し受験」であると先方の私立高等学校長に向かって言ったかどうか知らないが、遠慮がちに出願書類を発行したということであるらしい。
 中学校の校長・担任らの予期に相違して結果は合格であった、という。良かった!。つまりこの私立高校はノーマリゼイション方針に切り替えていたのである。その意味で、この記事は「美談?」なのであるが、問題は障害者とその周辺にある「常識」とよばれる「認識」そのものの開明の立ち遅れが「棲み辛さの」根源になっているという、これは世間にはびこる一例なのではないか?。そして、これこそが世の棲みづらさの根源にある「固定観念」の大きな一つでもある。 
 記事は「文科省の指針は、障害者との対話を通じて相互理解を深め、対応策を検討することを求める。指針を知らなかった保護者は、私立高と直接対話する機会がないまま、中学校長の求めに応じて約束していた。『一方的に我慢を強いられ、中学校長からも受けさせてもらえて良かったね、という雰囲気を感じた」と振り返る。(同上記事) 
 世は遅々として進歩している・・・、らしい。




「蜜月破綻 司法も断罪」・・・

2025年03月31日 07時49分16秒 | 政治
 ・・・いう見出しで、東京地裁が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に対して解散命令を判決したことについて各紙は一斉に報道した。曰く、「安倍晋三元首相銃撃事件後、蜜月関係だった自民党に手のひらを返され、司法からも宗教法人にとって『死刑宣告』(教団関係者)と言える命令を突きつけられた。200億円を超える献金被害を裏付け『改善は期待できない』と言い切った地裁判断の意味合いは大きい。覆すのは容易でなく、教団が現状のまま存続するのは厳しい状況になった」(2025/03/25共同)。
 おそらく上の記事は若い人たちには判然としないのではないだろうか?、と思いながら筆者はこの記事を読んだ。冒頭の「安倍晋三元首相銃撃事件後、蜜月関係だった自民党に手のひらを返され」というところが先ずは難関で、統一教会と深いつながりで蜜月の関係にあった安倍首相が、統一教会の存在を憎んでいた青年によって殺害されたのであるから、統一教会は事件の「被害者」の立場にあった。そして、その統一教会は自由民主党の実に多くの国会議員の選挙を支援する関係にあったから、両者は同じ「不幸」の岸に置かれていたのである。
 ところで、統一教会の創始者文鮮明によれば日本国は「サタン」の国であり、そこに住む日本人はすべての朝鮮人を支配し、彼らを酷使した「悪魔」であり、よって「サタンの申し子」である。それゆえに信者一家の「解怨」という宗教行事がこの教団の日本人信者には要求され、教団の財源になるのである。これは、日本が朝鮮半島を植民地としたことによる歴史への反抗心が文氏の確信であったからに違いなかろう! 他方、岸信介は国家主義者であり、文氏のこの考えには断じて同意するものではない。まして、その祖父岸を神のように信じていた安倍氏もまたこれを容認するわけもない。この個人と国家との大きな矛盾が、この問題の底辺にわだかまっているのである。
 安倍晋三氏が、統一教会を憎んでいた青年に暗殺されるに至った理由は、安倍氏の祖父=岸信介元総理大臣が、統一教会創始者の文鮮明氏と入魂であったことによるという濃い血のつながりにあった。それゆえに、教団は自由民主党の、とりわけ安倍派衆参両院議員の支援に熱心であった。しかし、安倍氏が好意を寄せる統一教会の熱心な信者を母に持つ青年が安倍氏暗殺の挙に出た。青年は、この宗教団体に母と母を通じて搾り取られた家財の喪失が自身と一家の不幸の原因であったと確信していたからである。これは小文字で書いた植民地主義的行為でもあるのだが。宗教は世俗社会の政治とは無縁であることを原則とする。という理解がこの国では国民的理解になっている。それなのに、政治家安倍晋三氏は「統一教会」と蜜月の「矛盾関係」にあったこと、それがこの教団に不満を持つ青年によって白日の下に晒されるという衝撃的な事態を惹起した。これによって、この教団の宗教性よりも世俗的性格が露出されることになって、政治団体としての自民党の俗物性もまた露出するところになった。
 自民党の「政教分離」がしっかりなされ、知性と理性を回復しない限り党勢の挽回は難しかろう。この政党と日本という国にとっても、岸的・安倍的矛盾の一掃が今喫緊の課題である。




どうする? 明日の郵便局の生き残り方

2025年03月28日 07時16分12秒 | 政治
 「老朽化などで移す郵便局の移転先の不動産を、郵便局長が取得して日本郵便に貸し出す動きが復活している。取締役会への虚偽報告の発覚で一時停止したが、朝日新聞の調査では、過去2年に移転した郵便局のうち26局が局長の所有だった。こうした局舎も含む郵便局網を維持させるため、年650億円規模の財政支援を自民党が検討している。」(2025/03/24朝日新聞)
 1871年1月24日郵便創業.「郵便役所を東京・京都・大阪に開設.郵便切手発売開始」。御年取って154歳、これが日本の郵便制度の「年齢」である。筆者の理解では、日本の郵便の始まりは、江戸幕府政権最後の年1868年パリ博覧会に渡仏した徳川15代将軍徳川慶喜の弟昭武に随行した甲府勤番の下級役人だった杉浦譲(1835-1877)がフランスの郵便制度にいたく感服してこれを当時の日本の政治・文化に合うように考案し、鹿児島藩士前島密を長として創業したものと解釈している。
 この折の必要十分条件としては、信用できる人材を広く全国にわたって組織化できるか?どうかが大問題だった。そのためには、「官軍」であれ「賊軍」であれ、敵・味方の反目に燃える人物ではなくて、新時代に夢を想像できる人物で、かつ金銭的に豊かな信頼できる人たちでなくてはならない。いきおい名主・地主・大商人というビジネス感覚の優れ、地域に親油のある名家の当主を糾合し、彼らをネットワーク化していくことが必須条件であった。その力仕事ができたのが若き杉浦譲であったのであろう。
 かくて糾合された郵便ネットワークの中核は、明治・大正・昭和と強固な血縁を続けて今日に至った姿こそが日本の郵便制度の現姿ではないか? 郵便ネットワークの結節点の郵便局舎は手っ取り早く、このネットワークに参加した者たちの提供する自宅であったり、縁戚であったり私物の提供によってこれが郵便「局」として網結節したものであって、これらの全体が日本の郵便網であった。今に残る「郵便局長会」は、そのDNAの濃淡は様々とは言え、「血は水より濃い」何らかの血縁者たちなのである。
 上の新聞記事はまさに日本の郵便制度の出生の秘密=結縁=血縁が、同じく自由民権以来の政治的人脈とも混じり合いながら今日までDNAをつなげてきた「なれの果て」の姿であると言ったら、どんな反論が返ってくるだろうか?
いま郵便を取りまく環境は1871年の創業以来最大の荒波の中にある。情報ネットワークの普及によって信書の質と量が圧倒的な影響を受けている。そうでなくても日本人の信書の交換数は少ない(米国人の100分の1とも言う)ところへもってきてインターネットの普及が便宜なやり取りを異常なまでに発達させてしまって、郵便のやり取りは限りなくゼロに近づいている。
 郵便以外の金融ビジネスは国営ゆえに、また遅れて近代化した国柄ゆえにそれが許されていたものを小泉純一郎氏の怨念を起点にこれを民営化した結果、生き馬の目を抜く金融ビジネスに「郵便ネットワーク」は不適応であることに気がついたが、これは「後の祭」。政府は、明日の郵便局の生き残り方をどうするか?。残る時間ははなはだ僅少。