オランダの話しはちょっと休息して。
久しぶりに自分のお話をします。
私は、花の仕事が大好きです。
今は、店、教室、イベント活け込み、婚礼、雑誌の撮影そして、本の出版。
花を通じて出来うる仕事をいろいろとさせていただいております。
私が店だけではなくて、こうしたたくさんの仕事をするのは、
自分自身の何かを表現したいというようなアーティスティックな発想ではなくて、
本当の花の素晴らしさを、一人でも多くのみなさまに、
あらためて気付いて欲しい、と思っているからです。
では「本当の花の素晴らしさ」とは何か。
この答えには正解はないのだと思います。
ただ、私自身はこんな風に思っています。
道に生える雑草や小さな花は、踏まれたり抜かれたりしても、
一生懸命生きていて、そして、また再生しようと頑張ります。
そういう、生命力、頑張る力みたいなものは、もちろん素晴らしいと思っています。
一方、それでは、ハウスの中で育てられた花たちには生命力はないのでしょうか。
私が花の仕事をしている理由は、ここにあります。
生まれた時から役割を担っているものがある場合、
その中で出来うる精一杯の努力ということももちろん必要ですが、
その役割を全うすることこそ、最も大切なことだと思うのです。
つまり、ハウスの花は、市場を通じて切り花として使われる、という役割を担っていて、
道ばたで踏まれたり、子供に抜かれたりすることのない代わりに、
大空の下で太陽を浴びたり、風に吹かれて気持ちよくなったり、
全身で雨を受けとめたりする機会もないのですが、
それぞれの場所で、例えば私の店に来れば、
その花に最もふさわしいと思われる花瓶に入れて飾られ、
私やスタッフの手によって、他の花と組み合わされて、
より美しく、そして、輝けるようになって、
お客様の手へと渡されていくのです。
そして、その花だけでは表現しきれなかった何か
(喜びや楽しみや慰めや)を他の花との組み合わせによって、
よりパワーアップさせて、人々の心を動かすことが出来るかもしれない。
それこそが、ハウスで育てられた花の役割であって、
そして、その役割を十分に全うさせてあげること、それが私の仕事なのです。
自分を表現するために花の力を借りるということは、素晴らしいことだと思います。
でも、私は、自分より、まず「花」ありき、なのです。
だから、自分の目で選んだ花を店におくために、自分で仕入れをし、
スタッフには花の扱いを充分説明し、
お客様から質問されれば、どうして、この花をおいているのか、
この花の美しさ、見所は何処なのかを、
掛け値無しにお話しさせていただくのです。
それでも、どうしても、店先で命の最後を迎えてしまった花は、
なにかに使えるものはもちろん使って、
それでも、ダメな場合は、介錯のつもりで花を捨てるのです。
介錯するには、同情心や涙はかえって相手に失礼です。
敬意をはらって、感謝を込めて、そして、おそらくとても厳しい顔で、
心の中で「さよなら」を言うのです。
久しぶりに自分のお話をします。
私は、花の仕事が大好きです。
今は、店、教室、イベント活け込み、婚礼、雑誌の撮影そして、本の出版。
花を通じて出来うる仕事をいろいろとさせていただいております。
私が店だけではなくて、こうしたたくさんの仕事をするのは、
自分自身の何かを表現したいというようなアーティスティックな発想ではなくて、
本当の花の素晴らしさを、一人でも多くのみなさまに、
あらためて気付いて欲しい、と思っているからです。
では「本当の花の素晴らしさ」とは何か。
この答えには正解はないのだと思います。
ただ、私自身はこんな風に思っています。
道に生える雑草や小さな花は、踏まれたり抜かれたりしても、
一生懸命生きていて、そして、また再生しようと頑張ります。
そういう、生命力、頑張る力みたいなものは、もちろん素晴らしいと思っています。
一方、それでは、ハウスの中で育てられた花たちには生命力はないのでしょうか。
私が花の仕事をしている理由は、ここにあります。
生まれた時から役割を担っているものがある場合、
その中で出来うる精一杯の努力ということももちろん必要ですが、
その役割を全うすることこそ、最も大切なことだと思うのです。
つまり、ハウスの花は、市場を通じて切り花として使われる、という役割を担っていて、
道ばたで踏まれたり、子供に抜かれたりすることのない代わりに、
大空の下で太陽を浴びたり、風に吹かれて気持ちよくなったり、
全身で雨を受けとめたりする機会もないのですが、
それぞれの場所で、例えば私の店に来れば、
その花に最もふさわしいと思われる花瓶に入れて飾られ、
私やスタッフの手によって、他の花と組み合わされて、
より美しく、そして、輝けるようになって、
お客様の手へと渡されていくのです。
そして、その花だけでは表現しきれなかった何か
(喜びや楽しみや慰めや)を他の花との組み合わせによって、
よりパワーアップさせて、人々の心を動かすことが出来るかもしれない。
それこそが、ハウスで育てられた花の役割であって、
そして、その役割を十分に全うさせてあげること、それが私の仕事なのです。
自分を表現するために花の力を借りるということは、素晴らしいことだと思います。
でも、私は、自分より、まず「花」ありき、なのです。
だから、自分の目で選んだ花を店におくために、自分で仕入れをし、
スタッフには花の扱いを充分説明し、
お客様から質問されれば、どうして、この花をおいているのか、
この花の美しさ、見所は何処なのかを、
掛け値無しにお話しさせていただくのです。
それでも、どうしても、店先で命の最後を迎えてしまった花は、
なにかに使えるものはもちろん使って、
それでも、ダメな場合は、介錯のつもりで花を捨てるのです。
介錯するには、同情心や涙はかえって相手に失礼です。
敬意をはらって、感謝を込めて、そして、おそらくとても厳しい顔で、
心の中で「さよなら」を言うのです。
明日はのち。
一緒に頑張りましょう
先生の手に触れた花は幸せです。
なぜか私はその瞬間、か細く弱々しいけどりんと咲いていける花になったような気がしました。 花を愛する限り、自分も愛さなくちゃね、なんて。
どうして、こうもいじめっ子なのでしょう(笑)。
自分を愛することは本当に難しいけれど、
花の中に愛する何かを感じ取れるとしたら、
それは、あっこさん自身の愛すべき点なのだと思います。
愛するという行為は、いつでも、鏡なのでしょう。
でも、どの場合でも、生きている「花」と、
相対するということは、本当に大変なことです。
見習うなんて、とんでもない。
こちらこそ、毎朝、元気な声のパワー(笑)を、いただいています。
市場などでは、何度かご挨拶させていただいているんですが、このようにコメントさせていただくのは初めてなんです。
何だか照れますねぇ~。
雑誌や本等で先生の作品を拝見して、いつも感じていた事がこのコメントを読んで再確認しました。
とっても優しく繊細で、お花を心から愛している人なんだなぁ~って・・・
ひとつひとつのお花の命を大切に思う気持ち
花の仕事をしていてとても大事ですよねっ。
日々の忙しさに負けそうになる時、先生のこのコメントを思い返してがんばって行きたいと思います。先生のお花とっても大好きです。
同じように、花の仕事をされていらっしゃるんですね。
ヨロシクお願いします。
花との接し方って、本当に難しいです。
そして、それぞれ、立場もおありだと思います。
ただ、私の場合は、それしかアプローチの方法がないというだけです。
もっと花にとって幸せで、人間も幸せになれる方法って、きっとあるはずです。
それを早く探せれば良いんですけれど、、、。
お互いに、これからも頑張りましょうね。
市場で、声、かけて下さいね。
家には小さな子供がいる為、ゆっくり時間がとれるのがいつもこんな時間になってしまうんです・・・
私も先生を見習いながら、これから花とそれに携わる人々の幸せを考えながら頑張っていきたいものです。
言うのは簡単なんですけどねぇ~・・・