花との毎日 

~ときどき書き込み~

ジェンテの並木容子が綴る花との日々

はけの道

2006-10-24 | お菓子の話し
今朝、知り合いの編集者の方からのご注文で、アレンジメントをお届けしました。
配達先は、武蔵小金井にある「はけの道」の中の「オーブンミトンカフェ」
以前から気になっていた小嶋ルミさんが新しくオープンしたカフェです。
 


昔、「はけの道」についての話を祖母から聞いたことがありました。
また、受験の時に「大岡昇平=武蔵野婦人」という暗記をしなければならない時、
ちょっと興味を持って「武蔵野婦人」を読みまして、
「はけ」の話が出てきたのはとてもうれしかったけど、
なんだか、よろめき小説(古いですね)みたいで、
どうして、受験生にこんな小説を覚えさせるのだろうと疑問に思ったものでした。


その後、すっかり、心の奥にしまわれてしまっていた「はけ」。
今日、偶然にもその場所に行くことができました。
寒くて雨がふっていて、私が想像している「はけ」の印象そのものでした。

仕事中だったので、ゆっくり見ることができませんでしたが、
そのうっそうたる木々と苔むす香り。
そして、古代多摩川のあとであるという「はけ」。
その自然に涌きいでる水が「はけ」であり、
さまざまな「はけ」が集まってできたのが「野川」だそうです。

はけの道をずっと辿れば、武蔵野婦人に出てきたような、
神社やがけを通りながら、最後は「恋が窪」に抜けられるのでしょうか。


「恋が窪」も、名前を辿れば、悲しくて切ないストーリーがあったと記憶しています。



吉祥寺から少し離れた武蔵野の、奥深い緑を感じて、
そこに存在する小嶋ルミさんの素敵な笑顔に迎えられて、
少し、元気と勇気をいただきました。

カフェの中にこだまするスタッフの方々の笑い声と、
オーブンから香る香ばしい匂いと、
中村研一さんの居住跡だという素敵な建物が、
「はけの道」にぴったりで、
「小金井」=「黄金井」(黄金に値する豊富な水)の地で、
美味しいお菓子を焼き続ける小嶋さんに心の中でエールを送りました。






久しぶりに

2006-10-10 | 私的なこと
オランダの話しはちょっと休息して。
久しぶりに自分のお話をします。


私は、花の仕事が大好きです。
今は、店、教室、イベント活け込み、婚礼、雑誌の撮影そして、本の出版。
花を通じて出来うる仕事をいろいろとさせていただいております。

私が店だけではなくて、こうしたたくさんの仕事をするのは、
自分自身の何かを表現したいというようなアーティスティックな発想ではなくて、
本当の花の素晴らしさを、一人でも多くのみなさまに、
あらためて気付いて欲しい、と思っているからです。


では「本当の花の素晴らしさ」とは何か。
この答えには正解はないのだと思います。
ただ、私自身はこんな風に思っています。

道に生える雑草や小さな花は、踏まれたり抜かれたりしても、
一生懸命生きていて、そして、また再生しようと頑張ります。
そういう、生命力、頑張る力みたいなものは、もちろん素晴らしいと思っています。

一方、それでは、ハウスの中で育てられた花たちには生命力はないのでしょうか。

私が花の仕事をしている理由は、ここにあります。
生まれた時から役割を担っているものがある場合、
その中で出来うる精一杯の努力ということももちろん必要ですが、
その役割を全うすることこそ、最も大切なことだと思うのです。

つまり、ハウスの花は、市場を通じて切り花として使われる、という役割を担っていて、
道ばたで踏まれたり、子供に抜かれたりすることのない代わりに、
大空の下で太陽を浴びたり、風に吹かれて気持ちよくなったり、
全身で雨を受けとめたりする機会もないのですが、
それぞれの場所で、例えば私の店に来れば、
その花に最もふさわしいと思われる花瓶に入れて飾られ、
私やスタッフの手によって、他の花と組み合わされて、
より美しく、そして、輝けるようになって、
お客様の手へと渡されていくのです。
そして、その花だけでは表現しきれなかった何か
(喜びや楽しみや慰めや)を他の花との組み合わせによって、
よりパワーアップさせて、人々の心を動かすことが出来るかもしれない。

それこそが、ハウスで育てられた花の役割であって、
そして、その役割を十分に全うさせてあげること、それが私の仕事なのです。


自分を表現するために花の力を借りるということは、素晴らしいことだと思います。
でも、私は、自分より、まず「花」ありき、なのです。


だから、自分の目で選んだ花を店におくために、自分で仕入れをし、
スタッフには花の扱いを充分説明し、
お客様から質問されれば、どうして、この花をおいているのか、
この花の美しさ、見所は何処なのかを、
掛け値無しにお話しさせていただくのです。


それでも、どうしても、店先で命の最後を迎えてしまった花は、
なにかに使えるものはもちろん使って、
それでも、ダメな場合は、介錯のつもりで花を捨てるのです。
介錯するには、同情心や涙はかえって相手に失礼です。
敬意をはらって、感謝を込めて、そして、おそらくとても厳しい顔で、
心の中で「さよなら」を言うのです。













キュウリの正体

2006-10-03 | 花のこと
これが以前、お話ししたキュウリです。

これは、アルースメールの町の一画にあった広場の花屋さんで映したものです。
去年の秋の出来事ですけれど、
今見ても、新鮮です。
なにか、アレンジに使いたくなりますね。

秋の色は、オレンジ色ばかりでなくて、
こうした、鮮やかな緑色からも感じられること、
このとき初めて知りました。