花との毎日 

~ときどき書き込み~

ジェンテの並木容子が綴る花との日々

植物の力

2007-02-25 | 花のこと
先ほど、夕飯をいただきながらNHKの「新日曜美術館」を見ておりましたら、
久しぶりにどど~んと衝撃を感じました。

「志村ふくみ」さんという人間国宝の織作家の方のお話でした。
今でも現役でお仕事なさっていて、ふくよかな人間としてのおおらかさ、
そして、凛とした仕事への厳しさの備わったお顔をした、
かわいいおばあさまでした。


彼女は、植物からしか染め物をしないということで、
植物の話しがいくつか出ていたのですが、
植物からストレートに染めると、
本来の目で見る植物の色「緑」には絶対に染まらないそうです。
ゲーテの色彩学によると、色は光と闇で成り立っているとのこと。
光=黄色
闇=藍色(青)

光(黄色)+闇(青色)=緑色

つまり、光と闇が結合すると緑になるわけで、
緑はホントはすべての始まりの色であり、
目には見えてない色なのかもしれないというお話が出ていました。


そして、植物から染めるということは、
花から染めるということではなくて、
幹や葉、根やつぼみや実をつかって色をだしていくということだそうです。
花からは色は染まらないということですね。
志村さんがおっしゃるには、
花というのは、その植物が元々持っている「色」のパワーの最終段階だと。
我々の目にあらわれて見えるという段階で、すでに完結して終っているのだと。
だから、花で染めても色は出ないのではないかということでした。


さらに、そういう染料を使うということは、
植物の命を全うさせずに、早い段階で切ったり、つまんだりしてしまうわけで、
残酷以外の何ものでもないと。
だから、その残酷さに頭を下げつつ、
それ以上のものにして命を吹き込むことが使命であると。




衝撃を受けたのは、その志村さんの植物や色への考え方です。

「緑は目に見えていない色かもしれない」

この言葉は衝撃的でした。
緑がないと人工的な印象になってしまうことは事実です。
アレンジに緑を入れない時は、デザインとしてアレンジをとらえたい場合です。
花本来の美しさを見せるには、緑は欠かせないと思っています。
あまりに自然で目に入っても、気にもしない色が緑なんです。
だから、目に見えないくらい自然にアレンジすることが、
「緑」を使うある種の方向性なのかとちょっと考えたりしたわけです。


また、「花は植物の持っているパワーの最終段階だ」という言葉。

確かにそうなのかもしれません。
つぼみのふくよかさを、始まりととらえていましたが、
花が生命力の最終段階だとしたら、その花が美しさを持っているのは当然で、
その美しさこそ、私たちが魅了されているものなのです。
だから、花が美しいと思っているそのことは、つまり、
その植物が持っている生命力すべてを美しいと感じている、ということなのだと思います。



そして、「植物の命を全うさせられない残酷な仕事をしている」という認識。

これは、花の仕事をしている方なら、誰でも感じたことのある罪悪感でしょう。
つねに、懺悔の気持ちというか、多少なりともの罪の意識というか、、、。
以前にもブログ上で書きましたが、私もいつもそのもやもやした罪悪感を感じています。
その罪悪感があるからこそ、自分の手でよりいっそう、
その花がきれいになるように、他の花と組み合わせたり、アレンジしたりすることで、
お客様の手にわたってもらいたいと、心の底から思うのです。

その罪の意識を背負って、ひたすら前へ進むのが、植物に関わる仕事の原点かもしれません。


最後に志村さんが「自分が変われば、自然も変わる」とおっしゃっていました。
そうなんですね。
自分が変わらない限り、目に見えることは一定方向の凝り固まったものになりがちで、
自分がちょっとでも変わることが出来れば、
周りはすーっと変わってくれるものなんだとも思いました。


久しぶりに見たテレビから、たくさんのことを学んだように思います。
明日の市場では、どんな生命力を感じさせてくれる花と出会えるでしょうか。








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2 コメント

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私も観ました。 (aopu)
2007-02-26 07:56:28
こんにちは。
私の住んでいる近くの美術館で、今、志村さんの作品展をしています。
(番組内でも紹介されてましたよね)
ちょうど先週の土曜日に鑑賞してきたところでした。

この目でじかに見た志村さんの作品の数々は、
言葉にならないくらい素晴らしかったです(^^)。
どの織物にもちゃんと、”いのち”が宿っているんです。

植物たちの命が全うする前に奪われたはずなのに、
かたちを変えて「現れて」いる。
それも単一ではなく、様々な種類の植物たちが、
ちょうど刈り取られた瞬間のままで、
染色されたタイミングや志村さんのそのときの技術やコンディションなどの条件など、
それらのすべてを含んで、作品になっている。
つまり、志村さんご自身の”いのち”も織り込まれているんです。

生きて、いのちが宿っている作品は、こんなに優しいんだ、と思いました。

(あ、語っちゃいました(汗) すみません

実はこの番組を拝見しているときに、なみきさんのことを思い出したんです。
なみきさんの花々に対するまなざしと、
志村さんのそれに共通するものを感じました。

いのちを「いただく」ことを意識してなされるお仕事は、
たとえようもなく暖かくて優しいんだと思いました(^^)。
ご覧になったんですね。 (なみき)
2007-02-26 21:46:44
apouさん、お久しぶりです。
そうでしたね、滋賀県の美術館で志村さんの作品展が行われている最中でした。
ご覧になっていたんですね。
いいなぁ、うらやましいです。

4/8までの会期だって知って、なんとか行かれないものかと思いましたが、
とてもそこまでの間で休めそうな日はなくて、、、。
「いのち」を感じる織り物、、、やっぱり自分の目で確かめたいです。

ところで、この番組を観て私を思い出していただけたとは、、、
いやはや、恐縮すぎて、申し訳ないやら恥ずかしいやら、、、。
ただ、ひたすら頑張るのみだと思っております,,ハイ。