――ご覧いただいた財産区の分収林あたりも、あと50年くらいすれば、すごい価値のあるものになるという可能性も?
桜井 僕は現在だって、これは買う人さえあればちゃんと売れるし、収入が入るだろうと思うんですよ。ただそれでもって、そこだけで間に合うかというと、それは難しい。橋谷さんがいわれたような、いろんな仕事のうちの一つにあれもあるよということである。農業研究所の連中と話をしたときには、一家がありまして、父ちゃんは会社から車で帰ってくる。母ちゃんもパートから帰ってくるでしょ。爺ちゃんも牛引いて帰ってくるんですよ。婆ちゃんは山から木を取ってきたりしてね。ということを話題にしました。そう大きくないけど、山もあって、たんぼもあって、なにもある、みんな土日には農業をやる、そういう生活というのがあるのではないか。
それがさらに、会社の収入が多くなって仕事がきつくなってくると、一次産業はとりあえず放っておけと、草だらけになっていくし、間伐はしなくなるということだろうと思いますね。
よそからお金が入っているうちは、たぶん一次産業は要らない。よその国が売ってくれているうちも第一次産業は要らない。だけど、何年か前にタイ米しか食えなくなった、日本が飢饉になったことがあります。気候もこれから先どうなるか、非常にあやしい。
最近の新聞では、日本はまた中型の寒冷期が来るんじゃないか、ちょうどあの、忠臣蔵で討ち入りの日に雪が降った程度の寒さが来て、イギリスのテームズ川が昔凍ったという話がありますが、その時期が来るんじゃないかといわれているのを聞きますと、1700年代のああいった飢饉がまたこれから来るかもしれないとなったときに、日本に売ってくれなくなる可能性がある。米がなくなるとかね。
そういうのもあるので、余って無駄だったんじゃなくて、余ってよかったねというように世界を考え直し、今度の津波と同じような考え方をしなければいけない時代が来るんじゃないかという気はします。材木の場合には、放っておいても、ちゃんといざとなれば、伐れるんだからというのなら、とっておいた方がいい。
これもどれくらいうまくいってるかわからないんだけど、15年位前に先ほどの田中敦夫さんの別の本に書いてあったことで、いまどこの山にどれだけの木があって、どれだけ買えるんだという事がやれるように、それを情報で流すということで、結構うまくいった例があるという。
それをやった人は林野庁を辞めちゃった人で、自分でいろんな山を知っているもんだから、あちこちからそれを集めてきて、データベースを作ることで、公務員をやっているよりいいという。現在それがどうなってるのということは、まだ追跡してないのでわかんないんですけどね。
売れる木がきっちりあって、どうなっているのかというのがあると、引き合いがくる話というのはずいぶん聞きます。それから、家を建てる人たち、パナハウスなんかもそうなんでしょうけど、彼らは大体2年くらい先を見越して生産計画を建てるわけです。そこの材木をどこから買ってくるかということを決めるわけです。
その選定の基準は値段が高い安いではなくて、安定して来るかどうか、安ければもちろんいいんですが。安定して来るかどうかが重要なんです。それが来ないと、家が建てられないわけですから、会社が潰れちゃう。そういういうことなんで、確実に安定した量が一定のまとまり、ロットとして来るものが、どこだというと、外国であったりする。日本の山元は信用できない、何べんかひどい目にあったという話をしていました。
もう一つは、売れ始めると値段が上がる。そうすると日本ではこの値段じゃ売らないよといいだす。外国は2年後の計画までしちゃったら、上がる上がらないということがない。日本は2年後だといっても、だってこれだけ上がってるんだから、これじゃ売れないよと言い出す。というのが、どうも日本の契約が成り立たない理由だということを、その住宅会社の重役が言ったことがあります。
そういったところをある程度直す、市町村はこの作業は合うんじゃないのかな。国有林はその間の、真ん中の調整を出来ないのかよということを、国有林の木材担当に聞きましたら、出来ないわけじゃあないけど、随契(入札でなく特定の業者と相対で契約を交わすこと)ができないんだよ、などといいます。長い計画でやるやつも、簡単には出来ないんだよな、てなことをいって、なんだかんだとまともにやりたがらない。お役所もそれじゃだめだねというのがまだ結構問題にあるようです。
これもとにかく、いまの皆川(芳嗣)長官というのはそういうところをわりと真面目に考える事務系の方で、色々と何か考えているとは思います。だが、考えるんだけど、実際に動きが出てこないということは、現場の方がうまく動いていない、そういう気がします。皆川さんというのは、林野庁のトップですね。次になるだろうと思われる人も、けっこうまともな人が揃ってるんで少しは良くなってくれないと困りますね。
ただ、この再生プランについては、私自身はちょっとあまり期待が持てない状態であります。一番もとのけん引役の、コンクリートから人へ、木材へという民主党が、まともにあれをやれる状態になっていない。別の方が忙しくて。という気がします。
――国有林の植林オーナー制度というのを林野庁が奨励して、それに対して、値段が出ないということで投資家が大損したという、あるいはクレームがつく。これがなぜ失敗になったのか。
桜井 損失補てんしたかどうかは知りませんけど、投資というものはそういうものですよねというのが一つですね。
いま株買った人なんてのは、そういう状態になってますね。あのときの値段で将来を見通して、お宅にはこれくらいのものがありますよといったけれど、先のことは分かりませんよと一札は入っているはずなんですよね。
これだけ材木価格が下がっちゃったら、資産価値が落ちたじゃないですかとしかいいようがない。国は大騒ぎしたとし、新聞なり、週刊誌なりが書きましたけど、そこのところで開き直れるほど林野庁は強くないですからオタオタしてますけど、ない袖は振れないし、仕組みはそうだから、それはしようがないでしょうということしかなくて、国有林の売り方は、いまみたいなこういうやり方を一切とってませんので、買う側の値段がいくらになるかで決まっちゃう。
そういうお役所商売のところに手を上げちゃったひとは、やはり夢を買ったということで、50万円は良かったですねと、国土保全に役立ったと思ってくださいというのがたぶん原則、根本的な問題だと思います。
それについては、財産区の方もそうですね。結構いろんな人に対する気持ちとしては大変なので、あれに対してのお返しをどういうふうにするのかということは、いろいろ考えてもらう必要があると思うんです。
夢については、買ってもらった夢は放ったらかしではなくて、宇久須だよりをまわすとか、そういう話をやって、少なくともおれの買ったこの場所で、値段が下がっちゃったけど、でも木は生い茂ったぞというようなところで考えて貰う。
でないと財産区の方でお金を補填して返さなければいけないとなると、その責任も法律上全然ないわけですから、ないことをやったら、町民に対しての背任行為になりますので、とにかく皆さんごめんとしかいうしかない。
本来ごめんなさいという必要はないんで、投資というものはそういうものですよねとしか言いようがない。
オーナー制度をやるときには、やっぱり相当文句が出てますよ、お上がそんなことやっていいのかという意見は出ました。税金で返すのか。返せるわけねえだろ。これは経営基金ですから、あくまでも投資です。ただ、あんまりいい商売じゃなかったですね。
――国民との関係が、ちょっと疎遠になって、しまったという形になって…
桜井 そのへんがどうなっているかは、実は分からないんですよ。出資した人のうち、どうみたって情勢そうなんだから仕方ないよねと考えている人がどれくらいいて、おれは損させられたと思っている人がどれくらいいてというのは、統計とってないんですね。あれは30年だか、40年だか期間があったんですね。
将来に向けて森林を、森を育て利用するという気持ちとかマインドを起こさせるようにするには、どういうふうにすべきか。環境教育とかそういう、広いとこから見ていく、色々な策があると思います。
そのへんは、国が国民にこうしろああしろと教育しなければいけないものなのか、国はこう考えているけど、国民がこう考えているから、国はそれに従って動けというふうにいうのか。国が国民に森を大事にしろというんじゃなくて、これが大事なんだよ、そのためにはお前らを公務員という名前で、俺たちの税金で雇ってるんだろうと、ちゃんとやれよというふうになるのがスジじゃなんじゃないかなと私は思うんですね。
ただそのベースの人間がそうなってないとすれば、やがてその国は崩壊するんだろうなということでありますし、そうならないためには、理科で言えば基礎生物、生態学というところでの考えかたを持ってちゃんとした森をつくれよ、って言う国民になって貰うのが大事だと思うんです。
それは国がこうなれという話ではなくて、それをさせるために50万円で皆さんから寄付を募りますとやって、あわよくば儲かりますよといった。この儲かりますがたぶん駄目だったよな。そんなものを国がやったらいけないんだろうと私自身は思ったんですけど、ああいうことを考えた役人もいたということです。そういうことを認めた長官もいたんです。ああいう長官が責任をとらないのは、いかんと私は思ってます。
――森の癒し効果、森林セラピーについてする施策があるか
桜井 それ自体は財産区だけではなくて、宇久須の皆さんに期待するというか、お願いしたいんですけど、これだけの森林が、一杯ありますよね、人工林もあるし、天然林もある。売ったら、伐ったら、これで俺ん家こんなものが出来るよなと、森林の価値が分かる程度の道ができたらいい。
そういったものを見て回れる道を作って、場合によればそれをセラピーロードと名付けるのもいいですけど、セラピーロードでなくても、いま宇久須のまわりを歩く道を随分作ってますよね、あれのなかにごく普通の宇久須地域の植物群を歩き回るという道を作って貰う。
これもまた最近の直感というか思い付きですけど、大津波が来たら逃げて回れる道を作る。そこにつながってくるようなものを作っちゃうということも、いいのではないか。ついでに、ふだんから見て回っている場所が、あそこにいけばどうなるこうなるということがわかればもっといい。
それからよそから来た人たちは、そこを連れて回るというのと海とを両方つなげていくといいのではないか。どこを見たらどんなふうな森林社会があるというような説明を作れということくらいだったら、私もこの辺にちょろちょろ来ている間に、藤原先生と一緒に歩きながら作りたいと思いますので注文して下さい。お前じゃいかんということであれば、もう少しまともな人も紹介できます。そういうのをあちこち、ここだけじゃなくて作ったらいいと思うんですね。特に逃げ道にもなるというのも大事だなと、最近は思ってます。
先ほど、ここに来る前に、もし津波が来たらどこに逃げようかとこの辺を歩き回ったんですけど、歩けないわけではないなという道が、結構ありました。けど、しっかりした道が出来ていない。
美谷島 素人の考えなんですけど、いまの日本の林業に足りないものは、林業における「クロネコヤマト」だと思います。何を言いたいかというと、かつて数十年前に日本農業が今の林業と同じようなことを議論していました。農家の規模が小さい、だから集約化・大規模化して単価を下げないと、外国産品と対抗できないという。そのあたり、今の林業の議論とよく似ていると私は思います。しかし、現在の農業では小さな農家がしっかりと生き残っています。それはご存知のように、小さな農家が、自分の田畑で出来たものを、小さな個人の家庭を相手に直接販売しているのです。イオンや西友などの大手を相手にするほど大きな量を生産できなくとも、小さな個人を対象にして立派にやっています。それを可能にしたのが、私はITと「クロネコヤマト」だと思うのです。
つまり、そこで使われているツールというのが、一つは現在のIT技術ですね。農家と個人の家庭を結ぶ情報網です。もう一つは、小さな農家が一軒一軒の家庭に大根やニンジンをデリバリーするわけにはいきませんから、それを全国一律に「クロネコヤマト」がやってくれているわけですね。この二つの環境が整備されたことにより、小さな農家でも生き残ることが出来た。いやむしろ、それをうまく利用して立派にやっているわけです。
同じことが林業にも当てはまるのではないかと思います。いまの日本の林業で、規模の大きさを追求するというのは難しいでしょう。しかし、ツールとしてのITはあるのだから、山元と製材所のようなエンドユーザーを結ぶ情報網を作ればよいわけです。つまり、どれだけあるか知りませんが日本中に小さな山元はたくさんある。ただし、毎日一定のものを必ず出しますよというほどの大きな山はない。だけど5年に1度、3年に一度くらいは出せそうだという規模の山ならある。その情報を多分ITでつなげたら、常に一定量の木材を市場に供給できるのではないでしょうか。問題は、桜井先生がおっしゃっているように、プロデューサー(山元)とユーザー(製材所やホームセンターなど)の間を、具体的に情報や木材をデリバリーする人がいないことが問題なのだと思います。
ここで、先ほど言った林業の「クロネコヤマト」が出てくる訳です。多分、この役割を最初の間は国がやればいいんですよ。しばらくは赤字だと思います。 クロネコヤマトも、最初は個々の家からどれだけのニーズがでてくるか分からなかったのでかなり苦労したらしいですね。でも我慢して続けていたら、今日あれだけの規模の会社になりました。
いまの林業で「クロネコヤマト」の役割を先ずは官が担って、日本中に点在する山元とユーザーを結び付けてデリバリーを行う。それがある程度進んでいくと、こんどは俺のところにも来てくれよ、俺の山でもこれだけのボリュームとこういう質の材木が出てくるという情報が「クロネコヤマト」に集まってくるようになります。実際に商売になると分かれば、情報は自然と集まるものです。一方で、ユーザー側からも需要情報が「クロネコヤマト」に寄せられてくるようになるでしょう。
日本中のそういう、いままで林野庁が把握できなかったような情報が、その「クロネコヤマト」には自然と集まってくると思われるのですが、どうでしょうか?
桜井 いまの美谷島先生の話は、私は非常に良いと思います。現在ですね、マイナーな段階ですけど、森の駅発という、森の駅推進協議会というのがあります。
あちこちの道路に道の駅という地域の特産物を販売する休憩所がありますが、あの道の駅を立ち上げた地域交流センターというのがありまして、そのあと海の駅だとか、町の駅だとか、作ってやっている。盛り上がっているのは道の駅ですけど、やっぱり森の駅だといいだしましてね。
森の駅は生産側もあるんだけど、利用側もある。両方をつなげようということをいいだしまして、「森の駅発」という、ローマ字で「morinoekihatsu」、「つ」はtsuなんですけど、これでネットを探しますと出てきます。あるいは漢字で「森の駅発」でいいんですけど。そこのところでは、信用出来る材木をこれで出しますよという話です。
そこでいま欠けているのは、いまいわれました運搬です。それから、先ほどから私も言っているのは、これだけの材木があるんだよ、財産があるんだよ、伐れるんだよということを、これが板までつながるよと、最後にユーザーがいるんだよ。これも、マスで売ろうではなくて、個別に考えなければたぶんいけない。
この間を誰がどうつなぐのか、実はわからない。これは財産区に全部お願いしているわけじゃなくて、財産区の方はたぶん目録を作るのがそちらの仕事だと思うんですけど、そこから先は、できればNPOグループでも出来ないかと考えています。
いまの運搬屋さん、北相模の連中がときどきいろんなことをやるんですけど、丸太をですね、4メートル弱とか、根曲がり丸太とか、ちっちゃい丸太とか、これを勝手に3000円とか1万円つけて、ネットグループもいたのでネットで出したことがある。そうしたら、それがちゃんと売れたというんですね。それはクロネコヤマトが運んでくれる。そんなこといいましてね。
それは、やっぱりいまのデリバリーをしっかりやれるところ、あるいは業者がちゃんとその材木を最後のところにつなげる。大工は「この木だ」とは言いますけど、その木が板になってもらわないと使えませんから。その間をつなげなければいけないんだろうということになりますし、場合によったら森本工場も働いてもらうことが出来るし、働いてくれるかもしれない。
そんなのでやっぱりいまの話を、参考にしてチョコチョコここにくるのならば少し考える必要があるかなと、思います。
桜井 僕は現在だって、これは買う人さえあればちゃんと売れるし、収入が入るだろうと思うんですよ。ただそれでもって、そこだけで間に合うかというと、それは難しい。橋谷さんがいわれたような、いろんな仕事のうちの一つにあれもあるよということである。農業研究所の連中と話をしたときには、一家がありまして、父ちゃんは会社から車で帰ってくる。母ちゃんもパートから帰ってくるでしょ。爺ちゃんも牛引いて帰ってくるんですよ。婆ちゃんは山から木を取ってきたりしてね。ということを話題にしました。そう大きくないけど、山もあって、たんぼもあって、なにもある、みんな土日には農業をやる、そういう生活というのがあるのではないか。
それがさらに、会社の収入が多くなって仕事がきつくなってくると、一次産業はとりあえず放っておけと、草だらけになっていくし、間伐はしなくなるということだろうと思いますね。
よそからお金が入っているうちは、たぶん一次産業は要らない。よその国が売ってくれているうちも第一次産業は要らない。だけど、何年か前にタイ米しか食えなくなった、日本が飢饉になったことがあります。気候もこれから先どうなるか、非常にあやしい。
最近の新聞では、日本はまた中型の寒冷期が来るんじゃないか、ちょうどあの、忠臣蔵で討ち入りの日に雪が降った程度の寒さが来て、イギリスのテームズ川が昔凍ったという話がありますが、その時期が来るんじゃないかといわれているのを聞きますと、1700年代のああいった飢饉がまたこれから来るかもしれないとなったときに、日本に売ってくれなくなる可能性がある。米がなくなるとかね。
そういうのもあるので、余って無駄だったんじゃなくて、余ってよかったねというように世界を考え直し、今度の津波と同じような考え方をしなければいけない時代が来るんじゃないかという気はします。材木の場合には、放っておいても、ちゃんといざとなれば、伐れるんだからというのなら、とっておいた方がいい。
これもどれくらいうまくいってるかわからないんだけど、15年位前に先ほどの田中敦夫さんの別の本に書いてあったことで、いまどこの山にどれだけの木があって、どれだけ買えるんだという事がやれるように、それを情報で流すということで、結構うまくいった例があるという。
それをやった人は林野庁を辞めちゃった人で、自分でいろんな山を知っているもんだから、あちこちからそれを集めてきて、データベースを作ることで、公務員をやっているよりいいという。現在それがどうなってるのということは、まだ追跡してないのでわかんないんですけどね。
売れる木がきっちりあって、どうなっているのかというのがあると、引き合いがくる話というのはずいぶん聞きます。それから、家を建てる人たち、パナハウスなんかもそうなんでしょうけど、彼らは大体2年くらい先を見越して生産計画を建てるわけです。そこの材木をどこから買ってくるかということを決めるわけです。
その選定の基準は値段が高い安いではなくて、安定して来るかどうか、安ければもちろんいいんですが。安定して来るかどうかが重要なんです。それが来ないと、家が建てられないわけですから、会社が潰れちゃう。そういういうことなんで、確実に安定した量が一定のまとまり、ロットとして来るものが、どこだというと、外国であったりする。日本の山元は信用できない、何べんかひどい目にあったという話をしていました。
もう一つは、売れ始めると値段が上がる。そうすると日本ではこの値段じゃ売らないよといいだす。外国は2年後の計画までしちゃったら、上がる上がらないということがない。日本は2年後だといっても、だってこれだけ上がってるんだから、これじゃ売れないよと言い出す。というのが、どうも日本の契約が成り立たない理由だということを、その住宅会社の重役が言ったことがあります。
そういったところをある程度直す、市町村はこの作業は合うんじゃないのかな。国有林はその間の、真ん中の調整を出来ないのかよということを、国有林の木材担当に聞きましたら、出来ないわけじゃあないけど、随契(入札でなく特定の業者と相対で契約を交わすこと)ができないんだよ、などといいます。長い計画でやるやつも、簡単には出来ないんだよな、てなことをいって、なんだかんだとまともにやりたがらない。お役所もそれじゃだめだねというのがまだ結構問題にあるようです。
これもとにかく、いまの皆川(芳嗣)長官というのはそういうところをわりと真面目に考える事務系の方で、色々と何か考えているとは思います。だが、考えるんだけど、実際に動きが出てこないということは、現場の方がうまく動いていない、そういう気がします。皆川さんというのは、林野庁のトップですね。次になるだろうと思われる人も、けっこうまともな人が揃ってるんで少しは良くなってくれないと困りますね。
ただ、この再生プランについては、私自身はちょっとあまり期待が持てない状態であります。一番もとのけん引役の、コンクリートから人へ、木材へという民主党が、まともにあれをやれる状態になっていない。別の方が忙しくて。という気がします。
――国有林の植林オーナー制度というのを林野庁が奨励して、それに対して、値段が出ないということで投資家が大損したという、あるいはクレームがつく。これがなぜ失敗になったのか。
桜井 損失補てんしたかどうかは知りませんけど、投資というものはそういうものですよねというのが一つですね。
いま株買った人なんてのは、そういう状態になってますね。あのときの値段で将来を見通して、お宅にはこれくらいのものがありますよといったけれど、先のことは分かりませんよと一札は入っているはずなんですよね。
これだけ材木価格が下がっちゃったら、資産価値が落ちたじゃないですかとしかいいようがない。国は大騒ぎしたとし、新聞なり、週刊誌なりが書きましたけど、そこのところで開き直れるほど林野庁は強くないですからオタオタしてますけど、ない袖は振れないし、仕組みはそうだから、それはしようがないでしょうということしかなくて、国有林の売り方は、いまみたいなこういうやり方を一切とってませんので、買う側の値段がいくらになるかで決まっちゃう。
そういうお役所商売のところに手を上げちゃったひとは、やはり夢を買ったということで、50万円は良かったですねと、国土保全に役立ったと思ってくださいというのがたぶん原則、根本的な問題だと思います。
それについては、財産区の方もそうですね。結構いろんな人に対する気持ちとしては大変なので、あれに対してのお返しをどういうふうにするのかということは、いろいろ考えてもらう必要があると思うんです。
夢については、買ってもらった夢は放ったらかしではなくて、宇久須だよりをまわすとか、そういう話をやって、少なくともおれの買ったこの場所で、値段が下がっちゃったけど、でも木は生い茂ったぞというようなところで考えて貰う。
でないと財産区の方でお金を補填して返さなければいけないとなると、その責任も法律上全然ないわけですから、ないことをやったら、町民に対しての背任行為になりますので、とにかく皆さんごめんとしかいうしかない。
本来ごめんなさいという必要はないんで、投資というものはそういうものですよねとしか言いようがない。
オーナー制度をやるときには、やっぱり相当文句が出てますよ、お上がそんなことやっていいのかという意見は出ました。税金で返すのか。返せるわけねえだろ。これは経営基金ですから、あくまでも投資です。ただ、あんまりいい商売じゃなかったですね。
――国民との関係が、ちょっと疎遠になって、しまったという形になって…
桜井 そのへんがどうなっているかは、実は分からないんですよ。出資した人のうち、どうみたって情勢そうなんだから仕方ないよねと考えている人がどれくらいいて、おれは損させられたと思っている人がどれくらいいてというのは、統計とってないんですね。あれは30年だか、40年だか期間があったんですね。
将来に向けて森林を、森を育て利用するという気持ちとかマインドを起こさせるようにするには、どういうふうにすべきか。環境教育とかそういう、広いとこから見ていく、色々な策があると思います。
そのへんは、国が国民にこうしろああしろと教育しなければいけないものなのか、国はこう考えているけど、国民がこう考えているから、国はそれに従って動けというふうにいうのか。国が国民に森を大事にしろというんじゃなくて、これが大事なんだよ、そのためにはお前らを公務員という名前で、俺たちの税金で雇ってるんだろうと、ちゃんとやれよというふうになるのがスジじゃなんじゃないかなと私は思うんですね。
ただそのベースの人間がそうなってないとすれば、やがてその国は崩壊するんだろうなということでありますし、そうならないためには、理科で言えば基礎生物、生態学というところでの考えかたを持ってちゃんとした森をつくれよ、って言う国民になって貰うのが大事だと思うんです。
それは国がこうなれという話ではなくて、それをさせるために50万円で皆さんから寄付を募りますとやって、あわよくば儲かりますよといった。この儲かりますがたぶん駄目だったよな。そんなものを国がやったらいけないんだろうと私自身は思ったんですけど、ああいうことを考えた役人もいたということです。そういうことを認めた長官もいたんです。ああいう長官が責任をとらないのは、いかんと私は思ってます。
――森の癒し効果、森林セラピーについてする施策があるか
桜井 それ自体は財産区だけではなくて、宇久須の皆さんに期待するというか、お願いしたいんですけど、これだけの森林が、一杯ありますよね、人工林もあるし、天然林もある。売ったら、伐ったら、これで俺ん家こんなものが出来るよなと、森林の価値が分かる程度の道ができたらいい。
そういったものを見て回れる道を作って、場合によればそれをセラピーロードと名付けるのもいいですけど、セラピーロードでなくても、いま宇久須のまわりを歩く道を随分作ってますよね、あれのなかにごく普通の宇久須地域の植物群を歩き回るという道を作って貰う。
これもまた最近の直感というか思い付きですけど、大津波が来たら逃げて回れる道を作る。そこにつながってくるようなものを作っちゃうということも、いいのではないか。ついでに、ふだんから見て回っている場所が、あそこにいけばどうなるこうなるということがわかればもっといい。
それからよそから来た人たちは、そこを連れて回るというのと海とを両方つなげていくといいのではないか。どこを見たらどんなふうな森林社会があるというような説明を作れということくらいだったら、私もこの辺にちょろちょろ来ている間に、藤原先生と一緒に歩きながら作りたいと思いますので注文して下さい。お前じゃいかんということであれば、もう少しまともな人も紹介できます。そういうのをあちこち、ここだけじゃなくて作ったらいいと思うんですね。特に逃げ道にもなるというのも大事だなと、最近は思ってます。
先ほど、ここに来る前に、もし津波が来たらどこに逃げようかとこの辺を歩き回ったんですけど、歩けないわけではないなという道が、結構ありました。けど、しっかりした道が出来ていない。
美谷島 素人の考えなんですけど、いまの日本の林業に足りないものは、林業における「クロネコヤマト」だと思います。何を言いたいかというと、かつて数十年前に日本農業が今の林業と同じようなことを議論していました。農家の規模が小さい、だから集約化・大規模化して単価を下げないと、外国産品と対抗できないという。そのあたり、今の林業の議論とよく似ていると私は思います。しかし、現在の農業では小さな農家がしっかりと生き残っています。それはご存知のように、小さな農家が、自分の田畑で出来たものを、小さな個人の家庭を相手に直接販売しているのです。イオンや西友などの大手を相手にするほど大きな量を生産できなくとも、小さな個人を対象にして立派にやっています。それを可能にしたのが、私はITと「クロネコヤマト」だと思うのです。
つまり、そこで使われているツールというのが、一つは現在のIT技術ですね。農家と個人の家庭を結ぶ情報網です。もう一つは、小さな農家が一軒一軒の家庭に大根やニンジンをデリバリーするわけにはいきませんから、それを全国一律に「クロネコヤマト」がやってくれているわけですね。この二つの環境が整備されたことにより、小さな農家でも生き残ることが出来た。いやむしろ、それをうまく利用して立派にやっているわけです。
同じことが林業にも当てはまるのではないかと思います。いまの日本の林業で、規模の大きさを追求するというのは難しいでしょう。しかし、ツールとしてのITはあるのだから、山元と製材所のようなエンドユーザーを結ぶ情報網を作ればよいわけです。つまり、どれだけあるか知りませんが日本中に小さな山元はたくさんある。ただし、毎日一定のものを必ず出しますよというほどの大きな山はない。だけど5年に1度、3年に一度くらいは出せそうだという規模の山ならある。その情報を多分ITでつなげたら、常に一定量の木材を市場に供給できるのではないでしょうか。問題は、桜井先生がおっしゃっているように、プロデューサー(山元)とユーザー(製材所やホームセンターなど)の間を、具体的に情報や木材をデリバリーする人がいないことが問題なのだと思います。
ここで、先ほど言った林業の「クロネコヤマト」が出てくる訳です。多分、この役割を最初の間は国がやればいいんですよ。しばらくは赤字だと思います。 クロネコヤマトも、最初は個々の家からどれだけのニーズがでてくるか分からなかったのでかなり苦労したらしいですね。でも我慢して続けていたら、今日あれだけの規模の会社になりました。
いまの林業で「クロネコヤマト」の役割を先ずは官が担って、日本中に点在する山元とユーザーを結び付けてデリバリーを行う。それがある程度進んでいくと、こんどは俺のところにも来てくれよ、俺の山でもこれだけのボリュームとこういう質の材木が出てくるという情報が「クロネコヤマト」に集まってくるようになります。実際に商売になると分かれば、情報は自然と集まるものです。一方で、ユーザー側からも需要情報が「クロネコヤマト」に寄せられてくるようになるでしょう。
日本中のそういう、いままで林野庁が把握できなかったような情報が、その「クロネコヤマト」には自然と集まってくると思われるのですが、どうでしょうか?
桜井 いまの美谷島先生の話は、私は非常に良いと思います。現在ですね、マイナーな段階ですけど、森の駅発という、森の駅推進協議会というのがあります。
あちこちの道路に道の駅という地域の特産物を販売する休憩所がありますが、あの道の駅を立ち上げた地域交流センターというのがありまして、そのあと海の駅だとか、町の駅だとか、作ってやっている。盛り上がっているのは道の駅ですけど、やっぱり森の駅だといいだしましてね。
森の駅は生産側もあるんだけど、利用側もある。両方をつなげようということをいいだしまして、「森の駅発」という、ローマ字で「morinoekihatsu」、「つ」はtsuなんですけど、これでネットを探しますと出てきます。あるいは漢字で「森の駅発」でいいんですけど。そこのところでは、信用出来る材木をこれで出しますよという話です。
そこでいま欠けているのは、いまいわれました運搬です。それから、先ほどから私も言っているのは、これだけの材木があるんだよ、財産があるんだよ、伐れるんだよということを、これが板までつながるよと、最後にユーザーがいるんだよ。これも、マスで売ろうではなくて、個別に考えなければたぶんいけない。
この間を誰がどうつなぐのか、実はわからない。これは財産区に全部お願いしているわけじゃなくて、財産区の方はたぶん目録を作るのがそちらの仕事だと思うんですけど、そこから先は、できればNPOグループでも出来ないかと考えています。
いまの運搬屋さん、北相模の連中がときどきいろんなことをやるんですけど、丸太をですね、4メートル弱とか、根曲がり丸太とか、ちっちゃい丸太とか、これを勝手に3000円とか1万円つけて、ネットグループもいたのでネットで出したことがある。そうしたら、それがちゃんと売れたというんですね。それはクロネコヤマトが運んでくれる。そんなこといいましてね。
それは、やっぱりいまのデリバリーをしっかりやれるところ、あるいは業者がちゃんとその材木を最後のところにつなげる。大工は「この木だ」とは言いますけど、その木が板になってもらわないと使えませんから。その間をつなげなければいけないんだろうということになりますし、場合によったら森本工場も働いてもらうことが出来るし、働いてくれるかもしれない。
そんなのでやっぱりいまの話を、参考にしてチョコチョコここにくるのならば少し考える必要があるかなと、思います。
(2012.5.11 宇久須防災センター)