蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

看托馬斯曼的作品

2005年07月24日 07時03分21秒 | 言葉の世界
"Ein einfacher junger Mensch reiste im Hochsommer von Hamburg, seiner Vaterstadt, nach Davos-Platz im Graubündischen. Er fuhr auf Besuch für drei Wochen "(注1)
トーマス・マンの『魔の山』冒頭部分。「真夏のある日、物事をあまり深く考えたこともない一人の若者が、故郷のハンブルクからグラウビュンデンはダヴォースの地へと、三週間の予定で旅立った」とわたしは読むのだが、岩波文庫版では「単純な一青年が、夏のさかりに、生まれ故郷のハンブルクからグラウビュンデン州のダヴォス・プラッツに向かって旅立った。ある人を訪ねて三週間の予定の旅であった」(注2)となっている。
わたしはこの邦訳が大嫌いだ。そもそも主人公であるハンス・カストルプはけっして「単純な一青年」ではない。高度な職業教育を終え、これから一流会社で働こうという一通りの教養を身に着けた若者である(昨今の日本の同世代と比べれば少なくとも知識量においては雲泥の差がある)。岩波版では彼がその一流会社「トゥンダー・アンド・ヴィルムス商会(造船、機械製造、ボイラー製造の会社)へ見習社員として入社する」(注3)と訳しているが原文は"seinem Eintritt in der Praxis bei Tunder & Wilms"となっており、"die Praxis"は実務、実践の意味こそあれ「見習」("die Lehre"、"die Probe")という意味はないと思う。
この物語は十九紀末が舞台なので、ひょっとして古い用法では「見習」の意味もあるのかと明治三十八年南江堂書店発行の『増訂挿図 獨和字典大全』(注4)や、もっと時代が下った昭和二年発行の同じく南江堂書店の『雙解獨和大辭典』(注5)にも眼を通してみたが"die Praxis"に「見習」の意味はなかった。そもそもドイツ語ではどのような意味合いかと思いDUDENもついでに見てみた。"alles das, was der Mensch tatsächlich tut, um seine Gedanken, Vorstellungen, Theorien o.ä. in der Wirklichkeit anzuwenden"「自分の思考、イメージ、理論などを現実に応用するためにその人が行う事のすべて」(注6)と説明されている。入社時の身分としては「見習」社員だろうけれども、このような意訳をする必要がはたしてあるのだろうか。因みに冒頭部分の「ある人を訪ねて」という文言は原文のどこを探しても出てはこない。これがあることで逆に文章が下卑てしまっている。
冒頭部分にケチをつけた序に終末部分にもケチをつけておく。
「ハンス・カストルプは、車室の小さな窓に鈴なりになっている頭のあいだから顔を出した。そして、それらの頭ごしに手をふった。セテムブリーニ氏も右手をふり、左手の薬指のさきで片方の目がしらをそっとぬぐった」(注7)。いよいよハンスカ・ストルプがダヴォースを離れる場面。この部分、文脈からハンス・カストルプが車内、セテムブリーニ氏がホームにいるのだということはわかるのだが、ここだけ読んでも情況が把握できない。両者の位置が逆でも矛盾が生じないからだ。原文では"Hans Castorp zwängte seinen Kopf zwischen zehn andere, die den Rahmen des Fensterchens füllten. Er winkte über sie hin. Auch Herr Settembrini winkte mit der Rechten, während er mit der Ringfingerspitze der Linken zart einen Augenwinkel berührte"(注8)となっているので、わたしは「ハンス・カストルプは自分の頭を窓枠を埋めている十人の乗客のあいだに押し込んだ。彼はその乗客たち越しに外へ合図した。セテムブリーニ氏もまた左手の薬指の先を眼の隅にそっと触れながら、右手で合図した」と読んでいる。言語感覚の問題ということもあろうが、こちらのほうが両者の位置関係は明瞭になっているのではないかと思う。
もちろんわたしは翻訳の専門家ではないので技術的なことは判らない。しかし一読者として拙い訳文というものが何かは大体見当がつく。そして一番よくある勘違いは(近頃減ってきているとはいえ)大学の外国語教師に文芸作品を翻訳させることではないだろうか。彼らは言語の専門家、文芸批評家かもしれぬが文章職人ではないからだ。

(注1) "Der Zauberberg"S.7 Thomas Mann Fischer Tschenbuch Verlag 1982.4
(注2)『魔の山』(上) 14頁 関泰祐 望月市恵訳 岩波文庫 2000年10月5日21刷
(注3) 同上 16頁
(注4)『増訂挿図 獨和字典大全』福見尚賢 小栗栖香平纂譯 南江堂書店 明治38年5月15日訂正増補第13版
   (書名中の「和」は龠と禾で作られているが漢字変換できないため「和」で代用した。)
(注5)『雙解獨和大辭典』片山正雄著 南江堂書店 昭和2年7月1日
(注6) "Das große Wöterbuch der deutschen Sprache" Band.5 S.2036 DUDEN 1980
(注7)『魔の山』(下) 643頁 関泰祐 望月市恵訳 岩波文庫 2000年10月25日18刷
(注8) "Der Zauberberg"S.753 ibid.

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