蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

羅甸語事始(二十三)の前編

2006年01月10日 01時08分57秒 | 羅甸語
むかしむかしわたしが中学校の英語の授業で先ず躓いたのが、完了時制だった。他の生徒たちが教師に教えられるままに英文和訳や和文英訳をシステマティックに行っているのが不思議でならなかった。教師は完了時制とは動作が完了した状態だとわたしたちに教えた。もっと詳しく言うと完了には「完了」「経験」「継続」の意味があると教えていたのだ。これを鵜呑みにして完了とはそういうものなのだと憶えることができたのがいわゆる優秀な生徒たちだったわけだで、成績順位などケツから数えた方が遥かに早いわたしにはこれができなかった。そもそも動作の完了した状態と、過去とどのように違うのかがわからなかった。わたしにとって動作として認識される事態はすべからく過ぎ去った出来事でしかなかったので、動作が完了しようがしなかろうがそんなことは関係ない、一切の事象は過去か未来のいずれか以外には考えることができなかった。後になっていろいろと調べてみたら、過去と完了の違いが理解できなかったのは、なにもわたしが馬鹿だったからというわけでもないことが判った。「日本人が英語を学び始める時、過去形と現在完了形の区別を誤ることのあるのは、現代の日本語にその区別がはっきりしてはいないからである。過去の日本語には、回想の助動詞と呼ばれるものがある。「き」と「けり」が、それである。今で言えば前者は、「…したものだった」という述懐に用いられ、後者は「昔々じいさとばあさがあったとさ」という物語形式に対応する(前者は英語のused toに似ている。後者は例えばフランス語の単純過去、いわゆる「物語の過去」に比せられる )」(注1)。なるほどね、区別がはっきりしていないんじゃあ理解のしようがないではないか。「お湯」という言葉のない英語で「茶の湯」を表現できないのと同じことだ。してみるとあの中学校のときの「優秀な生徒」等は現在完了という事態をいったいどのように理解していたのだろう。
現在完了時制は現代語ではたとえば英語だったらhave動詞、ドイツ語だったらhaben動詞またはsein動詞と過去分詞から作られるのだが、これにたいしてラテン語では動詞そのものの活用で完了形を作る。ところでラテン語の動詞は現在形、未完了過去形、未来形は現在幹をもとに、また現在完了形、過去完了形、未来完了形は完了幹をもとに活用する。どういうことかというとたとえば"amo"では"ama"が現在幹、"amav"が完了幹であり、それぞれこれに活用語尾がついて数や人称、時制を表現する。つまり完了系と非完了系とでは語の形が明かに異なってくる。ここで現在形と現在完了形の活用を"amo"を例として比較してみると、
"amo-","ama-s","amat","ama-mus","ama-tis","amant"
"ama-vi-","ama-visti-","ama-vit","ama-vimus","ama-vistis","ama-ve-runt"
なお複数三人称では"ama-vere"ということもある。
第Ⅱ変化、第Ⅲ変化、第Ⅳ変化動詞の現在完了時制の活用を以下にしめす。
"moneo"(忠告する):"monui-","monuisti-","monuit","monuimus","monuistis","monue-runt"(monue-re)
"ago"(行う):"e-gi-","e-gisti-","e-git","e-gimus","e-gistis","ege-runt"(e-ge-re)
"audio"(聞く):"audi-vi-","audi-visti-","audi-vit","audi-vimus","audi-vistis","audi-ve-runt"(audi-ve-re)
あとはこの活用を機械的に憶えればよい。じつはこのほかにも母音縮約、畳音、母音の弱化現象など語の形が変化する現象が多々あるようなのだが、今の段階ではそれらには触れないことにした。理由は簡単で、一度になんだかんだといわれたってとてもじゃないが憶えきれるものじゃあないからだ。それよりも今ここでおさえておくべき事柄は完了時制の意味相だろう。
現在完了形については『ラテン広文典』よりも『新ラテン文法』の説明の方がわかりやすいように思う。「完了時称は(イ)話している時に、すでに終わっている動作を示す.これが本来の意味であるが,さらにしばしば(ロ)過去の行為の現在における結果を示す.(イ)(ロ)の完了をかりに現在完了(present perfect)と呼ぶ」(注2)ということで、今の段階では基本的はこれだけを抑えておけばよいのではないだろうか。余談になるけれども現代ドイツ語では現在完了を過去時称として使うことが多い。ということは現在完了時制と過去時制の意味合いが曖昧なのはなにも現代日本語に限らないということだ。もしかしたら将来的には過去時制は使われなくなってしまう可能性だってある。
それでは前回自分に課した宿題を片付けることにしようか。と思ったのだけれども紙数を大幅に超えてしまうので今回は特に二回に分けることにします。

(注1)『国語学辞典』690-691頁 亀井孝記 国語学会編 東京堂出版 昭和47年1月20日訂正21版
(注2)『新ラテン文法』77頁 松平千秋 国原吉之助 東洋出版 2000年11月30日第7版


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