蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

羅甸語事始(十九)

2005年10月16日 04時00分33秒 | 羅甸語
まずは一人称、二人称代名詞について確認するならば、一人称単数が"ego","mei","mihi","me","me、複数が"nos","nostri(nosutrum)","nobis","nos","nobis。二人称単数は、"tu","tui","tibi","te","te、複数は、"vos","vestri(vestrum)","vobis","vos","vobis"。属格の括弧で括った綴りは部分属格だった。では三人称はというとこれは指示代名詞を用いて表現する。使う指示代名詞は男性、女性、中性が"is"."ea","id"でこれらは指示代名詞としては最も指示性の弱いもので「それ」というほどの意味だそうだ。三人称代名詞として使用する際は"is"「彼」"ea"「彼女」と訳すのはわかるが"id"はどう訳すのだろう。「それ」とするしかないか。これらの人称代名詞はお決まり通り性、数、格に従った曲用がある。ちょっと退屈でたまらないが、一応すべての曲用を確認しなくてはならない。"is"「彼」の曲用"is","e-jus","ei-","eum","eo-"、複数形は"ei-,ii-,i-","eo-rum","ei-s,ii-s,i-s","eo-s","ei-s,ii-s,i-s"。複数形主格は"ei-,ii-,i-"と三種類の形があるのだそうだ。ここまででもうわたしはウンザリしてしまった。このあと"ea"「彼女」、"id"「それ」が控えているというのに。しかしここは初代若乃花のことば「人間、辛抱だ」を思い出して凌がなくてはいけない。"ea"「彼女」、"id"「それ」を列挙する。
「彼女」"ea","e-jus","ei-","eam","ea-"、"eae","ea-rum","ei-s,ii-s.i-s","ea-s","ei-s,ii-s,i-s"。
「それ」"id","e-jus","ei-","id","eo-"、"ea","eo-rum","ei-s,ii-s,i-s","ea","ei-s,ii-s.i-s"。疲れた。しかしとにかくこれで人称代名詞はすべて確認した。指示代名詞については今回はもう見る気がしないので別の機会にする。しつこいようだけれどもう一度確認。
「彼」 "is","ejus","ei","eum","eo"、"ei,ii,i","eorum","eis,iis.is","eos","eis,iis,is"。
「彼女」"ea","ejus","ei","eam","ea"、"eae", "earum","eis,iis.is","eas","eis,iis,is"。
「それ」"id","ejus","ei","id", "eo"、"ea", "eorum","eis,iis,is","ea", "eis,iis.is"。
ラテン語の「数」については「単数」と「複数」しかない。すべての言語ついていえるのかどうかは知らないがおそらく「単数」は基本的な概念だと思う。では「複数」についてはどうかというと、これはそれほど単純ではないようだ。複数概念を二以上の「数」だとする文化もあれば、二つのものを一組としてこれを「複数」とは別物と捉える言語だってある。例えばサンスクリット語や古典ギリシア語などの「双数」はその代表で、そのほかにも三つのものを一組として「双数」「複数」とは別立てで捉える言語だって考えられる。このあたりはそれぞれの文化と密接に絡んでいてちょっとよくわからない。まあラテン語についていえば「単数」と「複数」しかないのだから、わたしのような初心者には憶える事柄がそれだけ少ないのでこれは喜ばしいということでおさめておくことにする。
ところで今まで確認してきた時制としては現在形、未完了過去形、未来形があるがこれらはすべて直接法能動相だった。受動相はまだ手をつけていない。しかし困ったことがある。デポネンティアつまり能動欠如動詞の存在。簡単にいえば語形は受動相だけれども意味は能動相という動詞群があるということ。このことを意識していないととんでもない日本語訳ができあがってしまうから注意が必要、というわけで次回では受動相について考えてみたい。考えるだけではつまらないので、また簡単なラテン語文で頭をウォーミング・アップしておこうか。
"In oppidis Italiae erant et ludi et scholae. In ludis pueri elementa prima discebant, sed in scholis Graecos poetas maximeque Homerum legebant. In ludo vir qui pueros exercebat magister appellabatur, sed schola docebatur a viro doctissimo qui appellabatur grammaticus. Scholae pulcherrimae saepe erant et columnis marmoreis et statius Minervae ornatae erant. Nam Minerva dea sapientiae est. Grammaticus discipulis verba Homeri cotidie recitabat et discipuli verba grammatici iterabant iterabantque. Denique verba Homeri memoria tenebant. Quot verba Homeri vos memoria tenetis?"(注1)

(注1)『初等ラテン語読本』2頁 田中秀央 研究社 1996年4月20日19刷

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