蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

羅甸語事始(二十二)

2005年12月29日 05時37分30秒 | 羅甸語
"Jus autem civile vel gentium ita dividitur: omnes populi, qui legibus et moribus reguntor, partim suo proprio, partim communi omnium hominum jure utuntur: nam quod quisque populus ipse sibi jus constituit, id ipsius proprium civitatis est vocaturque jus civile, quasi jus proprium ipsius civitatis: quod vero naturalis ratio inter omnes homines constituit, id apud omnes populos peraeque custoditur vocaturque jus gentium, quasi quo jure omnes gentes utuntur. Et populus itaque Romanus partim suo proprio, partim communi omnium hominum jure utitur. "(Justinianus, Inst. 1.2.1)(注1)
「さらに民法と万民法(国際法)は次のように分けられる:いろいろな法や規則によって支配されているすべての民衆は、ある者たちは彼ら独自の法を、ある者たちはすべての人々に共通の法を持つ:なぜならば、それぞれの民衆が自分自身のために法を制定するので、これはその市民自身に特徴的なものであり、市民自身の独自の法という意味で市民法と呼ばれる:これにたいして商取引は自然にすべての人々の中に確立されるという理由で、それ(万民法)は全ての人々においてまったく等しく管理され、全ての部族がこの法をもつという意味で万民法(国際法)と呼ばれる。さてそんなわけでローマ(世界)の大衆は、一部は彼独自の法を、一部はすべての人々に共通の法を持つのである」
正直言ってこの文章は今のわたしにはちょっと難しすぎたようだ。古代ローマ法に詳しい人ならばなんのことはないようなターム、たとえば"JUS GENTIUM"や"JUS CIVILE"の意味からしてわたしには馴染みのないものだった。英和辞典などを開くと"JUS GENTIUM"を「国際法(注2)」、"JUS CIVILE"を「民法(注3)」としているが古代ローマにおけるそれは現代の国際法や民法とは同じというわけではない。それで上記の邦訳文でもJUS GENTIUM"を「万民法」としたりしてみた。しかしそもそも古典語に限らずその解釈に梃子摺るのが代名詞だろうと思う。「それ」とか「あれ」とかいわれてもそれらがいったいが何を指示しているかわからないと文章が判じ物になってしまう。外国語翻訳の実力のない者が訳すと代名詞だらけの邦文ができあがるが、これは特に人文系の専門書に時折見かけられる。むかし学校に通っていた頃、ゼミで外国語文献を読むときなど諸先生方が盛んに注意していた事柄の一つが各代名詞は何を指示しているのかということだったことを、今回のユスティニアヌスⅠ世の市民法大全(Corpus Iuris Civilis)法学提要(Institutionen)読みながら思い出したものだ。
というわけで、今回も引き続き所相について勉強してみたい。まずは未完了過去について"amo"で見てみると、
"ama-bar","ama-ba-ris","ama-ba-tur","ama-ba-mur","ama-ba-mini-","ama-bantur"となる。ちなみに現在形では
"ama-bam","ama-bas","ama-bat","ama-ba-mus","ama-ba-tis","ama-bant"だった。ここでは複数二人称の形が"r"音のない"ama-ba-mini-"となるのという点で特徴的だろう。
同じく"amo"で未来形所相を見ると
"ama-bor","ama-beris","ama-bitur","ama-bimur","ama-bimini-","ama-buntr"となる。未完了過去形で"a"音だったものが未来形では"e"音や"i"音、"u"音になってくる。言語学的にはどのように説明されているのかわたしにはまったくわからないけれども、なんだか未来形所相は未完了過去形所相に比べて音が鋭角的な印象を受ける。まるで未来へと突き抜けていくみたいな感じなのだ。反対に未完了過去の方は吸い込まれるような感じといったらよいか。もちろん音についての個人的な印象はきわめて文化的影響下にあるものなので、古代ローマ人たちがわたしと同じように感じていたなどといえないことは充分承知の上でこんなことを書いている。知らない言葉を学ぶ楽しみの一つにはその言葉の意味ばかりではなく、音やリズム、高低強弱について自分なりに想像してみたり妄想してみたりするということがある。言葉というものは先ず第一に「音」なのだから当たり前といえば当たり前の話しなのだけれども、わたしのように普段は「音」としての言葉より文字としての言語にしか接することのない者にとっては、そのことがついつい忘れがちになってしまう。致し方ないことではあるのだろうが、このことについては充分に注意する必要があると思う。
今回もあまり勉強が進まなかった。冷えたビールがおいでおいでをしているからなのだが、そんな誘惑に耐えつつ、最後にまた自分への宿題を貸すことにしよう。「法学提要」はちょっと難しすぎたのでもっと簡単なものはないものかと探してみた。田中秀央の『初等ラテン語讀本』に簡単そうな文章があったのでこれを邦訳してみることにした。
"Midas, rex Phrygiae, quod olim Baccho placuerat, egregio munere a deo donatus est. "Delige, rex magne," inquit deus, "id quod maxine cupis; hoc tibi libenter dabo." Tum vir avatus mirum donum impetravit, omnia enim quae suo corpore tangebat in aurum mutata sunt.Protinus rex laetus regiam domum percurrebat manuque vasa, mensas, lectos, omnia tangebat. Inde ubi nihil ligni aut argenti in aedibus manebat, gratias pro tanto beneficio Baccho persolvit. Tandem labore fessus cenam poscit avidisque oculis dapes splendidas lustrat. Mox tamen ubi piscem ad os admovet, cibus in aurem statim mutatus est; rex igitur, cujus in faucibus rigida haerebat massa,vinum poscit; idem evenit. Tandem rex esuriens, quod nihil nec edebat nec bibebat compluribus diebus, maximis precibus Bacchum orat. Inde cum risu deus fatale donum amovet."(注4)

(注1)『新羅甸文法』100頁-101頁 田中英央 岩波書店 昭和11年4月5日第4刷
(注2)JUS GENTIUM - The law of nations. Although the Romans used these words in the sense we attach to law of nations, yet among them the sense was much more extended.「国際法」
(注3)JUS CIVILE - Among the Romans by jus civile was understood the civil law, in contradistinction to the public law, or jus gentium.「民法」
(注4)『初等ラテン語讀本』10頁 田中英央 研究社 1996年4月20日19刷


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