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蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

新装開店

2005年10月15日 05時16分36秒 | 本屋古本屋
「流行言語」の回で北沢書店の改装工事についてちょっと触れた。で、十月十二日新装開店なった店舗を覗いてみた。第一印象は「なんだ、こりゃ」といったところ。
要すれば一階の新刊書売場は小学館の関連会社「昭和図書」が出店する「ブックハウス神保町」になってしまい、二階の古書売場だけが残ったわけだ。その結果「約10万冊あった在庫は一挙に3万冊を切る」と毎日新聞の記事が報じている。洋書の売り上げが落ち込んでとうとう北沢も敗北したかと、少々寂しい気分になった。以前から店売りで儲かっているようにはとても見えなかったから、早晩こういうことになるだろうとは薄々感じてはいたが、なってみるとやはり良い気分はしない。これで北沢書店は表向き洋古書専門店となってしまったわけだが、洋古書といえば小川町に崇文荘がある。しかし北沢は英語系出版物を主に取り扱っているので崇文荘とは雰囲気がまったく異なる。まあ古書部の店舗が残っただけでも慶事と思わなくてはならないのだろう。
ところで第一印象「なんだ、こりゃ」の原因は一階の「ブックハウス神保町」にある。全体に濃いブラウンの色調をベースとした重厚な雰囲気は、まるで老舗デパートの紳士用品売場と見紛うほど。そこに日本語の児童向け図書が並んでいるのだから、違和感というよりも痙攣的不快感に苛まれてしまう。わたしには「ブックハウス神保町」が客に向けてどのようなメッセージを発信しようとしているのか、よく解らなかった。それともこのような「高級感」が大好きな連中をあからさまにターゲットにしているのだろうか。まあそうしたいのならするのは勝手だが、一言申し述べるならば、わたしたち書痴は雰囲気にはごまかされない。
話は変わる。南海堂の店先にニコライ・ハルトマンの『存在論の基礎付け』が出ていた。高橋敬視訳のこの本はコンディションが良いと八千円はするが、それが千八百円の売価だった。紙は日焼けしているし函も汚い。傍線もしっかりと引かれていたりして、これほどコンディションが悪ければ普通は千円もしないところなのだけれども、それでも千八百円という値がつけられるということは、今にしてなおこの本の価値が高いことの証でもある(のだろうか)。じゃあ買ったのかって。いや買わなかった。買っても読む暇がないし、飾っておくならもっとコンディションのよいものを買う。それと気になったのだが、岩波の辻善之助著『日本仏教史』全十巻が山陽堂書店と大雲堂書店に出ていた。山陽堂書店が一万円で大雲堂書店が一万二千円。このシリーズが安値で売られているのは今まで見た記憶がない。もしかしたら近々新しい刷りで出版されるのかもしれない。
似たようなことが今までにもあったので、ふとそう思った。

流行言語

2005年10月09日 02時40分03秒 | 本屋古本屋
北沢書店がいま改装工事で休業中だ。どうも一階の新刊書売場のレイアウト変更だけで、二階の古書部門は手をつけていない様子だが、古書売場のレイアウト変更なんておおよそ無意味に思える。古書についていえば、いくら目立つところに展示しても売れないものは絶対に売れない。逆に棚の隅に隠れているような本を探すのが書痴の楽しみでもある。そんなこともあって、古書店で売場の改装工事をしたなどという話は聞いたことがない。
先月八重洲ブックセンターの売場改装が終了した。こちらは営業しながらの改装だったので順次の工事完了だった。建築関係のコーナーが広くなったのはうれしいのだけれども、洋書売場の面積が減ってしまった。以前はワン・フロアーすべてが洋書だったが改装後は三分の二ほどになった。ここの洋書売場は英語が主流でその他の外国語(といってもフランス語とドイツ語しかないが)はかなり少ないスペースしか割り当てられていない。とくにフランス語は改装前よりもさらに少なくなっているように見える。それでは英語の本は充実しているのかというとこれもやはり偏りがあって、ビジネスと自然科学系書籍が圧倒的に多い。人文科学系は明かに改装前より減っている。まあ場所柄売れる本の傾向を睨んでの品揃えなのだろう。この店に新メガ版のマル・エン全集を並べたってそうそう売れるとも思えないが、しかし小説本が少ないのはちょっと気になる。
これに比べると丸の内側の丸善は八重洲ブックセンターに比べてさすがに洋書は充実している。しかしこちらも英語が主流。その次にスペースを割いているのがフランス語でその次がドイツ語、あとはその他の外国語が申し訳ていどに置いてある。日本橋の頃の店舗でも洋書売場は充実していたが、その流れを引き継いでいるのだろう。しかしドイツ語については日本橋時代より明かに量が少ない。これはおそらく外国語学習人口に占めるドイツ語の割合が減少している最近のトレンドを反映している。実用という意味では英語以外はフランス語もドイツ語もほぼ同じくらいの需要だとは思うのだが、それでもフランス語人気が相変わらずの様子というのは、プライベートな生活においてもフランス語を専ら使っていたというロシア貴族の心情と通底する日本人が多いということの証左なのだろうか。もしそうだとしたらまったく馬鹿げたことだと思う。
そうそう、ブックセンターにも丸善にもロエブが置いてある。その志は高く買うけれども、どうせ置くならば全巻並べてくれといいたい。かなりの場所を取るとは思うのだが、あれを二三十冊程度並べたところで大して意味がない。西洋古典を選り取り見どりつかみ取りできてこそ、はじめてこれを文化的生活という。もっというならば、このロエブがやたらと高額だ。じつはこちらのほうこそ大問題なのかもしれない。

芳香

2005年09月20日 05時54分07秒 | 本屋古本屋
神保町の小宮山書店が週末になると店の裏の車庫を開放してガレージセールを行っている。並んでいる品物自体にめぼしいものがないので、わたしはめったに覗くことはないのだけれども、それでも一ヶ月に一度くらい気が向くときもあってそんな折にはガレージの中に入ってみる。しかしそこにはものの五分と留まったためしがない。
前に「古書肆」の回で猫の汚物の香り立ち込める古本屋の話を書いた。嗅覚が少々敏感なわたしにはとても耐えられない環境だった。実は小宮山書店のガレージも異臭がするのである。犬猫のそれというのでもない、いささか形容し難い香りが漂っている。あれは古本の匂いではなくてどうもセメントの匂いと他のなにかが混合したもののようだ。これと同じ匂いがじつは東京古書会館地下のホールにも漂っている。新装なった東京古書会館での初めての古書展が開催されたとき、わたしは勇んで出かけたのだが、先ずホールへ降りる階段辺りでこの匂いに気付いた。それは一段一段と下って行く毎に強くなってゆき、ホール入り口前の広間で最高潮に達した。そのときから随分と時間が経っているのだが未だにこの匂いは消えていない。古書展を開催する側はもう少し匂いにたいして気を使ってほしいものなのだが、そんな様子は一向に感じられない。まさか古本屋は匂いに鈍感になってしまっているというわけでもないだろうに。
小宮山書店のガレージや東京古書会館のホールの匂いは論外としても、古本屋に独特の香りが漂っているということは、大方が認めているところだと思う。古書にまつわるエッセーには必ずといってよいほど取り上げられるネタだから。古書店一軒毎に香りは異なるのだけれども、それら色々な香りに共通する何かがある。しかしではそれは何なのだと尋ねられると、返答に困ってしまう。
書痴にとってこの香りは、「猫にマタタビ」と同じくらいの効果があるのだが、これに敢えて逆らっている店もある。同じく神保町の東陽堂などはその一つで、いついっても店内に香が焚かれている。まあ仏教書を専門に扱う店だから、ということもあるのだろうけれど、ここに来るとわたしなどはほっとしてしまう。古書の香りで半分酔っ払い状態になっているところに異質の香りと出会うと、なんだか正気に戻されたような気分になる。しかし香りなら何でもよいというわけではもちろんない。古書店で花の香りや、もつ焼き屋の匂いを嗅ぎたいとは、少なくともわたしは思わない。國書刊行会會の黒っぽい本の並んだ書架を前にしているときにもし金木犀の香りがしたら、と想像しただけで気分が悪くなってくる。
東陽堂で思い出した。むかしむかしこの店に國書刊行会會の甲子夜話(三冊)が棚に並んでいた。三千円くらいなら買ってもいいかな、と裏見返しに貼ってある値札を見ると三千円ではなくて三万円だった。まだ平凡社の東洋文庫からは出ていなかった頃なので、活字本としては國刊のこのシリーズしかなかったためなのだろう。
この前、久方ぶりに西神田の日本書房を覗いたら甲子夜話(三冊)を千円で売っていた。もちろん、購入した。

仮綴本

2005年09月11日 04時55分14秒 | 本屋古本屋
高円寺の都丸書店を覗いてみた。本店ではなくて中央線ガード下の支店のほう。随分以前ここの棚にバレリーのカイエがずらっと並んでいた。大判の洋書というのは迫力があるものだが、いつの間にか売れてしまった。もっともわたしはフランス語が解らないので多分購入することはなかったろう。この店は店内にも面白いものがあるけれども、店の外側に作り付けられた棚に並ぶ廉価本のなかにも掘り出し物が多い。とくに人文系洋書の廉価本コーナーとしては神田の崇文荘にも劣らぬ内容ではないだろうか。しかし廉価本ゆえその大半はコンディションがわるい。専門家が放出したものにはコメントや傍線の書き込みが多く、わたしでも購入するのをためらってしまう。
そんななかできれいな本があったので買ってしまった。フィレンツェのLa Nuova Italiaから刊行されたIl Pensiero Filosofico叢書の第十一巻、"Il Pensiero degli Idéologues Seienza e filosofia in Francia (1780-1815)"という仮綴本。八百五十ページほどの浩瀚なものだが、まだ一回も読まれていないことは明らかだった。なにしろ天や小口の部分が裁断されていないのだから。自慢ではないがわたしはイタリア語はまったくといってよいほど解らない。それでも買ってしまったのはいつかイタリア語を学んでこれを読むときもあるだろうという期待があるからだ。もっともそれがいつになるのかは見当さえつかないが。もう一つの理由は値段が恐ろしく安かったこと。500円という値札のうえに300円の値札が貼り付けられていた。概して英語以外の洋書のセコハンは安い。読む人間が少なくなかなか捌けないからだ。とくに西ヨーロッパ圏ではイタリア語やスペイン語はすランス語やドイツ語の書籍より安価であり、ロシア語なども冷遇されているようだ。これが北欧諸語となるともう二束三文。そりゃあそうだろう、デンマーク語やスウェーデン語、格が十幾つもあるフィンランド語の出版物を読める人間がこの日本にそう多く住んでいるとも思えない。
それにしてもこの仮綴本ってのはいいですねえ。ヨーロッパの伝統として本の装丁は購入者の側でおこなうので、あちらの古書は飾っておいて見栄えのするものが多い。家具や食器と同じように扱われている。だからサザビーなどで競りにかけられるレベルのものも出てくる。そしてそのような立派な装丁を施される前の仮綴状態の本に、わたしは生まれたばかりの赤子のような初々しさを感じてしまう。いま書いたように本の装丁を購入した者がおこなうということは、それができる経済的余裕のある人々のために本があったということで、この構図は現在でもあまり変わりはない。たとえばエコールノルマル・シューペリュー受験のための書籍購入費は半端ではないとどこかで読んだ記憶がある。要すればあちらでは本が高いのだ。だから公共図書館が充実している。
そうであればこそ、一九四〇年ボローニア生まれのフィレンツェ大学教授Sergio Moravia先生の力作がたった300円というのはちょっと可愛そうじゃないか。神保町のイタリア書房辺りで購入したならば、はたしていくら位になったことだろう。おそらく五千円以上はするはずだ。そういえばイタリア書房にも随分といっていない。自分の解さない言語の本を扱う店ということもあるのだけれど、靖国通からちょっと外れているというのも原因。とはいえ専大通をたかだか五十メートルほど入るだけなのだが。以前はスペイン語やイタリア語のセコハンも置いてあったが最近は新刊書ばかりなので棚を眺める面白さはない。丸の内のゲーテ書房同様自分の求めている本があって初めて役に立つ店になってしまった。

鎌倉舊書舗

2005年08月16日 03時59分03秒 | 本屋古本屋
鎌倉という町はもちろん観光地として有名だけれでも、古書店の数も多い。古書店専門サイト「日本の古本屋」で検索してみると、芸林荘、遊古洞、公文堂書店、四季書林、木犀堂が表示される。以前は鎌倉駅東口の横須賀線ガード寄りに田園書房という店もあったのだが、いつのまにかなくなってしまっていた。
そもそも観光地でこれだけの古書店が営業できるということは、それだけ客がいるということ。つまり古書店が観光客目当てに商売しているとはとうてい思えないので、これは地元にこれらの店を支えている顧客が相当数いるということなのだ。中でも公文堂書店は店内も広く黒っぽい本が棚に充満しているといった具合で、とにかく魅力的な店なのだが、最近何回か鎌倉を訪ったおりに寄ってみたものの、店は閉じられたままだった。公文堂書店のホームページもなくなってしまっているし、なんだか嫌な予感がするなあ。
公文堂以外の店はどうかというと、みな小奇麗でわたしがいつも覗いて歩くような店とは若干趣を異にしている。店構えにしても品揃えにしても、ちょっと気取ったような雰囲気といったら分かってもらえるだろうか。だから掘り出し物があろうとはまず期待できない。これらの店は小町通とか駅近くにあるので、おそらく観光客を意識して瀟洒な店構えにしてあるのかもしれない。値段を見ると高いというわけではないが、かといって安いとも思えない。わたしは古書の価格をいつも神保町の値段を基準にして高廉を判断している。鎌倉に古書店が多いのは文筆家が多く在住しているからではないか、と思うかたがおられるかも知れない。しかしプロの文筆家は資料を地方の町の古書店から仕込むことはまずないといってよい。いつだったか神保町の高山本店にいってみたら幾つもの段ボール箱が積まれていて出荷を待っていた。箱に張られた伝票を覗いてみると東大阪市の司馬遼太郎とあった。松本清張が一誠堂を贔屓にしていたことは有名だが、事ほど左様にプロはだいたい神田や本郷などの店を利用してる。だから町の古書店を支えているのはプロというよりも、むしろアマチュアの書痴たちなのである。プロ作家の書架が意外と貧弱であるのはむしろ当たり前かもしれない。彼らは文を創りだすプロではあっても、本好きであるとは限らないからだ。そして「本好き」とは必ずしも「文章好き」というわけではない、ということも確認する必要がある。世に「積読」という言葉がある。この意味不明とも思える言葉がいつごろから使われだしたのかわたしは知らないが、書痴のほとんどが「積読」派であることは、自分自身を省みるにつけつくづく正しいと思う。
公文堂書店を除く他の店は、おそらく書痴が通う店ではないのだろう。読書家、そう読書家なら入りたくなる店なのだ。言葉の世界が大好きな人々、正統的な愛書家とでもいったらよいか。彼らのためにこそ、それらの古書店があるのかもしれない。一方わたしたち書痴はというと公文堂書店のような店にもぐり込み、棚の間をはいつくばりながらおもいっきり黒っぽい本を日がな一日探しまわるのである。

異臭的愛猫

2005年08月02日 05時50分43秒 | 本屋古本屋
大仏次郎邸が猫屋敷だったということを前に書いた。想像しただけで頭が痛くなってくる。わたしは別に猫が嫌いというのではないけれども、臭いだけは願い下げだ。これはなにも猫に限ったことではないのであって、例えば人間でも同じこと。だからわたしは他人の生活空間にはほとんど足を踏み入れたことがない。自分の家ではない臭いを嗅いだだけで苛立たしくなってくるからだ。この感覚って、判る人には判ると思います。
学校に通っていたころ、一年後輩に古書業界のセミプロみたいなやつがいた。彼はある古書店の店員みたいに振舞っていて、古書展などにその店が参加すると、かならず舞台裏でこまごまと働いているのを見かけたものだ。とにかく本が好きだったが、彼は文学系、それも詩歌などをその守備範囲としていたので、当時のわたしの興味とはかなりかけ離れていたのだが、それでも本好き、古書店巡り好き(彼の場合は半ば仕事)という点で意気が合ってしまったというところだった。
何回か彼が背取り(注1)をするのに付きあったことがある。なかなかの物知りで、業界情報など教えてもらったものだ。その彼とあるとき阿佐ヶ谷の古書店を訪れたことがある。小さな店だった。棚を見てもわたしの気に入った品物は置いていなかった。
その店は入ったときから異様な臭いがして、一瞬わたしは鼻を押さえてしまった。不愉快な臭いには違いないのだけれども、いったいそれが何の臭いなのか見当も付かなかった。ふと目を三和土にながめ遣ると三十センチ四方厚さ十センチほどの升に砂を敷き詰めたものが置いてあった。臭いの元だった。さらによく見ると砂の一部が湿ったように黒ずんでいる。猫を飼ったことのないわたしでも、それが猫トイレであることはすぐにわかった。居たたまれなくなったわたしは棚を物色している後輩を残して店の外に撤退せざるをえなかった。
それにしても、なんという古書店なのだろう。街の古書店には結構特徴的というか奇抜というか、あるいは唯我独尊といってもよいが、妙な店が偶さかある。この店などはその典型といってもよいのではないか。まったく商売する気がはたしてあるのだろうか、と一人で憤慨しているところに後輩が出てきて「Sさん、たいしたことないじゃあないですか。あの程度のことは我慢しなくはプロじゃあないですよ」と言い放った。後輩の説明するところによると、件の猫トイレはひやかし客除けなのだそうだ。確かにあれではぶらりと入った客はすぐに退散すること先ず間違いない。女性、子供、マンガや大衆小説しか読んだことのない連中は即刻退散か。本を探すという強い意志とそれにお金をたんと持った者だけが、あの異臭漂う状況の中、忍耐の挙句に百年待った宝を手にすることができるというわけだ。
まったく「プロ」向けの古書店とはこういう店なのかと当時は感心したものだが、今になって考えてみるに、あの店は単に猫ボケした店主が商売よりも猫を優先していただけのいわゆる「妙な店」のひとつに過ぎなかったのではないか、そう思えてならない。

(注1)ご存知ない方に、蛇足的説明。「背取り」とは市場ではなく古書店から通常の客同様に本を購入して他の古書店に転売し、その利鞘を稼ぐ行為。梶山季之の小説に『せどり男爵数奇譚』という面白い作品があるので、これを読めば「背取り」が判ります。

胆小的人

2005年07月16日 06時43分38秒 | 本屋古本屋
蒲田に通っていたころ、仕事が終って駅にむかう道すがら、一杯飲み屋やパチンコ屋、怪しげな風俗店などにはまったく興味が沸かず、西口駅前に点在している古本屋を覗いてみるのが楽しみだった。
当時は四、五軒ほどはあったと思うが、どの店も古書店というよりは「古本屋」といったほうがはるかに似合っていた。アーケードの店は明るいが漫画とエロ本がやたら多く、まともな古書は申し訳程度にしか置いていなかった.いっぽう西口を出て右のところにあるI堂書店は、こちらは少々黒っぽい本を置いてある昔ながらの店といった感じで、棚を眺める瞬間は心ときめくのだけれども早々に期待が裏切られる、その繰り返しだった。
いつだったか、駅前からかなり離れたところにある古本屋を尋ねたことがある。「尋ねた」という言い様は正確ではない。仕事をサボって散歩していた折に偶然見つけたのだ。Y駅にかなり近かったように思う。それは地元の人々しか利用しないようなあまり活気のない商店街の中にあった。活気のない商店街は、別の見方をすれば気心知った者同士の濃密な気配が感じられる閉鎖的コミュニティともいえる。
その店の構えは古本屋としては、そしてその立地を考慮するならば比較的大きな方かもしれない。が、これはよくあることなのだけれども、まことに残念なことにシャッターが閉じられていたのだ。二階建てのその店舗は雰囲気からしてけっして無人というわけではないようだった。明らかに人が生活している匂いがする。いや、本当に匂いがしたわけではない、これは暗喩。しかしシャッターの隙間からほんの少し垣間見える店内には書籍と思しい荷が山と積まれていて、奥のほうから漏れてくる明かりをほとんど遮っていた。もしかしたらこの店はひやかし客を排除するために、店主に直接声をかけて入店させてもらうシステムを取っているのかもしれないと思った。例えば都立大学駅近くにあるT書房は呼び鈴を押して店内に入れてもらうようになっていた。これもひとつのやりかただと思う。滅多に客の来ない店はこれでもよいのではないか。呼び鈴を押してまで中を見たがる客は本を探そうという強い意志を持っているに違いないから。
わたしは店の裏に回ってみた。ごく普通の民家にあるような引き戸の玄関があり、横に呼び鈴の押しボタンが取り付けられていた。聞き耳を立てると、家の中からはごく日常的な家庭の団欒を思わせる喧騒が洩れていた。そのときわたしはどうしたものか呼び鈴を押してはまずいような気がした。どうしてかと尋ねられても答えるのが難しい。まあ、強いていうならば小心者だからだろう。せっかく皆でゆったりと寛いでいるところに入り込んで「本を見せてください」とはとても言い出せない。しかしもしかしたら相手はこのとき将にお客を待っているかもしれない。とたんに何もかも億劫に感じられてきた。恐らくわたしの興味を引きそうな品は置いていないだろう。気を使いながら本を見せてもらって買いたいものがなかったときの気まずさも耐え難い。わたしはいま来た道を駅にむかって歩き出した。
帰宅してから『全国古本屋地図』で調べてみた。該当する古書店は載っていなかった。

横濱舊書舗

2005年07月09日 05時18分31秒 | 本屋古本屋
横浜には偶さか所用ででかけるが、そのおりかならず誠文堂書店を覗くことにしている。去年まで伊勢佐木町通りに面した三階建てビルの二階にあった店舗が今年から馬車道の県立博物館、昔の横浜商銀の隣に建った新築ビルの二階に移った。
以前の店舗より若干狭くなったようにも感じられるのだが、書架の品物はよく整理されていてとても見やすい。もっとも整理されているという点では伊勢佐木町時代と変わりない。ここも専門書しか並べない頑固な店で、伊勢佐木町の店にはひやかし客お断りの紙が入り口に貼ってあった。一見するとまったく入りづらい店なのだが、店内の雰囲気はいたってよく、レジに座っている店員(あるいは店主)も愛想がよい。馬車道に移ってからはそんな貼り紙もなくなってしまったが、愛想のよさは変わっていない。場所柄サラリーマンやOL風の客が目に付くものの、マンガしか見ない小僧どもは入ってこない様子だ。店舗が二階にあるということだけでも、場違いな客を排除する効果は高いと思う。
横浜の古書店で有名なのは野毛の天保堂苅部書店だが、ここは専門書から通俗小説まで何でも置いてある。ジャンルの幅はたしかに広いことは認めるとしても、内容的には誠文堂よりあきらかに劣る。いやそんな言い方をしてはいけないのかもしれない。内容的に劣るというのは、あくまでわたしの好みの分野についてのみの判断に過ぎないのだから。異なる分野に興味のある人ならばまた別の評価をくだすはずだ。それから大岡川沿いの通りにある某書店は男色ものを揃えている。アダルトショップなどではなくて、れっきとした古書店なのだからこれは立派だ。特殊な分野で伸びる店があってこそ、初めてこの業界全体のレベルが向上するというものである。
風俗ものといえば神保町の芳賀書店。それもビルになる前の木造店舗のころの芳賀書店はおもしろかった。左翼系出版物が並んだ棚のとなりに緊縛写真集がずらっと並んでいたりしたなあ。ビニ本(もはや死語)で儲けてビルを建てたけど、今では単なるアダルトショップになってしまった。いつだったか神保町を徘徊していたら一人の紳士が神田警察署のお巡りさんに「こがしょてんはどこでしょうか」と尋ねていた。そしたらお巡りさん「え、こがしょてん。はがしょてんじゃあないですかあ」なんて聞き返していたっけ。ポリスマンなんでしょ、多分自分もお世話になってるから芳賀書店になるんだろうけれど、もっと勉強しなさい。当然ながら古賀書店は音楽書、楽譜の有名専門店。
ところで以前はオデオンの五階に先生堂書店がフロアの半分くらいを占めて出店していたが、いまは伊勢佐木町通りでこじんまりと営業している。この店も野毛の天保堂苅部書店と似たような品揃えだ。横浜の古書店はほかにも何軒かあるのだが、そちらにはあまり足を向けない、わたしの好みの品を置く可能性が低いし、それに値段も誠文堂より明らかに高めなのだ。
ま、いろいろあるけれども自分の好むジャンルということでなく、店舗数だけ見れば関東近辺では最多の街といえるのではないかと思う。

八王子的記憶

2005年07月02日 03時31分06秒 | 本屋古本屋
所用で八王子に出向いた。横浜からJR横浜線を利用して一時間ほどで着いた。北口駅前の様子は昔に比べて随分と立派になってしまったものだが、繁華街を少し離れると以前と変わらぬ家並みがいたるところに見かけられる。
十年ほど前にK書店という古書の店が甲州街道のひとつ裏の道にあった。駅前や甲州街道沿いにも古本屋はあるが、このK書店はそれらとはことなり漫画や雑誌のバックナンバー、岩波以外の文庫本はいっさいなく、棚には黒っぽい品が隙間なく並び店の奥には和本を置いたりして、子供や冷やかし客が気軽に入店できるような雰囲気ではなかった。歴史物や国語国文、書道関係の書籍を多く扱っていたように記憶している。それほど広い店内というわけではないのだけれども、静かで落ち着いた雰囲気がそこにいる者の空間感覚を拡大して、店を出てから思い返してみると今いたところの広さが実際の二倍にも三倍にもなって感じられてくる、不思議な店だった。
当時は比較的自由な時間があったので、暇を見つけてはわざわざ八王子までやって来たものだ。それもK書店を訪れることだけのために。奥の和本を置いてある畳敷きの一画が、まるで茶室か文人の書斎のように見えた。さように生活臭が漂っていない非現実的な空間はもちろん演出されたものなのだろうけれども、そのような演出をするために売れ行きの良いコミックやビジュアルものを敢えて置かぬ店主の姿勢を眩しくさえ感じたが、しかしそれだけに来店する客は少なく、恐らく店売りではやっていけないに違いないとも確信した。もっとも巷の古書店で店売りだけで生活しいているところなどないといってよいのではないかと思うのだが。
わたしは用事を終えるとさっそくK書店へと向かった。何度も通ったところなので道順はしっかりと覚えている。周辺の様子は昔とほとんど変わってはいない。ここから三軒先だな、と確信して道を進んだ。が、見つからない。もしかしたら今日は定休日だったか。しかしかりに定休日で店を閉めていたとしても店舗の外観は忘れてはいないから、見紛ったりということはないはずだ。わたしは視覚印象の記憶にはいささか自信がある。その裏道を三度往復してたしかめたのだけれども、結局わたしの記憶にある店舗を見つけることはできなかった。店舗自体が取り壊されてしまったという可能性も考えられたのだが、立ち並ぶ家屋はどれもそれなりに時が経っている風情で、新築のものはわたしの見た範囲では確認できなかった。何年も古書店を巡っていると、偶さかこのようなことがある。マンションや駐車場になってしまったのならまだ諦めがつくところだけれども、まるで一軒の家が元々そこにはなかったかのように消えてしまう、これはなんとも心地のよくない気分だ。わたしの記憶があやふやというのでもなく、かといって店舗が見つからないというのも確かな事実なのだから。いや、ひょっとしてわたしの記憶が混乱しているということだってあるかもしれない。とするとやはりK書店はわたしの錯綜した記憶が創り出した幻だったのだろうか。
追記。日本古書通信社発行の『全国古本屋地図'98改訂新版』にはたしかにK書店は掲載されていた。

東京国際書籍交易會

2005年06月24日 03時28分57秒 | 本屋古本屋
毎年四月の下旬ころになると、東京ビックサイトで「東京国際ブックフェア」が開催されてきたが、ことしは七月に開催されるという。四月から七月に変更なった経緯は知らないが、わたしにとっては頗る迷惑だ。だってそうでしょう、蒸し暑くて雨勝ちな時期にやられた日にはたまったものではない。と当初は腹が立ったのだけれども、冷静になってよくよく考えてみると、どうこもれは事務当局の深謀遠慮なのではないかと思われだした。
わたしは「東京国際ブックフェア」をもう何年も前から観覧しているけれど、年を追うごとに盛大かつ一般的になってきている。十年ほど前は幕張メッセで開催されていたけれども、その頃はもっと落ち着いたこじんまりした雰囲気の催し物だったように思う。わたしなどは会場でのんびりとサンドイッチをつまみにビールを飲み、ベンチで居眠りをしたりしながら見て回ったものだ。幕張というロケーションが普通の人たちに「ちょっと覗いてみよう」って気にさせなかったのかもしれない。たしかにわたし自身にしてからが自宅からは遠いし、交通の便は悪いしで帰りの電車ではぐったりしてしまった。京葉線海浜幕張から東京駅まで戻り山手線で品川に出て、そこから京浜急行で横須賀までたどり着いた記憶がある。会場が東京ビッグサイトに移ったので新橋からゆりかもめを使うようになったが、やはり近くなったことを実感した。そしてわたしが実感したことは他の多くの人たちも実感しているはずで、だから一般公開日には「ちょっと覗いてみよう」派のお客がわんさか押しかけるようになった。賑々しいのはよいが過ぎるのも困りもので、硬派の出版社例えばみすず書房とか創文社などのブースの前で子供がはしゃぐ姿をわたしはあまり見たくはない。要すれば少々お祭り化してしまったこの催しを本来の姿に戻そうという意思が、事務局に働いたのではないだろうか。その結果がこの鬱陶しい時期の開催という形になって現れたのだと、わたしは密かにそう睨んでいる。雨が降ったら普通の家族連れは先ず来ない。その結果、やって来るのは業界関係者のほかには生真面目な読書家と、そしてわたしたち書痴ということになる。
「東京国際ブックフェア」は扱っているものがものだけに、最新技術やデザインの発表といった華やかさはない。とくに娯楽本以外のブースでは出展物も展示レイアウトもほぼ毎年同じといった状態で、これはこれで問題だと思う。そのほか作家の朗読パフォーマンスなどもあるが、他のブースの音響で聞こえなかったり、逆に朗読パフォーマンス側の音響機器の設定が悪く音が割れてしまっていたりなど、無神経なエベントが目立っている。運営する事務局はこのようなところにも目を配って、より意味のある催し物にしてもらいたいものと強く強く強~く、願うものです。