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蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

蔵書印

2005年08月28日 04時24分01秒 | 古書
「絶望的季節」の回で、わたしは自分の過ちをさらけ出した。二千円の値が付いていた宇井伯壽の『佛教汎論』を買いそびれてしまった件。
昨日、東京古書会館で開催されていた「ぐろりや展」を覗いてみたら『佛教汎論』の一巻物が函付き三千五百円で出ていたので今回は迷わず購入した。一見したところ傍線も書き込みなく小口もきれいだった。前回は函無しで二千円、今回は函付きで三千五百円。要すれば函代千五百円ということか。しかしコンディションは二千円のものよりよさそうだ。これは得な買い物をしたものだと気分が良くなってきた。神保町の東陽堂の廉価コーナーを確認してみたら昭和二十四年刊行の二巻物がまだワゴンに晒されていた。さらにわたしが購入したのと同じ一巻物もワゴンにあったのでひっくり返して函の後ろ側を見てみると、八千円の値段がつけられていた。わたしの買値より四千五百円高い。益々気分が良くなってしまった。
「絶望的季節」の回でも書いたのだが、わたしの古書探しコンセプトは「古書との出会いは一期一会と心得る」「古書は気合で買う」「買おうか買うまいか迷ったら、必ず買っておく」の三つだ。しかしこのときには書かなかったのだが、これには付け足しがある。それは「安い本には、必ず安い理由がある」ということ。よくやる失敗は全集や叢書物で「ききめ」(注1)がないものを掴まされること。しかしこれは古書店側に非があるのではなくてあくまで客の無知によるものだから、そんなときには勉強させてもらいましたと古書店に感謝するようにしている。さすがにこの種の失敗は最近ではなくなったが。それと落丁、乱丁のある本。本来こんなものは市場に出回ってはいけないのだけれども、どうかするとそのような本が古書店の棚に並ぶことがある。神保町やその他の場所の有名店ではそんなものはまづ置かないけれども、場末の古本屋にはどうかすると置かれることがある。良心的な店ではそのような本には「乱丁あり」と書かれた短冊を当該ページに挟みこんでおいてくれるので、客は事情を納得の上で購入するから問題ないのだが、そのような処置を講ぜずにシラっと店に並べてしまう悪質な店も中にはある。店先で一冊分の全頁をチェックするわけにもいかないので、もしそのような故障本を掴まされたら、以後そんな店には立ち入らないようにするしか手の施しようがない。あと傍線や書き込みのある本。一概に傍線や書き込みが悪いというのではない。中には有難い書き込みや傍線もあるのだけれも、そんなものはまあ一万冊に一冊あるかないかで、ほとんどすべての書き込み傍線は目障り至極だ。インクやボールペンではもう処置無しだが、鉛筆(赤鉛筆も含む)ならば対処方法がある。消しゴムで消せばよいのだ。昔の古書店の小僧はこの傍線消しが仕事のひとつだったと、たしか出久根達郎のエッセイに書いてあったと思う。人件費の安い時代ならではの話。今では傍線を消して高値で捌くより、少々安くとも早く捌いてしまう時代になってしまったようだ。するとやはりそのような本は安値で販売される。したがって客としては傍線書き込みのあるなしチェックを怠るわけにはいかない。たとえ書き込みが見つかったとしても、それが鉛筆書きならラッキーと思わなくてはいけない。色とりどりのボールペンで懇切丁寧な書き込みがなされた本を掴まされた日には、泣くに泣けない。
さて、はなしを三千五百円の宇井伯壽『佛教汎論』に戻すと、わたしは「安い本には、必ず安い理由がある」と常々注意しているものだから、この三千五百円という数字がどうも釈然としなかった。専門店である東陽堂が八千円の値段をつけているからには、それとほぼ同等のコンディションのこの本が四千五百円も安いというのが不気味でさえあった。書き込み傍線もなく、小口もきれい、箱もそこそこきれい。それではいったいどこに四千五百円分の落差を生じさせる原因があるのだろう。
帰宅してから気が付いた。一箇所だけ点検していない部分があったのだ。本扉、つまり本の題名が印刷されている頁を見ていなかった。わたしは文字通り恐る恐る本扉を開いてみた。原因が判った。題名の下には元の所有者の姓が、一文字しっかりと押印されていたのである。

(注1)「ききめ」というのは全集、叢書を構成する各巻のうち、その巻さえそろっていれば他に欠けた巻があったとしても全巻揃えと同等に扱われる、そのような巻をさしていう。

希臘語大辭典

2005年08月26日 05時23分37秒 | 古書
神保町の大屋書房の棚に出ているHenry George Liddell、Robert Scott、Henry Stuart Jones、Roderick McKenzieの編集による"Greek-English Lexicon"が相変わらず売れ残っている。売値が一万八千円は、この店に出ている品の中では高価な部類に入ると思う。この店ならもっと安く出るはずなのだが、崇文荘でも同じくらいの値付けがしてあるので、おそらくはその値段に配慮したものなのだろう。もう少し安ければ、つまり一万五千円くらいだったら購入しているところだ。しかし今差し迫って古典ギリシャ語の大型辞典を買う必要性がない。これの簡約版を持っているので充分に用が足りている状態だ。そのうちもう少し安くなったら、あるいは経済的な余裕ができたら買ってもよいと思っている。因みにこの辞典は定価で買うと三万八千円はするはずだ。そのような古典ギリシア語辞典など、多くの人々はおそらく一生手にすることはないだろう。学校で古典ギリシア語の初歩を学ぶ者もいるにはいるが、その大部分は初歩の段階で挫折してしまう(じつはわたしも挫折組のひとり)。挫折に耐えて初歩コースを終了できるのは西洋古典学者を志すまじめな人々(というか、変わり者)くらいなものだ。
さて"Greek-English Lexicon"の編者のひとり、Henry George Liddellは1811年2月6日生まれ、1898年1月18日に亡くなっているがこの高名な西洋古典学者はオックスフォード・クライストチャーチの学生監でオクスフォード大学副学長を務めた人。副学長といっても学長が名誉職であるため実際には副学長が学長ということになる。この先生がまだウエストミュンスター・スクールの学生監であった1852年、四番目の子供が生まれる。Alice Pleasance Liddellと名づけられた。結局Liddellは妻との間に六人の子を儲けている。Liddellは1856年オクスフォードの学生監に就任する。ここで彼は数学教師のCharles Lutwidge Dodgsonと親しくなる。
とここまで書けば、聡明なる読者諸賢にはもうお判りのことと思う。Charles Lutwidge Dodgsonとはいうまでもなくルイス・キャロルの本名であり、Henry George Liddellの娘Alice Pleasance Liddellこそ"Alice's Adventures in Wonderland" 「不思議の国のアリス」のモデルとなった少女その人である。
わたしが古典ギリシア語挫折組だということは上に書いたが、当時は古典ギリシア語―日本語辞典などなく、勉強にはこの"Greek-English Lexicon"の最も小さな簡約版を使っていた。辞書の編者名がLiddell & Scottとなってるのは判っていたが、そのLiddellこそがあのアリスのお父っつあんであると知ったのは学校を出てから随分と後のことである。まったくわたしは盆暗だったし、それは今もあまり変わらない。
ところでルイス・キャロルの撮影した写真にその聡明なポートレートを残してるAlice Pleasance Liddellはというと、1934年11月16日に八十二歳で亡くなっている。アリスはビクトリア朝時代の人だと思っていたが、亡くなったのが昭和九年だと知って妙に身近に感じられた。

絶望的季節

2005年08月08日 05時52分24秒 | 古書
先週の土曜に駿河台下の東京古書会館で開催されていた「がらくた展」を見てきた。目ぼしいものはなかったが、一点だけ興味ある品が出ていた。岩波書店から出版された宇井伯壽の『仏教汎論』一冊本。古書価格としてはだいたい六千円から八千円。これが二千円で出ていたのだ。もちろん函なし、少々汚れ有りだがしかしそれでも安いと思った。東陽堂ならこの倍以上の値段はするはずだ。中をのぞくと傍線も書き込みもなし。と、ここでわたしは最悪の判断をしてしまった。この本は今すぐに必要というわけでもない、そのうちこれよりもう少しコンディションのよいものが出てくるに違いない、だから今回は見送っておこう。
常日ごろ自分にも人様にも言っていること「古書との出会いは一期一会と心得る」「古書は気合で買う」「買おうか買うまいか迷ったら、必ず買っておく」、これらの原則をそのときどうしたことかすっかり失念してしまった。暑さのせいで瞬間ボケが生じたものか、原因ははっきりしないのだけれども、結果として「買おうか買うまいか迷った」あげく買わなかったのだ。その時点ではまだ自分の犯したこの重大な失敗には気付くこともなく、崇文荘二階の西洋古典の棚を覗いたり、大屋書房にまだリドゥル&スコットのギリシャ語辞典が売れずにあるのを確認して安心したりしながら靖国通りを歩いていた。
やがてたどり着いた東陽堂の店先にある特価本のワゴンを見遣ると『仏教汎論』二冊本があった。上下巻に分かれている二冊本は旧い版で装丁も安っぽいし紙質もあまり良くない。なにしろ昭和二十四年刊行の版なのだから。見た目には精々高くても千五百円といったところ。で、早速上巻裏見返しを見てビックリした。そこには鉛筆で五千と書かれていたからだ。これにはさすがにちょっと唖然とさせられた。さきほど「がらくた展」で見てきたものと同じ新版だったならばその値段に納得したかもしれないが、明らかにコンディションの劣る版が三千円も高いなんてちょっと信じられなかった。詩歌や小説本などでは初版本というものに値打ちがあるものもあるが、こと学術書に関しては内容勝負という側面が強いので、学説がよりしっかりとしたもの誤字脱字のないもの紙質が良くて読みやすいもののほうが値が張る。したがって学術書で旧版に価値があるというときには何か内容的に大きな差がある場合などに限られる。もしかしたら旧版のほうが学術的に価値ある内容なのだということをわたしが単に知らないだけなのだろうか。そのような知らないことにはしょっちゅう出くわしているからいまさら恥とも思わなくなってしまったが、しかしそれにしても悔しかった。
夏場の神保町徘徊は本当に疲れる。なんの収穫もないときも疲れるが、自分の判断が誤っていることが判ったときは絶望的な気分になる。

識別書的眼力

2005年07月25日 06時05分03秒 | 古書
中野駅北口の商店街サンモールにも以前は古書店があった。真夏のある日わたしはその***書店を訪ねてみた。時刻は午後二時ごろ、中に入ると一瞬真っ暗闇となり、そのあと徐々に目が慣れきて店内の様子が明らかになった。かなり黒っぽい本が棚に並んでいて、期待感を盛り上げる。近代文学関係に力を入れているように思われた。木製の棚は黒光りして年代を感じさせる。いかにも何か面白いものが掘り出せそうに感じられたが、当時でさえ既に都内三ヶ所の古書会館で開催される古書展がもっとも安くて好いものが手に入る状況になっていたので、大して期待してはいけないと自分を戒めた。店内には三四名の先客が品物を物色していた。わたしの目に付いたのは『近代和歌年表』くらいなものだったが、当時のわたしはまだ和歌・俳句の分野にはまったく興味がなかったので「見る眼」を持っていなかった。
不思議なことなのだけれども、この「見る眼」を持つと持たないとでは、店や即売展の棚の景色がまったく違って見えてくる。「見る眼」とは例えば猛禽類が遥か上空から地上の五センチに満たない野ねずみを見つけ出す能力、江ノ島の鳶が人間の持っているハンバーガーを識別できる能力と考えればかなり近い。叢書類やある特定のカテゴリについて蒐集し出すと、関係する本が頻繁に店に出回り出すといった経験をわたしたちはよくするが、これは「店に出回る」のではなくて、既に店にある品物に対してわたしたちに「見る眼」ができるので、探求中の本を見つけ出せるのだと思う。自分の探している古書なんてそれほど都合よく古書店や即売会には出くるはずがない。前にも書いたが十年、二十年という時間をかけ、しかも「見る眼」を培って丹念に探し回らなければ、なかなか見つかるものではないのだ。
だから何回も書くが自分の探していた本に出逢ったなら、迷いなど一切捨て先ずは購入すべきなのだ。わたし自身この一瞬の躊躇で手に入れ損ねた本がいったい何冊になることか。神保町を徘徊していて一誠堂の店の前に晒されている廉価本のなかにちょっと気を引くものがあったとする。他の店を見た後で買おうとして、十五分ほど後に再び一誠堂にやってくると、ほとんど間違いなく件の本は売れてしまっている。高額のために買わなかった場合でも、単に荷物になるのを嫌って買わなかった場合でも、悔やむ程度に差はない。とにかくちょっとでも気になったら購入してしまうことが肝要なのだ。それでこそせっかく持った「見る眼」の意味があるというものだ。

熟練地掌握語學辭典

2005年07月08日 03時51分30秒 | 古書
先週東京古書会館で催された「下町書友会」の古書展で愛知大学中日大辭典編纂処編集による『中日大辭典』(注1)を千五百四十円で購入した。出品した店は本八幡の山本書店だった。もう何年も訪れていないがこの店はよい。たしか中国関係でがんばっているところだ。ところでなぜ『中日大辭典』かというと、じつはこの辞書については二十何年来気になってしかたがなかったのだ。
むかしむかしわたしが学校に通っていた頃、取っていた授業のなかに中国語で西洋哲学史を読んでいくというものがあった。中国語などまったく勉強したことのない連中が漢文方式で中国語文を読むというのだから、今にして想い起せばかなり荒っぽい授業だったと思う。この授業の第一回目で担当の先生が紹介した辞書がこの『中日大辭典』だった。しかし当時定価四千円のこの辞書を購入することがわたしにはできなかった。つまりお金がなかったのだ。それでしかたなくもっと安い、ということはもっと小さめの辞書を買った。光生館から出ていた『現代中日辞典』(注2)なのだが、それでも二千円した。金のある奴らは高価な辞典や参考図書をどんどんと購入していたが、わたしは彼らをただ羨望するだけだった。参考図書は図書館で借りて用を足すことができるけれども、辞書は通常館外貸出しをしていない。そもそも辞書は四六時中傍に置いておかなくては使い物にならない。とにかくわたしは『現代中日辞典』を持って授業に臨むことにした。
二回目か三回目かの授業のおり、件の先生がわたしの辞書を目にして、なんと「こんな小さいのじゃだめだよ」といってくれたのである。わたしは本当に腹が立った。「買えればとっくに買っている。買えないからこれをつかってるんだろうが」と怒鳴りつけてやろうかというところを堪えてその場はただだまっていた。結局一年間その授業を受けたが、テキストの内容が先刻承知の事柄ばかりだったこともあって、わたしの小さな『現代中日辞典』は結構重宝し、現代中国文を読むのになんら問題ないことを実感した。この一件を通してわたしは辞書の良し悪しは大きさ厚さではなくて、使用する情況にかなり負うところがあるのだということを知った。この辞書はいまでもわたしのデスクの上のある。
わたしの小さな『現代中日辞典』は学校を出てからもときおり使用しているが、それでも大きいほうの『中日大辭典』にたいしては、ずっと気にかかるものがあった。自分で稼げるようになってからもときどき書店や古書展などでこの辞典を目にするたびに、購入しようかどうしようか迷ってばかりいた。もともと中国語を本格的に勉強する心算もなかったし、中国文を読むのには、あの小さな『現代中日辞典』と『支那文を讀むための漢字典』(注3)があれば間に合っていたからだ。いまさら大きな辞典を買うこともない、そんな風に思っていたところに出てきたのが『中日大辭典』だった。じつはもしもこれが二千円以上だったら決して買わなかったろう。というのもじつは心の中にこの小さな『現代中日辞典』へ義理立てる気持ちがあったからなのだが、しかし二千円を切れば小さな『現代中日辞典』も許してくれると思い買ってしまった。
たとえばもしもです、この『中日大辭典』を二千円以上で購入したとするでしょう。そうすると本どうしの嫉妬の修羅場と化すこと間違いないのです。

(注1)『中日大辭典』愛知大学中日大辭典編纂処編 中日大辞典刊行会 1976年2月1日4版
(注2)『現代中日辞典 増訂版』香坂順一 太田辰夫著 光生館 1977年2月15日増訂19版
(注3)『支那文を讀むための漢字典』田中慶太郎編訳 東京研文出版 昭和62年6月20日9版

等級分類

2005年07月05日 05時55分59秒 | 古書
このブログでは、わたしは自分自身にいくつかの規制をかけている、たとえば政治ネタや宗教ネタは取り上げないとか。勉強のためよそのブログを拝見させていただくが、政治ネタや宗教ネタをあつかった記事はどれもこれも論調が同じようで面白くないし、それではわたしが面白い記事を書けるかといえばこれはなかなか難しい。そもそもわたしにはそれほどの力量がない。そんなこんなで概して新聞ネタを取り上げることはしないようにしているのだけれども、今回はその規制を敢えて外す。とはいうもののもちろん扱うのは政治でも宗教でもない。相変わらず古書にまつわる話題です。
平成17年7月3日付け「朝日新聞」朝刊の11ページ読書欄に「話題の本」というコラムがあり、今回は「古書は招く」という題名。執筆者は中村謙。近頃女子高生が古本市にやってくる、という東京都古書籍商業協同組合広報担当理事の言葉を引き、女性が古書の世界に侵入しつつある現状の証左として、ビジュアル系、音楽系の古書店が新規開店している情況を記し、またこれにあやかった各種の「古本探求マニュアル本」の紹介をしている。わたしは女性が古書に興味を持ってくれることを慶賀してやまぬ者だが、どうも昨今のブームは古書ではなくて古本や雑誌のバックナンバーなどへの興味らしい。これではとても古書に興味があるとはいえまないが、まあそれでも神保町へ足を向けるきっかけになればよいことではあるのだろう。
ところで問題はコラムで紹介している「古本探求マニュアル本」を初心者向け、中級者向け、上級者向けと分類して筆者中村謙氏が紹介している点なのだ。初心者向けには角田光代・岡崎武志著『古本道場』、中級者向けには『モダン古書案内 改訂版』、そして上級者むけには坪内祐三著『古本的』(いやな日本語)や嵐山光三郎著『古本買い十八番勝負』をあげている。思うのだか、ほとほと日本人という奴は等級付けが好きらしい。囲碁や将棋なら対戦相手が必要なのでお互いの力を対等にするため等級付けは必要かもしれないが、古書探しはいったい誰と対戦するのだろう。プロの背取業者だったらもちろん商売敵がいるからテクニックの等級ということもあるだろうが、書痴が本を探すのに初級も上級もない。皆が皆、自分はナンバーワンだと思っている。だから書痴といわれるのだけれども。強いて対戦相手をあげるならばそれは自分自身なのです(これは実感)。たとえば初心者向けとして取り上げた角田光代・岡崎武志著『古本道場』で紹介されている本は、わたしにはとても探せない。それはそうだ、なにしろまったく興味がないのだから。しかし現象面だけを捉えるならば、上記基準に照らしてわたしは初級クラスということになる。べつに初心者といわれようとわたしは痛くも痒くもない。なせならそもそもの価値基準がまったくちがうのだから。ウルトラの星の価値観と地球の価値観が違うようにね。
もう明らかなのだけれども敢えて贅言するならば、古書探しはけっして他人と競い合うものではない。競い合いを始めた瞬間に目的が「本」から「勝負」に変わってしまう。

所有権委譲

2005年06月30日 06時50分46秒 | 古書
電車の中で本を読んでいる人は多い。よく見るとたいていナントカ図書館と印刷したシールが貼られている。
昨今本も高価となってしまい、たとえばハードカバー四六判の小説で千六百円以上ノンフィクションだと二千五百円を越えるのが普通だ。これでは少ない小遣いから書籍代まではとても支出できない。いきおい図書館の利用ということになるのは判る。しかしこれでは本が売れない。売れなければ出版業界が疲弊する。そうなれば本はますます高価になる。悲劇的悪循環に陥ってしまうのは目に見えている。そこでわたしはついに考えた。食料品と書籍にはすべからく消費税を課さない、これはかなりの妙案だと思うのですがどうでしょうか。食べ物が生きていく上で必要不可欠なように、知識だって人間にとって必要不可欠であるに違いないのだから。このままではますます知識の独占が加速してしまう。わたしは知識を独占する支配階級が無知な労働者をこき使うグロテスクな世の中なんて真っ平御免ですね。いやいや、いま書こうとしているのは知識「階級闘争」ではない。本の話だった。
わたしは図書館で本を借りたことはない。以前「簡編可巻舒」の回でも書いたのだけれども、なぜ図書館を利用しないかというと貸出し期間が限定されているからなので、あくまで自分のリズムで読みたいわたしにはこれが苦痛なのです。そしてもう一つ、これは「簡編可巻舒」では書かなかったのだけれども今回それを明かす。つまりどこの誰がいじったかわからないような本には指一本触れたくないからなのだ。賢明なる読者諸子はさっそくわたしのこの発言に仰天するに違いない。だってさんざっぱら古書がどうしたこうしたと好き勝手なことをいっておきながら、いまさら図書館の本に触れられないなどとぬかす奴があるものか。おっしゃる通り、わたしには一言もありません。しかしこれは嘘でも冗談でもない。手垢で黒ずんだ小口を見ただけで寒気がしてくるし、ましてそれがオヤジが指をなめなめ頁を繰った本だと知ればこれはもう卒倒ものだ。犬耳(読み止しの目印に頁の角を折り曲げておくこと)なんぞを見つけようものなら、熱した鏝で引き伸ばしてやりたくなる。これはもう理屈ではない。しかし、しかしです、古書店で購入した書籍にたいしては、そんな感情はいっさい起こらない。だからわたしの書架にはナンタラ大学図書館旧蔵書が何冊もある。黒っぽい本など図書館の蔵書以上に何人もの人々の手を経てきているはずなのに嫌悪感がまったくといってよいほど涌かない。古本屋が店の商品を消毒したり洗い張りしているといった話もいままで聞いたことがなし、そこの主人に超能力があって人の汚れを落としているって噂も知らぬ。そこでわたしは考えた。考えに考えて古書店と図書館の重要な違いに気づいた。気づいたとはちょっと大仰か。片やお金を払う、片やタダ。たしかにそうなのだがこれは重要なことではない。有料図書館だってあるから。
決定的なのは所有権が変わるということ。図書館ではあくまで借りるのであるのにひきかえ、古書店では本が店の主人の所有物からわたしの所有物となる。これはたいへんなことだ。他人には薄汚いガキでも自分の子供は宝物に見える。自分の所有物となった瞬間、変化が起こる。ゴキブリの齧り跡が金箔装飾に、フンでできた染みが透かし文様に、つまり穢れが聖なるものへと変貌するのだ。

国文学者福井久蔵

2005年06月17日 05時10分02秒 | 古書
本に嫌われる、本に負い目を感じるなどなど、どちらかというとわたしのほうの消極的姿勢が目立つ話題を何件か紹介してきたけれども、かといってわたしが書架の谷間で従僕のごとく彼らに媚諂っているのかというとそうでもない。わたしだって強く出るときもある。まるで鯔の群れのリーダーのようにね。
自分で書いておいて何なんだけれども「鯔の群れ」とはよくいったものだ。周りに出来上がる書籍の山を見るにつけ、それらは生き物のようにわたしの生活に侵入してくる。これは経験しないとちょっと理解できないだろう。生命なき物体としての書籍がまるで意思を持った生命体のように迫ってくるなどと、なんと馬鹿々々しいことを言うのだと思われるかもしれないが、これって実感なのですよ。恐らくわかる人にしかわからないのだろうけれども、ほかに言い様がない。
今度は同衾したくなるような本。ちょっと過激な表現だとは思うのだけれども、ほかに表現のしようがないので御宥恕願います。とはいうものの本当に寝たくなるような本は極めて稀で、同衾したくなるような書籍に近い本ということで今回は前座を紹介。真打の登場はまだまだ先。
福井久蔵という学者をご存知の方は、さしずめ国文学プロパーといってよろしい。京府立中学、学習院、駒沢大、早大などで教鞭を執りこの間1936年「連歌の史的研究」で文学博士となっている。連歌の歴史的研究とともに国語法史、国語学史、歌学史にも精緻な研究を残しており主な著書として『大日本歌学史』(1926年)、『本歌書綜覧』全5巻(1926年)、『連歌の史的研究』全2巻(1930年)などを残し 昭和二十六年に八十四才で亡くなっている。この学者の復刻刊行著書としては国書刊行会から『福井久蔵著作選集』全七巻が出ているのだれどもこれは現在品切れ状態、恐らく再刊することはないと思うので興味のある方は古書店で見かけたときは是非とも購入することを勧めます。なには無くとも古書の購入は気合以外にありません。
さてこの人の著書『増補枕詞の研究と釈義』は、わたしにとっては楽しい本。どうしてかというとこの本は枕詞辞書として使うことができてとても便利だから。たとえば「あかねさす」を引いてみると「朝日の上がるとき、東の空まづ赤く紅さしたる如き光景を茜の色に喩えて日に冠らせたるを始にて、晝にも掛け、又転じて照れる月にも掛く。さすとは色のさし出づるをいふ。亦色彩の關繋より紫に掛け、その語をもてる紫野といふ地名にも冠らす」(注1)と説明しておきながら、『和歌童蒙抄』から『黒川眞頼古今冠辭考』まで十一件の文献を挙げているなか、たとえば『万葉管見抄』の「あかねさす紫野。野をほめて紫野といふ。名所の紫野にあらず」(注2)などを挙げていたりして、はあそういう解釈もあるのかと感心してしまったりする一方、自分の解釈にかかわり無く異なる解釈も挙げているあたりに公平さを感じてしまうのは、専門家からみれば甘いことこの上ないのかもしれないが、まあそこは素人ゆえ寛大に見ていただきたいと思います。

(注1)『増補枕詞の研究と釈義』枕詞釈義 あ之部 1-2頁 福井久蔵著 昭和8年10月1日増補再版
(注2) 同上

舊書三題

2005年06月15日 05時24分54秒 | 古書
先週末の土曜日、久方ぶりで東京古書会館の古書即売展にいってきた。ここ何週間も覗いていなかったので何か変わったことにでもなっているかと思ったが、そんなことありはしない。何十年も変わらない光景があるばかりだった。新築なってからの東京古書会館の即売展は地下のホールで開かれている。最近やっとその雰囲気に慣れてきた。今回は新興古書展で、和本や書道関係の書籍が多かったが普通の書籍も出ていた。西早稲田の五十嵐書店なども出品していたけれど、この店は新宿古書展にも参加しているので比較的よく目にする。いつも良い本を存外安い値段で出しているように思う。その五十嵐書店出品の四冊を買ってしまった。
一冊目が『綴字逆順排列語構成による大言海分類語彙』という、ちょっと長めな題名の本。この辞書の特徴は、たとえば名詞、漢語の部で「ホウ」を引くと『ホウ 封 タイホウ 大封 ショクホウ 食封 ソホウ 素封 イッポウ 一封』(注1)といった具合に語頭音を五十音順に排列するのではなくて複合語の被修飾語の語頭音で排列してある。だからこの辞書を使えば韻を踏んだような文章が簡単に作れる(はずだ)などと愚にもつかぬことを考えたりしたが、じつは古書展をみたあと神保町の悠久堂書店でこの辞書の新品同断のものを、わたしが買った値段より五百円高く売っていた。この五百円の違いをどのように評価すべきか。古書でほんの少し汚れがあるにしても、五百円はその瑕疵を補って余りあるとみるべきか。あるいは五百円多く支出しても新刊本を買ったほうがよかったのか。じつはこの辞書、定価一万二千円なのだがわたしはこれを二千円で購入し、悠久堂書店では二千五百円で売っていた。
つぎが『典拠検索名歌辭典』。この本そのものは随分と前の刊行なのだけれども、何回も再刊されているので新しい版で持っている人も多いと思う。今回わたしが購入したのは昭和十八年の刊行で千部発行と奥書にある。更に配給元は国策会社の日本出版配給株式會社とくれば、太平洋戦争に突入して二年目の経済統制社会がまざまざと目に浮かぶ。紙質も悪く装丁も質素なものだけれども、内容はいいですねえ。たとえば落語にもある「ちはやふる神代も聞かず立田川からくれなゐに水くくるとは」ってのを引いてみると、古今集から始まって古来風躰抄、浄瑠璃、均庭雑録(均は竹冠で作る:筆者注)、筆唄まで二十四の出典を挙げている(注2)。わたしのような国文学門外漢にはこのようなアンチョコみたいな辞書は有難い。これでまた何処かで偉そうに知ったかぶりをすることができるってわけだ。
最後が勁草書房刊行ルカーチの『美学』全四巻のうち一巻と二巻の二冊。このハンガリーのマルクス主義思想家は実生活と芸術との決定的区別を三つ上げそのその三番目が非常に重要な意味を持っているとして「日常生活での人間は異質の諸傾向の渦中に立っているが、他方[芸術においては]、芸術作品の(芸術種の、芸術の)同質的媒材は人間に影響を及ぼして体験をただちに一定方向へさながら水を流すように導き、一定の注意力の視野や思う存分精力を消費できる場を体験に配当してやるのである。したがって人間は暫定的に日常生活内の全体的人間から人間全体へ変貌するのであって、この人間全体の能動的能力と受動的能力はこのような集中によって、同質的媒材に媒介されて、あらゆる体験をこの河床へ流入させることによって、またそのなかで体験を改造することによって、すでにはじめから一定方向へ操作されるのあでる」(注3)と書いている。ルカーチの原文が難しいのかもしれないけれども、訳文自体からして拙いのは目に見えている。簡単に言ってしまえば、人間ってのは常日頃は政治経済そして宗教などにかかわってその時々いろいろな態度を取るけれども、芸術という体験は人間を同質的感動のなかに流し込み、そのとき人間は一時的に社会存在としての有り様からその人本来の有り様へと変貌する、てなことになるのだと思う。訳文が拙いといいながら、では何故そんな本を買うんだって叱られそうだけれども、他によい訳がないのでこれで我慢してるんです。

(注1)『綴字逆順排列語構成による大言海分類語彙』296頁 風間力三編 冨山房 昭和54年6月20日初版
(注2)『典拠検索名歌辭典』328頁 中村薫編著 明治書院 昭和18年8月20日三版
(注3)『美学Ⅱ』710-711頁 G.ルカーチ 木幡順三訳 勁草書房 1970年5月30日第1刷

自卑惑

2005年06月09日 06時20分55秒 | 古書
ちょっとした調べものがあったので『支那學藝大辭彙』の頁をめくっていたら、『倭片假名反切義解』という項目に出会った。この本はなんでも藤原長親の撰で「五十音圖の傳來竝びに五十音圖にて反切をなすこと、及び片假名平假名の字原等を説けり」(注1)というものだそうだが、さいごに「國語學書目解題五〇三頁を見よ」と記されていた。
「引け目」という言葉は普段良く使われる。ではこの言葉の由来はと調べてみたが不思議なことに大言海にも言泉にも大日本辭林にも出ていない。大日本國語辭典には項目はあるものの現在使われている意味は出ていない。「穀類、液體などの引渡しの際に、量目を減少すること。又、その量目」(注2)なのだそうだがこれでは意味がまったく異なる。日本国語大辞典には「ひけ-め【引目】《名詞》②自分が他人より劣っているような感じ。肩身の狭い思い。気おくれすること。劣等感」(注3)とある。どうも「引け目」を肩身の狭い思いなどとする用例は近代になってからのようだ。確証はないけれどそんな気がする。ところでいまここで話題としたいのは「引け目」の語源解明ということではない。『國語學書目解題』のことなのだ。
『支那學藝大辭彙』にこの書名を見て、わたしはほんの少々たじろぎそして「引け目」を感じたのである。この本をいつごろ購入したのか、蔵書管理に使用していたワープロが故障して記録を出力できなくなってしまったので今では判らない。多分二十年以上前だったと思う。当時はアルコールを文字通り浴びるように飲んでいたが、ちょうど日曜日の朝ワインを飲みながらある本を読んでいたとき、あやまってグラスをひっくり返してしまった。そして運悪く机の下に置かれていたのがこの『國語學書目解題』だった。あわてて取り上げすぐに手近にあったタオルで拭ったものの、小口と地の角部分を汚してしまった。本文を見るのにはなんの支障もないのだが、この東京帝國大學蔵版明治三十五年四月廿五日発行の大切な本を安物ワインで汚してしまったことは取り返しのつかないことであり、それ以来わたしはこの『國語學書目解題』に引け目を感じているのである。
たかが本一冊になにほどのことだ、と呆れ返るかもしれないが、書痴にとっては本を汚すということは万死に値するほどの許されざる大失態なのであります。原状回復はもはや不可能であり、よごした張本人であるわたしは永久にその責任を追及され続けなくてはならない。時効などといった都合のよい制度は書痴の世界には存在しない。ここでわたしの不手際をこの本に詫びる意味で「國語學書目解題五〇三頁」から一部分を引用してここに載せることにする。
「やまと かたかな はんせつ ぎげ 倭片假名反切義解一巻 藤原長親撰 (群書類従第四百九十五巻に収む) この書は五十音圖の傳來竝に、五十音圖にて反切をなすこと、及び片假名平假名の字原等を説けるなり、その説によれば天平勝寶中、吉備眞備公我國に通用する假字四十五音に、同音のイイエウヲ五字を加へて五十音圖をつくり、後に空海ワ行のヲをオに、ヤ行のイをヰに改めたりと」(注4)

(注1)『支那學藝大辭彙』1279頁 近藤杢 京都印書館 昭和20年6月5日再版
(注2)『修訂大日本國語辭典』第四巻 961頁 上田万年 松井簡治 冨山房 昭和16年2月28日修訂版
(注3)『日本国語大辞典』第十六巻 656頁 日本大辞典刊行会 小学館 昭和50年7月1日 第1版第1刷
(注4)『國語學書目解題』502~503頁 東京帝國大學蔵版 明治35年4月25日発行