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蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

古本まつりのあと。

2005年11月06日 15時27分15秒 | 古書
古本まつりの余波がまだ続いている。じつは古本まつりが終わったあとの神保町のうほうが面白い。売れ残った品がまるで嵐の後の浜辺みたいに店頭に並ぶので、古本まつりがまだ終わっていないような雰囲気で、要するに賑やかなのだ。
昨日は神保町に行く前に高円寺の都丸支店を覗いた。二週間ぶりなので何か面白いものはないものかと探したら、店内に衛藤即應の『宗祖としての道元禪師』が千二百円で出ていたので買ってしまった。あとは店外の廉価本コーナーで数冊。店内の語学書コーナーにSandersのドイツ語文法書があったけれども三修社からの復刻版だったのと、お値段高めだったので今回は見送った。そんなわけで都丸での成果は、
1.『宗祖としての道元禪師』衛藤即應著 岩波書店 千二百円。
2."Grammatica Italiana Descrittiva Su Basi Storiche e Psicologiche"M. Regula J. Jernej Franke Verlag Bern und München 1965. 五百円。
これはイタリア語で書かれたイタリア語文法書。ただし出版社はドイツ語圏の会社というのがいかにもヨーロッパだ。
3."Gramatica Portuguesa"Pilar Vazquez Cuesta Maria Albertina Mendes da Luzcho著 Gredos Madrid 1961. 三百円。
スペイン語で書かれたポルトガル語文法書。
4."Gramatica Catalana"全二巻 Antonio M. Badia Margarit著 Gredos Madrid 1962. 六百円。
同じくスペイン語で書かれたカタルーニャ語の文法書。表紙が痛んでいたので糊で修繕した。
3.4.はともに仮綴本。どうもラテン系の言葉を研究していた人の放出品らしかったが、有り難いことに傍線、書き込み等一切無しだったので、保存の悪さには目をつぶることにした。
この日は店内が混んでいた。古書店で混み合うなんてのは常識的にはおよそ考えられない。ところが都丸はわたしが訪れるときはいつも必ず客が入っているからすごい。しかし、すごい、すごいと思いつつも成果としては今ひとつだった。
ここは神保町でリベンジだっ、てなわけで勇んで古書会館のぐろりや会に臨んでみたら、
1."Erkrälendes Handbuch der Fremdwörter"F. A. Weber著 Verlag von Bernhard Tauhchnitz 1888. 八百円。と、
2."Dictionnaire Médical des Langues Allemande et Française"Paul Schober著 Verlag von Ferdinand Enke Stuttgart 1908. 八百円。
があったので買った。武蔵野市境にある泰成堂書店の出品で、1.はドイツ語における外来語の辞書で、2.は医学用語辞典。こちらは二部構成になっていて一部は仏独、二部は独仏のリファレンスとなっている。安いだけあって二冊とも背の皮装丁が少々痛んでいたが、これはワセリンをすり込んで修理できる。こんな作業ができるのも洋古書を買う楽しみのひとつなのです。
しかしぐろりや会での成果はこれ止まりで、わたしとしてはかなり前向きな姿勢で書架を漁ったのだけれども、気に入りの品は見出せなかった。ぐろりや会では八月に宇井伯壽の『佛教汎論』を三千円で購入したことは前に書いたことと思うが、どちらかというとこのところ不調に終わることが多い。
そこで最後の勝負、ということですずらん通り入口の大島書店を覗いてみた。Ph. Plattnerの"Ausfuhrliche Grammatik der franzosischen Sprache"全五巻を二千円で購入した。ところでわたしの記憶に間違いがなければ、この本は先般の洋書展でたしか都丸支店から三千円で出品されていたはずだが、それと同じ品なのだろうか。わたしには同じものに見えて仕方がないのだ。でもそんなことってあるものだろうか。昨日は都丸、今日は大島なんてちょっとねえ。なぜ洋書展のときに購入しなかったかというと、その時点ではフランス語文法書に興味がなかったのと、荷物が多すぎて持ちきれなかったからなのだ。たしかにこれはわたしの原則「古書は気合で買う」に反した行動だったけれども、結果として千円分得をすることとなった。それにしても、この大島書店という店はどうもよくわからない。とにかく安いのだ。薄利多売を営業方針としているのだろうか。
その後、三省堂裏の古書モールをチェックした。左近義慈の「新約聖書ギリシャ語入門」を五百円ということと、小口も見た目がきれいだったのでコンディションチェックをしないまま買ってしまった。かなり疲れていたので、そんなことになったのだが、カフェテラス・古瀬戸でキリマンジャロを飲みながら改めて点検してみた。27ページ位まで鉛筆で傍線や書き込みがされていたが、それ以降は手付かず。つまりこの本の旧所有者は第六課「未完了過去直説法能動相」までで挫折してしまったらしい。ま、外国語学習の典型的なパターンです。

古本まつりに行って来た。(下)

2005年10月31日 05時09分58秒 | 古書
前回の続きです。
すずらん通りで開催された出版社のワゴンセールも状況は似たようなものだった。こちらは回を重ねるごとに本以外の各種小物を扱う店が増えている。玩具の市だったら場所が違うんじゃあないかとわたしなら思うのだが主催者側の意図はまったく逆で、要すれば客を集めるというところに力点が置かれた店舗構成となっている。かてて加えて以前だったら『日夏耿之介全集』全巻揃が一万円を切った値段で出たこともあったというのに、去年も今年も、そんな大物にはまずお目にかかれなかった。それなら小物に目を引くものがあるかというと、こちらも心許ない。いやそれどころか今年は若干高めにさえ感じられた。例えば全品50%OFFなんて書いてあっても、定価が八千円の品を四千円出しても買うだろうか。もちろん早急に必要としているならば話は別だが、とりあえず買っておこうと思っているようなレベルの客がはたして買うのだろうか。わたし自身は「とりあえず」組なのでそんな高い品には手を出さない(いや、出せない)。このようなエベントで売値をいくらにしたらよいのか、正直いってわたしにもわからない。しかし出血覚悟でとにかく買ってもらいたいのなら、定価の三掛けが相場ではないだろうか。今の時代、いくら良書でも半額では安値感が出せないということを出版業界は知るべきである。
と、長々言いたい放題書いてきたけれども、それじゃあお前の今回の成果はどうだったのだ、と問われそうだ。ぶっちゃけたところ、成果はほとんど零に等しい。目当てにしていた崇文荘は古本まつりだからといって、これという目玉を出していたわけではなかったし、東陽堂しかり、明倫館しかり、南洋堂しかり、日本書房しかり、といったところ。それはそうと日本書房の大旦那がまだ健勝だったのには驚いた。古本屋のオヤジは概して長命だと聞いてはいたが、それにしても日本書房の大旦那っていったい年は幾つくらいなのだろうか。おっと、どうも話が横道に逸れていけない。わたしの成果についてだった。笑われるのを承知で一切の虚飾なしに書くと、
(1)『正法眼蔵・行持』上下二巻 安良岡康作訳注 講談社学術文庫
村山書店にて購入。ここの店頭には講談社学術文庫や岩波文庫が出ていて品数も豊富だけれども御値段的にはあまり安くない。しかし比較的綺麗なので三省堂あたりで新刊を買うのだったら、まずこちらの店先からチェックを入れたほうがよい。
(2)『道元禅師傘松道詠の研究』大場南北著 仏教書林中山書房
   『永平初祖・学道の用心』増永霊鳳著 春秋社

東陽堂にて購入。この店はいつも良品が出る。それに店の雰囲気も良いし店員の態度も気持ちよい。店主の指導が徹底しているからだろう。しかし仏教書や占書の専門店なので仏教関係の書籍は高めだ。これは致し方ない。知らない人は専門店なら安いだろうとやって来るが、専門店は自分の守備範囲の品を揃えるためそれなりの経費がかかっている。その分が売価に上乗せされているので値段が高めになる。
(3)"Die Germanische Welt" G.W.F.Hegel Felix Meiner Verlag 1923
崇文荘で店内の廉価本バケットに入っていたので購入した。立派なヘーゲル全集が棚の上で輝いているその下でフェリックス・マイナー社のラッソン版を買うのもなんだか侘しいものがある。金さえあればメガ版のマル・エン全集なども買ってしまいたいところだ。いつもそうなのだが、この店に入ると歴史と文化の香りで頭がクラクラしてくる。何もいうことはない。
(4)"Books for The People An Illustrated History of the British Public Library" Thomas and Edith Kelly Andre Deutsch 1977
   "Language" Leonard Bloomfielf George Allen & Unwin 1955

小川図書はゲルマン系の書籍専門店といったらよい。英語書籍が多いがドイツ語関連の書籍も結構置いてある。ただし専門店ゆえ値段は高め。といってもバカ高くはない。例えばグリムのドイツ語辞典、ハード装丁の立派なものが二十五万五千円くらいで出ていた。これはけっして高くはない。だって数十巻にもなる浩瀚な辞典なのだから。ソフトカバーの版だって六、七万円はする。"Books for The People"はわたしが図書館に興味があったから買った。ブルームフィールドの"Language" は邦訳書を既に所有していたが、原書が見たいと思っていたら出ていたので買った。
あと一冊は東京堂で買った新刊書なので、ここでは取り上げない。とにかくすっかり観光化してしまった古本まつりではあったけれども、やはり行ってみてよかった。午後の降水確率80%だったにも関わらずわたしがいる間は雨が降ることもなかった。これはわたしが傘を持って出かけたからです。わたしにはジンクスがあって、雨降りの予報が出た日に傘を持って出かけるとまず九割方雨は降りません。つまり今日の予想外の好天はわたしの傘の持参という行為に負っているともいえるわけだ。
いやいや、そんなことはどうでもよい。わたしはもう来年の古本まつりが待ち遠しくてたまらない。

古本まつりに行って来た。(上)

2005年10月30日 07時38分52秒 | 古書
いきなりで恐縮ですが、第46回東京名物神田古本まつりを見てきましたので、率直な感想を述べさせていただきます。
それにしても46回目か、初回からでないのはもちろんだが、わたしも随分と通ってきたものだと思う。むかしは書痴か真面目な読書家がほとんどで家族連れなどまず見かけることはなかった。毎週開催されている古書会館の即売展をちょっと大がかりなものといった程度だった。しかしそれだけに面白いものも結構あったように記憶している。まあ当時はわたしに金がなかったのでとても買いきれなかったが、とにかく見て回っているだけでも楽しかった。山の上ホテル下の錦華公園で開催されていた青空市がわたしには一番印象に残っている。
それがいつのまにか神保町交差点と信山社の横、三省堂一階とすずらん通り側に古書の露店が出るようになった。じつはこのようなロケーションになってからというもの、わたしは青空市の露店をあまり熱心に見なくなってしまった。出品される書籍が毎年同じようなものということもあるけでども最大の原因は、商品が見づらいということなのだ。まず三省堂会場についていうならば、客の流れをまったく無視した出店配置になっている。いつもは客がタバコをふかしている狭い敷地にさらに棚や平積み台を配置しているのだからたまらない。おまけにそこを三省堂に入る古書に興味のない客も通るのだから、混雑に輪がかかってしまう。とてもじゃないけど本を探す気分にはなれたもんじゃあない。古書会館の即売展だって結構狭いけれども、そこに集まっている客は目的を同じくした者同士ということもあって、会場内を歩き回るのにも暗黙のルール見たようなものがある。だから結構スムーズに本を探すこともできるわけだ。ところが古本まつりに来る客の多くは年に一度しかこんな場所に来たことがないような御仁で、ルールもなにもあったものではない。ほとんど無政府状態。神保町交差点会場にしたところで三省堂会場と大差はない、いやむしろこちらはもっと悪い。何しろ公道でやっているものだから本にまったく関係ない通行人まで混ざってしまい、歩くのさえ一苦労しなくてはならない。わたしが古本まつりの関係者に強く要求するのは唯一つ、青空市の会場を替えてくれということ。例えば新橋駅前で定期的に開催されている古本市は見やすいが、あのように外部との境界が明確な会場で開催して欲しいのだ。かつての錦華公園のような場所はもう神保町近辺にはないのだろうか。
のっけから長々と会場についてのクレームになってしまった。本来の話題、つまり本についてはどうだったのか。これは当たり前のことなのだけれど、毎週神保町詣でをする人にとってはあまり興味を引く品は出ていない。それでもなかにはこれといったものもあるのではないか、そこで万が一の希望をもって書痴たちはやってくるわけだが、たいていは空振りに終わる。いいものを見つけるには地道に各店を見て歩く、これが古本探しの基本です。
どうも最近の傾向として全集、叢書類はあまり出ないようだ。それに学術書のような硬いものもない。洋書はといえばビジュアル物ばかり、たまに活字の本があったと思ったら旅行案内だったりして。つまりこれはターゲットとして書痴、読書家、学者以外の人々をねらっているということだ。まあ考えてみれば当然かもしれない。神保町に年に一度来るか来ないかの客が『百家説林』や『燕石十種』など買うはずがない。やはり小説や文庫本、ちょっと硬めで辞書、辞典の類ってところだろう。寂しい限りだがこれが現実だ。そんな中でももちろん硬い本を並べている店もある。例えば一誠堂。隣のかつて村松書店があった空き地に露店を出していた。でも品を見たら先週の洋書展で売れ残っていた本が何冊かあったっけ。洋書展で売れないものが古本まつりで売れるはずがないではないか。いくらなんでも、これはちょっと問題だと思った。天下の一誠堂なんだからそんなセコい真似なんかしないでさ、この前から店頭に晒されている『国書総目録』三万円をドーンと一万五千円で出すとか、なにかやることがあるんじゃなかろうか。そういえば、原書店も随分とつまらないことをしてくれた。なんと普段なら明治書院の中国古典全集の端本や占関係の自家装丁本が出ている店先にオークションカタログを並べてしまったのだ。もう何年も前になるが、古本まつりの折わたしはこの原書房で望月信亨の仏教大辞典全十巻(ただし問題がないわけではない品だったが、使用する分にはまったく不都合のないもの)を一万なんぼで購入したことがある。このように以前はどこの店でもかなりいいものを出していたのだ。ところがどうだろう、社会に迎合したのか、甘い客に阿ったのか、とにかく軽いものばかりが目立つ古本まつりになってしまった。
ちょと長くなり過ぎたので、今回はこれまで。後半は次回に回します。

洋書展で惨敗

2005年10月25日 05時25分15秒 | 古書
二日も通ったのに、今年の洋書展は大した成果を得ることができなかった。
じつはこれはどちらかというとわたし自身に原因がある。洋書という奴は背に印刷されたタイトルの文字が和書に比べてとても小さい、したがってかなり目を近づけないとわたしには読み取ることができない。実はこのところ眼鏡が合わなくなってきているんです。そんなわけで、もしかしたなら掘り出し物がもっと見つかったのかも知れないけれど、それらを見逃してしまった可能性がかなり大なのだ。
全体的には英語圏の出版物が圧倒的に多い印象を受けた。以前はスペイン語の叢書がずらっと並んだことさえあったが、今ではそんなことは夢のまた夢ってところ。ドイツ語圏、フランス語圏については大きくはないがそれらをまとめたコーナーが設けられていた。でも英語本のなかに紛れ込んでいるのも結構あったので、見つけにくいといえば見つけにくい。そのようななか書架の間を這いずり回って探し出した何冊かのうち、これはちょと面白そうだと思ったものだけ挙げておく。といってもあくまでわたしの個人的趣味で選んでいるので、市場価値および学術的価値はまったくないものばかりにちがいないが。
端はWilhelm Wilmanns著"Deutsche Grammatik :Gotisch, Alt-, Mittel- und Neuhochdeutsch"(Trübner Strassburg)の四巻もの。これは第二巻の出版がもっとも古く一八九六年。おそらく入力ミスだとは思うのだがドイツの某サイトではこれを一八九九年としてあった。この本は市場価値としては安い。神保町の田村書店に行けば一万二千円で手に入る。今回購入しのは高円寺南の都丸支店から出品されたもので、コンディションは正直言って悪いがそれでも三千円した。おそらく傍線、書込、署名、蔵書印がなかったからなのだろう。
それともう一冊、こちらは崇文荘出品のPaul Masqueray著"Bibliographie Pratique de la Littérature Grecque Des Origines a la Fin de la Période Romaine"(Librairie C. Klincksieck Paris 1914)。仮綴本を装丁屋に出してオリジナル本に作らせたもの、いわば典型的な洋書。少々痛んではいるが趣味が良いので買ってしまった。もちろん値段も安い、なにしろ八百円だもの。崇文荘のショー・ウィンドウに三万円で出ていたとしても、素人ならそういうものかと納得してしまいそうな本だ。
あとは古書というよりはセコハンものがほとんどなんので、ここで取り上げるほどのこともないが、一冊"Dictionnaire de Littérature Grecque et Latine"(Editions Universitaires Paris 1968)に触れておく。この本、というよりほとんどガイドブック見たような装丁のギリシア・ローマの著述家辞典だが、ページ数にして七百ページ以上、使っている紙も上等なので小ぶりの割りに結構重たい。しかしホメーロスから紀元五百年頃までの著述家が採録されていて、結構読み応え(いやわたしはフランス語がわからないので「見応え」というべき)がある。西洋古典といえばイソップとユリシーズしか知られていないわが国でこの手の出版物が出版されるようなことが、はたしてあるのだろうか。
それと、Linde Salberの"Tausendundeine Frau Die Geschichte der Anais Nin"(Wnderlich 1995)。わたしは作家アナイス・ニンの作品を読んだことはないし、多分これからも読むことはないと思う。この人は作品よりも日記のほうで有名だ。といって日記のほうも読むことはないだろう。じゃあ買った理由は何かって。ただ厚くて安かったから。

都丸支店で運試し

2005年10月24日 06時51分40秒 | 古書
駿河台下の東京古書会館で年に一度の洋書展が催された。わたしの楽しみは国際ブックフェアと古本まつり、それにこの洋書展なのだ。さっそく訪れようと思ったが去年は不作だったので、まずは今年の運試しというわけで高円寺の都丸支店を覗いてみた。
この店は二週に一度のサイクルで覗くと必ずなにか良いものに出逢うことができる不思議な店なのだ。店主の愛想はというとけっして良いとはいえない。しかし古書店というのはむかしからこんなもので、逆に揉み手をされるような応対だとこちらが次回から入りづらい。店内の品では仏教関係の本を一冊、あとは店の表の棚に並んでいる廉価ものから選んだ。今日購入したのはアルベール・リボーの哲学史"Historie de la Philosophie"(全四巻のうち第四巻欠)と俗ラテン語のアンソロジー一冊。リボーの哲学史一九五〇年の時点で第四巻は印刷中ということ。実際に出版されたのかどうか確認できなかった。予定通り刊行されていれば一七〇〇年から一八三〇年までのフランスとイギリスの哲学が取り扱われているはずだ。一七〇〇年はリボーの得意とするライプニッツがベルリン学士院長となった年なのだが、一八三〇年というとこれといって注目すべきイベントもなく過ぎている。なぜ一八三〇年までなのかと思っていたら気が付いた。翌一八三一年にじつはヘーゲルが急性コレラを患い六十一歳で亡くなっている。なるほどね、ヘーゲル哲学終焉までということか。しかし一八三一年ではどうも中途半端なので、一八三〇年を区切りとしたってことなのだろう(とわたしは勝手に想像した)。さてそれでは一八三一年以降はどうなってしまったのだろうか。第五巻の刊行は予定されていたのだろうか。この辺になるともう想像の世界になってしまう。というのもアルベール・リボーは一九五五年に亡くなっているからだ(注1)。
アンソロジーのほうは題名を"Antología del Latín Vulgar"という。こちらを読むのは当分後になりそうだ。というのもこの本はスペインで刊行されたもので、当然のことだけれども解説はスペイン語で記述されている。むかしむかしほんの少しだけスペイン語をかじったことがあるが、もうすっかり忘れてしまった。いまから入門書を再読するのもよいが、そんな時間がはたしてあるだろうか。著者のManuel Cecilio Diaz y Diazなる人物についての詳細はわからなかった。ただし"Anecdota Wisigothica : Estudios y ediciones de textos literarios menores de época visigoda"(Universidad de Salamanca, 1958.)、"Códices visigóticos en la monarquía leonesa"(León:Centro de Estudios e Investigación "San Isidoro", 1983)"、"El Códice Calixtino de la Catedral de Santiago : estudio codicológico y de contenido /con la colaboracion de Ma. Araceli Garcia Piñeiro y Pilar del Oro Trigo"(Santiago de Compostela : Centro de Estudios Jacobeos, 1988)といった著作があるところから想像するにラテン語文献学者ではないだろうか。しかしそんなことよりなによりも、この本から漂ってくる香りが頗るよろしい。洋書の古書は須らくこのような芳香を放って欲しいと願わずにはいられない。
などと書いていたら本題の洋書展についての成果を書くスペースがなくなってしまった。この件については次回に報告します。

(注1)アルベール・リボー(Albert Rivaud)は一八七六年五月十四日ニースに知事の息子として生まれる。一九〇〇年哲学の教師資格取得。一九〇八年六月一日ポワチエ大学文学部の哲学教授に就任。一九三一年名誉教授。一九三九年Académie des Sciences humaines et politiques会員に選出され、一九四〇年にはペタン政権下で文部大臣にもなっている。一九五五年九月十五日に死亡。
なお上記の履歴は以下のサイトの記事を参照した。
http://www.ac-oitiers.fr/rectorat/archives/textes/fonds/fichrens.htm

ヒルシュベルガー

2005年10月21日 20時43分50秒 | 古書
昨日、神田小川町の崇文荘を久方ぶりに覗いてみたら、綿埃にまみれたJohannes Hirschbergerの"Geschichte der Philosophie"二巻本があったのでつい買ってしまった。三千円だったが上巻にはエンデルレ書店で販売されていたときの値札がまだ貼ってあって、それには六千六百円とタイプライターで打たれてる。ということは上下二冊で一万円以上していたのか、とにかく昔は洋書がやたらと高価だったからなあ。
とかなんとか呆れ返っていたらこれの邦訳、理想社版高橋憲一訳の西洋哲学史が全四巻揃一万五千円で渋谷区笹塚の湧書館から出ていることがわかった。一冊三千七百円見当といったところ。いまどきのこの手の本の価格としては新刊でもそれ位はするだろうからバカ高いとまではいえない。何年か前まではヒルシュベルガーの『西洋哲学史』など、どこの本屋にも当たり前のように置いてあって手にして見ることもなかったのだが、最近見かけないと思っていたら品切れになっていたのか。因みに湧書館のものは函付きで「少汚・少難有」なのだそうだ。どんな「難」があるのだろう。
今回購入した"Geschichte der Philosophie"はコンディションの点ではけっして良いとはいえない。どうも上巻と下巻は出所が異なるらしく、コンディションは上巻のほうが良い。それでも上下とも蔵書印、サイン、傍線、書き込み等が一切なかった。だから二冊で三千円という値段は安いのではないだろうか。下巻には若干読み込まれた形跡があり、くわえて栞がわりに葉書まで挟まれている。そのあて先が「高橋亘様」となっていた。「高橋亘」ってあの『アウグスチヌスと第十三世紀の思想 』の著者であるキリスト教学の高橋亘先生のことか、と思ったりもしたが同姓同名ってことだって大いにあるからなんとも判断できない。しかし挟んであった本が本だけに、もしかしたら御当人かという思いもすこしだけしている。
ここで簡単にヒルシュベルガーの紹介をしておきます。知っている人は読み飛ばしてください。
「ヨハンネス・ヒルシュベルガー。哲学者。神学者一九〇〇年五月七日エスターブルク(ミッテルフランケン)に生まれ、一九九〇年十一月二十七日オーバーライフェンベルク(タウヌス)にて死去。アイヒシュテット司教哲学神学大学においてカトリック神学の教育を受け、一九二五年に司祭に就任。二年間の助任司祭の後一九二七年から一九三〇年まで哲学、ギリシャ語文献学、そしてカトリック教理学をミュンヘンで学んだ。この地で一九三〇年A.RehmとJ.Geyserによって審査されたプラトンに関する学位請求論文によって彼は博士号を授与された。その後、司教座礼拝堂付司祭として活動し、一九三三年からは司教座代理司祭かつ宗教学者としてアイヒシュテットにおいて活動した。一九三九年彼は新スコラ哲学のM.Wittmannの後任としてアイヒシュテット司教哲学神学大学の哲学史、実践哲学講座の教授に就任した。一九五三年ヒルシュベルガーは新たに設立されたフランクフルト大学のカトリック宗教哲学講座の教授に転任し、その職を一九六八年に退職するまで務めている。
一九五三年から一九五八年まで彼はGörres-Gesellschaftの哲学年報の共同編集者となり、司教の学術振興事業である一九五六年の"Cusanuswerk"の設立にあたっては重要な働きをした。ヒルシュベルガーを有名にしたのは、なんといっても西洋哲学についての包括的解説をおこなった二冊の著書、すなわち"Geschichte der Philosophie" (2 Bde., 1949-1952)と"Kleine Philosophiegeschichte" (1961)である。九つの言語に翻訳されたこれら二冊の著書は全部で八版を超えている。ドイツ語圏のほかにとりわけスペイン、ラテンアメリカ並びに東アジアにおいてもまた多く用いられ、第二次大戦後の十年間において世界中でたいへん多くの人々に読まれた哲学史にまで登りつめたのである」(注1)

(注1)ヒルシュベルガーの経歴については下記のサイトの記事を邦訳した。
   http://www.bautz.de/bbkl/h/hirschberger_j.shtml
(注2)"Cusanuswerk"とはカトリック神学を学ぶ学生のための奨学金制度のこと。

往昔回想

2005年10月20日 03時49分16秒 | 古書
わたしが神保町の古書店を覗くようになったのは中学校の二年生くらいの頃だったと記憶している。それまでは神保町がどこにあるのかさえ知らなかった。ご多分に漏れずわたしも神田駅のすぐそばだと思っていた。
しかしこの街で初めて買った本は古書ではなかった。当時の書泉、いまの書泉グランデにあたる店でわたしが買い求め本は、ルドルフ・ヘースの手記だった。別にナチス大好き少年であったというわけでもないのだけれども、あのアウシュビッツ強制収容所の所長が戦後逮捕された後に認めたこの手記を、なんとしても読んでみたくて神保町まで出かけたわけだ。
と、ここまで書いてわたしは今なんだか殺伐とした気分になっている。神保町で購入した記念すべき第一冊目の本がよりにもよって死刑囚の回想録なのだから。当時の自分はそんなものに興味をもっていたのかと我ながらあきれてしまう。もし漱石とか鴎外などを耽読していたなら、その後の人格形成はすこしはましなものになっていたはずだとも思う。この二人の作品は随分と後になってから読むようになった。鴎外にはとうとう馴染めなかったけれども、漱石は今でも好きな作家のひとりだ。
当時の神保町は日曜日も店を開いていた。だからわたしみたいな中学生でも古書店巡りができたのだが、今では日曜祝祭日はほとんどの古書店は店を閉じている。これは現在のわたしにとってもいささか有難くないことで、必然的に土曜日を神保町詣でに費やせざるをえない。
まあそれはそれとして、中学生のわたしは本当に金が無くて、買えるものといったらセコハンの新書や文庫本くらい、一誠堂など恐れ多くてとても足を踏み入れることはできなかった。店の中に積み上げられた大部の全集本を眺めては、自分もいつかこんな本を手当たりしだい買えるようになりたいと思ったものだ。子供にしては随分と頻繁に神保町へ通ったものだが、不思議なことにいったいどんな本を買っていたのかまったく憶えていない。もしかしたら思ったほどには買っていなかったのかも知れないが、それでも何も買わなかったということはないはずで、これはなんとも納得がいかない。
しかしこの時期にわたしは古書店独特のあの香りにすっかり感染してしまった。なかにはこれを嫌う人もいるけれど、一度感染してしまうともう回復は不可能となる。しかもこの香りによってその店の質まで判るようになるのだから恐ろしい。エロ雑誌を並べているような店と硬い書籍を並べている店とでは香りが自ずから異なってくる。
ほんとうかって。何軒も巡っているとだんだん判ってきます。

書痴日情

2005年10月06日 04時06分30秒 | 古書
この前、久方ぶりに高円寺の都丸支店を覗いてみた。相変わらず魅力的な品々の並んでいる店で、ここに来るといつも長居してしまう。今回の収穫はシュトットガルトのS.Hirzel Verlagから一九七四年に出版されたMatthias Lexersの"Mittelhochdeutsches Taschenwörterbuch"一冊。保存状態が悪かったのか、小口に少し染みがあること、表紙に問題があることを除けば中身は綺麗であまり使われていなかったことがわかる。要すれば使用には十二分に耐え得るが市場価値としては低い本なのだ。なんせ二千百円なのだから文句はいえない。しかしこの店はいいねえ。本当にワンダーランドだ。八月以降でも以下の本をこの店で買った。
1.Reading Latin Grammar,Vocabul and Exercises
2.Reading Latin Text
3.Martin Heidegger karl Jaspers Briefwechsel 1920-1963
4.Geschichte der Lateinischen Sprache
5.Il Pensiero degli Ideologues Seienza e Filosofia in Francia(1780-1815)
6.道元と世阿弥
7.十二巻『正法眼蔵』の世界
8.Pfalzen und Burgen der Stauferzeit -Gschichte und Gestalt-
9.Bausteine zu einer Philosophie der Kunst
10.Einfurhrung in der Industriearchaologie
11.Die Architektur des Hellenismus
12.Kleine Kunstgeschichite der Deutschen Stadt im Mittelalter
13.Mittelhochdeutsches Taschenworterbuch
でもこれって冷静に考えるとまともではない。そんなことは端っからわかっている。わかっているけど止められないのが書痴なのだ。しかしこれなんてまだましなほうだ。もっと酷い状況など数知れずなのだが、さすがに公表するのに気が引ける。ちょっとだけわたしのへまを白状すると、例えば10."Einfurhrung in der Industriearchaologie"などは既に持っていたものなのだが、また買ってしまった。これは書痴の習性で、とにかく安くて自分の守備範囲だったらとりあえず買ってしまうというなんとも不経済な仕業なのだが、万が一自分の持っていない本だったらどうしようという強迫観念のほうが弥増さるので、勢いこんなことになってしまうのだ。そのような本が何冊あることか。
でもそんなことはしょせん自分の責任、つまり自己責任なのだからたとえいくらの出費になろうとも諦めが付く、いや諦めようと努力する。この辺りが書痴ならぬひとには理解できないかもしれない。

正法眼蔵啓廸

2005年09月24日 07時08分02秒 | 古書
「汗牛充棟」の回で「古書というのは不思議なもので、自分を買う客を選ぶことがある。まるでむかしの吉原の花魁みたようなのだ。たとえばこちらが気になっていた本が突然店頭から消えてしまうことがある。ついに誰かに買われてしまったのかと諦めていると、或る日突然棚に並んでいたりする」と書いた。
『正法眼蔵啓廸』という本がある。仏教それも禅宗について興味のない向きはおそらく聞いたことも見たこともない本だと思う。『正法眼蔵』はもちろん鎌倉仏教の大物の一人、道元禅師の著した本邦初の和文で書かれた仏教書として夙に有名で、国文学においても研究対象となっているけれども、じつはこの本かなり難解で、どれほど難解かは「回憶正法眼蔵」の回でちょっとふれているのでそちらを参照して下さい。ま、難解ということは裏を返せばそれだけ各人各様の読み方が可能なわけで、たとえばヘーゲルがいまだに人気があるのもそのためなのだが、といって一見解り易いようでいてじつは難解なものもある。プラトンなどはその代表格。
で、この『正法眼蔵』にはむかしからいろいろな注解書が書かれている。『道元禅師研究の手引』には、経豪の『正法眼蔵抄』、俗に面山端方の説示の記録とされている『正法眼蔵聞解』、父幼老卵『正法眼蔵那一寶』をはじめとして四十四種余りの注解書が挙げられているが、現在までの出版物を考慮すればもちろんこれですべてではない。西有穆山の『正法眼蔵啓廸』もこの中で取り上げられている注解書の一冊で「眼蔵の注釈書と言ふものは、眼蔵と自分との距離を縮めてくれるもの、眼蔵に到達する梯子の如きものであるが、多くの注釈書がこの役目を果たしてゐない。然るに穆山の啓廸はこの点に於いて諸注釈に傑出してゐる。」「この啓廸によりて眼蔵を参究すれば自ら通入親近の一線路が開けてくることを疑はない」(注1)とえらく評価されている。しかし『正法眼蔵啓廸』に書かれていることすべてが首肯されるわけではない。中には間違った解釈だってみられるからだ。そうはいうものの、やはり一級の注解書であることに変わりはないが。
わたしは以前からこの『正法眼蔵啓廸』が欲しかった。現在大法輪閣からオンデマンドで全三巻が出ているがこれは分売不可で定価が税込みに二万八千百四十円と、これでは手軽に手が出せない。そこで気長に探していたら東京古書会館の即売展で下巻が安く出ていたので購入した。これはかなり幸先がよいと思った。一概に複数巻で構成される出版物は後になるほど入手しにくい。つまり第一巻より第十巻、上巻より下巻のほうが古書としては入手しにくいのだ。というのもだいたい第一巻や上巻、つまり最初に出すものは宣伝も兼ねて比較的多くの部数を刷り、売れ方に応じて後々の巻の発行部数を調整する。だから後のほうの巻は古書市場に出回る部数も少なくなる。ここで『正法眼蔵啓廸』下巻から手に入れることができたので、中巻、上巻も近いうちに必ず見つかるだろうとわたしは確信した。それからしばらくたって東陽堂の店先の廉価本コーナーに中巻が千円で出ていたので、これも迷うことなく買った。ところが上巻がなかなか現れてこない。古書展にも出てこないし、廉価本コーナーにも並ばない。そうこうするうちにこれも東京古書会館の古書展だったが、旧版の『正法眼蔵啓廸』全二巻が出たのでこれを購入した。大法輪閣版を揃えるのをほとんど諦めかけていたところが、先週あまり期待もせずに巖松堂書店二階の仏教書コーナーを覗いてみたら上巻が千三百円で並んでいた。
古書というものは絶対手に入れるという強い意志をもって探すとかならずその本はみつかるものだが、今回はわたしの意思が萎えかけているのを不憫におもったのか、本のほうで姿を現してくれた。と勝手に思っている。

(注1)『道元禅師研究の手引』155頁 永久岳水 山喜房佛書林 昭和15年10月25日第三版

被隠蔽文化

2005年09月19日 12時43分55秒 | 古書
「樺太の緯度に相當する處に在る伯林は、氣候が寒い。九月になるともう室を暖め出し、これが翌年の四、五月頃迄續く。しかし、この少年團の家には火の氣がない。我々一行は、身にしみる寒さに外套の襟を立てて、頤を深く埋めて居たが、この少年達は誠に元氣である。短い黒色の上衣を着け、半ズボンをはき、膝の部分には何も着けてゐない。中には黒の上衣を脱いで、褐色のシャツと黒のネクタイだけと云ふ、身輕ないでたちのものもまじつてゐる」(注1)。これは歯車工学の権威、東北大学名誉教授成瀬政男がナチス時代ベルリン郊外の「ヒットラー少年團の夕べ」を訪れた際の印象を綴った一節。
昨今ナチズム研究の著作は非常に多く出版されていて、その中には当時の一般大衆のナチズム観に関する研究書も一冊や二冊に止まらない。ところが、わたしたちがあの時代の新聞雑誌、大衆小説などを見たり読んだりしようとすると、これが結構難しい。映像については一部DVDやビデオで見ることもできるが、ほんの一部分でしかない。それも既に何度も見ているような映像ばかり。最近やっとゲッベルスの小説が邦訳されたが、多分品切れで一般書店では入手困難なのではないだろうか。つまり、研究者ではないわたしたち一般の人間にとって、一九三三年から一九四五年までのドイツ帝国の文化はほとんど封印されているに等しい状況なのだ。これはどう考えてもおかしい。
さらに、冒頭に挙げた成瀬政男の随筆のような視点、もっといえばナチズムを知らぬ人々による当時のドイツ社会の記述は、すべて抹殺されてしまったかのようだ。リアルタイムで記述された第三帝国の日常を、歴史家や思想家たちのフィルターがかかっていない形で知ろうとすることはとても難しい。成瀬のこの著書にしてもこれを古書店ですぐに見つけることはおそらくできないだろう。インターネットで検索したら某古書店で二千八百円の値がつけられていたが、私は件の本を最近できた神保町古書モールでゴミのようなグズグズの古書の山から発見してかなりの安値で購入した。
小説についていうならば、ナチス時代の小説家の作品が現在読まれることはない。ゲッベルスの作品が今日邦訳されること自体、非常にめずらしいとしかいい様がない。
『現代のドイツ文學』(注2)という本がある。「現代」といってももちろん二十一世紀のことではない。昭和一九年に初版二千部が刊行されてる。著者はHermann Schäfer、訳者が稲木勝彦。Schäferは知らないが稲木勝彦なら知ってる。シュルツ/グリースバッハの『ドイツ文法』、ヴィルヘルム・ユーデの『基本ドイツ文法』の翻訳者だからだ。シュルツ/グリースバッハの本は役に立っていて、今でも時折参照している。
この『現代のドイツ文學』は二部構成となっていて、第一部が「概論と展望」、第二部が「作家と作品」。「概論と展望」ではRudolf G. Binding、 Hans Grimm、Gerhard Schumannの三名をとりあげ、多くのページを割いて紹介している。このなかでわたしがかろうじて知っている作家はHans Grimmだけだ。三名の誕生年はBindingが一八六七年、Grimm一八七五年。そしてSchumannが一九一一年で最も若い。掲載されている軍服姿のポートレートは眼鏡をかけていて、いかにもドイツのインテリ青年然としている。経歴にはナチス突撃隊だったとあり、現在は戦線にいるとのこと。
「作家と作品」においては百七十六名の作家の紹介が載っている。残念なことにこの中の一人としてわたしは知らない。もともと小説はあまり読まないほうだし、ドイツ文学で読んだものといったらトーマス・マンとギュンター・グラスくらいしかないのだから、知らなくて当たり前といってしまえばそれまでだが、しかし改めて自分の物知らずを痛感しないではいられなかった。

(注1)『ドイツ工業界の印象』367-368頁 成瀬政男 育成社弘道閣 昭和17年7月5日再版
(注2)『現代のドイツ文學』Hermann Schäfer 稲木勝彦訳 東京開成館 昭和19年3月10日初版