忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

狭い日本のサマータイムブルース

2011年03月15日 | 過去記事

RCサクセションが「電力は余ってる~♪原発はもういらねぇ~♪」と歌っていたが、皮肉にも東北地方や関東地方では電力が足らなくなり、東電は大規模な計画停電を決めた。「狭い日本のサマータイムブルース」と馬鹿にするからには「インディアンの暮らし」を真似てもらいたいものだが、若かりし頃の私も忌野清志郎にはハマったので、まあ、あまり偉そうに言うまい。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110315-00000014-mai-soci
<福島第1原発2号機で爆発音 損傷の恐れも>

<経済産業省原子力安全・保安院に東京電力から入った連絡によると、15日午前6時10分ごろ、東日本大震災で被災した福島第1原子力発電所2号機で爆発音がした。原子炉格納容器につながる圧力抑制室の気圧が下がっており、損傷した恐れがあるという>




ウランは中性子と陽子からなる原子核をもつ。これに外部から中性子がぶつかると、ウランの原子核は中性子と陽子に分裂する。そして、分裂した原子は中性子を次々と作りだす。そして、中性子はまた、次々と原子核を分裂させる。ま、乱暴な言い方だが、コレが核分裂だ。これを放っておくと爆弾になるが、制御することでエネルギーを生み出すことが出来る。

テレビで「ホウ酸」を原子炉の中に入れていると報道されているが、これはカドミウムやインジウムなどの元素と同じく、中性子を吸収するからだ。これで核分裂の暴走を抑えるわけだが、人類がコレに気付いたのは、あの「マンハッタン計画」だったりする。

この計画の初期段階、指揮を執ったのはエンリコ・フェルミだ。学校で習ったロバート・オッペンハイマーはこの後になる。同計画はユダヤ系アメリカ人と亡命ユダヤ人の名ばかりが出てくるが、このエンリコ・フェルミはイタリア人だ。ただし、妻がユダヤ人だったから、ムッソリーニが何をするかわからない、として1938年のノーベル賞受賞を機に、ストックホルムからそのままアメリカへ亡命した。現在、原子番号100の元素は「フェルミウム」と呼ぶが、コレは彼の名にちなんでいる。

当時、実験用の巨大な原子炉(アトミックパイル)を作ったのは、アメリカ人らしくシカゴ大学のフットボールスタジアムのスタンドの地下だった。「放射能ってなに?パンにはさんで喰えるのか?」というアメリカ人の声が聞こえてくるような場所だ。それからおよそ40年後の1979年3月28日、ペンシルバニア州ハリスバーグ近郊で原発事故を起こす。いわゆる「スリーマイルアイランド原発事故」だ。

菅直人は現地を1時間近くも視察して、その所為で対策が遅れた、と嫌われているが、この時のカーター大統領も同じで、近隣住民を安堵させるがために現地入りした際、カーターは「危機は去りました」と発言したが、現地の女性は「その言葉を信じましょう。本当に危険ならあなたではなく、副大統領が来たはずですから」と痛烈に皮肉った。

事実、スリーマイルアイランドの事故では「最初の3時間」が最も危険な状態だった、と現在ではわかっている。スリーマイルアイランド原子力発電所2号機(TMI‐2)の原子炉の炉心部は完全に破壊されていた。燃料の半分以上が溶解し、溶けた燃料が上から推積していた。当時の大統領事故調査特別委員会は「あと30分もしないうちに完全溶解していたはずだ」と結論付けた。あのまま(事故発生から)30分、間違った対応を続けていれば原子炉圧力容器の底が溶けて、日本のマスコミは使いたがらぬ言葉だが、いわゆる「チャイナシンドローム(炉心溶解)」が発生して、地中に潜り込んでいた可能性があった。

話はぶっ飛ぶが、私はこの春先の時期、スーパーで働いていた頃はとても忙しかった。夕方から深夜まで、ずっと巨大な圧力容器の前にいたからだ。しかし私の場合、その圧力容器の中に入っていたのは核燃料棒ではなく「たけのこ」だった。それでも何度かメルトダウン(ブローダウン)して大爆発を起こした。「たけのこ」とはいえ、圧力容器の蓋は数十キロの重さだから、それが大量の蒸気と共に1メートルほどぶっ飛ぶのは怖かった。

圧力鍋を使って調理する主婦の方はご存じだと思うが、ブローダウン、というか圧力鍋を加熱していて「蓋を取る」場合、当たり前だが先ず「火を止める」わけだ。そして蒸気を抜くことになる。「たけのこ」の場合はホースで水をかけて圧力容器を冷やしたりもした。しかし、この「火を止める」という作業が核燃料ならば不可能となる。

スリーマイルアイランドの事故では、原発の運転員らが「非常用の冷却装置」を封鎖した。これは各種パイプを破断から守るためだった。圧力鍋で言えば、もうどうしようもなくなって、周囲のヤカンやらコップやらを片づけているようなものだ。原子炉はオートメーション化されているから、自分で自分を冷やそうと懸命になるのだが、結果論から言えば、これを運転員らが命懸けで2時間以上阻止するという奇妙な対応策となった。この原因は初期研修において「冷却装置の封鎖」が刷り込まれていたこと、計器類が壊れていたこと、などが今はわかっているが、どこにでも賢い人間はいて、このときのハリスバーグにもいた。ブライアン・メーラーという人だ。この人は原子力発電所の運転員ではなく、シフト監督者だった。この蒸気工学を知った人が「圧力鍋の蒸気」を抜いた。

あと30分で蓋はぶっ飛び、2000度を超す燃料棒が溶けて流れ、原子炉の底に溜まる水に浸かって水蒸気爆発を起こし、ペンシルバニア南部には放射能を帯びた巨大雲が出現するところだった。

このとき、日本と同じようにアメリカのマスコミも過熱報道したが、現場で測定すると致命的な放射能汚染は確認されなかった。TMI‐2の事故は「カタストロフ」ではなく「ニアミス」であるとわかった。原子炉の圧力容器もなんとか持ち堪えた。

この7年後に「チェルノブイリ」が起こるわけだが、今回の福島第一原子力発電所の事故は「東北地方太平洋沖地震」に端を発している。無論、蒸気は既に逃がしているが、地震による物理的な被害が根本的問題であるから、考えようによってはスリーマイルアイランド事故よりも深刻である。現地では8000マイクロ・シーベルトを超える放射能が観測されているが(平成23年3月15日午前11時現在)、これはレントゲン撮影より少し多いレベルらしい。しかし、スリーマイルアイランド原発事故でも建屋は破壊されていない。

つまり、最悪の事態を想定すべきだ。

スリーマイルアイランド原発事故は1号機の点検で休止中、700馬力で運転続行中の2号機もメンテナンスしたからだった。理論的に蒸気発生パイプの腹水脱塩装置を運転中にメンテナンスすることは可能だったが、しかし、わずか100mlの水が逆流した。このコップ半分ほどの水は、すべての制御弁をコントロールする装置に達し、自動制御装置を誤認させ給水弁を閉じてしまった。チェルノブイリは、運転を停止する際、その惰性運動でどの程度の発電機を動かすことができるか、のテストだった。このとき、オペレーターは緊急自動停止装置を解除した。これは明確な安全規則違反だった。結果、不安定になった原子炉内部では水蒸気爆発、更には本物の核爆発が起こった。これらは人為的ミスであり、人災であった。しかし、この福島第一原発の事故は天災であり、しかも3機が共に不安定な状態にある。

日本政府は「最悪のこと」を考慮して情報を発信せねばならない。東電は「あとのこと」など考えず、ありのままを専門家に伝えるべきである。このままではパニックになる。



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