忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

別れの曲

2013年03月06日 | 過去記事



職場に「教師の卵」がやってくる。その日は「音楽の先生になりたい」という女子大生。べっぴんさんだ。施設のモテナイクンは「そんなこと」あるわけないのにそわそわしていた。可能性はゼロ。「もしかして」もない。「なにかの間違いで」もない。隕石にあたって死ぬくらいの確率ながら、本能的に周辺をうろついてじっとり眺めていた。お巡りさん、この人です、という感じだった。

その実習生が昼飯時、これまたエレクトーンをやる。大した腕前だというのはすぐにわかった。それから、少し離れた場所で仕事していた私は「ショパンだ」と呟いた。「別れの曲」。好きな曲だった。一緒にいた金髪職員は「ふぅ~ん」ってなもんだ。所詮、ショパンもあんパンもわからぬ安モン、これまたどうしようもない。

という私も本当はショパンもコロッケパンも区別できない。安モンだ。なぜにわかったかというと「101回目のプロポーズ」だった。武田鉄矢と浅野温子のアレだ。「ぼくはしにましぇん!」のアレであるが、あのシーンを実際に観ると泣いてしまうのであった。本物の俳優、女優の演技力というのはそういうことだった。「別れの曲」はこのドラマで使われた。

私は仕事しながら、名ドラマの名シーンを思い出して涙ぐんだ。それからその実習生に「別れの曲ですね」と言った。素晴らしい。もう一度、弾いてください、とか頼んでいた。ドラマの説明もすると、なんと、20歳ながら「観てました!」と話がピタリと合う。聞けば再放送やらDVDでぜんぶ観たとか。「日本のドラマも凄かったですよね」など、私の意見と同じことを言う。私は財布からお小遣いを差し上げたくなる衝動を堪え、それじゃあ、あとで弾いてね、とだけ残して仕事に戻った。

しかし、だ。私が立ち去りながら、ふと見ると「捕まっていた」。「韓流おばさん(本物)」を中心とする「韓国人と結婚したい軍団」だ。あの素晴らしい実習生は何を言われているのだろう、と気になった。まさかエレクトーンの起源は韓国とか、武田鉄矢は在日とか言われてるんじゃぁないだろうな、と心配になった。近づくと同じようなことだった。

「なにがよかったの?」とか詰められていた。「あんた韓流ドラマ、みたことあんの?」という具合だ。うっかりした。この連中は私には言わなくなったが、とくに余所から来た女子大生、広報活動しないわけがなかった。それに「浅野温子?大嫌い!チェ・ジウのほうが大女優!」とか、意味不明な攻撃に曝されている。実に不気味だ。

女子大生は「・・・武田鉄矢が好きなんです」とかわそうとした。すると、彼女らはそこを捕らえた。「金八の?どこがいいの?というか、そもそも101回目なんて、ストーカーじゃないの!あたしだったら警察に電話して終わり!武田鉄矢も大嫌い!」

嗚呼、これはダメだ。危ない。失礼ながら、20歳やそこらのお嬢さんが太刀打ちできる相手じゃない。連中には夢がない。貯金も将来もない。旦那も彼氏もない。韓国しかないのだ。夢と希望に溢れる実習生、しかも美人となれば攻撃対象とされてレーダー照射されないわけもなかった。これは助けなければ。清純可憐なうら若き乙女を救うのだ、と私は会話の中に飛び込もうとした。ええい!このキーセンども!あんたらと違ってこの羞花閉月、清楚で愛らしい撫子から離れなさい!キムチが感染る!と言おうとしたとき、

「あたし、韓国ドラマ嫌いなんです。K-POPも嫌いなんです」

なんと、反転攻勢に出た。それから「ドラマの内容もダメなんですか?おかしいじゃないですか?チェ・ジウは本当に浅野温子の役をやったじゃないですか?101回目で」とか。

韓国どもは「え?」ってなった。女子大生は「韓国と中国でリメイクされたんですよ、あのドラマは。え?もしかして知らないんですか?」と容赦ない。「脚本家もセリフもおんなじ。じゃあ、アレもダメなんですか?」――――。

私が静かに立ち去ろうとした瞬間、トドメだった。

「人が何を好きかなんて、放っておいてください」

私は思わず、よけいなぁぁものなどぉないよねぇ♪と飛鳥になった。



しばらくしてから、実習生が私のところに来た。「なにかお手伝いすることありませんか?」だった。素晴らしい。「なにかすることないですか?」はある。もっと酷いのは「なにやればいいですか?」だ。最悪なのは聞きにも来ない。そこには謙虚さもヘチマもないが、この彼女はどうだ。なんとも立場を弁えた適切な日本語ではないか。わたしなんかにできることがあれば、なんなりとおっしゃってください、という日本的なマインドが含意されている。日本の将来はアベノミクスだけではない。明るい。明るいのである。

私は言ってみた。「あの人らはね、50年後のキミを、いまと変わらず愛している、とかアレなんだね。ボクは死にましぇンではなく、ボクはもう死ぬだったんだろうね」

でも嫌われてしまったかも、と彼女は心配するが、私が「じゃあ好かれたほうが?」と問うと「いや、それもちょっと」と正直だ。それに心配ありませんよ、と付け加えておいた。

昼休み。韓国どもは実習生も仲間に入れて盛り上がっていた。他愛もない話だったが、和気あいあいだ。何ら心配することもない。

毅然として自分の意志や考えを表明する、ということは大切だ。阿って「はあ、そうですね」がいちばん具合悪い。相手が支那朝鮮マインドなら尚更だ。とりあえず、この話題は避けておこう、が通じる相手と通じない相手がいる。こちらが触れなくても、相手は平然と触れてくる。現在は皆無だが、以前の私も「KARA」のDVDやら、どれほど勧められたか。そこで好きでもないのに「じゃあ、せっかくだし」と借りれば感想を問われ、気付けば新曲のCDを買う羽目になる。中途半端に引いてみれば、引いた分以上に押し込んで来るのが連中だ。それをきちんと突っぱねる。イヤなモノはイヤ、ダメなことはダメ、そこから先は自分の勝手だろうが、という意思表示は後の交友を深めることになる。

もちろん、そこで罵倒すれば同類になる。「朝鮮ドラマなんぞ持ってくるな!汚らわしい!」までは言い過ぎだ。あくまでも「自分はいらない、興味ない」という、個人の責任において意志を伝えるべきなのである。興味があるなら借りてもいいし、気に入ったら買えばいい。それだけのことである。とくに毛嫌いする必要はない。繰り返すが、過剰に反応することは同類であり、同じレベルに堕していると告白しているようなモノだ。

それにもっと深刻なことは「逆に利用される」ということだ。

「ナヌムの家」に「売春婦は死ね」みたいな歌詞を送りつける。日本大使館前の慰安婦像にナニかする。もちろん、気持ちは十分に理解出来る。「従軍慰安婦」は強制連行された性奴隷じゃないし、正確に表現すれば「売春婦」で間違いない。「好んでやったことか?」と詰められたら「知ったことか」と言い返す他ない。ただ、ここで「売春婦死ね」は言い過ぎだ。やり過ぎなのである。それに効果もない。逆効果は顕著であるが。

嘘吐きは自覚する。ボロも出す。最近、我が家で大流行の「名探偵モンク」もそうだ。淡々と事実と証拠を列挙して犯人を追いつめる。ホームズもそう。コロンボもそう。古畑もそうだ。最初から「おまえは嘘つきだ!犯人はお前だ!」で済むなら名探偵はいらない。というか、警察も裁判も要らない。

「強制連行された性奴隷」などいないという証拠は山とある。逆はない。朝日新聞の「日本軍が関与」も騙して連れてきたり、それこそ強制連行してきたりする業者を取り締まる、あるいは衛生管理や労働管理、営業管理における「関与」だったから、ちゃんと記事を読める読者はひっくり返った。いま現在の日本の風俗営業もすべからく「国が関与」しているわけだ。7号営業の「ぱちんこ」をして「日本が国家的に関与している!」と騒ぐレベルだから、それはもう、嘘吐きの断末魔だった。論理もヘチマも無くなった瞬間だ。

こういう「わかってる人はわかってる」みたいな問題点を殊更に大声でやる必要はない。「わかってない人」は大声でもわからない。「興味がない人」には中身が伝わらない。単純に「朝鮮人売春婦は死ね」だけが頭と心に残る。やり口は凱旋右翼だ。イメージ操作になる。

心ある対馬の住民が「韓国の人らが可哀そう」と言うのは、どこかの阿呆団体が「万引き朝鮮人を放り出せぇ~」「ゴミはゴミ箱に!朝鮮人は朝鮮半島に!」と対馬の町を練り歩いたからだった。そんなことしなくても、ちゃんと対馬の人らは困っていた。問題意識のある対馬住民は考えてもいた。それがある日、いままで何も言わなかった隣近所が「韓国の人可哀そうね」とか言い出す。「差別って本当にあるんだね」とイメージ操作される。

東京の大久保やら大阪の鶴橋にテレビが行く。どこかの阿呆団体が差別丸出しで歩く。殺せとか死ねとか、物騒な言葉を連呼しながら歩く後ろから、どう思いますか?とマイクを向ける。「韓国の人が可哀そう」とか「怖かったです」くらいの声は楽に拾える。これは反日メディアが悪いんじゃない。阿呆が利用されているだけだ。正直、迷惑なのである。

例えば、職場で「従軍慰安婦が~」と問われたら妥協しない。それは違います、と淡々と説明する。事の内容は「KARA」ではない。好きか嫌いか、でもない。日本と日本人の名誉に関する重大な棄損だ。だからそのときは絶対に負けないし、絶対に屈しない自信がある。だって、そんなモノはないからだ。しかし、こちらから「朝鮮人てば、ウソつきですよね」はやらない。無意味なだけではなく、それは逆効果になるからだ。


「韓流おばさん(本物)」に問うてみた。なんでそんなに武田鉄矢が嫌いなのか?まさかラジオで「韓国は反日を止めたら韓国じゃなくなる」とか言ったからぢゃ?

「ん?不細工だから。それだけ」

素晴らしい。50も過ぎてその単純。疑う余地のない浅薄。韓国好きはそうでなくちゃ。



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