私は男だから、あまり占いの類は信じていない。だから「40歳からモテ期突入」と言われても信じていなかった。しかし、だ。バレンタインである。職場でもらってしまった。
リボンが施された可愛らしい箱に「くまさん」と「ハート」のシールが貼付してある。仕事中の私にこっそりと、周囲にいる皆様にばれないよう、そっとポケットに忍ばせてきた。くれた人はちょっと年上だ。私よりも45歳ほどお姉さん、今年で86歳になる。先週の外出時に購入してきたらしい。正直、女性職員らの義理チョコよりは嬉しい。
もし私が独身で相手の資産が数兆円、とかなら考えたかもしれない。しかし、現実は厳しい。私には妻も子も孫も犬もいるし、その86歳には資産もない。あればこんなとこにいない。「有料老人ホーム」にいくはずだ。だから私は「・・・ww・・・あ、ありがとう・・・」で済ませた。
また、他の女性入所者だが、この人が日記をつけていたらしい。面会に来た家族が気になって、ある日、こっそりと読んだ。私の方にも施設から説明があって、それから家族にお礼を言われる。何かと思ったら、その日記には「ちよたろさんが~~」と頻繁に名指しで書かれていたとのことだった。もちろん、私は読んでいないが「面白くて優しい。ちよたろさんがいる日は楽しい」とか、どんな冗談で笑わせたとか、不安に思っていたら説明してくれたとか、書いてあったそうで、家族の人は涙ぐんでお礼の言葉をくれた。冥利に尽きる、というやつだ。ちなみに資産はなさそうだ(笑。
ま、もうひとつの「とっておきの自慢話」は最後に書くとして、さて、私が勤める施設でも話題になっている。この事件だ。
http://www.asahi.com/national/update/0213/OSK201202130052.html
<老人ホーム入所者に暴行容疑 介護福祉士ら3人を逮捕>
テレビでもがんがんやっている。全国の介護福祉関係の人間、それも数年以上のキャリアがある関係者は戦々恐々、ベッドの下やタンスの隙間をチェックし始めている、はずだ。隠しカメラが怖いのだ。無論、虐待はなくとも、なんとなく、嫌なモノだ。「こら」とか「もう」とか「阿呆か」くらいは茶飯だからだ。だから私のように、最初から「隠しカメラがありますように」と接していたほうの勝ちだ。想像力が足らんのだ。
神戸市西区の「はぴね神戸学園都市」の介護士3人が逮捕された。ここは、いわゆる「有料老人ホーム」となる。同施設のホームページにもあるように<手厚い介護に係わる人件費>として介護費用が別途必要だ。だから月額の費用は、とりあえず20万ほどかかる。「入居金」も必要。「プランA」では730万円~1,120万円となっている。利用者がこれほどの金額をポンと出すのは、もちろん、その他施設と比して<手厚い介護>が受けられるから、である。夜間の対応も違う。私がいる施設は60名ほどの入所者を実質3名で看視するが、ここは<夜間(18時~翌9時)最少時の介護・看護職員数7名(介護職員6名・看護職員1名)>とのことだ。これは心強い、となる。
しかし、実態はどうだったか。この虐待事件が発覚する以前、この施設では不審死があった。亡くなった入所者は「うつぶせ」で死んでいるところを発見されるが、記事では<当時は夜間で、夜勤中の松田容疑者が1人で女性らを見回りしていたという>とある。さらにその女性は自力での寝返りが困難だった、とある。ベッドに寝かせることを「臥床」というが、これを「うつぶせ」にすることなど、特別な理由がない限り、ちょっと考えられない。嘔吐の心配があっても、それは横向きに寝かせる「側臥位」で対応することがほとんどだ。つまり、これは「寝返りが困難」ではあるが、女性が自分で寝返った、とみることができる。ならば深夜の巡回時における「体位変換」などの介助を怠っていたともわかる。簡単に言えば、ほったらかしだ。それでも医師の診断は「病死」となる。死因に「放置」とは書けない。
また、この私と同じ年の松田光博という介護福祉士は、その亡くなった女性に対し「車イスごと持ち上げる」などの行為にも及んでいたとバレる。無論、そんな介助はない。女性入居者が怖がるのを遊んでいるだけだ。最低のカスである。
この仕事を始めてすぐのころ、施設の介護主任と話したことがある。それは「仕事ぶり」についてだった。その介護主任も過去「運送屋さん」などをしていた。いわゆる「異業種」からやってきたわけだ。私は施設職員の虐待どころではなく、通常の業務中における「態度」を指摘した。入所者、利用者というのは、いわば「客」である。時間給700円で働くファーストフードの高校生でも「客」に対しては敬語で接する。パチンコ屋でも頭を下げて客を迎える。しかし、高齢者施設の実態とは「おい」とか「こら」がまかり通っている。
「マクドナルドでね、女子高生のアルバイトが、客に“おい”とやれば、頭がおかしいと判断されますね。“こら”とやればクビですよね」
と言えば介護主任は深く頷いていた。それが何故、この仕事場では許されているのか。
理由はひとつだ。「相手がボケているから」である。だからボケていない、と思しき入所者には敬語で接する者も多い。「チクられる」からだ。実例もある。
しかし、どんなサービス業であれ「客によって態度を変える」のはおよそ最低の部類に属する「仕事ぶり」だとされる。常連になって気軽になる、というわけでもなく、明らかに「従業者の気分」により「左右される接客態度」など許される世界はない。とはいえ、マニュアル通り「オムツ交換のほうさせていただきます。失礼します」は馬鹿だとわかる。それは慇懃無礼、現場的にはやり過ぎだ。
だから、介護学校で「ダメですよ」とされている「おじいちゃん・おばあちゃん」という呼び方も、私はしないがあってもいいと思う。相手は紛う方無きジジババだ。要するに普通にすればいい。普通に優しく丁寧に話しかければいい、接すればいいだけだ。あり得ないのは冷たく、突き放すような態度、接し方だ。イライラしてます、という態度を前面に出した接し方は、どんな業種であれ、社会であれ通用しない。そんな個人の下らぬイライラ、知ったことではない。
また、これもあまりよろしくないが、私の場合はその入所者を「戦前・戦中・戦後」でみてしまう。まだまだ「元兵隊さん」も少なくない。「満州に行った」とか聞かされれば、問答無用で「御苦労さまでした」と心の底から言える。女性職員が小馬鹿にして扱っていたら、それこそ“こら”となる。この人は御国のために苦労なさったんだぞと、あんたら寒い寒い言うけど、満州がどれほど寒いか知っているか、私も知らないんだぞと。お婆ちゃんもそうだ。銃後を支えていたのだと知れば、それはそれはお疲れさまでしたとなる。戦後の日本も大変だった。だから同じく、朝から晩まで働いて大変だったでしょう、と思わずにはいられない。
もちろん、これからは日本をダメにした団塊の世代も入所してくる。しかし、これも虐めてはいけない。そこはプロとして丁寧にしたい。施設には「天皇陛下」のお写真が載る本もたくさんあるが、この本に対して文句を言う左巻きの年寄りがいても虐めてはいけない。必要ないのに下剤を飲ませたり、大便があったのに記入し忘れてナースに浣腸させたり、通りすがりに布団を引っぺがしたり、何の用もないのにベッドの真上からじっと見続けたり、あることないこと記録したり、モノを隠したりして不安がらせたりしてはいけない。ふふのふ。
ま、いずれにせよ、これから「隠しカメラ」は流行る、かもしれない。そして「モンスター化」する家族も出てくる、かもしれない。施設から金が取れる、と浅薄な計画を練る馬鹿も出てくる、かもしれない。夜間、ナースコールがあってもすぐに駆けつけられない場合、その理由を「人手不足」とするなら人員を増やせ、とやる家族も出てくる、かもしれない。そんなことになれば「有料老人ホーム」しか生き残れない。介護保険料をいくら上げても追いつかない。「有料」ならば、かかった経費は料金で埋められる。つまり、1000万円とかポンと出せる家族以外は在宅での介護となる。これはコレで結構なことだ。
・・・・・。
そうそう。もうひとつの自慢だった。忘れるところだった。コレもちょっと書いておこう。
「福島さん(仮名)」という女性の入所者さんをベッドに寝かせて居室を立ち去ろうとしたとき、後ろから福島さんの声がした。どうやら「ちょっと」と言ったようだった。
どこか調子が悪いのか、と思って口元に耳を近づける。福島さんは、いくつかの持病があるが、その他は普通に老化しているだけで認知症も見られない。しっかりしているのである。だから普通に会話のキャッチボールも出来るし、京都の爆笑王である私の振りまく「面白いこと」にも敏感に反応する。先日もツボにハマって失神するほど笑っていた。事実、てんかん発作で、ちょっと失神した。死んだのかと思った。
ただ、話す声も小さく、歯も「レレレ」みたいに下の前歯2本しかないから滑舌が悪すぎる。話す内容に部分的ではあるが解せぬ場合がある。だから「文字盤」を使う。福島さんは「聞きとれなかった部分」をその文字盤にゆっくりと指を這わせる。「こっくりさん」みたいだが、まあ、もうすぐ本物になるわけだから、コレも練習だと思って使わせてもらった。ンで、なんだって?
「ぁんな、あ・・んたにな・・・おげrgじぇろいgj・・・のな、ぅあk・・」
あんな、あんたにな、までは理解した。しかし、そのあとの「おげrgじぇろいgj」から以降が全く分からん。文字盤を使ってくれ。
福島さんの声を聞きつつ、その指を辿りつつ文字を読むと、こうつながった。
『あんな、あんたにな、ウチの土地をな、売って欲しいねん。いまはな、○△さんが半分ほど田んぼにしてるけどな、アレはウチの土地でな、○△さんに使ってもらってるだけでな、もうな、売りたいからな、あんたに頼みたいねん』
ほうほう。なるほど。自分はもうすぐ「こっくりさん」になるから気になるわけだな。
福島さんは頷く。
その「○△さん」は身内じゃないの?
「ち・・がぅ・・」
貸してるの?もしかすると無料で?
福島さんはまた頷く。真摯な、訴えるような表情だ。
家族の人は・・・?そうか・・・息子さんも亡くなったのか。
そういえば福島さんは天涯孤独だった。遠い親戚までは知らないが、緊急連絡先も身内ではなかったのかもしれない。おそらく「○△さん」か。
不動産屋に頼めばいいの?どこでもいいの?でも、先ずは「○△さん」に会わないと。
福島さんは、また、文字盤も合わせて意思を伝えてきた。
その土地は京都の田舎にあった。「半分を田んぼ」というからには小さくない土地だ。どうやら、そこを売っぱらってしまうつもりらしい。しかしながら、なんでまた、急に。
「ぁんたにな、あげる・・・」
私は笑って福島さんを見た。なに?それは遺産をくれるということ?なにをまた、あんた、
「・・・・・。」
福島さんは真面目な顔をしていたが、そのうち、なんと、私に向かって手を合わせた。
ちょちょちょ!!ちょっとマテ!拝むな!そ、そんなのイヤだ!ッ怖い!!
福島さんは拝みながら、あんたにもらってほしい、と続けた。
ちょちょちょ!!ちょっとマテ!考える時間をくれ!10年ほど!
福島さんはようやく、ぷっと噴き出し「し・・んでまうがな」と言った。ま、それもその通りだ。しかし、である。
そんなの貰う覚えがない。安モンのドラマじゃあるまいし、いくらか知らんが、それなりの金額だろうし、やっぱり、そんなの頂けない。でも、福島さんの気持ちもわかる。残して旅立つには気になる金額なんだろう。少なくとも意思表示ができる、いまのうちに・・・というのも理解出来る。そして、いままで何人もの介護職員がお世話してきたはずだが、1年未満の私を選んで「もらってくれ」も悪い気はしない。それに「貰って欲しい相手に貰って欲しい」は不思議でもなんでもない。妻もそう言っていた。だから、くれるならもらう、と決めた。ただし、だ。
福島さん本人にも「オレはぜんぶ、靖国神社に寄付するぞ?それでもいいの?」と言った。私は孫正義ではないから、すると言ったら必ずする。それに、そんな大金(いくらか知らんが)いらない。申し訳ないが困っていない(普通には困っている)。私が自分で稼いだなら別だが、して当然の仕事の範疇、それに感謝されて得る報酬外の金などいらない。これはいつも書くように、綺麗事ではない。圧倒的な現実主義、身勝手極まる利己主義、計画的な打算に基づいた人生の策略である。つまり、そのほうがお得なのだ。
もちろん、私から手続きを進めるようなこともしない。そんなお手伝いは仕事に含まれていない。福島さんが相談員との面談で言えばいい。それである日、見知らぬ弁護士が私を訪ねてきたなら話を聞く。くれるならもらう。そして、私は使わない。いらない。妻も二つ返事で「んあ?そんなんいらん」とのことだ。さすが、我が妻である。
この仕事はその人(入所者・利用者)にとって「最後に出会う人」になる可能性がある。それはたしかに仙人のようなジジババばかりでもない。それは私も身に染みた。しかし、それでも「明日死ぬかもしれない」と思えばどーということはない。「病気だから仕方がない」「認知症だからしょうがない」だけではなく、我々の仕事は「人の人生の最後」に触れる仕事でもある。それは重く、濃く、大事な「縁」である。
私と仲が良かった「K」さん。ここにも書いた、あの俳句の「K」さんだ。私はこのお婆さんが大好きだった。可愛らしいお婆ちゃんだった。
最近、亡くなった。いわゆる「ターミナルケア」に入ってからすぐだった。ある夜、呼吸が荒く、細く、速くなった。そして、しばらくすると、静かに止まった。
私はその夜、夢を見た。「K」さんが出てきた。車椅子に乗ったままだった。何もせず、何も話さず、ただ、じっとこちらを見ていた。目が覚めた私は「K」さんが一度だけ見せてくれた笑顔を思い出した。如何にも「笑ってしまった」という感じの笑顔だった。「K」さん自身が驚いていたようにも感じた。自分が笑える、と忘れていたかのようだった。
介護歴ウン十年、という古い女性職員に言った。すると「挨拶に来たんやわ・・」と感心してくれた。いままで何人もの入所者を見送った経験のある人だが、夢に出てきたのは数人だと言う。めったなことでは「会いに来てくれない」とのことだ。不思議なモノだ。私は本当に嬉しくなった。「会いに来てくれた」と信じられた。
この仕事を始めて1年と少し。現在、私の最高の自慢だ。
いらっしゃいませ。ありがとうございます。
>katooさん
いらっしゃいませ。katooさんだったと思います。またきてくださいね。
(いや、スンマセンたぶん全部は読んでません)
なんと言うか、当たり前の事だと思うんだけど、忘れてしまっている凄く大事な事をいつも認識させられます。
ありがとございます。
貴重な体験を、笑わせながら、そして
感動を与え、涙させる素晴らしい文章に
されておられる。
涙が滂沱と溢れます。
素晴らしいお話です。