忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「ルンルンを買っておうちに帰ろう」を買っておうちに帰ろう。~るんるん~

2013年06月01日 | 過去記事



テレビドラマの「水戸黄門」で空が映ると飛行機雲が、御一行が歩く小道にはコーラの缶が、みたいなのがある。ウソかホントか知らないが、ひと昔前、トリビアがなんたらというテレビでもあった。時代考証が杜撰でおかしなことになったり、偶然のミスであり得ないシーンになったり、というのはある。しかし、これも角度を変えれば面白いとなる。

また、小説などを読んでいても、誤植ではなく明らかに「人為的ミス」とわかる部分を見つけることもある。その場にいない設定の人物描写があったり、ある出来事を知る由もない人物が既知を前提に振舞っていたり。ミステリーなどなら「これもトリック?」となるが、全体を読むとやっぱり単なるチェックミスだったりするから、なんというか、珍しくて嬉しくなることもある。「みつけちゃったww」という感じだ。そして、その部分だけは脳内変換してしまうから問題もない。あとはすっと読んでしまう。

大方の人がそうだと思うが、中には厳しい人もいて例えば映画にもなった「半落ち」。書いたのは横山秀夫だ。その後も順調にヒットを飛ばしているが、この「半落ち」は原作も読んだし映画も観たが、まあ、個人的にはアレだった。しかし、林真理子が咬みついた。これで面白くなった。これまた存外、私は林真理子が嫌いじゃない(笑)。

直木賞選考委員だった林は候補になった同小説を、アルツハイマーの嫁を殺すのはどうか、主人公が善意の人過ぎてちょっと、みたいに普通の批判もしたが、話題になったのはこの次の「北方謙三さんから、受刑者はドナーとして提供できないという指摘があった」と「渡辺淳一さんから、そういう欠陥があるのに誰もわからなかったのか、今のミステリー業界はちょっとよくないんじゃないか、という発言があった」だった。大物作家の名を挙げて「事実誤認」「チェックミス」を糺した。

ずいぶん前の作品だからざっと書くと、主人公はアルツハイマーの妻を殺害、自分も死のうとするが、その前に自分がドナー提供した骨髄で生きている男性を見たいと思う。これが「謎の2日間」になる。殺害は認めているが、どうしても「2日間何をしていたか」を言わない。半分落ちている、つまり「半落ち」だ。

黙秘の理由は、その青年に「殺人者の骨髄で生きている」と知られたくないから。そしてその青年を見たとき、主人公は死ぬ前にもう一度だけ、骨髄ドナーになると決心する。登録可能な年齢まで、つまり51歳までは生きようと決めたのであった、みたいな感じか。これをちょっと弄るとウィル・スミスの「七つの贈り物」になるが、まあ、そういうことだった。

これが結構な論戦になり、刑務所に入る前にドナー登録してたらいいとか、いや、それでも前例がないじゃないかとか、わぁわぁやっていた。結果は知らない。ただ、この影響で刑務所の中の人が「ドナー登録できるなら」と考えたり、なるほど、と思った賢い人がそのための法整備を整えたり、というのは無駄ではない。どうせ人権屋が煩いだろうが、人を殺して刑務所に入り、その服役囚が「罪滅ぼしで」と言うなら登録しておいてもいい、と個人的には思う。

だって本当に人の命のためになるし、もしかすると、命を奪った犯人が命を救える可能性があるのだ。これは死刑と同じくらいわかりやすいし、たぶん、そんなに間違っていないはずだ。もちろん、支那じゃないから強制もない。本人の反省が形になるし、それで助かる人がいるなら良いことではないか。美談も生まれるだろうし、いやらしい作家はまた、後味の悪い物語を書くだろう。結構なことだ。


ダメなのは小説なのに本当みたいに書いて阿呆を騙し、多くの人に迷惑をかけてしまうような駄作だ。例えば千田夏光。この人は大学を中退して毎日新聞に入り、そこで反日を学んで独立して、あの「従軍慰安婦シリーズ」を書いた。2000年に亡くなったが、そのシゴトは脈々と受け継がれて多くの「慰安婦詐欺」を世に出した。罪深い小説だ。

ここで初めて「従軍慰安婦」という言葉が発明される。それから20万人もそう。挺身隊との混同もそう。すべての出所はコレだ。それから韓国メディアも千田の言葉と数字を使いまくった。教科書に書いたり、慰霊碑にも「小説も数字」を刻んで泣いている。日本でもちやほやされたいだけの枯れた学者、吉見義明なんかが実は4万5千人でした、とか論文を書く。それを朝日新聞が取りあげる、NHKは特集をする、みたいな感じで広まっていった。金の匂いがするから乞食も集まる。頭が左に巻いているしか能がない連中も飛び付いた。

しばらくすると、どれほど呆けたのか「はい、それ、ボクやりましたけど」とか、吉田清治みたいなおかしいのも出てきた。やったと言うから調べてみると、現場となった済州島の島民から「嘘を吐くな」と叱られる始末だった。本人も目が覚めたのか、アレは嘘でした、左翼に騙されました、を言った。それでも「やった」と言えば朝日やNHKが構ってくれるから、他にも淋しい年寄りが何人か名乗り出た。だけど所詮が思い付きだから、話に辻褄も合わない。「ボケた」では済まない矛盾も出てくる。朝日らは「加害者はダメだ」と思った。使えないのだ。

だから作戦変更、被害者を作ろうとなった。例えば高木健一という弁護士はインドネシアまで行って「慰安婦募集」をした。慰安所でも作るのかと思ったら、なんでも「名乗り出た被害者には200万円あげます」と言う。一緒に悪い日本を訴えましょう、と。

今現在でもルピアはしんどい。2011年のインドネシアの平均月収は1万2千円と少しになる。年収ベースで15万円に足らない。昼飯に5円とかの国で200万円ぶら下げると、当時、インドネシアにいた日本軍兵士2万よりも2千人多い人が集まった。ざっと440億円、高木弁護士と「太平洋戦争遺族会」は支払ったのだろうか。支払ってないなら詐欺だから、インドネシアの人には「あきらめないで」と言っておきたい。

それからも福島瑞穂が韓国で「慰安婦募集」。親に身売りされた哀れなハルモニを連れてNHKに出たり、朝日新聞の植村隆が朝鮮人嫁のオモニ、梁順任と一緒になってバンバンやったりした。もちろん、このあとも手を変え品を変え、大阪の阿呆が喚く現在に至る。

この千田の「従軍慰安婦シリーズ」は、とても「小説だから」で笑えない状態になって久しい。嘘が憶測を呼び、憶測がまた悪意を根拠にした嘘になる。風評被害どころではない。

それに日本だけの問題でもなく、この「おはなし」を真実だと思い込んでしまえば、深刻な弊害も考えられる。日本人はまだマシだ。「ンな、こたぁない」と知っていればそれでいいし、知らなくても「ごめんね、日本は悪かったね」しか言いようもない。「ば、賠償するニダ!」と言われても、素っ頓狂な顔で「いくら?」。それから優しい笑顔で「まだ困ってるなら言っておいで。遠慮しなくていいから」と馬鹿にされる。


つまり、本当に最悪な副作用は「あっち側」に出る。

済州島の島民は吉田の嘘に怒った。ひとつの村から15人、島全体から205人も女を連れて行かれて、島の男どもは戦わなかったのか、となる。これがエスカレートしていくと、朝鮮半島全体で何百万人でもいいが強制的に連れ去られて、朝鮮民族はなにもしなかったことになる。北朝鮮の子供らは心の中で「偉大なる将軍様はなにをしていたんだろう?」と思う。韓国の子供らも不思議に思う。大韓帝国は小さくて阿呆な日本に文化を伝えた奇跡の先進国、強くて大きくて立派だった我が祖国はいったい、なぜ、黙って見ていたのか。

支那人もそう。都合、2000万人も小日本に殺された。毛沢東も蒋介石もなにをしていたのか。いくら日本がズルくとも、卑怯であっても、これはちょっと殺され過ぎではないだろうか。南京の三十万人はなにをしていたのか。バス停にも並べない民度の我が人民が、掃射される機銃の前に整然と並び、ただただ行儀よろしく順番を待っていた。なぜに逃げなかったのか。

南京攻略戦の日本軍は総数で十二万。国民党軍は十万とある。その南京防衛軍は戦死が8000名ほどだ。捕虜が一万人。残りの八万人は逃げたのか?南京市民が三十万人も大虐殺されているのに助けにも来なかったのか?という結論に至る。これでは自国に誇りは持てない。だから考えないように、見ないように、と誤魔化し続ける必要がある。国家レベルで。

だからいつまで経っても国際社会から嫌われる。民度は上がらない。鬱憤が収まらない。詰まらない嘘歴史を国民に教え込み、なんでも都合よく日本を使ってきたツケは溜まる一方、これからも靖国神社に放尿して喜ぶ畜生レベルの民度に頭を抱えねばならない。

韓国の大統領も代わる度に反日を言わねばならない。「嘘も百回」というなら、実際に100回言わねばならないから大変だ。だからたまに強引なこともやる。李承晩はそれで竹島を盗った。でも、それでも韓国民は納得しない。「もうじゅうぶんだセヨ」と国民が言わない。だから政治家は「対馬も」と言い出さねばならない。経済的にふらふらになっても、青い顔して意固地にならねばならない。当然、国内が乱れるから、それを収めるのにまた、日本を使うことになる。

これの大きいのが支那で、小さいのが北朝鮮になる。どちらも日本なしでは成り立たない。尖閣諸島周辺の騒ぎも臨界線に達するまでもうすぐか。実際に上陸、あるいは軍事的な衝突まで行かねば収まらない。まさか「商売に障るし、もう止めるアル」とは今更言えない。

しかし、日本もいい加減にせねばならない。支那朝鮮は嘘の被害を言い立てるが、日本の場合は実際に拉致被害者がいる。「私が証拠だョ」ではないが、事実として現在の日本に「家族を誘拐されて絶望する家族」がいる。連れ去られた本人も「なんで日本は助けに来ないんだろう?」と思い続け、それは失望に変わり絶望へと堕すだろう。領土領民を好きにされ、敵愾心剥き出しの「平和を愛する諸国民」に囲まれ、それでも「平和的な解決を」としか言わない国家のリーダーに自信を失っていくだろう。


日本は林真理子のように「真上から」モノ申すことも覚えたほうがいい。国連などのしょうもない権威に怯むこともなく、林真理子のように嫌われようが気にもせず、自分大好き自分サイコー自分はすごい自分は天才、みたいな顔も覚えたい(嫌いじゃない・念のため)。

それからセンスのある毒も吐こう。それは大阪の阿呆みたいな安モンのアレでもなく、ちゃんと勉強と研究に裏付けされた「優れた毒」だ。効いてほしいところに、効いてほしいときに、ちゃんと効果を発揮する。ピリッと辛口ながら愛嬌を忘れず、しっかりと相手をムカつかせる。「日本は謝罪せよ~」とか「朝鮮人は殺せ~」ではないアプローチだ。



林真理子のデビュー作は「ルンルンを買っておうちに帰ろう」だった。ベストセラーになったエッセイだ。実はまだ手にしていない。いまから注文する。




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