哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

『続・悩む力』

2013年10月31日 | 哲学・心の病
姜尚中氏のベストセラーの続編『続・悩む力』に、次のことが書かれている。

『結論を先取りすると、人生に何らかの意味を見出せるかどうかは、その人が心から信じられるものをもてるかどうかという一点にかかわってきます。
「悪」に魅せられてそれに手を染めることも人生の意味だとは言いたくはありませんが、個人や集団に実害が及ばないなら、差し当たり何でもいいのです。
恋人でも、友でも、子供でも、妻でも、神でも、仕事でも。
というのも、何かを信じるということは、信じる対象に自分を投げ出すことであり、それを肯定して受け入れることだからです。
それができたときにはじめて、自分のなかで起きていた堂々めぐりの輪のようなものがブツリと切れて、意味が発生してくるのです。』

彼は、「信じる対象に自分を投げ出せば、生きる意味が発生する」と言っているが、私は彼が言っていることに賛同することはできない。
なぜなら、産まれて直ぐに亡くなる子には生きる意味はないのか?
また、一生、意識がなく寝たっきりの重度障害者には生きる意味はないのか?

私は、すべての人に生きる意味が発生する「生きる意味」でなければ、すべての人が納得するという普遍性のものにはなりえないと思う。
そして、私が求めている「生きる意味」は、そういうものである。


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2つの幸せホルモンの話

2013年10月31日 | 哲学・心の病
毎日新聞に「さあこれからだ 感動幸せホルモン分泌」という記事があった。
諏訪中央病院の医師鎌田實さんの記事である。
それによると、幸せを感じると分泌される2つのホルモンがあるそうだ。
一つはセロトニン、もう一つはオキシトシンである。

『セロトニンは、特に感動したり、幸せな気分を感じるときに分泌される。
うつ病の治療に効果ある薬にもなっている。
これは必須アミノ酸の一種で赤身の魚やチーズに含まれているトリプトファンを原料とする。

もう一つのオキシトシンの働きも興味深い。
赤ちゃんにおっぱいをあげているときに、お母さんの脳内に分泌されることで知られるようになった。
相手の身になって人の役に立っているときにも分泌されるのだそうである。

セロトニンが「自分を幸せにする」ホルモンなら、オキシトシンは「ほかの誰かを幸せにする」ホルモンである。
「なんであんなに元気なのか」と不思議に思えるくらい人のために走り回っているひとがいるが、たぶんオキシトシンがその人を元気にしているのではないかと思う。』


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合わせ鏡(有限と無限)

2013年10月29日 | 哲学・心の病
合わせ鏡では、鏡に映った鏡の中に鏡が写り、その中にまた鏡が写る、という具合に、鏡の中に途方もない広がりを見せるが、理論的には正面から向かい合わせれば、両側の鏡にそれぞれ無限の枚数の鏡が映ることになる。
しかし実際には、有限個の像しか見ることはできない。
その理由は?
光速度は有限なので、無限の像を生むには無限の時間が必要であり、無限の像を生むには無限の光が必要だが、鏡の間の有限の空間に存在しうるエネルギーには上限があるからだ。

また、古典物理学(量子論以前の物理学)における時間は連続体であり、実数で表すことができ、時間はいくらでも細かく分割可能なものである。
だが物質の最小単位として原子や素粒子があるように、時間にも最小単位があるのではないかとも考えられている。
例えば映画フィルムのように1コマ以下の時間は存在しないという考えである。
物理学(量子力学)ではこの最小時間間隔をプランク時間(5.39106×10^-44秒 ^=べき乗)と呼んでいる。

例えば、0と1の間にどれだけの数字が存在するかと考えるとき、数字が連続体だとしたらその数は無限に存在することになる。
その最小値は0.00000……と0が無限に続き、その最大値は0.99999……と9が無限に続く。

私たちは、無限という概念を持っているが、この宇宙に無限は存在せず、私たち人類は、有限しか感知することができないようにできているのではないか?
連続の映像として見えている視野の世界は、実は不連続ではないだろうか?

と、私は考えるときがある。


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やる気が起きないのには訳がある!

2013年10月28日 | 哲学・心の病
元マラソン選手でオリンピック・メダリストの有森さんは、体に故障をきたしたときに監督から、そうなったのには(良い意味の)訳があるのだから、なぜそうなったのか悩まずに、それを良き経験ととらえて故障を乗り越え、今後の選手人生に活(い)かしなさいというようなことを言われ、前向きに考えるようになったという。
その監督は、その訳として、休息を取りなさいと神様が言っているのかもしれない、ということも言ったらしいが、私はその監督が言った「訳がある」ということを私も以前から思っていたことなので、有森さんが語ったことを記憶している。

私は、仕事など、やらざるをえなくて期限があるものは、やる気がなくても期限までにはやっているが、そうでないことでやる気が起きないことは、やる気が起きるまでやらないようにしている。
なぜなら、やる気が起きないのには「訳がある」と考えているからである。
なぜそう考えるようになったのか、よくわからないが、やる気が起きない「うつ病」の知識や、これまでの経験から得た心の健康を保つための処世術がその理由ではないかと思うが、よく覚えていないが、やる気がないのに無理してやって良い結果を得られなかったこともあったのだろう。
それに、やる気があるということは、楽しんでやっていることだし、たとえミスをしてもそのミスを気にせずに、そのミスを楽しむ心の余裕があった気がするが、そういった経験を通して、そう考えるようになったように思う。

以前、両親が離婚し母親と暮らしているある女性から、別れて暮らしている父親が亡くなったら、長女である自分が喪主をやらなければならないが、父方の親戚には嫌な思いをさせられていて、喪主をやることを考えると気が重くなるというようなことを、私は言われたことがある。
それを聞いた私は、やる気が起きないのには「訳がある」のだから、やらなくて良いし、葬儀に出席しなくても良いとも言った。
〇〇さんの気を重くさせるのは、父方の親戚に原因があるのだから、責められるべきは〇〇さんではない。
〇〇さんが喪主をつとめなくても、葬儀に出席しなくても誰かがやるだろうし、喪主をやらないことや出席しないことに、父方の親戚が文句を言ったならば、その人たちは、自分たちに責任があることに気がつかない「バカ」なのだから、気にすることはないとも言った。

彼女は、相手を「バカ」だと思うことができる私を、うらやましいと言ったが、私は人として当たり前のことを彼女に言っただけで、偉くもなんともない普通の感覚だと思っている。


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ブレインストーミングとは

2013年10月26日 | 哲学・心の病
私のブログへの皆さんのコメントを読ませて頂いていたら、ブレインストーミングを思い出しました。
Wikipediaによると、

ブレインストーミングとは、集団でアイデアを出し合うことによって相互交錯の連鎖反応や発想の誘発を期待する技法である。
人数に制限はないが、5-7名、場合によっては10名程度が好ましく、議題は予め周知しておくべきである。
ブレインストーミングの過程では、次の4原則(ルール)を守ることとされている。

ブレインストーミングの4原則

1.判断・結論を出さない(結論厳禁)
自由なアイデア抽出を制限するような、判断・結論は慎む。
判断・結論は、ブレインストーミングの次の段階にゆずる。
ただし可能性を広く抽出するための質問や意見ならば、その場で自由にぶつけ合う。
たとえば「予算が足りない」と否定するのはこの段階では正しくないが、「予算が足りないがどう対応するのか」と可能性を広げる発言は歓迎される。

2.粗野な考えを歓迎する(自由奔放)
誰もが思いつきそうなアイデアよりも、奇抜な考え方やユニークで斬新なアイデアを重視する。
新規性のある発明はたいてい最初は笑いものにされる事が多く、そういった提案こそを重視すること。

3.量を重視する(質より量)
様々な角度から、多くのアイデアを出す。
一般的な考え方・アイデアはもちろん、一般的でなく新規性のある考え方・アイデアまであらゆる提案を歓迎する。

4.アイディアを結合し発展させる(結合改善)
別々のアイデアをくっつけたり一部を変化させたりすることで、新たなアイデアを生み出していく。
他人の意見に便乗することが推奨される。

洋画『ハンナ・アーレント』

2013年10月26日 | 哲学・心の病
人は己の信念をどこまで貫き通せるのか?

第2次世界大戦中、夫と米国に亡命したユダヤ人の哲学者、ハンナ・アーレント。
ナチスの戦犯アイヒマンのイスラエルでの裁判を傍聴し、1963年、米誌にリポートを発表。
数百万人を収容所に送った極悪人の実像は、命令に従った凡人であり、ユダヤ人の中にもナチスへの協力者がいた。

ハンナのリポートは世論の猛反撃に遭い、友情も断たれた。
孤立しながらも、事実から目をそらさず、考えることを放棄するな、と訴えるハンナは強くて美しい。

未来の世界を妄想すると?(その1)

2013年10月24日 | 哲学・心の病
1万年後、いや100万年後、未来の世界はどうなっているのか、哲学的な何かを求めて、思考実験という名の妄想を思いついたときにアップしてみたい。
今回は、その第一段だ。

〈その1〉

私は未来、人間にかわってロボットがすべての労働をしていると思う。
ロボット生産もロボットがやる。
そのロボットは見た目も言動も人間そっくりで、外見からは人間かロボットか見分けることができない。

労働から解放された人間は、毎日、好きなことをして過ごす。
貧富の差もなくなり、みんな豊かな生活を送ることができる。

モテない人は、自分好みのロボットを恋人にする。
飽きたら別のロボットを恋人にする。

ハーレムみたいな生活をしたい人はそうすればいいし、無人島で独り暮らしをしてもいい。
ありとあらゆる欲望は、ほとんど叶う。
ただし、相手の心や体を傷つければ罰せられるが、被害者が加害者を許せば処罰されない。

こんな世界になったなら、どういった問題が発生するのだろうか?


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ストーカーから身を守るためには……

2013年10月23日 | 哲学・心の病
ストーカーから自分の身を守るためにどうすればいいのか、三鷹市で殺人事件が起きてから頻繁に報道されているが、みていない方もおられると思い、それを紹介したい。

東京都三鷹市で刺殺された高校3年の女子生徒(18)は、元交際相手の男から、自宅近くで待ち伏せをされるなどのストーカー行為を受けていた。
被害から身を守るためには、どうすればいいのか。
ストーカー被害者の支援に取り組んできた関係者は、警察に相談するとともに、弁護士や専門家に依頼して、嫌がらせをやめるよう加害者に伝えることが有効と指摘する。
加害者から身を隠すなどの自衛策も重要という。

ストーカーの被害者を支援しているNPO法人「ヒューマニティ」の小早川明子理事長は、相手の言動をもとに被害者が置かれている状況を3段階で分類する。

〈リスク段階〉
危険度が比較的低いのは、別れ話の後、相手が「やり直してほしい」などと渋るような場合。
被害者は「好きではないので別れてほしい」「連絡するのは控えて」と、自分の言葉で正直に伝えることが大切だという。
その際も、喫茶店など周囲に人がいる場所で会うのが適切で、気持ちを伝えた後は、相手と会わないようにする。
相手が逆上する可能性があるため、電話やメールの着信拒否など一方的な対応は避けるべきだとする。

〈デンジャー段階〉
次に危険なのは、相手が「責任を取れ」「誠意を見せろ」などと要求してきた段階。
「会えないなら死ぬ」と言うケースも該当する。
こうなると、2人で会っても、メールや電話でやり取りしても、冷静な話し合いはできないという。
相手からさらに要求を突きつけられ、事態の悪化を招く恐れもある。
対処としては、警察にストーカー規制法による警告を出すよう求めたうえ、弁護士やストーカー問題の専門家に相手との間に入ってもらい、嫌がらせをやめるよう求める。

〈ポイズン段階〉
最も危険なのは、相手が「殺す」などと脅すような言葉を伝えてきた時。
〈1〉不快な写真をばらまく
〈2〉待ち伏せや暴力を振るう
〈3〉友人を脅す
といった行動も要注意だ。
このため、知人宅やホテルなどに避難して相手に居場所を知られないようにする。
警察に被害届を出して相手の摘発を求める必要もある。

警察庁によると、警察への相談時には、相手のストーカー行為の「証拠」があると有効だ。
同庁は、相手から届いたメールの保存や電話での会話をメモに残すことを勧める。
警察が緊急に対応すべきかどうかの判断材料となるほか、スムーズな警告や捜査に結びつくという。

被害者は、警察に防犯カメラや自宅備え付けの緊急通報装置の貸し出しを求めることもできる。
この装置はボタンを押すだけで警察に異常を知らせる。
110番緊急通報登録システムに電話番号を登録すれば、通報時に名前や住所を伝える余裕がなくても、警察は被害者からの通報とわかる。


【私の意見】

ストーカーは「人格障害」だと言われている。
とくに「境界性人格障害」が多いと私は思う。
今回の加害者は「会わなければ、死ね」と自殺をほのめかして、被害者は会うことにしたが、加害者のこの言動を報道で知って、私は「境界性人格障害」だと確信した。
「人格障害」は現在の医療では、基本的には一生治らない。
心理療法によって少しは改善するようであるが、いつかはその性格が変わるだろうとは、絶対に思わないこと。
性格の問題ではなく、完治することのない脳の病気である。

あと、相手が普通ではなく、ちょっと異常だと感じる「リスク段階」で、良識のある両親か第三者に相談して、適切な行動をとるべきだと思う。
一人でなんとかできるとか、一人でなんとかしたいなどと過小評価しないように。
今回の殺人事件は、被害者にも落ち度があったと私は思う。


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私たちは人に迷惑をかけていないのか?

2013年10月22日 | 哲学・心の病
ある人は「人に迷惑をかけなければ何をしても良い」と子供に言い聞かせているらしいが、人と関わらずには生きていけない私たちは、人に迷惑をかけずに生きていけるのだろうか?
私には、そう言う親は人に迷惑をかけている自覚がないように見える。

日常の些細なことでも、自分は迷惑とは気づかずに人に迷惑をかけていることがありはしないか?
例えば、歩道を走り抜けている自転車はどうだろうか?
本人は迷惑をかけているとは感じていないから、危険と思えるスピードで通り過ぎていく。
こちらは、ぶつかってはいけないと神経をつかって避けている。
また、若者によくみられる行動だが、狭い歩道を2、3人横に並びながら歩いていることがある。
それを避けながら歩いている人に迷惑をかけているにもかかわらずに。

そこまでの行為でなくても、例えば買い物でどの商品を買おうかと商品選びをしているときに、他の人が同じコーナーで商品選びをしたいのに、先行者がいたために待たされることは、迷惑ではないだろうか?

仕事上でも、私たちは人に迷惑をかけてはいないか?
私たちは熟練者になるまで、先輩から教わらなければならないことがあるし、ミスをしたり、病気で休まざるえなくて迷惑をかけてしまうこともある。
ちょっとした言葉づかいで、同僚や部下を傷つけていることもあるだろう。

実は私も若いときは「人に迷惑をかけなければ何をしても良い」と思っていた。
しかし、伊藤〇商事に勤めていた叔父は、若いときにフィリピンのバナナ農場で経営者側として働いていたことがあるが、ある日、ある酒の場で、「日本人の豊かな生活は、安い賃金で働いている外国の犠牲によって成り立っている」とつぶやくように実感をもって言った。
それを聞いた私は、人に迷惑をかけて生きていることを以前より強く自覚するようになった。


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強制わいせつ罪の起訴の取り消し!

2013年10月20日 | 哲学・心の病
次の報道をみて思い付いたことを記事にしたい。

『強制わいせつの罪で起訴された被告について、東京地検が被害者側の意向をくんで、起訴を取り消す異例の対応を取っていたことがわかった。
再び被害に遭うことを恐れる被害者側が、裁判の過程を通じて、被告側に被害児童の名前や個人情報を知られることを心配したためとみられる。』

被害者とその家族は泣き寝入りになったように見えるが、たとえ加害者に実刑判決が下ったにせよ、被害者が負った心の傷は一生癒えることはなく、悲惨な人生を送ることになるかもしれない。
私は、性的暴行や性的虐待をうけた人たちが、どれほど悲惨な人生を送っているか、本や報道で知っている。

そして、隣国の韓国では、次の判決が下った事例もある。

『スマートフォンのチャットで知り合った10代の少女5人に性的暴行を加えたとして起訴された男に対し、ソウル南部地方裁判所は、強制的にホルモンによる薬物治療を行う、いわゆる「化学的去勢」を命じる判決を言い渡しました。 
判決を受けたのは30歳の男性で、2011年11月から7か月の間に、スマートフォンのチャットで知り合った10代の少女5人と性的関係を持ち、その様子を写真や動画で撮影し、「インターネットに公開する」などと脅して性的暴行を加えて、性的暴力の罪で起訴されたものです。
ソウル南部地方裁判所は3日、この男に対して、性暴力犯罪の処罰等に関する特例法違反の罪で懲役15年を言い渡すとともに、強制的にホルモンによる薬物治療を行う「化学的去勢」を命じる判決を言い渡しました。
裁判所が性犯罪者に対して科学的去勢を命じたのは今回が初めてで、裁判所は判決のなかで、「男性は重度の性欲過剰障害のため、性的衝動が抑えられない状態」だとしています。
今回の判決が確定した場合、男は15年間収監され、釈放される2か月前から性的衝動を抑制する薬を投与されることになります。
化学的去勢は現在、アメリカ、ドイツ、デンマーク、スウェーデンなどで施行されていて、韓国では2011年にアジアでは初めて導入されましたが、 人権侵害に当たるとして反対する声もあり、今回の判決をめぐって論争がさらに高まるものとみられます。』

日本でも、化学的去勢の必要性を訴えている人もいる。

『関西国際大の桐生正幸教授(犯罪心理学)は「性犯罪を絶つには、長い懲役や罰則だけでは足りない。再犯防止のための特別プログラムやホルモン剤の投与などの治療が必要になる」と指摘する。
池迫容疑者は逮捕後、制御不能な自分の性衝動について捜査員にこう述べた。
「何度も我慢したが、抑えられなかった。二度と女児を襲わないと心に誓ったのに、刑務所から出ると、どうしても、小さい女の子をさらいたくなる」。
そして、懇願した。
「これ以上、大きな罪を起こす前に、私を一生、刑務所に入れてほしい」と。
性犯罪はかくも防ぐのが難しく、性犯罪者はいつかまた出所する。
だれよりも池迫容疑者が、その現実を知っている。』

私は数年前ある番組で、女児への性衝動が抑えきれずに再犯している20代の日本人男性が、自ら望んで抗男性ホルモン剤を服用し、性衝動が起きなくなった事例をみたことがある。
それに、ある精神科医が日本でも化学的去勢を判決に採り入れるべく活動していることもその番組で紹介していた。


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リサ・ランドールの5次元時空

2013年10月19日 | 哲学・心の病
私がニコタで交流している人のなかに、物理学が苦手な方や5次元を信じている方もいるので、今回は5次元時空について数式を使わずに書いてみたい。


アルバート・アインシュタインは、空間である3次元に時間を加えた4次元時空を考えて重力を説明した。
これに対して、ドイツの数理物理学者テオドール・カルツァは、1919年、アインシュタインに手紙を書き、1次元を加えて5次元時空とすることを提案した。
というのは、このようにすれば、重力に加えて電磁力をも説明できると思ったからである。
アインシュタインはその考えはすばらしいと思ったものの、目に見えない次元なので、困惑したという。
次いで1926年になって、スウェーデンの数理物理学者オスカー・クラインは、第5の次元は存在し、それは3次元空間のミクロの各点に小さく丸め込まれていると述べた。

この二人の5次元時空の考え方は、1980年代に世に出た超ヒモ理論に取り入れられ、最近では少なくとも6次元が丸め込まれていなければならないとしている(カラビーヤウ多様体)。
超ひも理論では、すべての素粒子は、振動する小さなひもで、電磁力、強い力及び弱い力は、我々の4次元時空の上にその両端を付けてすべるように動く。
したがって、我々の身の回りの物質及び三つの力は、4次元時空から飛び出すことはない。
しかし、重力は輪ゴムのように両端を閉じているので、4次元時空には縛られずに、他の余剰次元に飛び出して行ってしまい、それだからこそ、重力は他の三つの力に比べて極端に小さいというのである。

その一方、超ひも理論とは異なる立場で第5の次元があると主張するのがリサ・ランドール教授であり、1999年に発表された。
それによると、第5の次元は小さく丸め込まれているのではなく、我々の住んでいる4次元時空を一枚の膜(ブレーン)とし、第5の次元はその外に広がり、その向こうには我々の4次元時空とは別の4次元時空があるという。
それはパラレル・ワールドである。


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歩きスマホの危険性

2013年10月19日 | 哲学・心の病
『東京都の東武東上線大山駅近くの踏切で、男性が急行電車にはねられ死亡した。
警視庁板橋署は、携帯電話を操作しながら歩いていて、誤って線路内に入ったとみて調べている。
携帯電話を操作しながら、左右から下りていた遮断機の隙間を通り抜けて線路内に入るところを通行人が目撃したという。
踏切では警報機も作動していた。』

『サンフランシスコで、混雑する通勤電車の車内で大学生が拳銃で撃たれて死亡するという事件が発生した。
事件直前、犯人の男は満員の車内で銃を振り回していたが、周囲の乗客はスマートフォンに夢中になりすぎて、危険が迫りつつあることに気づいていなかったという。
当局が電車内の監視カメラの映像を解析した結果、犯人がほかの乗客から30センチしか離れていない場所で、銃を振り回していたことがわかった。
ところが乗客はスマホでメールしたり、チャットしたりしていて、銃を持った男に気づいていないようだったという。
サンフランシスコ市検察の報道官は「多くの乗客が銃を振りかざす男が近くにいることに気づいていなかった。これはとても危険なことだ。公共の場では自分の身の回りに十分注意するよう市民に呼び掛けていきたい」と述べた。』


私は車で、スマホに夢中になっている歩行者の脇を通るときに、いつも危険を感じていて、いつか交通事故が起きるのではないかと思っていた。
大きな事故でないにしても、歩行者とぶつかりそうになるなど、周辺に迷惑をかけている。
私は、車を運転手しながら、歩きながら、スマホをやれるほど器用でないことは自覚しているので、必ず他の人の邪魔にならないところに立ち止まってやっている。

アメリカのある脳科学者によると、脳はPC のように処理能力には限界があり、あることに集中していると周辺で起きていることに気がつかない。
彼は作曲家を例に説明していたが、作曲に集中すればするほど、誰かが声をかけても気がつかないし、時間がたっていることにも気がつかない。
それは、無心の状態で、人の幸福ともかかわる話であるが、周りの状況によっては危険な行為ともなりかねない。

嘘をついていると体にサインが表れる!

2013年10月18日 | 哲学・心の病
嘘をついているときは、うまくだませるだろうか、ばれないだろうかという緊張感を伴うため、さまざまなサインとなって体に表れ、ある程度見破ることができる。

1.視線が不自然に動く
・右斜め上を見ながら話す(話を作りながら話している可能性あり)。
・視線が泳いだり、目をそらす(女性の場合、逆に視線をそらさないこともある)。

2.呼吸が乱れる、顔が紅潮する、汗をかく
・緊張が生理的な反応になる。そわそわして落ち着かない。

3.自分で自分をさわる
・話の最中、髪の毛や鼻、あごなどを頻繁にさわる。

4.早口になる
・返答が早く、そっけない(余計なことを言わないようにしている)。
・言葉が多くなり、早口になる(聞いてもいないことを延々話す)。

5.手の不自然な動き
・身ぶり手ぶりがおおげさになる。
・腕を組む、手をポケットに入れて隠す(手の不自然な動きを隠そうとする)。

【注意】
嘘をつくことに罪悪感がなければ、サインは表れない。


酒に酔ってタクシー運転手を殴ったり蹴ったりしたとして暴行の疑いで逮捕され、処分保留で釈放された元サッカー日本代表、前園元選手は、東京都内で記者会見をした。

彼は酔っていて、運転手に暴行した記憶がないと言っていたが、罪を軽くするため言い訳のために、嘘をついていないかその表情を注視したが、私には嘘をついているようには見えず、真摯な態度だった。

人は失敗をするものである。
私はその失敗をおかした後の対応が重要だと思っているが、前園元選手の記者会見は、酔っていたとはいえ暴行することは悪いが、良い教訓になったと思う。
私もそういう立場になったら、今回の記者会見を参考にするだろう。

色は人の心理に影響を与える!

2013年10月17日 | 哲学・心の病
人は、色によって心理的な影響を受ける。

【赤】警戒心、注意力を喚起し、人間の感情的興奮や刺激をもたらす。赤は色の中で最も長い波長を持ち、交感神経に刺激を与え体温・血圧・脈をあげる。 

【オレンジ】楽天的な印象をあたえ、陽気にみえる。消化、新陳代謝をよくする作用があるため、食欲を増進させる。血管や自律神経を刺激し身体を活動的にする。 

【黄】明るさや希望を与える。運動神経を活性化させる。脳の活性化がよくなり頭の回転が早くなる。集中力がアップする。 

【緑】情緒の安定、安心感の増加。身体を癒す色。筋肉の緊張をほぐし、リラックスさせてくれる。また、筋肉や骨その他組織の細胞を作る力を促進したり、暖和効果があるので血圧を下げる。 

【青】爽快感、冷静を与える。鎮静作用があり、精神的に落ち着かせる作用がある。体温の低下、痛みの暖和などの作用もある。 

【紫】高貴さ優雅さを表す。集中力アップ、鎮静効果。リンパ管や心筋、運動神経の働きを抑制する。 

【黒】力強さ、高級感を与える。相手を威圧し、力を象徴する。 

【白】純潔さや純真さを表す。過去を清算してリセットする色。 


例をあげれば、信号の止まれは「赤」いろ。
還暦に「赤」のちゃんちゃんこを着るのは、元気がでるためとか。
また、サッカーで赤と青のユニホームで試合をしたら、審判者は「赤」のユニホームに有利な審判をするらしい。
サッカー日本代表のユニホームは青であるが、その影響があるかもしれない。

「青」は食欲を下げるらしいが、私には効果がない。
また、空き巣や強盗を防ぐために街灯を「青」にしたら、被害が減ったらしい。

政治家や暴力団の車はお決まりのように「黒」で上記の理由があったのだが、ウェディングドレスは「白」で過去をリセットするとは私は大いに納得した。

伊豆大島の災害に思うこと

2013年10月17日 | 哲学・心の病
死者や行方不明がでた災害の報道をみると、なぜ防げなかったのかといつも思う。
早めに避難していれば防げた被害もあっただろう。
しかし、人は緊急性のある異常事態に遭遇しても、簡単には受け入れられないらしい。
同調行動や正常性バイアスが起きて、事態を過小評価して、避難が遅れることもある。

【同調行動】
はっきりしない状態で不安が高まると、他人の判断や社会的な基準に従おうとする。
誰かが逃げ出さない限り、それに合わせてしまう。逆に誰かが逃げ出すと、他の人も次々と逃げるという同調行動も起きる。

【正常性バイアス】
危険を認めたくない心理から、正常の範囲内のものと考えようとする。
楽観的な判断は、日常生活ではプラスに働くことも多いが、災害時には命にかかわることになりかねない。

【その他】
避難行動へのコストを嫌ったり(避難所が遠い、仕事を中断しなければならない、持ち出すものの準備が大変など)、真っ先に逃げるのが恥ずかしいと他者の目を気にするなどがある。

〈煙にまかれた車内にとどまった乗客〉
2003年、韓国のデグ市の地下鉄車内で放火があり、その乗客は即刻避難した。
ところが、反対車線の電車の乗客は「少しの間お待ちください」という車内放送を聴いて、煙の充満する車内にとどまり、数多くの死者のでる大惨事となった。
同調行動や正常性バイアスのほか、車内放送の専門的な判断を、自分の五感より優先する心理が働いたことが考えられる。


無駄な行動になるかもしれないが、最悪の事態を想定して、早めに避難していれば助かっただろうと思う。
病気の知識がある医師は自分が病気になったときに、最悪の病状になることも想定できるので、知識のない一般の患者よりも危機感を持つ医師もいるらしいが、災害への知識があれば、助かった命もあっただろう。