哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

私がポラした舞姫たち(その一部で、家族から許可されてる趣味です)

2015年03月24日 | 哲学・心の病

私が所有しているマライア・キャリーのDVDや書籍、タブレットを持って頂いて、ポラロイドカメラで撮影したロック座の舞姫たちの一部ですが、このなかには、惜しまれながらも既に引退された方もいます。

ちなみに、私は、下の列の中央の「黒埼優」ファンです。

夏は鮎の友釣りに熱狂

2015年03月19日 | 哲学・心の病
私は大学生になってから長期の夏休みを利用して、鮎の友釣りをやり始めました。
父方の祖父も父も熱狂していたので、興味がわいたのだと思います。

以前は釣り大会に出場していましたが、最近は年に数回、家族旅行をかねて釣りに行っています。

私は父に対してライバル心はないのですが、父は親としてのプライドがあるのか私にライバル心を抱いているようで、退職していつでも釣りに行くことができる父は、釣り人が少ない平日に行っては結構な釣果をあげて自慢しています。
そんな父が、ちょっぴり羨ましい私です。

私は他の釣り(たとえば黒鯛釣り)もやっていますが、一番夢中になっているのが鮎の友釣りで、ある名人に言わせると「麻薬」だそうで、やり始めた10人中9人が鮎の友釣りに魅了されるらしいです。

「幸せ」とはどういうことか?

2015年02月03日 | 哲学・心の病
今回は「幸せ」について書かせて頂きますが、以前ある人に「人は何のために生きているのか?」と質問したところ、その人は「幸せになるために生きている」と答えてくれました。

その答えを聞くまでは、「幸せ」ということを深く考えたことがなかったのですが、現時点では「(真の)幸せ」とは「子孫を残すこと」ではないかと思っています。

その根拠の一つは、幸せホルモンと言われる「オキシトシン」だと思っていて、私は「子孫を残すこと」に強く関わる行動をすると「オキシトシン」が分泌されると解釈しています。

繰り返しになりますが、「人は何のために生きているのか?」というと「幸せになるために生きている」ということで、その「幸せとは何か?」というと「子孫を残すこと」ということで、つまり、

「人は子孫を残すために生きている」ということではないでしょうか。


それに加えて、人の全ての行いは、「子孫を残すこと」のためにやっているとも思っています。

哲学もしかりです。

例えば、「子孫を残すこと」とはまったく関係がないと思える「時間とは何か?」というような疑問も、「子孫を残すこと」に有利に働く疑問だから、人はそのことを考えるのではないでしょうか。


そうは言いましても、「何のために子孫を残すのか?」ということは、今もってわかっていません。

確証バイアス

2014年12月22日 | 哲学・心の病
【確証バイアス】

今回は、「確証バイアス」を紹介したいと思います。


人は、自分の考えが正しいかどうか検証する際に、自分に都合の良い情報だけを集める傾向が強く、自分に都合の悪い情報は無視する傾向が強い。

これを、「確証バイアス」と言います。

これは、無意識に行うことが多く、ほとんどの人は「確証バイアス」になっていることに気づかないようです。
もちろん、私も例外ではありません。

では、「確証バイアス」をできるだけ減らすには、どうしたら良いのでしょう?

そのための一つの方法は、異なる意見の人と話しをすることだそうです。

認知的不協和

2014年12月18日 | 哲学・心の病
【認知的不協和(自分の間違いは認めたくない)】

またまたですが、議論をする上で注意しなければならないことに、「バイアス」があります。

そこで今回は、「認知バイアス」の一つ「認知的不協和」を紹介したいと思います。


人は、自分の信念に反する「新しい事実」を突きつけられると、不快になります。
その結果、自分の信念か「新しい事実」のどちらか一方を否定して、不快を解消しようとします。
これを認知的不協和と呼びます。

そのとき、信念を変えることが困難な人は、「新しい事実」の方を否定しようとします。

さらに、認知的不協和の状態にある人は「結論ありき」で考えることもあり、論理的に考えていないことがあります。
その場合、頑固になっていると言えます。

それに、より長きに渡って築き上げてきた信念ほど、否定さたときに不快が強くなります。
自分の生きてきた人生をも、否定されたかのように感じるからです。

自己中心性バイアス

2014年12月12日 | 哲学・心の病
ご存じの方もおられると思いますが、議論をする上で注意しなければならないことに、「バイアス」があります。

そこで今回は、「自己中心性バイアス」を紹介したいと思います。


人は、他の人がしたことよりも自分のしたことをたくさん覚えていますので、自分のしたことが強く印象に残っています。

そのため、他の人がしたことよりも、自分のしたことを過大評価しがちになります。

これを、「自己中心性バイアス」と言います。

人には「自分を知りたい」という欲求があるらしい

2014年12月07日 | 哲学・心の病
私が参加しているSNSのサークルには、

「自分を知る1番良い方法は、どんなものだと思いますか?
 私は、他人との語らいの中に自分を見出すという方法をとっているのですが…。」

というスレッドがあります。

私は「自分を知りたい」と思ったことがないので、なぜ「自分を知りたい」のかわからないのですが、あることを調べていたらたまたまその理由らしき記事がありましたので、それを紹介したいと思います。

その記事によると、人は自分のことを知りたいという欲求があるとのこと。

それは、自分の性格や能力をできるだけ肯定的にとらえ、満足したいためらしいのです。
(これを自尊感情という。)

テストの好成績や100m走の好タイムなどで自尊感情は高まるが、周囲の人たちとの比較による自己評価が重要とのことで、

自尊感情が高くなると自分に自信を持てるようになり、自分より上の人に挑戦したくなるが、自尊感情が低くなると、自分と似た人や自分より下の人と比べることで自尊感情を守ろうとするらしいのです。

なお、自分を高めていく姿勢は大切なことだが、理想が高すぎると自尊感情をなかなか持つことができず、不満ばかりが募ることになるとのことですが、要するに、自尊感情から「自分を知りたい」という欲求がわくということらしいのです。

ここまで読んだ方のなかには「では、なぜ自尊感情があるのだろうか?」と疑問を持たれた方もいると思いますが、その記事にはその理由らしきことは書かれていませんでした。

なぜなのでしょう?

ちょっとだけですが、その理由に関心があります。

誹謗中傷をする人は…

2014年11月13日 | 哲学・心の病
誹謗中傷をする人は不幸だったりや劣等感を感じているなどのストレスのある人で、それを解消するために他人の悪口を言うのです。

そして、その人はそのストレスに気づいていない。

誰にだってストレスはありますが、大抵の人は誰にも迷惑を掛けずに解消します。

しかし、誹謗中傷をする人は自分の精神状態を冷静に判断することができず、無意識に他人の悪口を言うことでストレスを発散させているのです。

本当の意味で幸せな人は、他人の悪口を言うことはありません。

【備考】
ただし、境界性人格障害などの心の病が原因で、他人の悪口を言う人もいます。

みのもんたさんの次男は窃盗症?

2014年10月23日 | 哲学・心の病
古い話になりますが、みのもんたさんの次男は窃盗症だったのではないかと思っています。
みのもんたさんの次男なので、経済的には困窮していなかっただろうと思うからです。
もし金銭的に困っていたら、みのもんたさんに借りれば良いのですから。

では窃盗症とは、どういったものなのでしょう。

Wikipediaによると、

『窃盗症とは、経済的利得を得るなど一見して他人に理解できる理由ではなく、窃盗自体の衝動により、反復的に実行してしまう症状で、精神疾患の一種である。

いわゆる「利益のための窃盗」ではなく「窃盗のための窃盗」といわれており、「衝動制御の障害」に含まれる同様の症例として「放火のための放火」を繰り返す放火症がある。』

とのことです。

窃盗症はギャンブル依存症のような症状で治療が困難だという精神科医もいますが、もし私の周辺に万引きを繰り返している人がいましたら、私は精神科へ行くことを勧めます。

ドラマ「信長協奏曲」がおもしろい!

2014年10月21日 | 哲学・心の病
フジテレビのドラマ「信長協奏曲」がおもしろい。

サブローという平成の青年が戦国時代にタイムスリップして、織田信長として生きていく物語。
史実とはちょっと違ったストーリーで、ドラマの展開がどうなるのかわからなくて、次回が待ち遠しい。

学生にとっては、日本史の勉強にもなるという印象。

詳しくは、フジテレビのサイトを。

第2話では、死にぎわの斉藤道三(西田敏行)が、信長(小栗旬)の妻、帰蝶(柴咲コウ)に手紙を残した。

「この戦乱の世、我が子、帰蝶に出会えて幸せだった」というような手紙。

その場面を観た私は、「人は幸せになるために生きていると言う人もいるが、真の幸せとは子を作り育てることではないか」と改めて思った。

チンパンジーとボノボ

2014年10月16日 | 哲学・心の病
チンパンジーは仲間を殺す。
他の動物ではほとんどなく、人間にもっとも近い動物だと言う研究者もいるらしい。

その点、ボノボは仲間との争いもなく平和な社会を築いている。

何がその違いを産み出しているのだろうか?

その原因は、メスとの交尾と食料のようだ。

まずはメスとの交尾だが、チンパンジーはメスの発情回数が少なく発情期間も短いので、オス同士がメスとの交尾で争う。

一方、ボノボのメスは常時見せかけの発情をしておりオスはいつでもメスと交尾することができるので、チンパンジーのようにオス同士がメスとの交尾で争うことがない。

次に食料だが、チンパンジーは食料が乏しい地域に生息しているので、群れ同士の争いが絶えない。
だから、力のあるオスが主導する社会を作っている。

一方、ボノボは食料が豊富な地域に生息しているので、群れ同士の争いがほとんどない。
だから、力のあるオスが主導する必要性がなく、メスが主導する社会を作っている。
それにつけ加えて、同じ群れのなかで食料で争う必要のないボノボのメス同士の結束は強く、ボノボのメスは結託して常時見せかけの発情をすることにしたらしい。

大雑把に言ってどちらの社会が良いかと言うと、ボノボのような社会の方が良いと言う人が多いだろう。
が、しかし、チンパンジーも食料が豊富な地域へ移住すれば、ボノボのような社会を作るのではないか?
何かしらの理由で食料が乏しい地域に生息せざるを得ないチンパンジーは、その環境にもっとも適応した(できるだけ多くの子孫を残す)社会を作ったがゆえに、仲間同士が争い殺すこともあるのではないか?

私は、チンパンジーとボノボの違いに「戦争」や「殺人」の原因を垣間見た気がしているが、どうだろうか?

「善の研究」西田幾多郎著について

2014年10月11日 | 哲学・心の病
「善の研究」で、西田幾多郎氏は何を言いたかったのか?
その結論とは何か?

難解と言われている、私に言わせれば読者のことを考えた推敲がなされていない「善の研究」を読む気はしないので、そのことをネットで調べてみた。

間違いのない説明かどうか私には判断できないので、誤りがあれば指摘して頂きたいが、その結論は、

『人生の目的とは、真理を探究し、その過程で神(または仏)の心を知り、神(または仏)と同じような心を持って神(または仏)と同じような行動をすること。
それは、言いかえれば「完全なる善」で、それを実行することによって永遠の幸福を得ることができる。』

ということだそうだ。

つまり、人は何のために生きるのかというと、善いことをするために生き、そのことによって幸せになるために生きるということらしいのだが、では「善いことをするのは何のためか」「幸せになるのは何のためか」。

「善の研究」はその疑問には答えていないようで、結局はありきたりな結論となっており、私の疑問に答えきれていないようだ。

私にとっては、読むに値しない本のようである。

リストカット

2014年10月01日 | 哲学・心の病
境界性人格障害の症状として自傷行為があり、リストカットが有名だ。

境界性人格障害の人に見られる自傷や自殺の企ては、必ずしも死ぬことを目的にしているわけではない。
体を傷つけるとそのぶん心の苦しみが軽くなると考え、自傷をくり返している場合もある。
本人にとっては、生きるために必要な行為となってしまっている。

なかには、自分の苦しみを周囲の人にわかってほしい、なんとかしてほしいという思いから、自分の体を傷つけてしてしまう人もいる。
この場合、わざと自傷行為を見せつけるように振る舞い、周囲を驚かせる。

しかし、周囲の人が深刻に受け止めすぎると返って追いつめてしまったりすることがあるが、逆に「どうせまた見せかけでは」と軽く見ていると重大事になることもある。

自殺、自傷行為の主な原因は以下の通り。

・身体的に置き換えるため
心の苦しみは耐え難く、体の痛みに置き換えた方が楽だと感じている。

・感情をコントロールするため
コントロールできなくなっている自分の感情を、制御できたような気分になる。

・自分を罰するため
見捨てられるような自分が悪いといった、自己嫌悪や後悔を解消できると感じる。

・離人症状をやわらげるため
身体的な苦痛を受けることで、自分が自分ではないように感じる離人症から逃れられることができる。

・怒りを発散するため
自分を見捨てようとしている相手への怒りを、形にすることで発散する。

・人に振り向いてもらうため
自分がどれほど苦しんでいるのか、周囲の人に知らしめる。

・自殺をするため
もう終わりにしたい、死んでしまいたいと思い、本気で死ぬために行動する。


【リストカットをするなは、死ねというようなもの】

リストカットは、心のバランスを保つために行われる。

リストカットをしている人にリストカットをやめろというと、心の苦しみを発散させる方法を失うことになり、逆効果となる。

人生とは何か?

2014年09月30日 | 哲学・心の病
彼は真理や生きる意味を求めて哲学書を主に本を読んだが、そこには彼が求めているものはなかった。

次いで、科学書を主に色々なジャンルの本を彼は読んだが、やはりそこにも彼が求めているものはなかった。

それなら、自分で本でも書こうかと彼は思ったが、書くべきほどのものがそのとき彼にはなかったので、それなら書くべきときが来るまで待とうと彼が思っていたある日、彼は素敵なエッセイを読みたいと軽い気持ちで手に取ったある雑誌に、

『結局のところ、「人生とは何か」もうずいぶん長いこと、このことを考えている。
考えるけれども、考えるほどにわからない。
というのは、じつは正確ではない。
わからないということが、いよいよはっきりとわかるのである。』池田晶子(いけだあきこ)

という文があった。

彼は、自分のように考えているのは、この地球上に自分ひとりだけだと思っていた。
単に「わからない」ではなく、考えれば考えるほど「わからない」ということが確信へとなっていくのは、自分だけだと思っていた。
この文に出会うまでは…。

しかし、彼女の登場によって、彼は自分のように考えている人が他にもいること知り、彼の孤独感はなくなった。

ところが、かつては論理的にも感情的にもそのことに彼は納得していたのに、いつの日からかわからないが、彼は感情的にはそのことに納得できない自分がいることに気がついた。
彼には、何かしらの「生きる意味」を求めている自分がいるのだ。

彼は「わからない」では納得できなくなっているのだ。

ドイツが歴史から学んだこと

2014年09月21日 | 哲学・心の病
ある番組を観て、ドイツの兵士は「最後は自分の良心に従って行動するように」と指導されていること、それがドイツが歴史から学んだことだということを知った。

上官の命令に逆らわず従ったがために、ユダヤ人の大量虐殺をはじめ非人道的なことが数々行われたからだろう。

アフガニスタンに派兵される司令官たちは、「命令でも自分の良心に反することには服従しないこと」、「最後は自分の良心に従って行動すること」ということを繰り返し教育されていた。

日本の自衛隊も「自分の良心に従って行動する」ということになっているのだろうか私は気になったが、もしそうでないのならば、そのことの徹底を願う。