哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

アルコール依存症

2014年07月31日 | 哲学・心の病
日本の飲酒人口は6000万人と言われおり、このうちアルコール依存症の患者は230万人であると言われているが、アルコール依存症予備軍は800万人という報告がある。

また、飲酒運転で検挙された50%弱はアルコール依存症だという報告があり、三重県では飲酒運転で検挙された人に、精神科でアルコール依存症の診断を受けるよう指導している。

ある長距離トラックの運転手は仕事上、不定時間に睡眠をとらなければならなく寝酒を飲んでいたが、それを長年続けた結果アルコール依存症になり、飲酒運転で検挙されるなど社会生活に支障がでて、精神科で治療することになり今は断酒している。

アルコール依存症の人の脳の画像を見ると前頭葉の細胞が死滅して萎縮している。
前頭葉はアルコールを飲みたいという欲求を抑える働きがあるが、アルコール依存症のように前頭葉が萎縮しているとその欲求を抑えることができなくなる。

飲酒運転で悲惨な事故を起こしてからでは遅い。
下記の診断基準を参考にして、ご自身、または周辺に該当する人がいたならば、アルコール依存症に対応できる精神科へぜひ行ってほしい。


【アルコール依存症の診断基準】

WHOの診断基準「ICD‐10」では、アルコールやドラッグなどの「精神作用物質」の依存症候群について、次のような診断ガイドラインを定めています。
なお、ここではわかりやすいよう「物質」をアルコールに置きかえ、解説をつけました。

【診断ガイドライン】 

過去1年間のある期間に、次の項目のうち3つ以上がともに存在した場合に、依存の確定診断をくだします。

(a)アルコールを摂取したいという強い欲望あるいは強迫感。

解説:たとえば次のようなことです。終業前になると決まって飲みに行くことを考える。家には常に酒を用意しておかないと落ちつかない。他のことなら外出が面倒に感じる状況でも酒を入手するためなら積極的に出かける、など。これが高じれば、仕事が終わると帰宅まで待ちきれずに車中でも飲んだり、隠れてでも飲むようになります。

(b)アルコール使用の開始、終了、あるいは使用量に関して、摂取行動を統制することが困難。

解説:今日はやめておこうと思っても飲んでしまう。「一杯だけ」と決めて飲み始めたはずが、結局は自分の「定量」あるいは「あるだけ」飲んでしまう。翌日に酒臭が残るほど飲む。臓器障害を起こすまで飲む。医師から禁酒や節酒を指導されても守れない、などです。

(c)使用を中止もしくは減量したときの生理学的離脱状態。離脱症候群の出現や、離脱症状を軽減するか避ける意図でアルコール(もしくは近縁の物質)を使用することが証拠となる。

解説:離脱症状とは、アルコールによって脳の神経が抑制された状態が普通になってしまっているために、それが抜けていくときに生じるさまざまな神経の興奮状態のことです。イライラして落ちつかない、発汗や微熱、脈が速くなる、こむらがえり、不眠、手指の細かい震えなどがあります。依存が進行した状態では、全身の大きな震えや幻覚・妄想などを起こす場合があります。

(d)はじめはより少量で得られたアルコールの効果を得るために、使用量をふやさなければならないような耐性の証拠。

解説:つまり、かつてと同じ量では酔わなくなるということです。そのために、だんだんと飲酒量が増えていきます。耐性が生じていない人であればとても飲めないような量を飲む場合があります。

(e)アルコールのために、それにかわる楽しみや興味を次第に無視するようになり、アルコールを摂取せざるを得ない時間や、その効果からの回復に要する時間が延長する。

解説:たとえば次のようなことです。飲酒のために、家族で過ごす時間や会話が減る。外出といえば酒を飲むことばかりを優先する。飲んでいる時間が長くなり、他のことができなくなってくる(たとえば「仕事と酒だけの人生」といったように)。せっかくの休日には、二日酔いでごろごろ寝ているばかりになる、など。

(f)明らかに有害な結果が起きているにもかかわらず、いぜんとしてアルコールを使用する。

解説:有害な結果とは、アルコールに関連する身体の病気(肝臓病、高血圧、糖尿病、心臓病……)、うつ状態などの悪化、家庭内でのトラブル、飲酒によって周囲の信頼を失うこと、飲酒運転などの違法な行動、職場や学校でのトラブル(急な欠勤や遅刻、成績の低下やミス、人間関係の問題など)、経済的な問題、などです。

性格診断について

2014年07月28日 | 哲学・心の病
>自分がどの部類の性格なのか知りたい場合は、どうしたらいいですか?

ネットにも性格診断ができるサイトがありますし、性格診断ができる心理学の本もありますが(私も持っていますが)、自分の性格を知ることに私はあまり意味はないと思っています。

その理由は、性格は簡単には変わらないので知ったところでどうしようもないとうか、今現在の自分の性格で生きていくしかないからです。
(ただし、ストーカーやDVなどの病的な性格である人格障害の場合は、カウンセリングなどによる治療が必要だと思いますが。)

しかし、数多くの経験や年を重ねることによって、性格が変わることはあると思います。
自分に自信がなかった人が、努力して成績がよくなったり、英会話などの技能を身につけたり(資格を取得したり)、素敵な異性と付き合うようになったりして、自分に自信が持てるようになることはあります。

また、内向的な人が初対面の人と話をする仕事に就いたり、そういう経験を数多く経て、外向的になる人もいます。
桝添都知事は、年を取ると謙虚になるといっていますが、そういうことはあります。

できるだけ性格の良い人たちとだけ交流していれば、自然と良い性格になると思いますが、積極的に自分の性格を変えたい場合は、年数をかけて上記のような自信が持てるようになったり、外向的になったりする経験を積み重ねるしかないのではないかと思います。

脱法ドラッグ元常習者の告白

2014年07月26日 | 哲学・心の病
【なぜ脱法ドラッグを吸って運転するのか?】

僕も脱法ドラッグを吸って何度も自動車を運転しました。
買ったとたんに我慢できなくなる。
すぐに使いたくなる。
もう待てないんですよ、家まで。

吸って運転すると流れる景色が違う。
スピード感がある。
そのスリルにはまってしまいます。

始めたのは大学生のころです。
「合法品だから大丈夫」という感覚でした。
値段も0.3㌘あたり1000円程度。
つい手を出してしまいました。

最初は自分がなにか、何でもできる「神」みたいな感覚に陥るんです。

就職すると仕事がきつく、ほぼ毎晩吸うようになりました。
月数万円分を購入したことも。
毎日買いに行って、吸って、ヘロヘロになって…。
そのうち体が勝手に動いて、暴れるようになりました。
暴れているという自覚はあるけど、自分では止められない。
会社は休職せざるをえなくなりました。

脱法ドラッグには絶対に手を出さないでください。
1回やったら、何回やっても満足しなくなる。
いま支援団体の力を借りて、薬物依存から脱却をはかっています。

攻撃の心理

2014年07月25日 | 哲学・心の病
他人に対し、意図的に苦痛や危害を加えようとする行動を攻撃という。
暴力だけではなく、言葉による攻撃や、無視、仲間はずれなど、心理的な苦痛を与えることも含まれる。
攻撃には、多く怒りが伴う。
怒りの表現は、強い不満や屈辱を相手に伝えるコミュニケーション手段でもある。
また、攻撃行動をとりやすい人は、相手の行為に敵意を感じやすい傾向(敵意帰属バイアス)がある場合がある。

※加害者の意図をことさら悪意に解釈する傾向を敵意帰属バイアスと言う。 
例えば、 偶然他人の手が当たっても、相手が意図的に叩いたと解釈する場合を敵意帰属バイアスが高いと言う。


【攻撃行動を起こす3つのメカニズム】

1.攻撃本能の爆発
人は心に攻撃本能を持っている。
この本能の高まりと、怒りという感情を誘発する刺激があいまって攻撃へと至る。

2.欲求不満の発散
不快な出来事(目標の達成を妨害されたなど)から欲求不満が生じ、そのストレスから攻撃へ至る。
ただし、攻撃は欲求不満の対象に向かうとは限らず、攻撃しやすい相手に向けられることもある。
(例:上司の理不尽な対応にいらだち、自分の部下に怒るなど。)

3.目的を実現するための攻撃
・危害を回避するため(正当防衛)
・いうことをきかせるなど、他人を従わせるため
・罰を与えるため
・自己呈示の方法として
メンツを守る、男らしさを示す、勇敢であることを示すなどで、この場合には怒りなどのマイナス感情は伴わない。

※1と2の攻撃には、怒り、不満、敵意、あせり、嫉妬などのマイナス感情が伴う。


【攻撃の心は学習で身につく】

お菓子をねだるとき母親をたたいたら買ってくれた、という経験をした幼児は、次回も同じように母親を攻撃して要求を通そうとする。
また、これを見ていた別の子は「たたけば買ってもらえるのか」と思い、同じ行動をとるかもしれない。
このように、攻撃することで得をしたと実感したり、その状況を見聞きすることで学習し攻撃行動を身につける(モデリング)ことがある。
同時に、攻撃するのに適しているのはどんな人か、自分の攻撃がどんなときに許されるかなど、直接や間接の体験を通して学習していく。
暴力をふるう親を見て育つと、その子供も暴力的になるということがある。

異常性欲

2014年07月24日 | 哲学・心の病
性に関する異常、正常の判断は社会文化背景が関与する部分が大きい。
また性欲についても個人差も大きいが、正常性欲は一般に男女相互に納得し、心身に障害を残さない性器交接をその最終目標としているものであり、異常性欲は量的あるいは質的な歪みがある場合をいう。

性欲の量的異常のうち減退するものは男性では不能症、女性では冷感症であり、亢進したものが男性ではサチリアージス、女性ではニンフォマニアである。
躁状態ではかなりの頻度で性欲が亢進し、痴呆症の初期でも性欲の亢進を認めることがあるが、罪悪感にとらわれながらも衝動的な性行為を押さえられない場合、性依存症と言った診断をつける場合もある。

質的な異常で、①性対象の異常には小児性愛、老人性愛、フェティシズムや服装倒錯があり、②性目標の異常には窃視症(のぞき)、窃触症(痴漢)、露出症、疼痛性愛(サディズム・マゾヒズム)などがある。

「自殺したい」と打ち明けられたら

2014年07月23日 | 哲学・心の病
医療の現場では、「自殺したい」と患者から打ち明けられたり、ほのめかされることはめずらしくない。
しかし、患者は誰でもよいから打ち明けたのではなく、これまでの関係からこの人ならば自分の絶望的な気持ちを受けとめてくれるはずだとの意識的・無意識的な判断をして、特定の人を選び出している。

「自殺したい」と打ち明けられると、医師や看護師でさえも強い不安がわきあがるのが普通であり、話をそらそうとしたり、おざなりな激励をしたり、叱責したりしがちである。
しかし、そのような対応をすると、いったん開きかけていた患者の心は再び閉ざされてしまい、二度と本心を打ち明けることはなくなってしまうかもしれない。

したがって、「自殺したい」と打ち明けられたら、批判や激励などを交えずに、その絶望的な気持ちにまず謙虚に耳を傾ける態度が望まれる。

福島産の野菜を買わない人へ

2014年07月22日 | 哲学・心の病
関東圏の30%の人は福島産の野菜を買わないと、テレビで報道していた。
厳しい放射線検査をしているにもかかわらずに。

なぜ買わないのかその理由は紹介していなかったが、その検査結果を信用できないとか、できるだけ放射線を避けたいとか、そういった不安からだと思う。

もし買わない理由のアンケートをしていないのならばするべきだし、もしやっているならばそれを基に不買への対策をすれば良いが、それよりも私はその不買の理由に関心がある。

そこでそれをネットで探したが見つけることはできなかったので、ぜひそのことをメディアに報道してもらいたいし、無知による不買に対しては啓蒙活動をしてほしい。

しかし、厳しい検査をしているにもかかわらずなぜ30%の人は買わないのだろうと、その報道を聞いて私は腹立たしさを感じた。
そこには、自分さえ良ければそれでいいという身勝手さがあるからだ。

私は福島県をはじめ3.11の被災地に対して自分の家族のように運命共同体だという感覚があるので、よけいにそう感じるのかもしれないが、もしその30%の人が逆の立場である福島県民だったらどう思うのだろうか?
福島県で起きたことは、他人ごとか?
私は関東に住んでいるが、他人ごとには思えない。

それに、その不買の人たちに「生きるとは何か」をぜひお聞きしたいし、そのことを一度でもまじめに深く考えたことがあるのかどうかもぜひお聞きしたいが、それともそんな理由ではなく、親の子育てや学校の教育のせいで不買なのだろうか?

コンピュータは人間を越えられるか(人工知能)

2014年07月20日 | 哲学・心の病
3年ほど前に、アメリカでスーパーコンピュータの「ワトソン」が、テレビ番組で人間のクイズ王2人を破り注目された。
一説によると、コンピュータはあと35年ほどで人間の能力を越え、人間に代り知的労働をこなすようになるとのこと。
さらには人間の意識がコンピュータに移植され、肉体が滅んでも意識が半永久的に続くことで、「永遠の命」がもたらされるとも言われている。
コンピュータが人間の能力をしのぐことなど可能だろうか。

「ワトソン」とは何か。
コンピュータ10台で構成され、2,800個の中央演算処理装置(CPU)で毎秒80兆回計算する。
また書籍100万冊の知識を蓄積し、文字入力された質問からキーワードを抽出し、瞬時に回答を探し出す。
要は、計算能力と検索能力が大変優れているということらしい。
しかし、これらの能力は既に日常的に使われている。
レベルは違うが、Excelで式を組めば素早く計算できるし、グーグルやヤフーなどで瞬時に検索できる。
よってこれらの能力で人間に勝ったと言われても、今更驚きはしない。
ではこうした単純労働を越えた能力までも、習得できるだろうか。

組織を束ねるリーダーシップ、担当部署のマネジメント、人材の育成、相手の表情を見ながらの臨機応変なコミュニケーション、問題発見・原因分析・施策立案・実行・・・ビジネスの現場で必要とされる高度なスキルを、コンピュータが完璧にこなす姿など想像しがたい。
また泣きやまない赤ん坊をなだめすかす、幼児の反抗期に対処する、愛情を持って褒めて叱る、子どもの潜在能力を見い出して育てる・・・論理では割り切れない子育てに必要な能力を、「ワトソン」は兼ね備えられるだろうか。

仮にであるが、それらを含めて人間が持つ全能力をコンピュータが習得できたとしても、結局人間と「同等」の能力を持っただけであり、人間を「越えた」ことにはならない。
「人間がコンピュータを作り出す」という関係が存在している以上、どこまでいっても人間を越えることは不可能であろう。

良い哲学書と良い読み方

2014年07月18日 | 哲学・心の病
私は、次のような哲学書や次のような読み方を強くお薦めする。

『この本を読むにあたって、哲学に関する予備知識などはまったく不要です。
むしろ、ないほうがいいのです。
翔太(本の主人公)と同じようにたくさんの疑問を自分で出しながら読んでください。
そして、ところどころで、先を読むまえにまず本から目を離して自分で考えてみてください。
よくわからないところにあまりこだわる必要はありません。
むしろ自分にとってよくわかる問題を考えぬいてみてください。
哲学に関しては、色々な学説を知るよりも、ひとつの問題を考えぬくほうがはるかに大切です。
インサイトが語るところに説得力を感じなければ、それを信じ込んではいけません。
なぜ説得力に欠けているのかを考えるところから、あなたの哲学が始まるのです。』永井均

「哲学とは何か」筆者不明

2014年07月17日 | 哲学・心の病
物事の本質について、「なぜそうなのか」「本当はどうなのか」と自分で論理的に考え続けても結局本当の所はわからず、それ以上は言葉では言えないということがわかる。

わからないとわかったならば、その無知の知を素直に認めて言葉では言えない以上黙るのが正しい態度である。
にも関わらずあえて言葉で言おうとするならば、そこから先は論理を越えた(または論理以前の)物語の世界に自然となってゆく。
イメージとしては・・・。

「現実」という入口から入って論理という地図を頼りに迷路を歩き続けても、結局「無知の知」という出口にしか到達できずその前で立ち止まるしかない。
にも関わらずあえてドアを開けて進むならば、そこから先は地図のない無限大の世界が広がっていてどう進むかは自分次第である。

人格障害(野々村元県議)

2014年07月15日 | 哲学・心の病
政務活動費の不正疑惑で今話題になっている野々村元県議の記者会見を見て、彼の人格に病的なものを感じたのでネットで調べてみたら次の記事があった。

『精神科医の東京・銀座泰明クリニックの茅野分(ちの・ぶん)院長は、診断しないと分からないと前置きした上で「演技性人格障害の可能性がある」とこう分析した。
「生まれや育ちで何らかの劣等感を抱き、自分の存在を認めてもらいたいと思うようになり、まるで演技のように存在を強調するのです。
自己顕示欲が強く、存在が認められないと(逆恨みメールのように)他人に責任を押し付ける。
議員さんは大げさに表現するような誇大的な人がなりがちだが、大事なところで責任感や倫理観を持ってできるかどうかが大切。
(野々村氏は政治家に)向いているか、いないかで言ったら、向いていないでしょうね。」』

とのことだったが、人格障害者は身の回りの人たちに大変な迷惑をかける人たちが多い。
もちろん人格障害者でなくても迷惑をかけることはあるが、人格障害者の場合は尋常でない迷惑をかける。
たとえばストーカー行為であったりし、最悪の場合、殺人まで至る人格障害もある。

また、人格障害者本人がその人格の障害のために苦しんでいたり生きづらかったりしたり、社会生活に支障をきたしている人たちが多いのだ。

私はそのような人たちが生きやすくなるためには、またその人たちによる迷惑をできるだけ回避するためには、人格障害とはどういったものかという知識が広まることが大事なことだと思っているので、時々そのことをブログに書いている。


では、演技性人格障害者とどう接したら良いのかということをご紹介したい。

【接し方のコツ】
『このような人との接し方には二つの路線がある。
・嘘を観客として賞賛し、当人の期待する反応を示す路線
・当人の仮面や嘘に、嫌気が差して、その人を遠ざける路線

しかし、その仮面は嘘を暴こうとしては、いけない。
もしそのような事をすると、たちまち絶好状態になるばかりでなく、最悪の人間として悪評をばら撒かれる。
そして、それを真に受けた人からあなたはひどい人ということになってしまう。

もし、もう一歩踏み込んだ関係を築いたり、関係を真実の物としたいならば、嘘や演技的な態度によって、当人の望むままに振り回されてはいけない。
このような人は被害者を演じる事すらよくあるのだ。

また、嘘や演技の可能性も考え冷静に対処しなければならない。
本人を咎(とが)めるのではなく、行動の裏にある意味を考えて、それを健全は形で満たすようにするとよい。』

とのことだそうだが、私ならばその人との付き合いを完全に断ち切り、いっさい関わらないようにする会わないようにする。
その上で、その人の家族に以下の治療法をお伝えする。


【演技性パーソナリティ障害の治療法】
『演技性パーソナリティ障害では、周りの人の目には、あたかも役者を演じているように見えるほど、派手な言動が目立ちます。
しかし本人は、自分の心の中の何がそうした言動に駆り立てているのか、分かっていないことが多いものです。
心理療法によって、自分の本当の気持ちをはっきりさせる事が、症状を軽減させる上での重要なポイントです。

薬物療法が必要か否かは個人個人の病状によります。
もしも、気分の落ち込みが目立つ場合は、抗うつ薬。
強い不安感に対しては抗不安薬。
また、現実感が低下していて地に足がつかなくなっているような場合には、抗精神病薬……など、状況に応じて、治療薬が選択されます。

演技性パーソナリティー障害の経過は、年齢を経るにつれ軽くなることが多いです。
若い時分に旺盛だったエネルギーが、徐々に抜けていき、人目をひく行動が減っていく傾向があります。
しかし、刺激的な日常を好む気質自体には変わりがなく、アルコール依存、性的交友上のトラブルなどが生じやすいという傾向も見られます。

こうしたトラブルを避けるためにも、もしも、地に足が付かないような演技的なライフスタイルになってしまったのに、どうしてそうなってしまったのか分からない場合や、それによって心の苦しみが増しているような場合は、ぜひ、精神科受診を考慮してみてください。』


最後に、もし私の家族に人格障害者がいたとしたら、その治療法を熟知したベテランの精神科医に治療して頂くだろう。

世論調査の問題点(集団的自衛権)

2014年07月14日 | 哲学・心の病
世論調査の問題点をWikipediaで調べてみたら、次の内容だった。

『調査対象全体(母集団)から偏向なくサンプリングを行わなければ結果は不正確なものとなる。
また意図的かどうかにかかわらず、設問文や設問順によって回答が誘導される(残留効果)、恣意的な設問、などによる世論誘導が行われないよう実施しなければならない。
さらに、「あいまいな回答」や「無回答・分からない」という回答の扱い方が難しいため、統計学的に母集団を推定するうえでは問題もある。

回答率は調査の主体によっても左右される。
たとえば、朝日新聞の調査には回答を拒否しても、産経新聞の調査には応じるなどである。
特に政治的問題では、調査主体に好意的な回答者の回答率が高くなり、そうではない回答者の回答率は極端に下がる。
たとえば、死刑廃止を訴えるアムネスティ・インターナショナル日本支部が1996年の衆議院総選挙候補者に行ったアンケートでは、当時与党であった自民党候補者の回答率が極端に低かった。
おおむね、公的機関や大手マスメディアの調査に対する回答率は比較的高いが、回答率が低すぎる場合、有効回答者の回答を、サンプル全体に当てはめることはできない。

選挙プランナーと称する三浦博史は「1社だけでは不正確なマスコミの調査も、複数の調査を合わせれば、精度の高い結果になる」としている。』


上記の文面で私が注目した点は、「1社だけでは不正確なマスコミの調査も、複数の調査を合わせれば、精度の高い結果になる」という部分。

できれば、大多数の国民が最も信頼する機関の世論調査がベストだと思うが、現実的な方策として「複数の調査を合わせる」ということに、私は共感した。

そしてそれは、各社の世論調査の結果だけではなくて、複数の調査を合わせた結果も報道すべきではないのか?
ということを各報道機関に要望したい、ということだ。

「根本的な問い」池田晶子

2014年07月12日 | 哲学・心の病
池田晶子さんは、次のように言っています。

『人が何かを考えるということをするのは、それが何であるのかを知りたい、どうなっているのかを知りたい、「ただ」知りたい。
これ以外の欲求によってはいません。
そうして、知りたいというひたすらな欲求によって考えてゆくなら、人は必ず、ひとつの根本的なこと、根本的な問いに行き着くことになる。
それが他でもない、「人生とは何であるのか。」
生活的諸事雑多のすべての問いは、必ずこの根本的な問いに帰着するといえましょう。』


私も人に関わるすべての問いは、ある一つの根本的な問いに密接に関わっていて、その問いの答がわかればすべてがわかると思っています。

その根本的な問いとは、「生きる意味」です。

私は「生きる意味」と「人生とは何か」とは意味合いは同じだと思っていますが、彼女に言わせれば違う問いのようです。

それに彼女に言わせますと、「人生とは何か」以前に「生きているとはどういうことか」がわからないと、「人生とは何か」を問いようがないとのこと。

私も含めて何を言っているのかわからない人もいるでしょうが、私は上記の3つの問いの意味するところは同じだと思っていますので、帰着する根本的な問いは「生きる意味」で良いと思っています。

※「なぜ宇宙は誕生したのか」と言い換えることもできます。

「死の原因は生まれたことにある」池田晶子

2014年07月10日 | 哲学・心の病
池田晶子さんは、「死の原因は生まれたことにある」と言ってる。
生まれなければ、死ぬことがないからである。

私は彼女のこの言葉から、ある言葉がひらめいた。
「死があるから新たな生命を生もうとする」ということだ。

死ぬことがなく永遠に生きられるとしたら、子孫を残そうとするだろうか?
私にはそうとは思えなく、子孫を残そうとはしないだろう。

そして、(「進化」することは良いことなのかどうかは別にして、)「進化」することもないだろうとも思っている。

戦争とは何か(「なぜ人は死を恐れるか」)

2014年07月09日 | 哲学・心の病
『戦争を恐れるということは、それを恐れる人にとっては、多く、死を恐れるということである。
なるほど生物であるところの我々は、本能的に死を恐れるけれども、生物でありながら他の生物と異なるところは、どういうわけか、その本能的な事柄について考えるという機能をもってしまっているところで、したがって、本能的に恐れているところの死についても、考える。
死ぬとはどういうことなのか。
(中略)
生きている人は、生きているということしか知らない。
ゆえに、人は、生きている限り、死ぬとはどういうことなのか、知る術はないのである。
知る術がない、それが何だかわからないものについて、恐れることができないのは道理である。
それが何だかわからないものだから恐れるのだというのが、まあ普通ではある。
しかし、恐れるという態度をとることができるということは、それを恐れるべきものだとやはり知っていることになる。
かく考えればわかることなのだが、人は考えることをしないで本能的に恐れたままでいるから、死にたくないために戦争したり、逆に美化して観念のために死んだりするわけである。
したがって、戦争の抑止力ということなら、死について各人が考えて気がつく以上のものはないのである。』池田晶子


あるテロリストたちは聖戦で死んだならば永遠の天国へ行けると信じて死んでいくが、死んだことがないのだからそうなるかどうかはわからないはずだ。

おそらく、死ぬとどうなるかということを冷静に考えれば、戦争を起こす気がなくなるのではないか?

そのように冷静に考えられずに感情が理性より勝るから、戦争が起きるのであろう。