哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

青年期の「いじめ」

2014年06月29日 | 哲学・心の病
「青年期のいじめ」について、次の説明があった。

『青年期には、仲間である他者は自分の思いどおりにはうごいてくれず、また自分のねがうとおりには自分を評価してくれないがゆえに、潜在的にはつねに自分を「いじめる」様相をおびて登場する。

集団リンチそのものであるような「いじめ」は断固として排除されなければならないし、排除するためには大人の強い姿勢も必要である。
しかし、青年期の仲間関係に必然的にふくまれる摩擦や軋轢をも「いじめ」とよぶかぎりでは、「いじめ」はけっしてなくならない。

そのような「いじめ」のない青年期を考えるということは、青年期から仲間関係をはずして考えるにひとしい。
青年は、仲間から認められるのか認められないのか、認められるためにはどのようにふるまうべきかを、そのむずかしい仲間関係をくぐりぬける中で経験し、それをとおして大人社会に参入する準備をしていくのである。

そこにまた、「いじめ」にあってもその仲間集団に準拠せざるをえないから、そこからぬけだせないという二重拘束的な集団力学が生まれ、いじめ問題が複雑化していく理由がある。』


私は「いじめ」へと発展する恐れがある仲間とのいざこざは「百害あって一理なし」だと思っていたが、この説明を読んで大人へと成長するうえで必要なことであることを知ったし、改めて自分自身の過去を振り返ってみたら確かにそうだと納得した。

そして、青年期までに(異性との恋愛も含めて)人間関係を学ばずに大人となったならば、社会人になったときに(異性との恋愛も含めて)うまく人と付き合っていけないのではないかと思った。

正常性バイアス

2014年06月28日 | 哲学・心の病
「正常性バイアス」とは、次の心理を表す心理学の用語。

『危険を認めたくない心理から、正常の範囲内のものと考えようとする。
楽観的な判断は日常生活ではプラスに働くことも多いが、災害時には命にかかわることになりかねない。』

また、「同調行動」とは、次の心理を表す心理学の用語。

『はっきりしない状態で不安が高まると、他人の判断や基準に従おうとする。
誰かが逃げ出さない限り、それに合わせてしまう。
逆に誰かが逃げ出すと、他の人も次々と逃げるという同調行動も起こる。』


2003年韓国の地下鉄車内で放火があり、その電車の乗客は即刻避難した。
ところが、反対車線の電車の乗客は「少しの間お待ち下さい」という車内放送を聴いて、煙の充満する車内にとどまり、数多くの死者がでる大惨事となった。
正常性バイアスや同調行動のほか、車内放送の(専門的な)判断を、自分の五感情報より優先する心理が働いたことが考えられる。

ネットへの書き込みはヒートアップしがち

2014年06月25日 | 哲学・心の病
大勢のなかにいたり、自分が誰だか特定されることはないという状況では、人の行動からモラルが失われていく。


〈自分が誰だかわからなければ攻撃的になる〉

心理学者ジンバルドーは、没個性化と匿名性の関連を調べるため次の実験を行った。

学生(被験者)は、実験者の合図に従い他の人に対して一定時間電気ショックを与える。
ただし、苦しむ様子を見て心が傷めば途中でやめてもよい。
被験者は、AとBのグループに分けられる。
Aグループは、全身にフードをかぶり名前でなく番号で呼ばれ、誰かわからないようになっている。
Bグループは、全身にフードをかぶるが名札をつけ、誰かわかるようになっている。

実験の結果は、Aグループのほうが長く電気ショックを与えた。


〈普段いえないことでもいえてしまう〉

匿名性の高いネットの世界では、人の目を気にする必要がない。
そのため、現実ではいわない過激な発言などを無責任に書き込める。
また、ネット環境に埋没し自分自身の存在感が希薄になり、日常では抑えている感情が生じやすい。
これを「没個性化」という。

スポーツの観客がひどいヤジを飛ばすのも、群集の1人という責任感が拡散された環境にいるからだ。
没個性化の状態で行われる行為は、エスカレートしていく傾向がある。

続・STAP細胞問題

2014年06月23日 | 哲学・心の病
彼女のメンタリティについて、精神科医の香山リカさんは「自己愛性パーソナリティ」の可能性を、精神科医の熊木徹夫さんは「演技性パーソナリティ」 の可能性を指摘してますが、町沢静夫さんは「小保方さんの記者会見を見る限り、謝るべき所では謝っているし、人格(パーソナリティ)障害的な部分は見あたらない」といい、香山リカさんも「パーソナリティ障害」とはいっていないようです。

ですが、同じ記者会見を見た精神科医の片田珠美さんは、「小保方さんは空想虚言症ではないか」としています。

『「空想虚言症」は病気というよりは、むしろ癖というか性格傾向であって、自分を実際以上に大きく見せかけて注目や称賛を浴びたい、つまり自己顕示欲の強いタイプに多い。
最初に割烹着で登場したときも、涙の記者会見のときも、小保方氏の自己演出力には舌を巻いたが、これは強い自己顕示欲ゆえだろう。
小保方氏が「空想虚言症」である可能性を私が指摘したのは、「STAP細胞はあります」「200回以上作製に成功している」などと主張しながら、明白な新証拠の提出がなく、再現性も確認されていないからである。
「空想虚言症」の方は思いこみが強く、空想と現実の区別がつかなくなっており、自分の願望を投影した空想を細部にまでわたって、いかにも本当らしく物語る。』 片田珠美


「自己愛性パーソナリティ障害」とは、DSM‐Ⅳの診断基準によると以下の通りとなります。

『誇大性(空想または行動における)賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。

以下のうち、5つ(またはそれ以上)で示される。

1. 自己の重要性に関する誇大な感覚。自分の業績や才能を誇張する。
2. 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3. 自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人(権威的な機関)にしか理解されない、または関係があるべきだと信じている。
4. 過剰な賞賛を求める。
5. 特権意識、つまり特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
6. 対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
7. 共感の欠如。他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
8. しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9. 尊大で傲慢な行動、または態度。』


「演技性パーソナリティ障害」とは、DSM‐Ⅳの診断基準によると以下の通りとなります。

『過度に情緒的で、度を越して人の注意を引こうとする行動の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。

以下のうち5つ(またはそれ以上)で診断される。

1. 自分が注目の的になっていない状況では楽しくない。
2. 他者との交流は、しばしば不適切なほどに性的に誘惑的な、または、挑発的な行動によって特徴づけられる。
3. 浅薄ですばやく変化する感情表出を示す。
4. 自分への関心を引くために絶えず身体的外見を用いる。
5. 過度に印象的だが内容のない話し方をする。
6. 自己演技化、芝居がかった態度、誇張した感情表現を示す。
7. 被暗示的、つまり他人または環境の影響を受けやすい。
8. 対人関係を実際以上に親密なものとみなす。』


「空想虚言症」とは、以下の通りとなります。

『自分の空想や妄想で思い描いたことが、あたかも本当のことのように錯覚し、やがて嘘を真実だと思い込む。

実際には起こっていない架空の事柄を事実のように活発に物語り、それらしく振る舞っている内に本人自身も真実であると信じ込んでしまう。』

『「空想虚言症」と「演技性パーソナリティ」の明確な違いは、嘘を自覚しているかどうかで、前者は嘘の自覚がなく、後者は嘘の自覚がある。
「空想虚言症」は、嘘の自覚がない「演技性パーソナリティ」といえる。』


【私の見立て】

前回の記事は、記者会見を観たときの私の直感と、その後の報道の断片をもとに、彼女は「何かしらの人格障害」で「うつ病」も併発しているのではないかということを念頭に置いて書いたものだったたので、あのよう記事となりましたが、改めてネットなどで調べて自分なりに彼女のことを見立ててみたら、彼女は「空想虚言症」で、いつの日からかわかりませんが「うつ病」も併発しているのでないかと思います。

ただし、もしかしたら「うつ病」も彼女の演技かもしれませんし、間接的な情報をもとに判断するしかありませんので、推測の域を出ず断定することができないのは、いうまでもありません。

STAP細胞問題

2014年06月18日 | 哲学・心の病
私は、STAP細胞の論文に不正があると指摘されたときから、彼女が言っているSTAP 現象は絶対にないと確信していた。

それは、なぜか?

それは、直感的に、彼女に、異常性を感じたからだ。
きちんとした実験をすることができるような精神状態ではないと…。

彼女の精神状態を一言で表すと、「妄想性」である。
STAP現象が「あってほしい」という彼女の願いが、証拠となる科学的根拠がないにもかかわらず、STAP現象は「ある」という非現実的な妄想へと。
何が実際にあったことで、何が自分の妄想なのかわからない状態、混濁している状態。
それを彼女には感じた。

記者会見での彼女の表情や言動、そして、その後の調査の結果は、ずべて私の確信を裏づけるものだった。

それにしても、彼女の異常性はかなり前から現れていたと思うが、それに誰も気がつかなかったのだろうか?

もっと早い時点で彼女を治療していれば、このような大事(おおごと)にはなっていなかっただろうし、彼女も一生苦しむような状況にはならなかっただろうと思う。

私としては、より一層の精神衛生の充実を望む。

「歴史とは」池田晶子

2014年06月15日 | 哲学・心の病
『「歴史」というものについての、根本的な勘違いがある。
何かそういったものが、客観的な事実として、どこかに実在していると思っているのだ。
しかし、どこに?
過去はいったいどこに実在しているというのか、ちょっと考えてみればよい。
今やどこにも実在していない過去は、現在の自分の「頭の中」にしか存在していないとは、たちまちに気がつくことではないか。
歴史とは、現在において自分がそれを思い出すという行為以外の、何ものでもないのである。』池田晶子

彼女は、人生については「わからない」と言っているのにもかかわらず、すべての事象については「意識の産物」だと言っている。
いわゆる、「唯心論」は正しいと言っている。

その一例が上記のエッセイであるが、そこも私とは違う。

私は、それについても「わからない」という立場だ。

『君自身に還れ』池田晶子

2014年06月11日 | 哲学・心の病
『おそらく、従来の宗教がとってきた、超越的なものを「信じる」という意識の形態が、もう無理なのだ。
人はそんなものを「信じられない」。
人生とは自分が生まれて死ぬまでの一定期間のことであり、自分とは自分以外の何ものでもないと思い込んでいるからだ。
しかし、ふと気がついていれば、自分が生まれ、自分が死ぬというこのこと自体は、自分の意志を超えている。
すなわち「超越的」事態なのである。
それならば、超越的なものは、「内在する」。
神仏を外に求める必要などない。
神仏は、自分の内に、自分を超えて、あるいは自分そのものとして、今まさに存在している。』池田晶子

そのことに気づくと、宗教は、哲学と同じ次元となっていくらしい。

続・お釈迦様でも

2014年06月03日 | 哲学・心の病
どうして存在はこうなのか、知っていると言う人がもしいるならば、私は、たとえ宇宙の果てでもその人に会いに飛んでいくだろう。
会って、そして蹴倒してやるのである、「このタワケ!」

どうしても知りたいというのは、これはこれで深い人間の業であろう。

何を間違えるのか、「人はなぜ生きるのか」と、こんな私に問う人がいる。
私は、「存在するから」と答えるのを常にしている。

なお「なぜ存在するのか」と問われたら、「さあねえ」と答えますね。
よほど正直でしょう。

死んだらどうなるの?

2014年06月02日 | 哲学・心の病
「意識は脳が生み出す」とも、平気で言われている。
大したもんである。
どうせ嘘をつくのなら、ここまで徹底してつかなければならない。
話というのは、どっかから始めなければ、始まらないからである。
(中略)

全くのところ、意識は脳が生み出したものなら、全宇宙が脳の産物であるわけで、それならやっぱり死後なんてものも脳による妄想である。
今さら何が問題であろう。
(中略)

こういったことを説明し始めると収拾がつかなくなるから、だから禅というのは説明をしないのである。
黙るのである。
黙って、観るのである。
宇宙を、存在を、生と死の謎を、問いと答えが同一である地点を、永遠に観ているのである。