哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

みのもんたさんの次男は窃盗症?

2014年10月23日 | 哲学・心の病
古い話になりますが、みのもんたさんの次男は窃盗症だったのではないかと思っています。
みのもんたさんの次男なので、経済的には困窮していなかっただろうと思うからです。
もし金銭的に困っていたら、みのもんたさんに借りれば良いのですから。

では窃盗症とは、どういったものなのでしょう。

Wikipediaによると、

『窃盗症とは、経済的利得を得るなど一見して他人に理解できる理由ではなく、窃盗自体の衝動により、反復的に実行してしまう症状で、精神疾患の一種である。

いわゆる「利益のための窃盗」ではなく「窃盗のための窃盗」といわれており、「衝動制御の障害」に含まれる同様の症例として「放火のための放火」を繰り返す放火症がある。』

とのことです。

窃盗症はギャンブル依存症のような症状で治療が困難だという精神科医もいますが、もし私の周辺に万引きを繰り返している人がいましたら、私は精神科へ行くことを勧めます。

ドラマ「信長協奏曲」がおもしろい!

2014年10月21日 | 哲学・心の病
フジテレビのドラマ「信長協奏曲」がおもしろい。

サブローという平成の青年が戦国時代にタイムスリップして、織田信長として生きていく物語。
史実とはちょっと違ったストーリーで、ドラマの展開がどうなるのかわからなくて、次回が待ち遠しい。

学生にとっては、日本史の勉強にもなるという印象。

詳しくは、フジテレビのサイトを。

第2話では、死にぎわの斉藤道三(西田敏行)が、信長(小栗旬)の妻、帰蝶(柴咲コウ)に手紙を残した。

「この戦乱の世、我が子、帰蝶に出会えて幸せだった」というような手紙。

その場面を観た私は、「人は幸せになるために生きていると言う人もいるが、真の幸せとは子を作り育てることではないか」と改めて思った。

チンパンジーとボノボ

2014年10月16日 | 哲学・心の病
チンパンジーは仲間を殺す。
他の動物ではほとんどなく、人間にもっとも近い動物だと言う研究者もいるらしい。

その点、ボノボは仲間との争いもなく平和な社会を築いている。

何がその違いを産み出しているのだろうか?

その原因は、メスとの交尾と食料のようだ。

まずはメスとの交尾だが、チンパンジーはメスの発情回数が少なく発情期間も短いので、オス同士がメスとの交尾で争う。

一方、ボノボのメスは常時見せかけの発情をしておりオスはいつでもメスと交尾することができるので、チンパンジーのようにオス同士がメスとの交尾で争うことがない。

次に食料だが、チンパンジーは食料が乏しい地域に生息しているので、群れ同士の争いが絶えない。
だから、力のあるオスが主導する社会を作っている。

一方、ボノボは食料が豊富な地域に生息しているので、群れ同士の争いがほとんどない。
だから、力のあるオスが主導する必要性がなく、メスが主導する社会を作っている。
それにつけ加えて、同じ群れのなかで食料で争う必要のないボノボのメス同士の結束は強く、ボノボのメスは結託して常時見せかけの発情をすることにしたらしい。

大雑把に言ってどちらの社会が良いかと言うと、ボノボのような社会の方が良いと言う人が多いだろう。
が、しかし、チンパンジーも食料が豊富な地域へ移住すれば、ボノボのような社会を作るのではないか?
何かしらの理由で食料が乏しい地域に生息せざるを得ないチンパンジーは、その環境にもっとも適応した(できるだけ多くの子孫を残す)社会を作ったがゆえに、仲間同士が争い殺すこともあるのではないか?

私は、チンパンジーとボノボの違いに「戦争」や「殺人」の原因を垣間見た気がしているが、どうだろうか?

「善の研究」西田幾多郎著について

2014年10月11日 | 哲学・心の病
「善の研究」で、西田幾多郎氏は何を言いたかったのか?
その結論とは何か?

難解と言われている、私に言わせれば読者のことを考えた推敲がなされていない「善の研究」を読む気はしないので、そのことをネットで調べてみた。

間違いのない説明かどうか私には判断できないので、誤りがあれば指摘して頂きたいが、その結論は、

『人生の目的とは、真理を探究し、その過程で神(または仏)の心を知り、神(または仏)と同じような心を持って神(または仏)と同じような行動をすること。
それは、言いかえれば「完全なる善」で、それを実行することによって永遠の幸福を得ることができる。』

ということだそうだ。

つまり、人は何のために生きるのかというと、善いことをするために生き、そのことによって幸せになるために生きるということらしいのだが、では「善いことをするのは何のためか」「幸せになるのは何のためか」。

「善の研究」はその疑問には答えていないようで、結局はありきたりな結論となっており、私の疑問に答えきれていないようだ。

私にとっては、読むに値しない本のようである。

リストカット

2014年10月01日 | 哲学・心の病
境界性人格障害の症状として自傷行為があり、リストカットが有名だ。

境界性人格障害の人に見られる自傷や自殺の企ては、必ずしも死ぬことを目的にしているわけではない。
体を傷つけるとそのぶん心の苦しみが軽くなると考え、自傷をくり返している場合もある。
本人にとっては、生きるために必要な行為となってしまっている。

なかには、自分の苦しみを周囲の人にわかってほしい、なんとかしてほしいという思いから、自分の体を傷つけてしてしまう人もいる。
この場合、わざと自傷行為を見せつけるように振る舞い、周囲を驚かせる。

しかし、周囲の人が深刻に受け止めすぎると返って追いつめてしまったりすることがあるが、逆に「どうせまた見せかけでは」と軽く見ていると重大事になることもある。

自殺、自傷行為の主な原因は以下の通り。

・身体的に置き換えるため
心の苦しみは耐え難く、体の痛みに置き換えた方が楽だと感じている。

・感情をコントロールするため
コントロールできなくなっている自分の感情を、制御できたような気分になる。

・自分を罰するため
見捨てられるような自分が悪いといった、自己嫌悪や後悔を解消できると感じる。

・離人症状をやわらげるため
身体的な苦痛を受けることで、自分が自分ではないように感じる離人症から逃れられることができる。

・怒りを発散するため
自分を見捨てようとしている相手への怒りを、形にすることで発散する。

・人に振り向いてもらうため
自分がどれほど苦しんでいるのか、周囲の人に知らしめる。

・自殺をするため
もう終わりにしたい、死んでしまいたいと思い、本気で死ぬために行動する。


【リストカットをするなは、死ねというようなもの】

リストカットは、心のバランスを保つために行われる。

リストカットをしている人にリストカットをやめろというと、心の苦しみを発散させる方法を失うことになり、逆効果となる。