哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

やる気が起きないのには訳がある!

2013年10月28日 | 哲学・心の病
元マラソン選手でオリンピック・メダリストの有森さんは、体に故障をきたしたときに監督から、そうなったのには(良い意味の)訳があるのだから、なぜそうなったのか悩まずに、それを良き経験ととらえて故障を乗り越え、今後の選手人生に活(い)かしなさいというようなことを言われ、前向きに考えるようになったという。
その監督は、その訳として、休息を取りなさいと神様が言っているのかもしれない、ということも言ったらしいが、私はその監督が言った「訳がある」ということを私も以前から思っていたことなので、有森さんが語ったことを記憶している。

私は、仕事など、やらざるをえなくて期限があるものは、やる気がなくても期限までにはやっているが、そうでないことでやる気が起きないことは、やる気が起きるまでやらないようにしている。
なぜなら、やる気が起きないのには「訳がある」と考えているからである。
なぜそう考えるようになったのか、よくわからないが、やる気が起きない「うつ病」の知識や、これまでの経験から得た心の健康を保つための処世術がその理由ではないかと思うが、よく覚えていないが、やる気がないのに無理してやって良い結果を得られなかったこともあったのだろう。
それに、やる気があるということは、楽しんでやっていることだし、たとえミスをしてもそのミスを気にせずに、そのミスを楽しむ心の余裕があった気がするが、そういった経験を通して、そう考えるようになったように思う。

以前、両親が離婚し母親と暮らしているある女性から、別れて暮らしている父親が亡くなったら、長女である自分が喪主をやらなければならないが、父方の親戚には嫌な思いをさせられていて、喪主をやることを考えると気が重くなるというようなことを、私は言われたことがある。
それを聞いた私は、やる気が起きないのには「訳がある」のだから、やらなくて良いし、葬儀に出席しなくても良いとも言った。
〇〇さんの気を重くさせるのは、父方の親戚に原因があるのだから、責められるべきは〇〇さんではない。
〇〇さんが喪主をつとめなくても、葬儀に出席しなくても誰かがやるだろうし、喪主をやらないことや出席しないことに、父方の親戚が文句を言ったならば、その人たちは、自分たちに責任があることに気がつかない「バカ」なのだから、気にすることはないとも言った。

彼女は、相手を「バカ」だと思うことができる私を、うらやましいと言ったが、私は人として当たり前のことを彼女に言っただけで、偉くもなんともない普通の感覚だと思っている。


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