哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

みのさんの次男は窃盗症?

2013年10月03日 | 哲学・心の病
みのもんたさんの次男が窃盗の疑いで逮捕されたという報道をみて、もしかしたら窃盗症ではないかと、私は思った。
まだその動機は解明されてはいないが、(みのもんたさんの次男という、)経済的には困窮していないだろうという状況からみて、窃盗症である可能性が十分ある。

そこで、Wikipediaに書かれてあった説明を紹介したい。

窃盗症(せっとうしょう)とは、クレプトマニア の訳語であり、経済的利得を得るなど一見して他人に理解できる理由ではなく、窃盗自体の衝動により、反復的に実行してしまう症状で、精神疾患の一種である。
病的窃盗ともいう。
衝動が性的なものに起因する場合、窃盗愛好者(クレプトフィリア)といわれることもある。

この症例は、その衝動により窃盗行為の実行時に緊張感を味わい、成功時に開放感・満足感を得る。
窃盗の対象物や窃盗の結果に対しては関心がなく、一般にはほとんど価値がないものである場合も多い。
盗品は、廃棄・未使用のまま隠匿・他人への譲渡のほか、まれに現場へ返却される場合もある。
いわゆる「利益のための窃盗」ではなく「窃盗のための窃盗」といわれており、「衝動制御の障害」に含まれる同様の症例として「放火のための放火」を繰り返す放火症がある。

その原因はうつ病や性的虐待・性的葛藤との関連づけが試みられており、摂食障害や月経等との関係が注目されている。
巷間にいう、「月経と万引き」の関係などがこの例であるが、最近は統計的実証的研究から、性的偏見に基づく一種の伝説であるとの批判もなされている。

一般的用語として窃盗癖・盗癖ともいうが、一般に「盗癖がある」窃盗常習犯は、意思欠如型の精神病質は見いだされるものの、その動機は経済的なものであることがほとんどであり、必ずしも窃盗症と領域を一致させない。

論理と直感(理性と感情について)

2013年10月03日 | 哲学・心の病
哲学、つまり、論理的にものごとを考えていると、論理的な思考の根幹には、直感的なものが何かしら関係しているのではないだろうかと、私は思うときがある。
大学生の頃、それに関する本を読んだことがあるが、はっきり言って、どういう内容だったか曖昧だ。
そこで、改めて、論理と直感の関係性について、調べ、そして、自分で考えてみたい。

まずは、Wikipediaに書かれてあった説明を紹介したい。

〈理性と感情〉

理性(あるいは高次の認知能力)は伝統的に、感覚(senses)、感情・情動(feelings、emotions)、情念(passions)等と対比的に用いられてきた。
理性は純粋に精神的能力であり、情動は肉体的な作用であると考えられることもあった。
例えば、非常に騒がしい場所にいる時やひどく悲しんでいる時には理性的な判断を下すのが困難になる。

近年、行動経済学と実験心理学は理性的な熟慮がかならずしも合理的な判断を引き起こさないことを示した(認知バイアス)。
心理学の機能主義学派は情動をヒトの生存と結びついていると考えていたが、同様に進化心理学は認知バイアスや情動的直観が必ずしも不合理ではなく、特に我々の祖先の時代の環境では合理的な判断に結びついていた可能性を示した。
これは理性と情動・感情が相互作用的または並列的に判断や意思決定に関わっていることを示唆する。
これは二重過程理論あるいは二重プロセスモデルと呼ばれている。

スタノヴィッチはこれまでに提案された二重プロセスモデルに類似したモデルを列挙している。
それらは詳細は異なるが、次のような共通点を持つ。

理性的システム-ゆっくりと働き、長期的な利益を勘案することができ、主に大脳新皮質に司られている。進化的な起源は比較的新しい。

情動システム-即座に働き、短期的な利益(主に生存・繁殖)に関わり、主に大脳辺縁系に司られている。進化的な起源は古い。

二つのシステムがどのように相互作用するかには、これらのモデルの提唱者の間でも合意がない。
状況や判断の内容によってもことなる可能性がある。

論理的な討論(わかりやすい文章とは?)

2013年10月03日 | 哲学・心の病
「考えを表現する能力は、考えそのものと同じくらいに重要である。」-B.バルバ-

〈わかりやすい文章の書き方〉

丁寧語(です・ます調)を用いる文章の語尾に「である」調を用いると、それだけでなんとなく立派なことを書いたような気になってしまって論理の欠陥に気がつきにくくなるという欠点があります。
ですから慣れてないうちは「です・ます」調で書いた方が論理的な文章を書きやすくなるでしょう。

接続詞を使わない「Aである、Bである」のような形式の文章だと、どちらが結論でどちらが根拠なのかが判りません。
一方、「Aである、なぜなら、Bだから」というような形式の文章なら、Aが結論でBが根拠だということが容易に判ります。

平易な表現を用いる論じる文章の目的は異なる意見を持つ人を説得することですから、対象となる読み手のレベルに合わせた言葉を選びましょう。
一般向けの文章を書くさいは、難解語や、予備知識を必要とする専門用語の使用を避け、平易な言葉を選び、より多くの人が理解できるように書きましょう。
たとえば中高生でもわかる言葉を選んだり、やむなく専門用語を使う場合も解説をつけると良いでしょう。

【大事なこと】
・自分で書いた文章を見返して論理の欠陥を見つけましょう。
・接続詞を使って結論と根拠の関係を表しましょう。
・説明上手な人は対象のレベルに合った言葉を選べる人です。