哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

「原発は絶対安全である」はウソ?

2013年10月05日 | 哲学・心の病
池田晶子さんは原発について書いているが、それは池田晶子さんらしくやはり脅し系であるが、まずははじめに、それを紹介したい。

『「原発は絶対安全である」といったような、明らかなウソをつくのもやめることだ。
原発でなくとも、人間のすることに「絶対」などということはあり得ないという事実を認識するからこそ、覚悟も据わるというものである。
以前、東京に原発をもってこいという運動があったが、私はあれはその通りだと思う。
あれは、だから原発は危険なのだという反対運動だったが、そうではなく、危険なのは当然なのだから、だからこそ東京にもってくる必要があるのである。
危険な仕事は他人まかせにして、安穏と暮らしている東京の人々の首筋に、冷たい刃を突きつけるのだ。
その暮らしは、これの上にあるのだぞ。
覚悟はできているのだろうな。』

ここからが私の意見であるが、原発は絶対安全ではないので稼働させるべきでないと、原発再稼働に反対する人は言うだろうが、絶対安全でないものは利用すべきではないというならば、自動車も使用禁止にすべきである。
自動車事故による年間の死者は約6000人もいる。

新潟県知事は、東電の社長に「お金と安全では、どちらが大事ですか?」と聞いたが、そんなことは聞くまでもない常識で「どっちも大事」なのである。
だから、年間約6000人が死んでいるにもかかわらず、自動車を利用している。
お金と安全を天秤にかけて最善と思われる妥協点で、自動車を利用している。

だから、原発は絶対安全ではないが、原発で起きる可能性がある事故が、国民の許容範囲内であれば、稼働しても良いと私は思っている。

論理的な討論(ヒートアップするな!)

2013年10月05日 | 哲学・心の病
「怒りを感じたら、10まで数えろ、それでもだめなら100まで、それでもだめなら1000まででも数えろ」-ジェファーソン元米大統領-

〈ヒートアップするな〉

主張内容を「証明」することと、相手を「説得」することは微妙に異なります。
説得とは、相手の考え方を変えることです。
そのためには相手に影響力を与える必要があります。
正しい知識を披露しても、影響力を与えることができなければ説得は失敗に終わります。
ではどういうときに影響力が失われるのでしょうか?
それは書き手がヒートアップして過激な言葉を使ったり高慢な態度をとったときです。

次の例は「野菜ジュースには本当に一日分の栄養素が含まれているか」という議論のなかでの発言です。

(野菜ジュースの製造工程)
・おいしさを維持するために粉砕後ろ過する
・廃棄物であるろ過物の方に脂溶性栄養素が残留する
・水溶性栄養素は熱に弱いものが多い
・空腹時に飲むと消化吸収のまもなく排泄される
以上の理由で水溶性も脂溶性もほとんど残らない。

以上の意見に反論がありました。

栄養学の先生が野菜ジュースでもいいって言ってたんだけどな。
加熱で栄養が壊れるとかいってたらそもそも生野菜以外は食べても意味ないってことになるだろ、バカなの?
企業の宣伝に踊らされない俺カッコイイなの?
勉強しろよ。

さて、反論を読んだ相手はどういう反応を示すでしょうか?
こういう場合、どうしても読み手の意識はまず過激な言葉や、高慢な態度、侮辱的な表現に向かいます。
その結果「たとえこいつの言うことが正しくても俺はこいつを支持したくない!」という心理状態に陥ります。
するとたとえ主張の構造が論理的であっても「説得」には失敗します。

そして、相手の理解度が低くても高慢な態度をとってはいけません。
相手の理解度を把握して、そこを出発点として、結論に導きましょう。


【助言】
・掲示板などでどうしても過激な言葉を使うクセがある人は、投稿の直前にトゲを抜く作業をするといいでしょう。

【大事なこと】
・ヒートアップするな。
・攻撃された人間は相手の意見に耳を貸さない。