哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

死んだ子供と母親

2013年10月13日 | 哲学・心の病
『身よりもなく、夫に先立たれた未亡人がいた。当時のインドでは未亡人であることは地獄に暮らすにも等しかった。再婚は許されず、社会的に制限された生活を強いられる。幼い子供だけが希望の綱として残されていた。しかし、その子供も病気で亡くなってしまった。未亡人は気が触れて死んだ子供の身体を抱いて暮らし始めた。ある日、ブッダが村に来ていることを村人が未亡人に伝え、死んだ子供を甦らせてくれるかも知れないと提案した。未亡人は子供の身体を抱いてブッダを尋ね、質問した。「私の子供を甦らせて下さい」。ブッダは微笑んで答えた。「簡単な事だ。ただし条件がある」。未亡人は言った。「どんな条件でも満たして見せます」。ブッダは言った。「カラシの種を数粒持って来なさい」。「そんな簡単な条件で良いのですか?」。「いや、条件はそれだけではない。死んだ者が出たことのない家から数粒のカラシの種を持って来なければならない」。未亡人は大喜びでブッダの元をさり、村の家のドアをノックして回った。村はとても古い村だった。行く家々で言われた。「カラシの種ならいくらでもあげることは出来るよ。でも、家からは沢山の死人を送り出した」。未亡人は一日中ドアをノックして回った。気の触れた人と言うのはエネルギーにあふれ疲れる事を知らない。一日中そのことに集中した。そうして夜になって、ブッダの元に帰って来た。ブッダは言った。「カラシの種を持って来たかね?」。未亡人は答えた。「いいえ。私は死を避けることは出来ないと言うことを知りました」。未亡人はもう狂ってはいなかった。』


脳死による臓器移植に関心があって書籍を読みあさっていたときに、このブッタの逸話を私は知った。
そのエッセイは、愛するものの死を家族が受け入れるために、医療側の努力も必要だということを、このブッタの逸話を通して婉曲に書かれていた。

3.11の東日本大震災では、現在も多くの行方不明者がいる。
ある高齢の男性は、自費で弟の捜索をしている。
「遺体を確認しないと、弟の死を受け入れることができない」とその男性は言っていた。

そういうものかと私は思ったが、その行為は無駄にも見えた。
しかし、それは私が非情だからではないと私は思っている。
なぜなら、私も亡くなっているであろうその弟さんと同じ側にいると自覚しているからだ。
私も必ずいつかは死ぬ、ということではなく、明日(あす)死ぬかもしれないと現実味をおびて自覚しているからだ。
死は他人事ではなく、常に私の身近にある。

それに「人は死んだらどうなるか?」私はわからないから、死ぬことに悪いイメージはまったくない。

だから、遺体がなくても突然死であっても、当たり前のこととして、私は直ぐに死を受け入れる。
ある意味、私もそちら側にいるということだ。


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