koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

名将,逝く・・・

2011年11月26日 18時37分44秒 | 野球

阪急・近鉄の監督を歴任された西本幸雄氏が亡くなられた。
享年91。
昨年大沢親分を失っているだけに,こうした名監督が亡くなるというのは諸行無常とはいえ,残念でならない。


私としては,やはり記憶に残っているのは,79・80年の近鉄vs広島の日本シリーズであろう。
丁度我がジャイアンツ(というか第一次長嶋政権)の低迷期に当たり,野球に興味を失いつつあった時期の出来事であったが,79年の「江夏の21球」ばかりがクローズアップされた嫌いがあるが(この件に関しては,故山際淳二の同名著作が秀逸と思う),西本-古葉という70~80年代を代表する名将の意地がぶつかり合ったシリーズとも言えた。
そして,西本も近鉄バファローズも結局日本一を達成することは無かった。


さらに言うならば,近鉄時代の西本は広島の全盛と被ったのに対し,阪急時代の西本は巨人のV9と被る。
つまりタイミングが悪かったということが,悲運の名将とも言われる所以である。
しかし,60年代後半~70年代にかけて,阪急を強くしたのは明らかに西本の功績と言って差し支えないだろう。
福本,山田,今井,長池,加藤英といった名手たちについては,今更述べるまでもないだろうし,万年Bクラスだつた阪急は,67年のリーグ初優勝後,5回のリーグ優勝を数えることになる。
近鉄にしても,同様だろう。
79年は,近鉄初優勝の年として,江川事件と共に記憶されることになる。
戦後の2リーグ制以来優勝が無かった球団を2年連続で優勝に導いた手腕は,まさに名将と呼ぶに相応しい。


西本勇退後,プロ野球は西武の黄金時代を迎えることになる。
今思えば,この時の近鉄こそ,個性的な選手の多いパリーグの実力をまざまざと見せつける象徴だったのではないかと思われてならない。
近鉄が次に優勝するのは,これまた名将の名に相応しい仰木彬が率いた89年まで待たなければならず(前年に惜しくも優勝を逸した),さらにその後は01年の優勝を最後に,近鉄バファローズ自体が消滅してしまい,阪急も近鉄優勝の89年にはオリックスに身売りということになり,明らかに1つの時代が終焉したことを示すこととなった。


混迷の度合いを極めるプロ野球界にとって,また1つ大きな損失となることは間違いない。遠ざかる昭和の記憶とともに,リーグ優勝8回(しかも3チームに渡って)という名将の軌跡は忘れてはなるまい。
合掌・・・。
日記@BlogRanking


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
接骨院 (tomo)
2011-11-27 08:30:12
最近紹介された接骨院せるが、鈴木医院があります。将監中央小のそば、光治療というのかいわくま、はざまかんぺい、まつざか、ダルビッシュ選手などもその機械で治したようです。私も長年悩んできた鞭打ちなど様々な症状が治りました。東京でも同じような機械を持っている病院がTVで紹介されていました。ぜひ、お勧めします。土曜、日曜も9時~19時半までやっています。休日の朝、8時半ごろまで行って予約をとれば1番で入れます。木曜日が休みです。姉妹店として泉中央地下鉄駅ビルの「もりと」、仙台駅裏「かえで?」がありますが、日曜日は休診です。目安は1回20分の治療で2500円ぐらいですが、充実感があります。もちろん保険治療もあります。ぜひどうぞ。揉む治療はほとんどありません。
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