政府の教育再生懇談会は,小中学生に携帯電話を持たせるべきではない,といった内容を来月の第一次報告に盛り込むことで一致した。
随分思い切った決定だと思う。
私も不本意ながら携帯電話を持ってから9年になるが,かねがね児童生徒の携帯電話所持に疑問を感じてきた私としては,看過できない情報である。
以前は携帯電話もパソコンも生活には無かったから,有れば便利というものは無くても良い,ということになるのだが,昔は昔今は今,という反論に対しては,取り敢えず,時代と社会の流れを考えると無関心では居られない,とだけ答えておく。
小中学校の正課として情報教育が導入されるこのご時世にあって,PC不要論(教育現場では根強いようだ)は個人的に机上の空論と思うから・・・。
但し,携帯端末に関しては,私は端っから子どもの所有に関しては疑問である。
だいたい何故子どもに携帯端末が必要なのか,ねだられて買い与える親たちに聞いてみたい。
以前,たまたま私の
「何で子どもに携帯電話なんて持たせる??」
という問いにある母親は,
「友だちみんな持ってるし,仲間はずれにされるとかわいそうだし」
と答え,
「暴れられたから」
と来たのには参った。
ま,極端な例だろうが,携帯がないと仲間はずれにされるという論法は,20年前のファミコン持ってないと仲間はずれにされる,と何ら変わることがない。
物を介しての人間関係やコミュニケーションなんてものは,砂上の楼閣意外の何者でもない。
だいたい,毎日次の日になれば顔を合わせる小中学生(に限らず,次の日会える者すべてに言えることだが)に何故メール機能が必要なのが私には全く理解できない。
急ぎの用事なら,固定電話で済ませれば良いだけだ。
面と向かって言えないこともメールなら言えるから,ということを理由にするなら,其の程度の友だち関係なら友だちに非ず,ということである。
日に11回もメールを送信する中学生がいるそうだが,若い日の貴重な時間の浪費意外の何者でもない。
子どもの所在が分かって安心だから持たせる,という親は多いだろうが,だったら通話とGPS機能のみにすればよい。
メールが無意味にして不要であることは上記の通りだが,携帯webも無用の長物である。だいたい,高速インターネットの時代に,あんな莫迦遅い携帯webは不要だ。
インターネットとは基本的にPCでするものと思うし(無いなら仕方ないとしても),フリーのwebメールならPCさえ有れば携帯メールと比べものにならないほど便利である。
高いパケット代を親が払って,子どもが危険な目に遭っているのでは無意味だ。
フィルタリングのことをどの程度理解しているのだろうか・・・。
・・・ということで,児童生徒携帯不要論を述べたが,実は私自身携帯を使いこなしていないのも事実である。
赤外線通信なるものを未だに私は知らない。
何でもポケモンを交換するように,電話番号等のデータのやりとりをするそうだが,ワン切りすれば相手の履歴に残るし逆も同様。
別に必要性を感じないから覚えることも無いだろうが,私にとって携帯は必要最低限の通話が出来れば良いのである(カメラ機能は論外)。
さて,福田総理は児童生徒の携帯不要論者だそうだが(初めて私と意見が一致したかも),この決定がどうなるのか気になるところではある・・・。
そもそも、子供たちで会話をするのにあたしらの時代は電話やメールでのやりとりなんて殆ど無かったし、必要としなかったですよね。子供の安全を考えるのであればkoshiさんの言う通り、電話機能とGPS機能さえあれば問題無いと思いますけどね。
僕らの頃は子供達の情報網と親達の情報網、地域の情報網が個々に成立していたから、電話もGPSも要らなかったですけどね。そういうものが無くなりつつある事こそ、気にしなければいけない様なきがします。
前にも述べましたが,流行とは作られたものです。
必ずしも優れたもの,価値のあるものが民衆によって認められるものではないのです。
だから,商業資本に毒されたような買い物だけはしたくないと思ってきました。
情報だけは氾濫しているのですから,取捨選択する能力を持たなければ,と思います。
中学生になったら,高校生になったら携帯持つ,という短絡的な思考は,親がしっかり遮断しなければならない,と思うのですれけど・・・。
尤も,親が子に買い与えて,安全のための携帯で子が危険に晒させているわけで・・・。
10代の若者に携帯が必要か,と聞かれれば否ですね。
友だちとのコミュニケーションにメールを必要とする神経が理解できませんし,ネットはPCでやれば良い,遠隔地への会話が必要なら固定電話がある(大手プロバイダーのIP電話なら無料だし),ということで,全く不要と断言しても良いくらいです。
仰るように,我々が子どもの頃の情報網というのは,相互のコミュニケーションから生まれてきたものと思います。
絵文字を乱発するメールが,コミュニケーションメディアだとは思われないのですけどね・・・。