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koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

龍馬伝-第3回「偽手形の旅」

2010年01月17日 20時27分06秒 | 龍馬伝
いや,のっけから道場で盛り上がる場面,武市道場でのことでしょうが,何で龍馬と半平太が一緒に居るんか・・・と突っ込み(俊才である半平太は齢20前後で道場主となっていました。江戸遊学は龍馬より若干遅く,3年後だったと思います。前回分かったように,龍馬は日根野道場です),続いて加尾が山の神社で龍馬の無事を祈る場面では,あっさり龍馬が加尾を瞬殺するし(山ということは五台山と思いますが,城下から遠いぞ・・・),間髪を置かず坂本家での出立の場面・・・と,何とも慌ただしい始まりでした。
本来ならば,感動の嵐に身を委ねて,青雲の志を抱く前途有為な青年の門出に浸る場面なのでしょうが,背後にあまりに雄弁な佐藤直紀の楽曲が流れるものですから,その程度の演出と構成では感動しねーぞ,といった天の邪鬼がむくむくと頭をもたげました・・・。前作と違って至って評判の宜しい「龍馬伝」ですが,今日の序盤のような展開に,感動に浸ることができない私が不感症でひねているのでしょうか・・・。


溝渕と龍馬が共に江戸を目指したというのは,何らかの史料に基づいてのことなのでしょうか・・・。
溝渕は龍馬と同門の桶町小千葉道場で北辰一刀流を学びましたので,設定としては悪くないと思いました。
少なくても弥太郎が同行するという設定よりは・・・。
とにかく,今回はのっけで躓いたものの,弥太郎が絡んだ道中が面白く,突っ込みどころ満載ながら,あっと言う間の45分でした。
そういった点ではとても楽しめたのですが,考証というか初期設定をもっとしっかりしてほしかったと思います。
第3回にして龍馬がやたりポテンシャルが高く,「坂本の小便たれ」と莫迦にされていた経緯と,剣術によって別人のようになっていった過程の描き分けが不十分だと思いましたので(かといって,「お~い竜馬」のような少年時代のエピソードを広げすぎるのも???ですが・・・),やはりここは丁寧に幼少期~江戸出立までの龍馬像を描いて貰いたかったです・・・。


ラスト,お互いにかばい合った龍馬と弥太郎が手を振る場面,ちぐはぐなことを言い合うのは良かったですが,冒頭同様恣意的な感じは払拭できませんでした。
来週はいよいよ江戸入りですが,もうちょっと道中もの的な面白さを見てみたい気もしました。
弥太郎は土佐に送還されたのでしょうか・・・。
偽手形が露見したら死罪なのでしょうが,どうやってくぐり抜けたのでしょう・・・。
来週からの桶町道場でのエピソードに期待しています・・・。
日記@BlogRanking

龍馬伝-第2回「大器晩成?」

2010年01月11日 22時50分39秒 | 龍馬伝
昨日出かけたために見ることができず,今日ビデオを回しました。


しかし福山龍馬,あちこちのサイトにお邪魔させていただいた限りでは,至極評判が宜しいですね。
特に女性人気が絶大なようです。
番組自体の評価も,初回の視聴率では「篤姫」や「天地人」に及ばなかったものの,
「土佐藩の下級武士の苦しみがよく描かれていた」
とか
「龍馬や半平太,以蔵,そして弥太郎といった下士たちの熱さが伝わってきた」
といった肯定的な感想が多かったように記憶しています。
「天地人」の後だからかどうか分かりませんが,滑り出し順調なようです(因みに,昭和43年の「竜馬がゆく」は平均視聴率が14%程度で,幕末維新ものは当たらないというジンクスを作ったらしいです)。
そうなると,素直に認めようとしないのが天の邪鬼な私でして,ついつい突っ込みを入れるという悪癖が出てしまいます・・・。


久万川の堤をつくる治水工事を龍馬が農民たちを指揮して仕上げた,という今回のエピソードは勿論創作でしょうが,有り得ないことではないと思います。
・・・というのは,高知市自体が鏡川と国分川・久万川の三角州にできた平野であるため,洪水に悩まされたのは確かと思います。
高知はかつて河内と言われたくらいで,文字通り川の真ん中に街割りをしたと言っても良いかもしれません。
ですから,現在の位置に居城を定めた藩祖山内一豊が,河内を高知と改めたという話も頷けるような気がします。
ただ,そんなことよりも,酒でも三味線でも農民たちを懐柔することのできなかった龍馬が,一人で土嚢を担ぎ始めると次々に農民が寄ってきて・・・というのは,何の必然性も無いのでは・・・と思ってしまいました。
本来なら感動のクライマックス・・・といくところなのでしょうが,このあたりは「天地人」同様,必然性も無く祭り上げられた兼続同様に思われてしまいました。


で,それによって結局父八平の許可が下りて・・・,というのは,ちといじりすぎのような気がします。
おそらく,龍馬の江戸遊学のきっかけとなったのは,坂本家から程近い城下の小栗流日根野弁治道場で「和兵法事目録」,「和兵法十二箇条」,「和兵法二十五箇条」ならびに「和兵法三箇条」(つまり免許皆伝)を与えられて,弁治によって江戸の大流儀を学ぶように大いに薦められて,やがて藩庁より許可が下りて・・・というのが真相のような気がします。つまり,世の中を見たいとか,これからの人生を考えたい・・・といった青雲の志よりも,剣術家として大成し,やがて城下の道場主となる・・・といったことを考えていた方が,18,9の若者としては自然のような気がするのですが・・・。


福山雅治の龍馬は,きりっとした表情が確かに格好良いですね。
ただ,後年のトレードマークとなった蓬髪(つまりぼさぼさ頭)ですが,あれはいつ頃からのものなのか,知りたいような気がします。
髷を崩して月代を伸ばした総髪のような感じで,髷がかろうじて頭頂に残っている・・・といった感じなのが現存する幾つかの写真からうかがえますが,それらは慶応年間に長崎で写真師の上野彦馬に撮らせたものであり,土佐藩時代の龍馬が既に蓬髪であったとする根拠にはなりません。
それより福山さんの髪型はパーマをかけたようにちりぢりで,かえって違うような気がするのですが・・・。


龍馬の初恋の人とされる平井加尾に縁談があった,というのは寡聞にして知りませんでしたが,史料があるのでしょうか・・・。
あの自由恋愛など有り得なかったあの時代に,縁談を断ることは考えられませんので,創作なのかどうか・・・。
加尾は後に藩主の妹に従って公家の三条家に仕えることになり,維新後に結婚しましたが,龍馬と結ばれなかったことが痛恨事だった,と語ったとされています。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」では,加尾の名は僅かに出てくるだけですが,三条家に仕えたということから,家老福岡宮内(孝弟の一族でしょう)の妹であるお田鶴さまのモデルであることは間違いないでしょう。
ご当地出身ということで,広末涼子に白羽の矢が立ったのでしょうか・・・。
個人的には,序盤のヒロインとしては合わないような気がします・・・。
如何に下級武士とはいえ,儒教道徳に縛られた時代に女性からの告白は有り得ないような気がしますし,それに弥太郎を絡ませた一種の三角関係というのも穿ちすぎといった印象を否めません・・・。
弥太郎役の香川さんは引っ張りだこですね。
晩年の正岡子規役も凄味がありそうですが,ああした薄汚い格好(失礼!)がよく似合います。


・・・ということで,例によっていろいろと突っ込んでしまいましたが(悪い癖だ),最後にタイトルバックについて。
あの饒舌過ぎるCGは,個人的に???です。
稲妻とか飛龍とか,漫画チックでどうも好きになれません。
フルCGによるタイトルバックは,記憶にある限り昭和60(1985)年の「真田太平記」あたりが始まりと思うのですが,一昨年の「篤姫」にせよ4年前の「功名が辻」にせよ,どうも好きになれません。
CGは実写の補助的に使用するのが良いと思うのですが・・・(そうした点で「利家とまつ」,「風林火山」,「天地人」良かった)。
そして背後に流れる佐藤直紀の音楽について。
「ウォーターボーイズ」,「Good Luck」,「H2」,「ローレライ」,そして一連の「プリキュア」シリーズにおいて見事な「劇伴」を聴かせてくれた売れっ子作曲家の満を持しての起用です。
昨年の大島ミチル同様,現代を代表する作曲家の一人と言って良いと思いますが,大島が重厚なフルオーケストラを豪快に鳴らすのに対し,佐藤の楽曲は電子音を通奏低音的に扱い,それにストリングスによる平易な旋律を乗せ,明るいブラスでアクセントを付けるという手法が際立ち,極めて現代的で垢抜けた感覚を示していると思います。
ただ,ボーカルを加えたテーマは,CG画面同様饒舌過ぎるきらいがあると思うのは私だけでしょうか・・・。
上述の作品同様,劇中に魅力的な楽曲が散りばめられていると思われますので,サウンドトラックの発売を心待ちにすることにします・・・。
日記@BlogRanking

龍馬伝-第1回「上士と下士」

2010年01月05日 23時05分32秒 | 龍馬伝
2日たってようやくビデオを回しました。
大河で坂本龍馬を扱うのは,何と1968(昭和43)年の司馬遼太郎原作による「竜馬がゆく」以来となりますから,実に42年ぶりです。
映像作品として,そして何よりも当時菊池寛賞を受賞した司馬作品が原作として,目の前に立ちはだかるわけですから,今まで大河化されなかったのも分かるような気がします(因みに,TBSの正月時代劇「竜馬がゆく」-主演:上川隆也は,見ていません)。
ですから,そうした意味でも,そろそろ21世紀の新しい龍馬像が出てきても良いと思いますし,そうあるべきと言っても良いでしょう。


ストーリーは明治15(1882)年,岩崎邸でのパーティから始まります(一瞬,鹿鳴館かと思いました)。
暴漢が,
「私腹を肥やす者に天誅!!」
といった意味のことを言って,岩崎に襲いかかろうとしますが,すんでのところで取り押さえられます。
実際岩崎が維新後に後藤象二郎を通して,征台の役や西南戦争で船の工面をしたことで巨万の富を得て,西郷従道にも同様に思われていたそうですが,それに対して,
「自分は国のためにやったことだ。そこまで言うなら船をすべて焼き払っても良いが,それで政府は良いのか」
と豪語したと言われています。
また,記者が龍馬のことを聞いた際に,当時龍馬がさほど有名な存在ではなかったことになっていましたが,確かにそうなのでしょう。
藩閥政府全盛で自由民権運動による国会開設の機運が高まっている時期ですから,当時既にこの世の人ではなかった西郷・大久保・木戸(維新の三傑と私は習ったのですが・・・)を維新の第一世代とすると,伊藤・山県・黒田といった次の世代が政府や軍の中枢を担っていたでしょうから,龍馬が著名となるのは岩崎の元に来た記者坂崎紫瀾(自由民権運動家でもある)が土陽新聞に掲載した伝奇小説「汗血千里の駒」によって,と思われます。
だから坂崎が岩崎を訪ねることで,岩崎の独白によって物語が進む・・・という必然性は理解できました。


しかし,龍馬と岩崎(この2人は奇しくも同年齢ですが)には,どれぐらいの接点があったのでしょう・・・。
私の拙い記憶では,脱藩した龍馬が大坂をぶらぶらしている時に,尊穣派取締りを藩から命ぜられていた目付の岩崎が,同僚の井上佐一郎とともに遭遇し,やがて井上は脱藩浪士に殺され(やったのは岡田以蔵らだったか??確か死体は土佐堀川に投棄された筈),岩崎は目付の仕事を放棄したため命を永らえた・・・というのが一つ。
今一つは,龍馬が長崎で海援隊を組織して土佐藩に仕事を持ちかけた際に,出先機関ともいうべき土佐商会の主任に後藤象二郎によって抜擢され,龍馬との折衝に当たったことです。
尤も,龍馬にとって岩崎は眼中になかったようで,そのあたりが「不仲説」のもととなったのかもしれません(板垣も同様)。
なので,岩崎のモノローグにどの程度龍馬が関わることができるのか・・・といった点で疑問を禁じ得ません・・・。
龍馬が高知城下本町筋の生まれなのに対して,岩崎は現在の安芸市の生まれでしょうし・・・。


・・・で,前振りが長くなりました(悪い癖です)。
基本的に私の龍馬に関する知識は,上述「竜馬がゆく」と山岡荘八による「坂本龍馬」,同著をもとにした(但し後半はオリジナル)横山まさみちによるコミカライズ,風巻弦一著「青春坂本龍馬」及び「歴史読本」や「歴史と旅」といった雑誌の特集によるものがすべてであり(宮地佐一郎著「龍馬百話」文春文庫刊-というのもありました),勿論専門的な文献を漁ったり,綿密な現地踏査を行ったりしたものではありません(高知には一回しか行ったことありません・・・)。
ですから,私が史実と思い込んでいることが実は違っていた・・・ということもあるやもしれません。
そのあたりは,
「素人が何を言ってやがる」
と笑って看過していただけるとありがたいです・・・(汗)。


さて土佐藩の武士には大きく上下2つの階層がありました。
それが今回の題名である上士と下士(私は「郷士」と思ってきました)ということなのですが,何故そのような階層分化がされ,後に土佐勤王党弾圧の悲劇になっていくのかが,全く説明がなかったのは,完全に片手落ちだと思います。
こうしたことを書くと,ついつい長くなってしまうので恐縮なのですが(汗),ことの起こりは16世紀半ば,戦国大名である長曽我部氏の勃興まで遡ることになります。
一代の寵児ともいうべき長曽我部盛親の軍団を支えたのは「一領具足」と呼ばれた兵でした。
普段は農耕を行い,戦の際には文字通り一領きりの具足を身につけて出陣して,勇猛に前線で戦う足軽のような存在だったのでしょう(このあたりは,兵農分離が徹底されていない戦国の遺風を見て取ることができます)。
しかし,秀吉の登場によって四国をほぼ手中にしていた元親は土佐一国に逼塞し,後を継いだ嫡子盛親は書状一通によって西軍に加担して土佐をも失う。
その後に入ってきたのが,遠州掛川五万石から土佐二十四万石の国持ち大名に昇進した山内一豊です。
つまり長曽我部以来の武士を郷士,掛川から来た山内侍の子孫を上士と呼び,厳然と差別をしたという訳です。
土佐にせよ,長州にせよ,薩摩にせよ,藩の上層部は保守であり,所謂勤王倒幕派が最初に戦わなければならなかったのが,自藩の上層部であったことに幕末維新の悲劇があったとも言えるかもしれません(特に土佐と長州)。


龍馬の母が,横暴な上士によって命を縮めたり,以蔵が同席していたり,半平太がリーダー格とは思われなかったり・・・と,各人の性格分けが曖昧だったり・・・と,初回なのでまだまだ分からない部分もありますが,どうも去年も今年も大河は「坂の上の雲」にエッセンスを吸い取られて・・・ということにならないと良いのですが・・・。
やはり「竜馬がゆく」を越えるのは至難・・・ということを初回から感じてしまいました・・・。
あ゛,肝心の演技については何も書いていない・・・(遁走)
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