夜,昨夜の録画を回しました。
のっけから幕府軍艦上ではしゃぎまくる龍馬の様子が活写され,文久3(1863)年正月に幕艦順同丸にて大坂に向かったとナレーションが入りました(そう云えば,弥太郎くんの出番は今回全く有りませんでした・・・)。
やはり,ハウステンボスの観光丸だったようです。
脱藩した文久2年から翌年にかけて,龍馬の八面六臂の活躍が始まった,と思うのは私だけでしょうか・・・。
特に,この時期は江戸と京・大坂を股にかけての大立ち回りを演じます。
3月の清河八郎(私とほぼ同郷なんだよな・・・)暗殺(やったのは後の見廻り組の佐々木只三郎)とか,長州藩の京都政策失敗である(寝業師とも云うべき薩摩藩に足元を掬われた-薩会同盟)八月十八日の政変,そして龍馬の同胞たる吉村寅太郎らによる天誅組の変,そしてそれに関連した福岡藩脱藩平野国臣による生野の変と,翌年の池田屋事件・禁門の政変という幕末史上有数の流血事件に向け,尊皇だ攘夷だと世の中が滾ったにも関わらず,龍馬の行状に一種の明朗さが感じられるのは,やはり軍艦という最高の「おもちゃ」を見つけたからなのかもしれません・・・。
しかし,寡聞にも神戸海軍塾と神戸海軍繰練所の前身が文久3年当時大坂に置かれていたとは知りませんでした。
大和屋なる商家は創作と思われますが,そこのおねいさんと饅頭屋長次郎が仲良くなるエピソードは余計だったと思います。
もうあのおねいさんは出てこないのでしょうかね・・・。
・・・で,大坂の街で(弥太郎と脱藩直後の龍馬が飲んで,以蔵が井上佐一郎を殺ったのと同じ場所のようです)偶然(本当にTVは便利だわ)惣之丞と出会う龍馬。
奸臣勝に弟子入りとはとんでもない,と刀を抜く惣之丞。
をいをい,町奉行所から役人飛んでくるっちゅうに・・・。
でもって,土佐のご老公から武市に命じて藩士3名を海軍塾へ・・・ということで,望月亀弥太,高松太郎,千屋寅之助(菅野覚兵衛といった方が海援隊絡みでは分かりやすいか)がやってくる・・・。
神戸海軍繰練所は当然のことながら幕命によって設置されたものですから,おそらく各藩から塾員を募った(というか幕府が命じた)のでしょう。
後に池田屋事件で命を落とす亀弥太はどうやら藩命によって送り込まれたようですが(ご老公が本当に関わっていたか不明ですし,ましてや攘夷断行を旨とする武市が積極的に・・・とも思われません・・・),他の2人はいつ神戸に来たのか分かりません(3人一緒じゃないのは確かでしょう)。
その後,ご老公による勤王党切り崩しが丁寧に描かれていましたが(孤独な武市・・・),推測するに,勤王党は武市のもとに一枚岩たり得なかったこと,龍馬等脱藩浪士とのコネクションがあったこと(前年,江戸到着直後に龍馬は平井と時世を談じている),上士の平井は武市と別口で動いていたこと等,武市を首魁とする勤王党が帰国したご老公にやられるまで藩政を完全に牛耳っていた訳では無いということでしょう・・・。
ですから,神戸海軍塾には浪士や各藩士たちがてんでに集まったのではないでしょうか・・・(間もなく陸奥陽之助-というか伊達小次郎がやって来るのでしょう・・・)。
ついでに述べると,最初の塾頭が佐藤与之介というのは創作と思われます。
最初,「さ」の発音が「しゃ」,「せ」の発音が「しぇ」と聞こえたので,成る程長崎出身か・・・と思いきや,どうやら東北弁という設定らしいです。
東北の人間から言わせてもらうと,濁音が多けりゃ東北のズーズー弁という図式はいい加減改めて欲しいと思います。
私自身も訛りは相当あると自覚していますが,あんな奇っ怪なイントネーションは東北弁とは思われません。
それに,東北弁と十把一絡げに申しても,北から津軽弁,南部弁,秋田弁,庄内弁,村山弁,置賜弁,仙台弁,会津弁等いろいろありますし,それぞれが近似性と相違性を持っています。
有薗芳記さんは,「風林火山」では河原村伝兵衛役で良い味出していたんですけどね・・・(割ヶ嶽城攻めでの「ち~ん」を思い出すと笑えます・・・)。
・・・ということで,ここまで書いたらえらく疲れたので,このぐらいにします。
毎回面白いのですけど,突っ込みどころも多いのがまた楽しみでもあります・・・。
そろそろ弥太郎くんと江戸のおねいさんが見たいですね・・・。