長野県諏訪二葉高等学校校長日記 2014・2015

諏訪二葉高校の校長です。校長の視点から学校の様子をお伝えしたいと思います。登校日毎日更新を目指します。ご愛読願います。

1月14日(木)厄投げ 2015-235

2016-01-14 22:13:05 | 日記

☆6時24分アップ分

 先週の8日の朝、ゴミ拾いの帰りに榊町を通ると、上の写真の掲示板を目にしました。

 14日に「厄投げ」を行うとあり、俄然興味がわきました。

 フェイスブックでどんなものか、何人かの「友達」から教えていただきました。ありがとうございます。

 清陵の石城校長先生も、今晩、「厄投げ」するそうで、その様子を「参与観察」してきます。

 

 

 北沢区の掲示板にも、上の掲示がなされていました。昨日の朝撮影しました。

 3連休に自宅に戻り、以下の本を官舎に持ち帰り、少し調べてみました。一部、紹介します。

 今日は、少し、「論文調」にこの「校長日記」を執筆してまいりたいと思います。

 道祖神信仰研究の第一人者で、国学院大学名誉教授の倉石忠彦氏の著作『道祖神信仰論』(1990年、名著出版)では、第一章「長野県の道祖神祭り」のなかで、県下の道祖神信仰の詳細な分析が行われている。

 第一節は、三九郎ー中信の道祖神祭りー

 第二節は、ドウロクジン様ー北信の道祖神祭りー

 第三節は、獅子舞いとワラウマヒキー東信の道祖神祭りー

 そして第四章が、ヤクオトシー南信の道祖神祭りーである。

 この南信の道祖神祭りについて、先ず、倉石氏の論考を紹介することにする。

 「この南信地方において、道祖神の祭りと考えられている行事は、小正月と二月八日とに行われる。小正月に行われる行事は、正月の門松や注連飾りなどを焼く火祭りと、厄年の人が道祖神碑の所で行うヤクオトシ(厄落し)・ヤクナゲ(厄投げ)・ヤクバライ(厄祓い)がある」(『道祖神信仰論』77頁~78頁)

 「南信において目立つのは、小正月の晩に厄年の人が厄祓いのためにヤクオトシをすることである。ヤクオトシには茶わんなどを道祖神碑に投げつけるものと、小正月の火祭りに集まった人々にお金やみかんなどを撒いて拾ってもらうものがある」(前掲書83頁)

 以下、『長野県史民俗編』の調査報告をもとに、事例を掲げられている。

 そして、以下のように結論付けられている。

 「こうしたヤクオトシは道祖神碑の所で行われることが多い。そのため道祖神の行事であるという理解がなされるのである。しかし、その儀礼からは道祖神を対象とする必然性は見出し難い。(中略)ともかくこの儀礼の中心は、投げつけて破壊するところにあるように思われる。それを道祖神碑・庚申碑などの立っている境界・辻などにおいて行われる儀礼であるとする側面を持つ可能性があると思われる。事実、北信などにおいても一月十四日の小正月に厄落しが行われるのであるが、それは道祖神には直接結びつかず辻で行われる行事なのである。しかし南信においては道祖神とかかわる儀礼であるとする考え方が強いことも事実である。それは、厄の落し方として境や辻の碑に投げつけるという方法をとり、それに道祖神碑が結びついているということなのであろう。南信において何故こうした方法をとることになったのか、その理由は明確ではないが、このことによって、道祖神についてのあるイメージが作り上げられていることはたしかであろう。

 ここに見られる厄落しは、普段身近にあるものを放棄・破壊し、それによって身についた災厄を境界の外に排出してしまうのである。その境界にあるのが道祖神なのである。単に身近にあるものを放棄・破壊して、それと共に災厄を祓うということであるならば、何も道祖神碑でなくともよい。堅いものであるならば何でもよかったのである。だから、庚申塔などの境にある石仏を用いることもあったのである。ただ、そうした境・辻には道祖神碑が多く祀られていた。そのためにこの厄落しが道祖神と結びつくようになったとも考えられる。しかし、それだけであろうか。叩きつけるというのは、供え方の一変形でもあろうから、道祖神に供物を供え、災厄を除くことを祈願する。そして身近にあるものを破壊するという一続きの儀礼が、一緒になってしまったのではないかとも考えられるのである。

 それを道祖神碑において行うという認識しているのは、自分たちの世界から外に排出するということと、道祖神が境の位置に立つということが、結びついた結果であると考えられる。それと共に、道祖神が災厄と何らかのかかわりを持つ神であり、いわば災厄を司る神でもあったということであろう。」(前掲書84頁~86頁)

 ここで、小正月の「厄投げ」について、他の資料ではどのように記述されているかか見ておくことにする。

 まず、長野県下全体の厄年にかかわる民俗事例を『長野県史民俗編総説1概説』の該当箇所から見ていこう。

 「火祭り・道祖神碑での厄落とし

 厄年の者が小正月などのときに、火祭りや道祖神碑の前で物を投げて、厄落としをした所が各地にみられる(地図9参照)。これをヤクナゲ・オトシコミなどという。

 小正月の火祭りにこうした厄落としをおこなうのは北信の西山に見られるほか、諏訪地方、中信の北安曇北部、木曽地方などにもわずかにみられる。火祭りの火や見物に集まっている人々に向かって、銭や大根を輪切りにした物などを投げ込みのが一般的である。しかし、ムラによっては銭だけだったり、銭と大根を混ぜた物を投げたり、銭の代わりに大根を投げたりするなどさまざまである。投げ込む数は、年の数だけとしている所が多い。木曽郡三岳村本洞(現木曽町)ではマツヤキに集まった人たちに銭、米、豆などを混ぜて投げる。また、南安曇郡奈川村神谷(現松本市)ではオトシコミといって、数え年二歳の男女の子が新しい着物や羽織を着て、男の子は木の刀を、女の子は削りかけのキノハナを、ドンドヤキに投げ込んだ。このほか上伊那郡中川村南田島や下伊那郡大鹿村沢井などのように、食事に使っていた茶碗に年の数だけの銭を入れて、人にわからないようにとか後ろを向いてとかしてドンドヤキに投げ込む所もある。

 こうして投げ込んだ銭は、ヤクゼニなどと呼んで見物に集まった人たちが拾った。

 火祭りの火に物を投げ込む所のほかに、道祖神碑に物を投げつける所が、南信の上伊那中部、上伊那東部、上伊那南部、諏訪地方の一部などにある。一月一四日の晩、年取りがすんでから、使っていた茶碗に年の数だけの銭やさいの目に切った大根を入れて道祖神碑に投げつけ、後ろを振り返らずに帰るというのが一般的である。中には下伊那郡大鹿村下青木のように、女性はくしを一緒にして投げたり、茅野市米沢塩沢のように四二歳の男性は使っていないゼンバコまで投げてしまった所もある。南信の諏訪湖周辺では二歳の子供の場合、ずきんやよだれかけ、手ぬぐいなどを道祖神碑に投げた所もある。

 投げるという作法も、後ろを振り返らないというほかに、諏訪郡下諏訪町萩倉のように『一〇〇歳のヤクバライ エーイ』と叫んだり、上伊那郡箕輪町長岡などのように投げたあと人に会わないように帰り、もしあったらもう一度やり直すという所もある。また、伊那市伊那部野底では、帰りに三軒の家に寄ってヤクナゲを報告し、お茶をいただいた。木曽郡木曽福島町伊谷(現木曽町)でも、川上の人は下のサイノカミでヤクオトシをし、下の方の家でお茶をいただいて帰った。

 このほか道祖神碑を対象としたものに、茅野市米沢塩沢などのように道祖神碑の前でわらを一把燃して厄を落とす所もある。また上水内郡戸隠村上野(現長野市)では、女性の一九歳の厄年には、ドンドヤキの勧進をするときに持ち歩く道祖神の着物を新調して着せ替えさせた。

 辻での厄落とし

 厄を落とすために大年の晩や小正月に、辻でヤクナゲやヤクオトシをおこなう所も多い。辻での厄落としは、小県地方、下伊那地方、北安曇地方、中信の嶺間、木曽西部などにまとまってみられる。

 小正月の火祭りや道祖神碑に対して厄落としをおこなったと同じように。銭やさいの目に切った大根を年の数だけ辻で投げたり落としたりする。大町市館之内では大年の晩に大根の輪切りと銭をまぜて厄年の数だけ用意し、四つ辻へまき散らして人に踏んでもらう。これをヤクオトシといい、家によっては橋を渡らずに四つ辻三か所にまき、オブスナサマ(氏神)へお参りしてヤクオトシをする。木曽郡開田村藤沢(現木曽町)などでは一月十日あるいは十四日の晩に、大根の輪切りになべや釜の墨をつけて、米、あわ、銭と一緒に正月のカザリガミに包んで辻や道に投げ捨てた。その後で隣の家などに行ってお茶を呼ばれてきた。下伊那地方でも大根や銭と一緒に、使っていた茶碗を投げて帰る所も多い。諏訪市豊田文出では、日常使っていた膳と一緒に扇子や手ぬぐいも投げていた。(後略)」(長野県史民俗編第五巻総説1概説 94頁~98頁』(1991年)

 

厄落としに関する県下の様子 『長野県史民俗編第五巻総説1概説 96頁』(1991年)

 次に、『長野県史民俗編第二巻(一)南信地方日々の生活』(1988年)には、さらに詳細な資料が掲載されているので、そちらも見ておこう。

 事例1 茅野市本町

 一月十四日のドンドヤキに、本厄の者がヤクナゲをする。神に包んだ小銭やみかんひと箱を集まった人々に投げて振るまう。(前掲書307頁)

 事例2 茅野市湖東笹原

 ドンドヤキが行われるサイノカミの晩にヤクナゲをする。道祖神にお参りし、みかんを投げる。(前掲書308頁)

 事例3 諏訪市湖南北真志野

 ヤクナゲをする。道祖神で食事に使っていたお膳や椀、体につけていた手ぬぐい、年の数だけの金、みかんを投げた。二歳児の場合は、よだれ掛けを投げる。(前掲書308頁)

 事例4 諏訪郡下諏訪町下の原

 一月十四日夜、洗米、みかん、硬貨、いちょう切り大根を道祖神に後ろから投げる。これをヤクナゲまたはヤクバライという。(前掲書308頁)

 事例5 諏訪市豊田文出

 ヤクナゲといって年の数だけのお金、扇子、手ぬぐい、日常使っていた膳を辻に投げる。(前掲書311頁) 

厄除けの場所 『長野県史民俗編第二巻(一)南信地方日々の生活 310頁』(1988年)

 次に市町村誌を見てみよう。

 まず初めに、『諏訪市史下巻』(1976年)の中の記述から。

 厄払い

 男二才、二五才、四二才、女二才、一九才、三三才を厄年という。正月十四日の晩、お年とりをしてから、辻や道祖神の広場や、産土様で厄投げをした。これを厄落し、厄祝いともいった。投げるものは、日常身につけていたもの、年齢の数だけのお金を一厘または一銭銅貨で用意し、菓子・蜜柑・南京豆、大根や野菜などをさいの目に刻んだものなどといっしょに投げた。またお膳・お椀・扇子・足袋・手拭などを投げる人もあり、厄投げした人は、後を振り返らず、一目散に家へ帰るものだといわれた。(前掲書804頁)

 『岡谷市史下巻』(1982年)には、

 厄投げと厄祝い

 一月十四日小正月の年取りがすむと、厄年の者は道祖神場へ、平常使っていた茶碗に年の数だけ金を紙に包んで入れ、みかんなどと共に膳にのせ持っていく。また人参などを輪切りとし、金とみなして紙に包み、金と混ぜる者もあった。道祖神の前で拝んでから後向きに膳ごと投げる。またこの時手拭で身体をふく真似をして、それも投げた(中屋・横川)。投げ終ると後を見ないようにまたどこの家にも寄らずに帰ってくる。この厄投げの晩は子供達が大勢道祖神場へ集まっていて、拾った金銭はその晩のうちに厄を背負いこまないようにと使ってしまう。現在は青少年育成会などがこの晩の子供達の指導に当っている。(前掲書907頁)

 『茅野市史下巻』(1988年)には、

 厄払い

 小正月の十五日の夜、正月のしめ飾り・松飾りなどをどんど焼きといって道祖神の前で焼く。この火に照らされて、厄年の者は「厄投げ」をした。大厄の者は投げる品も多く、昔は普段使っていた食器などを投げつけて打ち壊したり、身につけた手ぬぐいや扇子、あるいは銭を年齢の数に応じて投げたり、大根や人参などで作った銭に似せた物などを投げたりした。今は、金銭・みかん・菓子・タオルなどが投げられている。投げられた物を大人も子供も争って拾い合いをする。昔は、拾った銭は家へ持ち帰ってはいけないといわれ、すぐ使ってしまったという。厄を投げた人は、後ろを振り向くと再び厄を背負ってしまうということで、振り向かないようにして家に帰った。(前掲書969頁~970頁)

 『下諏訪町誌民俗編』(2000年)には、

 厄払い

 厄年の厄を背負い込まないように一月一四日の夜、村の四つ辻や道祖神碑にお参りし、洗米、大根のいちょう切りにしたものを供える。また、年の数だけのお金を和紙に包んでおひねりにしたり、それにみかんを添えて、集まっている子供たちに後ろ向きに投げる。これをヤクナゲとかヤクバライとかいった。

 萩倉では、二歳児の場合は頭巾やよだれ掛けを投げたが、その時「二歳のヤクバレエ、エーイ」といって投げ、後ろを振り返らないで帰っている。拾ったお金はその晩のうちに使えともいわれ、駄菓子屋に走った子もあった。(前掲書486頁~487頁)

 ここまで、みてきたとおり、諏訪地方で、「厄投げ」と呼ばれる行事は、概略すれば、厄年の者が、小正月の1月14日に、お金・日常に身につけていたものなどを、道祖神碑や四つ辻に後ろ向きに投げる行事ということになる。そして、厄を祓う。あるいは厄を落とすわけである。

 本日夜、ヤクナゲをする本校の女子生徒も多いと思います。機会があれば、どんなふうにヤクナゲをしたか教えてください。

 なお、『山梨県史民俗編』(2003年)によれば、

 数え年で女三三歳、男四二歳は大厄である。厄年には、小正月の道祖神の行事の際に、お金、お神酒、のぼりなどを奉納する地域が多い(前掲書695頁)。

 とあり、諏訪地方とのつながりも考えていく必要がありそうです。

 それでは、今晩、私も、フィールドワークに出かけてきます。久しぶりの民俗調査です。ちょっと、わくわくしています。

 これらの書物で下調べをしていて、疑問点も出てきました。

 成人の日が1月15日から1月の第二月曜日に移動となり、その影響からか、「ドンドヤキ」の日程も変更になってきている。このことに伴い、1月14日におこなれていた「厄投げ」の日も移動した場所がある点です。

 ネット上で、以下のものも参考になります。

 http://blog.goo.ne.jp/prmanodama/e/350d508adc2444fe0a2003527ba28fad

 http://sachinoyo.exblog.jp/22117484/

 http://blog.nagano-ken.jp/suwa/experience/2674.html

 さらに昨日までに、様々な人から「聞き書き」をしました。

 前述の拾われたお金をどのように使うかです。

 上記の記述に、「拾われたお金は、厄を背負わないようにその晩のうちに使う」といった記述がありましたが、今では、コンビニとか、24時間営業しているスーパーで、子どもたちはお金を使うのだそうです。スーパーでは、「厄投げ」用のコーナーもあるやにうかがいました。

 こうした点は、「市町村誌」には記述のなかったきわめて今どきの話です。

☆20時17分アップ分

 「厄投げ」見てきました。

 まずは、諏訪市湯の脇の児玉石神社に17時30分に出かけ、石城校長先生が「厄投げ」する様子などを撮影しました。 

 袋菓子とお賽銭(ヤクゼニとも呼ぶようです。紙に包んだ硬貨です)

 まずは記帳

 石城校長先生の厄投げの様子

 数えで2歳児の厄投げ 母親が厄投げをしていました。

 男の数え年25歳の人の厄投げ

 次に北沢区の厄投げへ

 小学校のPTA役員の方が、「6時30分から7時まで、厄投げをおこなう」旨、放送で呼びかけていました。

 だんだんと小学生が集まってきて、厄投げで投げられた袋菓子やお金を、ビニール袋に次から次へと入れていました。

 最後に、榊町へ。

 こちらでは、「○○町の○○です。19歳ですが、代理で厄投げをします。」と、口上を述べられてから、厄投げをしている方もいました。

 以上、参与観察とその時に撮った写真の掲載で、今日の「校長日記」を終了します。

 今度の日曜日の午前中にも厄投げをするところがあるので、出かけてきます。

 また、実際に厄投げをした本校生から、聞き書きをして、実際にどのように行ったのか、記述しようと思います。「厄投げ報告」第二弾もご期待ください。

 

  

 


1月13日(水)卒業研究発表会 2015-234

2016-01-13 18:13:46 | 日記

 

 本日は職員会議の日になります。

 今年初めての職員会議ですから、年度末の諸日程や、年度初めのことも議題に上がりました。特に年間行事計画について、時間をかけました。

 そんななか、私も、昨日の校長会を踏まえて、先生方にお願いすることがあり、個別に校長室で、話をしました。

 朝は、いつも通り、長瀬の横断歩道まで出かけてきました。今朝は非常に寒かったです。やっと冬らしさを体感しました。

 昼休みには、スケートでインターハイ、国体、選抜大会に出場する原田君と堀さんを、原同窓会長さんと一緒に激励しました。

 冒頭の写真は、先週の土曜日、霧ヶ峰の富士見台から撮影した、富士山と八ヶ岳の山々です。霧ヶ峰に雪が全くありません。暖冬の影響だと思います。これでいいのかどうか。春先に水がたりなくて、農作業に影響が出ないか、心配です。

 さて、昨日行われた卒業研究発表会の様子をお知らせします。参加した先生方から伺いましたが、いい出来栄えだったとのことでした。

 その様子をいっきに写真で紹介します。

 

 

 


1月12日(火)南信高校校長会会議 2015-233

2016-01-12 21:16:16 | 日記

 

 本日は標記の会が、伊那市内の伊那市振興公社を会場に行われますした。石城諏訪清陵高校校長先生と一緒に出掛けてきました。

 朝、学校に顔を出し、ちょっと仕事をして、出かけてきました。ほんの15分ほどでしたが。

 この時期の会議ですので、来年度の会議日程などを協議しました。

 冒頭の写真は、JRC部の活動です。私もはがきを寄付しましたよ。

 なお、校内では、3年生のすでに進路が決まっている諸君が、それぞれの進路に合わせたテーマを選び、卒業研究に取り組んできました。

 本日、2時限から4時限まで、パソコン室で、「卒業研究発表会」を行います。18名の生徒が発表しました。

 先週金曜日に、準備の様子を写真に収めました。今日の様子は、明日の「校長日記」で。

  会議終了後、学校に戻り、本日の校長会の話を教頭先生に話したり、その後、本日の会議に関係のある先生方と懇談したりして、その後、官舎に引き上げてきました。


1月8日(金)スケート壮行会及び2学年の3学年0学期始業式 2015-232

2016-01-08 18:14:33 | 日記

 今朝、いつものように、ゴミを入れるバケツを持ち、長瀬の交差点までゴミ拾いに出かけました。昨日、今日と、朝の冷え込みが厳しくなりました。学校に登校する生徒はもちろん、ゴミ捨てにステーションに向かう近隣の皆さんにも、朝のご挨拶をしました。近隣の皆さんは、「おはようございます」と声をかけると、「お疲れ様です」とか「御苦労様です」と返してくださいます。いつも、その言葉、ありがたく受け止めています。

 長瀬の交差点には、鈴木生徒指導主事がすでに立ち番をしてくださっていました。

 さすが、鈴木先生、にこやかな中にも、全身からほとばしる威厳というのでしょうか、生徒たちは、いつも以上にきちんと横断歩道を渡っていました。ありがとうございました。

 本日試験終了後、スケートのインターハイ出場者2名の壮行会を行いました。

 選手入場

  原田君からの挨拶

  応援

 牛山生徒会長挨拶

 私からの挨拶

 昨日、牛山生徒会長が、「遅くなりすみません。校長先生、明日の壮行会でご挨拶をお願いします。」と、校長室に来ました。毎回のことですが、必ず事前に承諾を得に来る生徒会役員、たいしたものです。

5日午前中に設置した懸垂幕

 壮行会は、1・2年生のみで行いました。寒いので、ウェーブは省略しました。

 原田君、堀さん、インターハイ頑張ってきてください。

 その後、2学年は、標記の会を地歴公民教室で行いました。

 私も挨拶を頼まれていましたので、少し時間をいただき、これからの過ごし方の心構えを話しました。昨日、原稿を書きました。

 「アクティブラーニング」を意識した講話をしたつもりです。

☆学校長の話

3年0学期始業式 校長講話
平成28年(2016年)1月8日...
長野県諏訪二葉高等学校長 田澤直人
2年生の諸君、こんにちは。
3年0学期始業式ということなので、10分程度話をしますので、耳を傾けてください。なお、キーワードを4つしゃべります。最後に、私のしゃべったキーワードはなんだったか、聞きますので、しっかりメモしてください。
さて、みなさん、高校3年間で、どのくらいの時間、自学自習する時間を確保すれば、大学に合格できるのか知っていますか。


信州大学レベルで、3000時間、東大をはじめとする難関国公立大学レベルでは、3500時間といわれています。
3年間は、365日×3=1095日ですよね。
センター試験が1月中旬にあることを考えて、1年の4月から3年の1月までとなると、約1000日あります。
ということは、1日平均、3時間から3時間30分の学習時間を確保しなければなりません。これは、学校での授業を除き、あくまでも、自学自習の時間のトータルということになります。
みなさんは、すでに、高校入学以来、640日を費やしました。たぶん、ここまで、トータルで1000時間学習した人は、まれでしょう。残りの360日で、2000時間から2500時間学習するとなると、どのような生活を送らなければならないか、自分なりに考えてみてください。
一つ具体的な話をします。
今の3年生で、難関国立大学の推薦入試で合格した生徒がいます。
本人の言によりますと、志願理由書、小論文対策、面接対策に費やした時間の総合計が、約2か月で280時間だったそうです。60日間で、280時間ということは、1日4時間以上ということですよね。
私も、指導にかかわりましたが、当初、自分の専攻したい学問に対する知識が非常に乏しい。
ここに、本人に渡した本の一部を持ってきましたが、こうした本を読みながら、自分の志願理由を紡ぎだす作業。また、小論文入試が2時間の試験時間があり、9ページに及ぶ評論を読みながら、その要約と意見を書くというかなりハードなものの準備もありました。面接も、何人もの先生が、何回かやっていましたが、その準備もあったかと思います。
このように、日ごろからかなり勉強していて、成績の良い生徒であっても、非常に苦労していました。
改めて、話をしておきますが、今の段階では、「教養」も身につけてほしいと思います。そのために、ぜひ、自分が将来学びたい学問体系に関する本を、何冊か読み、その本の内容を、きちんとノートに書きとり、来るべき進学先での生活に備えてほしいと思います。
「やってもできなかった後悔は、だんだん小さくなるが、やらなかった後悔は、だんだん大きくなる」という言葉を、最近知りました。
皆さんも、万が一、「後悔」するとしたら、物事に取り組んでからの「後悔」となるように、日々、努力していってください。
努力したことが必ずしも報われるとは限りませんが、成功した人は、必ず、努力している」ことも忘れないでください。

☆野澤進路指導主事の話

☆英数国の各教科からの話

☆竹内学年主任の話

☆教室に戻り、ワークショップ実施

 本日の試験日程等は、以下のとおりです。

 1年試験日程

 2年試験日程 物理基礎は、他教室で行うため、板書されていません。

                   1 学 年    2 学 年

 8:30~ 8:40 SHR

 8:50~ 9:40        現代文       数学応用

 9:55~10:45        生物基礎      物理基礎/地学基礎

11:00~12:00        数学        英語コミュニケーション

12:10~12:25 壮行会

13:30~15:00 2学年学年行事                       


1月7日(木)1・2年生3学期中間考査二日目 2015-231

2016-01-07 18:18:06 | 日記

 1・2年生は、3学期中間考査二日目を迎えています。

 3年生は通常授業を行いました。

 試験ですので、休み時間を15分間とっています。

 本日の試験日程は以下のとおりでした。

                  1 学 年    2 学 年

 8:30~ 8:40 SHR

 8:50~ 9:40       化学基礎     数学基礎

 9:55~10:45       世界史A     古典

11:00~12:00       英語コミュニケケーション  

11:00~11:50                地理B/日本史B

12:05~12:55                化学/英文講読

                英文講読は13:05まで60分の試験

 1年の試験日程

 2年の試験日程

 今朝、久しぶりに、学校から長瀬の交差点までゴミを拾いながら、行ってきました。

 長瀬の交差点での横断の様子を見ていましたら、ちょっとマナーに反する行為をしていた生徒もいましたので、「注意」しました。2学期の始業式で話したんだから、そんなことも思い出してほしいものです。明日も、もう一回、長瀬の横断歩道で様子を見守ります。

 午前中、同窓会の原会長さん、両宮澤副会長さん、伊藤副会長さん、朝倉さんが、新年のご挨拶に校長室にお見えになりました。しばし懇談しましたが、「校長先生、今年の目標は」との突込みが入り、1月6日の朝会で先生方にお話したことを、述べさせてもらいました。

 さて、昨日の「校長日記」で書き忘れたことがありました。

 昨年の3月に本校を卒業し、大学1年生の彼女が、高校訪問に来校しました。

 その目的は、「養護教諭免許取得希望学生によるインタビュー実施」というものでした。

 担任であった馬場先生から頼まれ、私もしばし、学生と話をしました。

 私が質問を受けた項目は、以下のとおりです。

 ・今まで印象に残った養護教諭について

 ・これからの養護教諭に望むことについて

 などでした。

 どのように答えたかは、差し障りがあるので、ここでは書きません。ただ、かなり具体的なことを話したことだけは、記しておきます。


1月6日(水)3学期始業式 2015-230

2016-01-06 17:50:00 | 日記

 

 霧ケ峰から撮影した蓼科山方面、後方に浅間山

 同じく霧ケ峰から撮影した八ヶ岳方面、後方に富士山

 学校が今日から始まりました。生徒に会うと元気が出ますよね。今日、登校してきた生徒に挨拶をしてそう思いました。

 放送による始業式を行い、1・2年生は3学期中間考査初日。3年生は通常授業を行いました。

 私の始業式の講話は、後の試験もあるので、簡単に話しました。主権者教育について話しました。機械トラブルがあり、1年生の校舎に放送が入らなかったので、もう1回、1年生のために、話をしました。

 内容は以下のとおりです。

 二葉生諸君、あけましておめでとうございます。本年も、よろしくお願いします。


 さて、皆さん、年末年始をどのように過ごしましたか。この時間も、これから始まる試験のことで、頭がそちらに向いている諸君もいると思います。3年生は、「天下分け目の関ヶ原」ならぬ「センター試験対応」で頭がいっぱいかと思います。
 そんな中ですが、しばし、私の話にお付き合いをお願いします。
 今年は、日本の歴史に残るであろう大きな出来事があることでしょう。それは、「公職選挙法改正によって、選挙権年齢等が満18歳以上へ引下げられること」になったことです。
 このことにより、高校に求められることは、これまで各高校で行われてきた主権者教育をより一層充実させ、高校生が有権者として政治に参加するために、民主主義の意義を理解し、現実の具体的な政治的事象に関心を持ち、自らの判断で権利を行使できるよう、確実に指導することと言われています。
 そのためには、中学校社会科や高校の公民科で学ぶ、現代民主政治上の各種制度についての知識だけでなく、現実の政治を理解し、それに対する公正な思考力や判断力を身に付け、民主国家の国民として必要な政治道徳及び政治理念などについて、養うことが重要なことです。
 それでは、そのために諸君は、何をするのか。
 まずは、世の中の動きを、新聞やテレビ・ラジオなどの報道によって、知ることから始めましょう。
 本校では、↑すわ(あげすわ)のメンバーが、諏訪市内の商店街の活性化のために、ここまで、様々な活動を行ってきています。金子諏訪市長さんとの懇談も行い、自分たちの考えを、直接、地方自治体の首長に聞いてもらえる機会を得ました。
 こうした活動も、まさに、主権者教育としては、大切な活動だと思うのです。
 二葉生の諸君も、例えば、↑すわ(あげすわ)の行う様々なイベントに参加することにより、地域の実状を理解するとともに、高校生だからこそできることを、自ら考え、そして、自ら行動に移してほしいと思っています。
 終わります。

 今日の日程は以下のとおりでした。

 8:15~ 職員朝会 事務室の津川さんの離任の挨拶がありました。

 8:25  予鈴

 8:30~ 8:45 始業式・SHR

 8:55~ 9:45 1時限

10:00~10:50 2時限

11:05~11:55 3時限

11:55~12:35 昼食

12:30  予鈴

12:35~13:25 4時限

13:35~14:25 5時限

14:35~15:25 6時限

15:25~15:40 清掃

            1学年試験    2学年試験

 8:55~ 9:45  古 典      現代文

10:00~10:50  数 学      現代社会

11:05~12:05  英語表現     英語表現

 2年試験日程

 1年試験日程 

 冒頭の写真2枚は、一昨日、佐久の自宅から霧ケ峰を越えて、諏訪に戻ってくる途中で撮影した山々です。

 臼田高校で山岳部の顧問をしていた時、顧問に就いて最初に登ったのが蓼科山でした。八ヶ岳連峰は、毎年、必ず、佐久側から登りました。

 浅間山と富士山は、登ったことがありません。いつか登りたいものです。浅間山は、「入山規制」があり、山頂に立つのは無理かと思いますが。


1月5日(火)奈良薬師寺東塔の瓦 2015-229

2016-01-05 14:58:28 | 日記

 

 本日は出勤しました。先生方も、明日の試験に備えて、ぼちぼち出勤してきていました。午前中、各研究室を回り、出勤してきた先生方に、年頭のご挨拶を申し上げました。

 1年の担任の先生が、明日の予定などを黒板に板書していました。

 さらに、黒板を見ると何やら張り紙がしてあります。

 吹奏楽部の諸君が、年末に1学年の教室掃除をしてくれたようです。個人のひざ掛けなども、綺麗に折り畳み、机の上に整然と並べてありました。たいしたものです。こうした「感謝」の気持ちを忘れないと、きっと演奏も上達するに違いありません。

 3学年の担任の先生方は、朝一番から、「担任会」を行っていました。

 3年の生徒たちは、自己採点だけのセンター模試を昨日と今日行っていました。帰りがけの生徒に、「結果はどうだった」などと声をかけました。

 ただいま、模擬試験中

 私、昼間、葬儀に出席するため、しばし、年休をいただき外出してきました。

 1・2年生の3学期中間考査が明日から3日間行われますので、大会を直前に控えた新体操部以外は、特別な事情のない限り部活動は行われていません。

 私は、明日の始業式の校長講話の原稿を、今日書きました。また、2月の生徒相談関係の会議の準備を行う予定でしたが、明日以降にすることにしました。

 生徒会誌『天つ野』の原稿は、事前に書いておきましたので、御用納めの日に、天つ野委員会の委員長に、写真と共に渡しました。

 冒頭の写真は、年末に今井県議さんから提供を受けた写真です。奈良薬師寺に展示されている瓦です。本校の名前が書かれています。

 薬師寺東塔にのせられている瓦に、本校の名前が記されてるというものです。

 現在、東塔は解体修理中ですよね。そんなわけで、瓦も展示されていたんじゃないかと思います。

 薬師寺に寄付をしたから、名前が書かれていると思うのですが、校史を見ても、経緯がわかりません。

 以下の信濃教育会のウェブサイトも参考にご覧ください。

 http://www.shinkyo.or.jp/30yakushiji/index.html

  http://www.shinkyo.or.jp/30yakushiji/kawara_s2.pdf

 


1月4日(月)御用始め 2014-228

2016-01-04 21:44:52 | 日記

 御用始めの日ですが、例年、この日は、「人間ドック」を行うことにしています。

 「農村医療」で有名な、「佐久総合病院」に出かけてきました。

 ずーと、ここで、検診を受けています。

 教え子も勤めていて、ほっとします。

 終了後、佐久を出て、霧ヶ峰を通り、諏訪に戻ってきました。

 検診の結果は、「年相応」というところでしょうか。朝、学校から駅近くまで歩いている効果はあったようです。血糖値が下がりましたから。後、体重をもう少し減らさなければ。個人的にはこうした目標があります。

 よって、今年も、ごみを拾いながら、歩きますよ。目標1万歩。これがなかなか達成できないんです。

 今日は出勤せず、明日、出勤します。


1月1日(金)平成28年の始まり 2015-227

2016-01-01 00:00:00 | 日記

 

 

 あけましておめでとうございます。

 本年もよろしくお願いします。

 冒頭の写真は、私の今年の年賀状です。

 私は、年賀状も学校宣伝の重要な手段だと考えていますので、今年度撮影した写真の中から、いくつか選び、印刷したものです。

 その次の写真は、佐久市浅科上原の自宅のそばの丘陵から、年末に息子が撮影した「五郎兵衛田んぼ」と浅間山です。

 左手前は、「関所破りの桜」といいます。4月にはきれいな花を咲かせます。

 http://www.nagano-tabi.net/modules/enjoy/enjoy_17011017.html

 佐久に住む者にとって、浅間山は、やはり特別な意味を持ています。

 ここのお米、「五郎兵衛米」といって、知る人ぞ知る「ブランド米」なんですよ。

 今年も、「校長日記」、書き続けますので、引き続き、ご愛読をよろしくお願いします。