昨晩遅くから降り始めた雨が、朝起きても降り続いています。予報を見ると、日中は、降り続くようです。そんなわけで、今日は涼しい一日になりそうです。
さて、夏休み中を中心に、生徒たちは、就業体験を行っています。一部、始まっていまして、係の英語科百瀬先生にはご足労をおかけします。
本校は、医療系の就業体験希望者が多いですね。
上の写真は、昨日昼休み、原同窓会長さんから、インターハイに出場する齊藤さんにお祝いを渡しているところです。その後、私から、後援会からのお祝いも渡しました。齊藤さん、インターハイ、頑張ってきてください。全校による壮行会は、明日行います。
こちらの写真は、これも昨日の昼休みに音楽部のメンバーが、20日に行われた大会で、「銀賞」を受賞したとの報告に来てくれた時に、一緒に撮った記念写真です。10名のメンバーでよく頑張りました。
本日は、三者懇談最終日になります。木曜日の1時限から3時限の授業後、懇談となります。
クラスによっては、明日、そして、土日、あるいは、夏休み中にも行います。
さて、本日の『天つ野』は、第12号についてです。昭和27年(1952年)3月10日発行です。巻頭言は、昭和26年(1951年)5月に本校に赴任された第2代校長片瀬佐伊治先生です。「地の花」の表題の巻頭言。以下の書き出しで始まります。
何時の時代、どんな国でも、又どんな人でも、夫々の悩みや苦しみを持って居ります。
そして世界の歴史は、どうしてこの苦しみや悩みを克服するかというあがきの記録と言ってもよいでしょう。その克服の結果出て来たものが文化であります。
ですから、苦悩や困惑は謂わば文化の母胎であります。若し、地上から、苦悩や困惑が無くなった時は、文化は停滞するでありましょう。(以下省略)
少し難しい文章ですね。
第12号には、文化祭についての言及もあります。
旧制高女から新制高校への昇格を記念した第一回文化祭の翌年、全校で様々な事情を総合し、協議した結果、本校では三年に一度文化祭を行うことが定められた。そんな事情で第二回文化祭は私達の手で挙行したわけである。
実際には、7月27日文化祭準備、28日文化祭第一日、29日文化祭第二日、夏休みに入る、と、「行事回顧」には記してありました。
当時は、文化祭は3年に一度だったんですね。
『写真でかたる二葉百年のあゆみ』137頁から転載
当時の文化部、運動部にどのようなものがあったかも、活動報告からわかります。
文化部
文学部、地歴部、生物部、映画演劇部、音楽部、書道部、絵画部、礼法部(華道)、礼法部(茶道)、技芸部
運動部
排球部、籠球部、卓球部、庭球部、陸上競技部、登山・スキー部、スケート部
スケート部は、「1月9日に第1回全国高校スケート大会が、蓼科湖で始めて行われ、それに出場するために部員は楽しいお正月も返上して蓼科湖で合宿練習をして、最後の仕上げを行ったのであるが、その結果は1点の差で第二位となって優勝を逸してしまい、全校の皆さん、並びに先生方のご期待に添えなかったことを残念に思うと同時に、来年こそはと願わずにはいられない。」とありました。
確か、第1回優勝校は、岡谷東高校だったと思います。みなさん、この事実ご存知でしたか。