長野県諏訪二葉高等学校校長日記 2014・2015

諏訪二葉高校の校長です。校長の視点から学校の様子をお伝えしたいと思います。登校日毎日更新を目指します。ご愛読願います。

7月12日(日)同窓会伊北支部総会ほか 2015-092

2015-07-12 23:35:28 | 日記

 本日、同窓会の伊北支部総会にお招きいただきました。辰野町たつのパークホテルが会場でした。

 同窓会の正副会長さんと一緒に出かけてきました。

 この支部総会は2年に1回開催されるとのことです。会員40名強の出席がありました。

 支部総会では、校歌斉唱・支部長さんの挨拶・原同窓会長さんの挨拶・来賓紹介・来賓を代表して私からの挨拶・議事と進行していきました。

 私からの挨拶では、いつものように、腰原教頭に作ってもらった資料をもとに、学校の近況を報告してまいりました。

 その後のアトラクションは、会場を移し、「高原の風そよぐ ボサノバフルート」と題して、本校OGの赤羽泉美さんのフルートと今井亮太郎さんのピアノの生演奏を楽しませていただきました。演奏の様子をこの「校長日記」にアップしても構わないとの許諾を得ましたので、以下にアップします。

 

 その後、記念撮影を行い、昼食懇親会となりましたが、出席された会員お一人おひとりからのテーブルスピーチがあり、私はメモを取りながら聞かせていただきました。

 高校17回卒業生の方は「ちょうど東京オリンピックのときで、聖火ランナーをつとめた」とか、「上諏訪駅前で、自分たちだけで食べた今川焼の味が忘れられない」といったお話を伺ましたし、そのほかにも、今取り壊し中の丸光の中の喫茶店でチョコパフェを食べた話とか、何とも面白い話をいくつか伺いました。

 みなさん、「二葉」で過ごした高校時代を生き生きと語ってくださっていました。共学1期生(高校42回卒)の男の方も出席くださり、「今は、辰野からは男子のほうが多く進学しているようだが、自分が男子の1期生であったことが後輩につながりよかった」といった話なども、記憶に残るお話でした。

 定年退職を迎えた後の第二の人生を、どのように生きているかも、大変興味深く聞かせていただきました。

 みなさん、ありがとうございました。

 この夕方から、石城諏訪清陵高校校長先生から誘われていました、以下の会合に出席してきました。

 今日は会合のはしごになりました。

 「社会へつながる子育てを考える会」というものです。

 パネリストとして、石城校長先生、株式会社アイキューブ代表取締役の矢勇人さん、諏訪市地域総合クラブ四賀地区児童育成団体しがっ子クラブ事務局長の小池玲子さん、ママ育プロジェクト理事指南役の有賀ゆかりさんの4人、そしてコーディネーターは、アートミーティングすわ、ママ育プロジェクト事務局の高木智子さんでした。仕掛け人は、山崎三千代さんでしょうか?

 内容は非常に面白かったです。誘われるままに、その後の反省会にも出席して、先ほど、まだまだ話は尽きませんでしたが、「校長日記を書きますから……」と、先に帰ってきまして、この「校長日記」を書いています。

 明日も早い時間に、野球の応援に、松本に出かけますので、もう休みますので、内容についてのコメントは、今日のところは差し控えます。

石城 正志さんの写真

 話は変わり、今日も『天つ野』のことです。

 第4号からは、活字となりました。4号は、昭和21年(1946年)9月15日発行です。

 巻頭言に以下の記述があります。

 最近所謂(いわゆる)民主主義を曲解して徒に(いたずらに)感情に走り常識を逸する行動が特に目立つ。「私達の自由を束縛されたくないわ」などと赤い気焔(きえん)をあげて無軌道なる行動を敢て(あえて)する女性、食糧逼迫(ひっぱく)を口実として殊更(ことさら)安逸をむさぼらんとする男性、数え来れば際限もなく醜悪なる世相が目につく。

 道義頽廃(たいはい)の現世に処して自ら内省し高潔を保持することは困難かも知れないがこれを克服する必要今日より急なるはない。而も(しかも)この苦しみを突破して新生日本、道義日本を打建てるものは純真なる若き人を俟たねば(またねば)ならない。(以下省略)

 いかがでしょうか。時代の雰囲気を感じ取れる文章ですね。日本史や倫理の試験問題のリード文にして、「傍線部の設問に答えなさい」などと出したくなる文章です。

 こんな文章もあります。

 はるばる関西から小淵沢の農家に疎開して夏となり秋を送り冬を迎えた。(以下省略)

 こんな短歌も。

 雨降りてつばめ飛びかう青田には田植の人の笠見ゆるなり

 雑録として、昭和21年度の行事予定表も記載されています。

 4月 始業式、入学式、対面式、入校期訓練、服装記名検査

 5月 身体検査、遠足、大掃除

 6月 遠足、競技会

 7月 考査、大掃除、終了式

 8月

 9月 始業式、大掃除、服装検査、研究発表会、遠足、

 10月 運動会、大掃除

 11月 遠足、音楽会、収穫祝、考査

 12月 父兄会(四年)、展覧会、大掃除、終了式

 1月 始業式、大掃除、服装検査

 2月 音楽会、父兄会(二年)、考査

 3月 送別学芸会、大掃除、卒業式、謝恩会、終了式、入学考査

 今と同じものもあれば、今はなくなったものもありますね。

 もう少し詳しく、1学期の様子も書かれています。

 4月3日ー5日 入学考査

 4月7日 合格発表

 4月10日 総選挙

 4月16日 始業式

 4月17日 入学式

 4月18日ー20日 入校期訓練

 4月26日 映画「ユーコンの叫び」観覧

 4月29日 天長節拝賀式

 5月10日 遠足

 5月15日16日 農繁休業

 6月5日 ○○先生帰還挨拶 田澤註:戦争からの復員をさす

 6月6日ー15日 農繁休業

 6月21日 歌と話の会(沖縄疎開学童救援基金募金)

 6月29日 ○○先生告別式 ○○先生帰還挨拶

 7月1日 校内対級競技大会

 7月6日 映画「キューリー夫人」観覧

 7月11日ー13日 学期末考査

 7月18日 作業

 7月19日 終業式大掃除

 7月20日 教育会諏訪支部総集会 臨時休業

 7月21日ー8月20日 暑中休業

 生徒在籍数も書かれています。7月15日現在となっています。

 1年 189

 2年 214

 3年 248

 4年 250

 専攻科 106

 計 1009

 さて、次に『天つ野』第5号です。昭和21年(1946年)12月25日発行です。

 この表紙、宮芳平先生の手によるものです。

 宮先生は、次の「雑感」を寄せています。

 こんどは苦しかった。自分としては生徒のものだから生徒にやらせたかった。ところが編集の先生が表紙だけは先生のものをという。はにかみながら仕方なしに引受けた。引受けたが学期末その他の仕事で忙しかった。何でもいい何でもいいとせかされるけれども、こちらの心がどうにも泰然と落ちつかない。稿は四、五枚失敗した後徹夜して彫り上げた。荒彫のまま急々印刷所へ廻はす。誠に不十分なものだが許して頂きたい。出来るだけ単純に、素朴に、逞しく、そして明快にと思った。梅を選んだのはふさわしくなかったかも知れない。ただ日本の花なのと、一番先に咲く花なのと、そのふくよかな重い香りを愛した。

 廣やかな丘の上に咲く梅の花で、うしろは一ぱいに大空と思って戴きたい。そこにどんな花が咲くか、天つ野の象徴をその辺に求めていただきたい。

 (1946・12・10 芳平)

 とあります。いい文章ですよね。

 巻頭言もいいんです。

 有難さをおもへ

 素直であれ

 本気で働け

 これ程簡潔にして具体的な而かも人の肺腑をつく教訓は蓋し(けだし)少ないだろう。

 かかる訓がいつの頃よりか我が校訓として厳存することは有難いことである。

 現在のような混濁の世に処して吾人は更めてこの校訓を見直して、先ずこれが実践から新社会の出発を期したいものである。

 謙虚な気持ち、素直な気持ちを以て、与えられた本然の道を本気で働き通すものは常に感謝の生活が出来よう。(後略)

 いかがでしょうか。私には、今にも通ずるいい言葉だと思います。

 2学期の様子も書かれています。

 8月20日 暑中休暇終了

 8月21日 大掃除

 8月29日 大野判事講演「女性と法律」

 9月8日 排球部、飯田高女排球部を迎えて対戦

 9月11日 ○○先生告別式、○○先生新任式

 9月13日 排球部、永明高女排球部を迎えて対戦

 9月15日 籠球部、山梨高女・松本市立高女籠球部を迎えて対戦

 9月16日 服装及所持品記名検査

 9月22日 籠球部松本市立高女へ遠征

 9月25日 ○○先生新任式

       籠球部、高島国民学校職員を迎えて対戦

 9月26日 全校反省会

       排球部、岡谷帝国ピストン排球部を迎えて対戦

 9月28日 籠排球部、長野県体育大会(松本市)へ出場

 9月29日 父兄会結成式

       籠球部、大会に於て優勝す

 10月2日 1年生福沢山農場行(蕎麦収穫)

 10月4日 籠球部北陸地区予選大会(新潟市)へ出発す

 10月6日 同窓会第12回総会

 10月9日 2年生福沢山農場行(大豆収穫)

 10月11日ー20日 農繁休業

 10月21日 一日授業復活

 10月25日 3年生福沢山農場行(粟収穫)

 10月27日 排球部、飯田体育協会主催の大会へ出場(飯田市)

 10月29日 郡下中等学校職員排球試合(諏訪中学校庭)へ本校職員チーム参加

 10月30日ー11月1日 郡下中等学校芸能科移動展覧会及校内芸能科展覧会

 10月31日 大掃除

 11月2日 第1回校内研究発表会

 11月3日 新憲法公布 田澤註:日本国憲法のこと

       校内対級競技会

 11月5日ー7日 専攻科四年生蓼科遠足(二泊三日)

 11月14日ー16日 四年生父兄懇話会、校内発明創作展覧会

 11月15日ー19日 研究優良作品展示会

 11月20日 収穫祝

 11月26日ー30日 学期末考査

 編集後記にはこんな文章もあります。

 新憲法公布せらる。戦争放棄のヒット有あり。而かも国際法上の交戦権まで捨て去って、日本はいま裸一貫で起上がろうとしている。文化を探究し、真理を愛することが我々当面の又将来の課題である。

 新憲法はまた国民の自由を確保するという。自由のはきちがえをしないことが肝要である。要は新憲法の意義を真に理解して正しく実践することである。

 せっかくここまで書きましたので、次に、『天つ野』第6号(昭和22年3月20日発行)で、その後の年暦を見ておきましょう。

 12月2日 全校理科工作展覧会参観(高島校)

 12月13日 第二学期成績発表

 12月14日 午後平坦部生徒児童絵画展覧会参観(高島校)

 12月19日 各級代表(二名)による全校反省会

 12月20日21日 木曳き作業

 12月23日 諏訪卓球連盟役員来校模範実技

 12月24日 終業式 音楽会 大掃除

 12月26日ー1月19日 休業

 1月20日 始業式 大掃除

 2月2日 第1回県下中等学校スケート大会に本校生徒出場優勝す

 2月8日 午後講堂にて少年不良化防止映画観覧

 2月11日 紀元節拝賀式

 2月12日 専攻科生「日本寒天統制会社」及「大津屋酒醸店」見学

 2月20日 全校スケート練習会

 2月21日ー25日 二年生父兄懇談会

 2月25日 専攻科生岡谷市丸興製糸工場並に開明絹織工場見学

 2月28日 専攻科生南信日日新聞社乃び諏訪郵便局見学

 3月1日 一年生雛祭

 3月3日 専攻科二部日赤病院見学

 3月4日 専攻科一部日赤病院見学

 3月5日 専攻科生城南国民学校に於て教育実習

 3月6日 地久節

 3月8日ー12日 学年末考査

 3月13日ー18日 生徒休業

 3月19日 送別学芸会

 3月20日 終了式 成績発表 大掃除

 3月21日 春季皇霊祭

 3月22日 卒業式

 こんな作品もあります。

 思い出の四月

 ほんのり桜の枝が

 赤くなっていた。

 友と二人で肩を並べて

 校門の前に立ったのは

 春浅い四月の始め。

 

 試験官の先生に

 「自由主義とは」と

 質問されて困ったのは

 いつも毎日勉強している

 教室の片すみだった。

 

 「○○ちゃんできた今日の」

 「ううんだめできない。」

 もうだめねと小声で

 力なく帰ったあの道は

 毎朝登る坂道だった。

 

 春暖の日曜日

 あの日が発表の日

 友と二人で話しながら

 友達の兄さんから合格の

 しらせを聞き共に喜んだ

 あの日の午後のうれしさ。

 

 小鳥のようにはずむ

 心をいだいて

 新しい一年生の

 希望のスタートを切った

 あの入学式の日。

 一学期はすぎ

 やがて二学期もおわり

 三学期に入って今日まで

 月日の流れの早さよ

 思い出の日はいづこに。

 今も、基本的には変わりませんね。この感覚。「歳月人を待たず」といいますが、1年生諸君、入学のときの高き志を今一度思い出してみてはどうでしょうか。

 今日はこの辺で終わりにします。