1612年(慶長17)、徳川家康が当時の第一人者、大橋宗桂(そうけい)に50石の俸禄(ほうろく)(給料)を与えて将棋家元と認めた。これが名人制度の始まりといわれている。この日、藤井が歴史と伝統のある名人位を史上最年少20歳10カ月で獲得した。この若武者は将棋の神様に選ばれた「400年に1人の天才」なのか…。
そういう声が出てきてもおかしくない強さを示している。師匠の杉本昌隆八段 は
『さすがに江戸時代の名人の「強さ」は分かりませんが、歴史上の時の名人と比べると、最年少記録という年齢の若さに驚く。過去の挑戦者を見たとき、ここまで強い挑戦者はいなかった。』
名人に挑戦時、すでに6冠を保持していた。
『 年々の成長の速度が速すぎるので、数年前からNO・1に近い実力を持ち合わせていたのかもしれないですね。渡辺名人をもってしても、防衛が困難であったというのは、大きな時代のうねりを感じます。』
杉本一門での研究会のとき、夕食のメニューで“長考”することはあっても、将棋への向き合い方は変わっていない。
『前の自分より強くなることが目標で、目先の勝敗や記録には関心がない。序盤から納得がいくまで考え、定跡でも考え抜くことが強さの源でしょうね。常に自分の読みを信じ、それをベースにここまで進んできたのは間違いない。』
技術面では20代半ばまでが伸びのピークだとし、「あと5年は真っすぐ成長する」とした。八冠達成後10年は続く気がします。他の棋士の生活が心配です。
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